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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
赤の章
39/146

第38話 女だからこそ


 王宮のとある一室は、普段彼女たちが生活する部屋よりこじんまりとしていた。

畳が敷かれ、床の間には山々が描かれた掛軸、その隣には真っ赤な一輪の花が花瓶に生けられ、縁側も雨戸が完全に解放されている。

しかし部屋の左右は襖がぴしゃりと閉じられ、夏の盛りが過ぎたせいもあるからか、どこか暗さを感じさせ、また、じめじめとしていた。

 なぜ両側の襖を閉じているのか?

それはこの部屋の用途が、他に注意を向けさせないためだからだ。

気が散っては困る。とあることに集中させるために。

つまりこの場所は、二人の姫君が書を習うために使用されていた。

縦並びに書かれた赤星語(あかほしご)の書物を見ながら、それを一字一句、間違えることなく書き写す。赤星の文字は直線や角が多く、酷い箇所は線が密集し、何と読むのかさえ難解だった。

 赤星紅国(くれないこく)第一王女、薄紅(うすくれない)と、第二王女、韓紅花(からくれない)は、それぞれの前に置かれた机に向かって、筆を動かしていた。

正確には、薄紅姫は文字を丁寧に書き写し、韓紅花姫は筆を握ったまま、コクリコクリと今にも机に突っ伏してしまいそうな状態だった。

いつもなら各々何十人も女官をはべらせる二人の姫君だったが、さすがにこの部屋に来る際は人数を減らす。

それでも自分のすぐ側には一番近しい女官が常に目を光らせているし、縁側にも数人の女官が待機しているだろう。

薄紅の側には今様(いまよう)という女官が待機し、韓紅花の側には栗梅(くりうめ)という女官がハラハラしながら主を見守っていた。

 今様は今年二十歳になる。ほっそりした体型に、柔和な顔。長い真っ直ぐな髪を低い位置で結び、白と赤の袴姿だ。彼女の髪と瞳は薄紅より青みがかっているが、くすみ具合は主といい勝負で、子どもの頃からよく似ていると言われた。

物心ついた頃から薄紅の側には今様がいた。

彼女が薄紅の世話をし、成長してからは全てを取り仕切ってくれている。

そのせいで彼女には、薄紅の気持ちが手に取るように察せられた。いいことも、悪いことも。

今様には心配ばかりかけている。

薄紅は自分もまだ子供だというのに、それをちゃんと理解していた。

 一方韓紅花の女官、栗梅は、つい最近妹に付いた新人だ。

それまでの女官は妹の破天荒さについていけなかったのだ。

栗梅は恐らく三十代半ば。目鼻立ちがはっきりとし、女官としては珍しく日に焼けた肌をしている。身長は低めだがふくよかで、髪を頭の低い位置でお団子にしていた。服装はこちらも袴姿だ。髪と瞳はほんのり赤みはあるが、ほぼ茶色と言っていいだろう。何をしでかすかわからない韓紅花の為に、母君の所から直接遣わされたらしい。毎日妹に振り回されているようだが、忍耐力はかなりありそうだ。

 薄紅が書を写す手を止め、溜息をつく。

韓紅花は強烈な睡魔に襲われ、前に倒れそうになる。が、

「んあっ……!」

寸での所で何とか上体を起こした。

栗梅が思わず腰を上げ、今様は見なかったことにしようと顔を背ける。

「起きたか?」

姉、薄紅が妹の確認をする。

「お、おきましたっ……!」

韓紅花は寝ぼけ眼で答えた。

「そなたは……」

「はいっ」妹が隣に座る姉を見上げる。

「悩みがないのか?」

韓紅花はポカンとして、「なやみ?」

生まれてから六年と少し。

まさかそんなことを姉から聞かれるとは思ってもみなかった。

「……いや。今聞いたことは忘れてくれ」

妹はそのままの表情で首を傾げた。

薄紅はまた、文字を書き写し始める。一字一句、正確に。

その様子を今様が心配そうに見守っていた。

白い紙に黒い文字が並んでいく。

平和だ。こんな時間を持てるのは。

 薄紅は思った。

韓紅花はまだ六歳。自分を取り巻く状況がわからなくても致し方ない。私たちが一生この王宮という籠の中の椅子取りごっこに翻弄され続けるということを。自分の意志は一切まかり通らず、言われるがままにただ学び、一度も見たことも会ったこともない、どこの誰かもわからない相手と結婚し、催促されるままに子供をもうけ、その後は……

 薄紅は書き写す手を止め、顔を上げる。

(でも、私たちが女だから、まだこうして生きていられるのだろうな)

姫は悲し気に微笑んだ。




「ねっ、今日はさ、王妃様のご所望をお受けするんでしょう?桃色(ももいろ)様とパステル様と一緒に」

「ああ」

「いいなぁ、スゴイなぁ。この前が王女様たちだったから、今日は王妃様、そして次はぁ?きゃはっ!もうマゼンタ、スゴすぎるっ!」

 王宮楽坊の教室では、本日も楽師たちがあちらこちらに集って話をしている。

マゼンタとシェルは彼女たちに交じることはなかったが、シェルの熱は自席に着いていたとしても、室内にかなり伝わっていた。

話題はやはり所望のことだった。

薄紅姫と韓紅花姫から所望されたと思ったら、今度は紅梅(こうばい)王妃から誘いがきたのだ。

その件でシェルは、マゼンタ以上に興奮しまくっている。まるで自分事だ。

 シェルが高い声で鳥のようにはしゃいでいると、数人の楽師が二人の席へ近づいた。

「本当にすごいですわよねぇ、王妃様からもご所望頂くだなんてぇ」

「ですわねぇ、これもあなたの才能の証しですわよねぇ」

「私もぜひあやかりたいですわぁ」

マゼンタは彼女たちを呆然と見上げる。

はしゃぎまくっていたシェルでさえ啞然とし、

「この前までマゼンタをあんなに批判してたのに、いったいどういう風の吹き回し?」

二人の席に近づいたのは、ポピーの取り巻き楽師だった。

「あれはあれ、これはこれですわよ、ねえ?」

「ねえ」

取り巻きたちは口元を引きつらせながら顔を見合わせる。

「まったくもう、調子いいんだから」

シェルはほっぺたを膨らませた。

「一つ聞いていいか」

マゼンタが取り巻きたちを見上げる。

「な、なんですの?」

「わ、私たちの態度が気に障って?」

「そりゃ触るでしょ」シェルが突っ込みを入れる。

取り巻き楽師たちの背中を冷汗が流れた。

しかしマゼンタは彼女らを見上げたまま、「いや。ただポピーが今どうしているかわかるか?」

「え?」シェルと取り巻きたちが啞然とする。

「おまえたちは彼女と仲がよかったのだろう?だから知っているのではないかと思って」

シェルが思わず息を吞む。何なら目元まで潤んでいた。

「マゼンタ、あなた……!」

「ん?」

マゼンタはシェルの反応がよくわからず首を傾げる。

取り巻きの一人が言う。「ポピーは、連絡しても返信がないのです」

「まあ、楽坊を追い出された身ですし」

「気まずいでしょうしね」

「本人も私たちになんて答えていいかわからないのだと思いますわ」

「ですから今はそっとしておくべきかと」

彼女たちが口々に報告した。

「そうか」

マゼンタはとりあえず納得した。

取り巻き楽師が尋ねる。

「けれどどうしてポピーのことを気にされるの?」

「どちらかというと、あなたのことを散々けなしてきたように思いますけど……」

「どちらかといわなくても完璧けなしてきたよね」シェルが再度突っ込む。

彼女たちの背中をまた冷汗が伝った。

「ただ、なんとなく」

赤紫色の少女はぽつりと答えた。

なぜならその理由を、本人もよく理解していなかったからだ。




 王宮内の昼下がりの廊下を、楽坊の主桃色、パステル、マゼンタが順序よく歩いている。

彼女たちの胸にはそれぞれ、担当の楽器が抱えられていた。

桃色とマゼンタは弦楽器ツキソメ、パステルは弦楽器ハクアだ。

今日の演奏は弦楽器が主役の三重奏。メインは勿論桃色が担う。

けれど人数が少ない分、間違えれば相手がたとえ素人でも、音楽に興味がなくてもバレやすい。

しかもこの間の一件もある。

楽坊の参謀パステルは、新人楽師に念押しせずにはいられなかった。

「マゼンタ、そなたのことだから大丈夫、だとは思うが……」

パステルが立ち止まって振り返った。

同時にマゼンタと桃色も立ち止まる。

「いや、この間のようなことには決してなるまいとは思うが」

「大丈夫ですよ、マゼンタならば」パステルの言わんことを察して桃色が口を挟む。

「そ、そうでございますね」

パステルは桃色に一旦は同意するものの、再度マゼンタに顔を向けると、

「とにかく、今日は特に粗相のないよう一層気を引き締めるように、よいな」

それでは脅しになってしまうでしょう?

桃色は苦笑いをしつつ思った。

「何かあるのですか?」

マゼンタは桃色とパステルを見比べて問う。

この前のポピーの件だけではない、何かまた不思議な緊張感が感じられた。

楽坊の主たちは顔を見合わせると、桃色が口を開く。

「王妃様だけではなく、王妃様の父君である梅鼠(うめねず)様もご同席されるのです」

梅鼠?

それはマゼンタが初めて聞く名だった。




 この間、薄紅姫と韓紅花姫に所望された時と同じ場所で、マゼンタたちは演奏をしていた。

桃色がリードするように弓を引き、パステルとマゼンタが弦を(はじ)く。

楽舞台(がくぶたい)はあの時よりもいくらか涼しく、風も通った。生温くはあったが、ないよりはましだろう。

楽舞台に対する客席もこの前と同じか、それ以上の数の女官たちが縁側に並び座り、楽師たちの演奏に耳を傾けていた。

しかし彼女らの奥、畳が敷かれた室内にいたのは二人の姫君ではなく、一人の王妃とその父親だった。

王妃は細かな装飾がなされた巨大な扇子をひらひらとさせて顔を扇ぎ、隣の父は足を崩して座り、音楽を一応聞いてはいるようだ。

一応というのは、彼の眉の毛がやけに長いせいで目元を隠し、口元に蓄えた髭も胸元まで真っ直ぐ伸びていたため、表情がよくわからないのだ。

マゼンタはツキソメの弦を(はじ)きながら、奥の部屋にいる彼らに視線を向ける。

 紅梅王妃。幼さを面影に残してはいるが年は三十代前半、平均的な体格、足元まで伸びる長い髪。蛍火(ほたるび)(うたげ)でも何重もの着物を重ねていたが、今日も同じくらい重ねに重ねている。髪と瞳の色は優し気で柔らかなピンク色だ。

 王妃の隣には五十代半ば、割と背は高めだが、なにもかもこそげ落ちたような骨と皮だけの男が座っている。彼は背中までの真っ直ぐな髪で、頭頂部から側頭部までを結んで一つのお団子にし、服装はマゼンタと同じ、布を前で重ね合わせ帯で締めていた。髪と瞳の色は赤みが混じった灰色だが、同じ灰色でも楽師パステルの色よりだいぶ暗い色だった。

(あれが王妃の父親、梅鼠か)

マゼンタは二人の姿を確認すると、視線を手元の楽器に戻した。

すると、それまで大人しく座っていた梅鼠が隣に声を掛ける。

「時に王妃様」

紅梅王妃が梅鼠のほうを向く。

「なんでございましょう、父君様」

「そのぉ……」

彼は一瞬躊躇(とまど)ったものの、

「ご懐妊の兆しはございますかのぉ」

王妃に身を乗り出した。

「またそのお話でございますか?」

紅梅王妃は呆れたように溜息をついた。

「またって、これは大変重要な議題ではありませぬか」

梅鼠の表情は垂れ下がった眉と長い髭に覆われてよくわからない。が、声は穏やかだ。

「韓紅花姫が生まれてからもう何年経ったと思っておりますの?」

「韓紅花姫君が六歳、薄紅姫君は十二歳。ほら、ちょうど六年周期でございますから、そろそろその時期が巡って参ったのではないかと」

「そう簡単に事は運びませぬ」

王妃が父親からぷいと顔を背ける。

「いやしかし、出来ることであれば次こそは姫でなく王子を……」

(わたくし)の話を聞いておいでですか?そもそも何十遍何百遍同じことを言われましても、どうしようもないことはどうしようもありませぬ」

「そこをなんとか。我が(いえ)の為にも……!」

「いくら父君様でもしつこいです」

「はうっ」

身を乗り出していた梅鼠がしょぼくれた。

けれども紅梅王妃は続ける。

「それに私が産んだ子が姫だからこそ、今もこうして無事に生きていられるようなもの。これがもし(おのこ)だったらどうなっていることか……」

「いやしかしながら、必ずそうなるとは……!」

「もうっ、父君様ったら!本当につまみ出しますよっ!」

王妃が扇子を勢いよく畳むと梅鼠の顔に向けた。

「ちょちょちょ、それはたんまで……!」

相手が王妃で権力があるからなのか、単純に娘だからなのか、梅鼠はただただ頭を低くする。

漏れ聞こえる二人の会話を耳にしながら、マゼンタは不思議そうに首を傾けた。




 楽坊にあるマゼンタの部屋では夕刻ともなると、一人の楽師が料理の乗った手つかずの膳を運びこみ、好きに話をしながら食事を取っていた。

時には自分の楽器を練習するため自室に引きこもることもあるが、彼女にとっては誰かと一緒にご飯を食べるほうが絶対に楽しい、とのことだった。

 そんなわけでシェルが畳に置いたお膳の前に正座をし、むしゃむしゃと食材を口に運んでいる。

今日の夕飯は、汁物に生野菜、魚の煮つけに白いご飯、果物だ。

シェルはどれも美味しそうに平らげていった。

 彼女の側ではマゼンタが足を崩して座り、ツキソメを練習していた。

所望されることが多いマゼンタは、楽坊全体で練習する曲から後れを取ることが度々あった。

皆に追いつかなければ……!

赤紫色の少女は朝から晩まで、さらには夜中まで練習を続けていた。

 けれどマゼンタにはどうしても気にかかることがあった。

日中、所望された際の彼らの会話が頭から離れない。

「紅梅王妃が言っていた、女だったら無事に生きられて男だとどうなるかっていう意味がよくわからなくて」

楽坊の生活から紅国のしきたりまで、何でも教えてくれるシェルのことだ。きっとその理由も知っているだろう。

シェルは葉物野菜をパリパリと咀嚼しながら言う。

「あー、だからそれはね、王様の座を継ぐ直系の男の方は今の紅色(べにいろ)陛下を除いて、みんなお亡くなりになっているの」

「え?」

マゼンタの指の動きが止まった。

「特に若くして病で亡くなられたっていうのが公には伝わっているけど、実は毒を盛られたっていうのが王宮内では暗黙の了解っていうか」シェルがあまりに淡々と述べる。

「なんだそれは、殺人じゃないか」

少女の目が普段より大きく見開かれた。

「それが黙認されてるんだよね、公にはなってないけど。でも紅国の人はだいたい察しがついてるから敢えて追及はしてこなかったんだ」

「はあっ?」

「王族の権力争いって怖いよねー。だから」

そう言うとシェルは周囲をこっそり見回す。

「この話は大きな声では出来ないの。目を付けられたら大変なことになっちゃうし。マゼンタも気をつけてね」

「気をつけてって」

赤紫色の少女は呆れ果てた。

王宮にはまともな奴がいないのか?王宮内の殺人が黙認されるわ、部外者が簡単に侵入できるわ……

彼女は恩師アガットが楽坊に侵入し、セキエを届けてくれた時のことを思い出す。

 ふと、マゼンタの脳内にある考えがよぎった。

「だったら男ではなく女が王になればいい。女だったら殺されずに済むのだろう?」

彼女は自信満々で提案した。これが一番手っ取り早い解決方法ではないだろうか。

ところが友人は、

「あはははっ、この星でそれはありえないよ」

「なぜ?」

「なぜって、赤星のどこの国でも王様は男って昔っから決まってるもん」

「なぜ」

「そういう歴史だからじゃない?跡継ぎに男がいなくなった場合、争いが勃発するっていうのはよく聞く話だし」

マゼンタは呆れに呆れ、言葉が見つからなかった。




 その喫茶店には何とも言えない趣がある。

店内はそれほど広くはないが、大人四人がゆったりと座れるボックス席がいくつかあり、布張りの座面は柔らかな光沢を帯びている。

カウンターにもわずかだがスツールが並び、奥には所狭しとカップが並べられ、カップの手前では初老の男性が茶道具をこれでもかと布巾で磨いている。

眼鏡を掛け、髭を蓄え、着物をきちんと着こなした彼は、基本客に興味を示さない。

人間生きていれば色々なことがある。人生最高の瞬間も、人生最大の絶望も。

その間を分け入って、わざわざ理由や状況を根掘り葉掘り追求しようとは思わない。

ただこの店に縁あって入り込んだのなら、出来得る限りのおもてなしをしよう。

それが彼の思いだった。

 今夜も一人、客がいた。

何やら大きな鞄と縦に長い楽器を抱え、眉間に皺を寄せたその女性は、店に入るなり角の席に荷物を置くと、自分もどさり腰を下ろした。

年はまだ十代後半だろうか。

なのに疲労感を大いに漂わせた彼女は、実際よりだいぶ老け込んで見えた。

注文はごく一般的な紅国を代表するお茶の類だ。

しかしそれを彼女の元へ運んでも、一切見向きもせず、ただひたすら長方形の携帯端末を指で操作している。

 これはかなりワケありだ。

店主はそう確信してカウンターの奥へと身を潜めた。

 彼からそのように評価された王宮楽坊の元楽師、ポピーは、瞳に映らない情報を手元で流しながら頭の中で呟いていた。

(あたくしは悪くない、あたくしは悪くない、あたくしは悪くない、あたくしは悪くない、あたくしは悪くない、あたくしは悪くない、あたくしは悪く……)

突然、ツキソメの音が裏返る。

王宮内の楽舞台、姫様方の前で、出してはならない音が鳴る。

あってはならないこと、やってはいけないこと、その音がポピーの中に響いて、彼女は瞼をぎゅっとつぶった。

あたくしは、あの時……!

自分の右隣に座っていた赤紫色が、一瞬よぎった。

 恐ろしく速かった心臓の鼓動が少し治まって、ポピーはそっと目を開ける。

テーブルの上には目をつぶる前と同じ、カップに佇む一杯の茶と、自分が握っている携帯端末があった。

何も変わっていない、ツキソメの音など鳴っていない。

ポピーは深い溜息をついた。

ああ、これからあたくしは、どうすれば、どうすればよいのか、どうやって生きていけばよいのか……楽坊を追放され、家には絶対に戻れませんし……どうすれば……

 彼女はふと、指を止めた。

視線が携帯端末の画面上で止まっている。

「女官募集……?」




 クリムスンが久しぶりの我が家、久しぶりの書斎に身を置いていた。

紅国の夏は終わり、もうじき過ごしやすい季節がやってくるだろう。

庭から吹き込む生温い風も、派遣された砂漠地帯に比べれば天国のようだ。

 今回の任務もある程度は骨が折れた。

自分が色光(しきこう)になったり、青の色光と対峙するなんてことはなかったが、同じ赤人同士で争わねばならないというのは、やはり気が滅入る。

 色光。

特別な才能を持った者だけが変身出来る巨大生物だ。

その外見は変身する者によって様々な形態をとるが、自分の場合は全身を甲冑で覆われ、背中には翼、腰には尻尾、顔はもはや人ではなく動物に近い。

変身後の大きさは人間とは比べ物にならず、山や丘と比較したほうが容易いだろう。

色光になれば自らが望む武器を自由に具現化し、それで相手に多大なるダメージを負わせることが可能だ。

しかしそれは、戦う相手が人間の姿のままでは手に余る場合のみ。

例えば同じ色光同士の争いだったり、相手が大規模な被害を与えると予測可能な場合だけだ。

生身の人間同士で戦うのに色光は必要ない。

少なくともクリムスンはそう考えている。

 だから今回の任務も色光に変身する機会はなかった。

紛争地帯で武器を振り回す相手に色光はあまりに大きすぎる。

が、自分の正体を知ってか知らずか、相手に容赦という概念は存在しないのか、いつも本気でこちらを殺そうと向かってくるのだ。

その為彼らを迎え撃つには、それ相応の覚悟がいった。

やるからには、完全に無力化させなければならない。生身の姿で。

 クリムスンは自らの体がすっぽり収まる椅子から庭を眺める。

暑い。

だがここには怒号も銃声も爆発音もない。

任務が終了し、紅国へ、我が家へ帰ってくると、彼の肩にのしかかる巨大な重りが、僅かながら下りる気配がした。

今だけは、この時だけは、緊張の糸を切りたい。

頭首は上に両腕を伸ばし、背中の筋肉をほぐそうとした。

 だがそれは許されなかった。

机の上の光る画面が呼出音を鳴らしたかと思うと、とある筋の人間が自分に接触を求めてきたのを告げたのだ。

 彼の目がそれを確認すると、指は否応なしに反応して画面に触れる。

発光した画面にとある男の顔が映った。

 クリムスン家への依頼を通常、頭首が直接受けることはまずない。

依頼を受ける人員はちゃんと別に用意してある。

しかし相手がそれ相応の地位や権力のある人間の場合、わざわざ遠回りなどせず直接彼の元へやってくるのだ。

それを頭首は理解していたし、いくら自分が任務から戻ったばかりとはいえ、無下にすることはなかった。

 相手は社交辞令もほどほどに、さっさと本題に入る。

その点は今のクリムスンにとって、大変ありがたかった。

「……ああ、最近世間を騒がせている例の行方不明事件のことですか」

頭首は相手に話を合わせる。

紅国を数週間離れていても、母国の出来事を確認しないはずはない。

「ええ、ええ、それで街の警備依頼を我が(いえ)に。なるほど、承知いたしました、お受けいたします」

ジョーガの街の警備。それなら大して問題ではない。

が、次に相手が発した内容に、クリムスンは眉をピクリと動かした。

「は?それはいったいどういう……」

頭首の目元が徐々に険しさを帯びる。

いつでも、どんな時でも冷静な彼の中に、炎が生まれた瞬間だった。

怒りや苛立ちという、炎が。




 なぜ赤星は男が尊重され、女がそうはされないんだ。王族の男だけが命の危険にさらされるというのもおかしな話だが、でも女が王になれないというのは、なんだか不自然だ。

 休み時間、楽坊の教室では楽師たちが雑談で盛り上がっている。

ただ一人、無表情で何かを必死に考え、教壇をじっと見つめている彼女以外は。

「まだ男女の扱いについて考えてるの?」

隣の席に掛けたシェルがマゼンタに言う。

「だっておかしいと思うから」

「そんなこと言ったら守人の家だって頭首は全員男でしょ?女の頭首だなんて聞いたことないよ」

マゼンタがシェルのほうを振り向いた。

「そうなのか?」

「うん」

当然のように友人はうなずく。

マゼンタは思い返した。

確かに父上は男で、茜色(あかねいろ)も男……

「けど楽師はちょっと違うよ。それぞれの流派を継ぐ人は圧倒的に女が多くて、男のほうが珍しいかも」友人が説明する。

「シェルみたいに?」

「そ、わたしみたいに」

「そういえばこの楽坊は女だけだな」

マゼンタは教室内を見回す。

「そりゃそうだよ!紅国王宮楽坊の歴史上男が入ったことは一度たりともないっ!」

「なんでだ?」

「だってそういう文化だもん」

「文化」

「王様や守人の頭首が男であるように、楽坊の構成や楽師は女って決まってるの」

マゼンタは瞼をいつもより持ち上げると、

「私に音楽を教えてくれた人は男だったが」

「えええっ⁈ホントっ⁈」

「ああ」

シェルの顎が外れそうになっている。

この星の説でいくと、アガットや臙脂(えんじ)はとても珍しい存在ということになりそうだ。

そこへ数人の楽師たちが二人の側へやってくる。例のポピーの取り巻き楽師たちだ。

「ねえお二人とも、ご存知?」

「ん?」

マゼンタが彼女たちの一人を見上げる。

「近頃世間では行方不明事件で大騒ぎになっているようでしてよ」

「行方不明事件?」

「何それっ」シェルが瞳を輝かせる。

「なんでも若い女性ばかりが突然いなくなるらしいですわ」

また女ばかり……

マゼンタは内心うんざりした。

どうして女なんだ?か弱いからか?力がないからか?

取り巻き楽師たちは話を続ける。

「急に連絡が取れなくなったり、無断欠勤したり」

「友人や家族や同僚が家を訪ねると、部屋は綺麗に整えられている場合もあるらしいのですけど、中には荒らされている部屋もあったりで、失踪届けを出すご家族が相次いでいるとか」

「それで誘拐事件だと騒ぐ方があまりにも増えて、大々的なニュースになったようですわ」

「へー、なんか物騒だね」と言いつつシェルは興味津々だ。

「でもまあ楽坊にいる私たちにとっては、関係のないお話ですけどね」

「王宮内は安全ですものね」

それはどうだか……

アガットが勝手に侵入したり、王族の殺人について聞かされてからというもの、マゼンタは王宮内こそ安全ではないと思っていた。




 クリムスン家の大座敷に頭首が存在するのは久々だ。

養女であるマゼンタがこの場にいないとはいえ、頭首を始め、彼の右腕の葡萄(えび)、息子のコチニールとカーマインが夕飯を共にしている光景は、男衆にとって笑顔の元になったのは否めない。

「葡萄、試験勉強はどう?」

コチニールが眼鏡の彼に尋ねる。

「順調ですよ。心配してくださるんですか?」

「いや、心配はしてないんだけど……」

「それは残念です。最近あなたの覇気がないので私のことを思っているのかと勝手に想像していました」

「いやまあ、思ってはいたんだけど、葡萄の頭なら心配することはないってわかってるし」

「それは光栄です」

そう言って葡萄は、ふっくらと炊けた米を口に運んだ。

勉強後のご飯は美味しい。これが力となり学びをより深めてくれる。

眼鏡の彼は、男衆が作ってくれた料理を丁寧に味わっていった。

 コチニールはふうと息を漏らし、弟カーマインは肉を咀嚼しつつ兄を呆れたように眺めた。

勿論、頭首クリムスンもコチニールの様子に気づいた。

きっと葡萄が執政官を目指すことに対し、何かしら思うことがあるのだろう。

頭首はそう考えた。

だがそれを今ここで追究するつもりはない。

それよりも……

「おまえたちに報告しておくことがある。近頃都を騒がせている行方不明事件に関してだ」

クリムスンは二人の息子たちを見下ろした。

「あ、ニュースで話題になってる」と、コチニール。

「その件で我が(いえ)にも都の警備強化依頼があった」

「え、守人に?」コチニールが目を丸くする。

「警察は何やってんだ」カーマインは相変わらず元気に咀嚼している。

「警察で手に負えないから私たちに依頼が来たんですよ」

葡萄が補足した。

カーマインがすかさず悪態をつく。

頭首は続けた。

「ちなみに、この依頼は茜色家との共同警備になった」


















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