愛の伝道師⑪
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「──という事で、彼女も愛に飢えた哀れな小羊なんです。これでも少しは持ち直した方なんです。一時期は酷いものでした。道行く男性に声をかけては、スカートをたくし上げて誘うのです。僕もそうされました。しかし僕は丁度その時妻が家を出ていったばかりですから、とてもそんな気にはなれない。愛のない行為は覚せい剤と同じです。一時の欲望は満たせても、またすぐ禁断症状が訪れる。なぜならその時感得した愛に似たモノがどれだけ歪んでいて、そして醜い形をしているのか自分の心が気づいてしまっているからです。しかし溺れる者は──?」
べらべらとしゃべくり倒していたよしおが水沢汐里を見て急に口をつぐむ。
「溺れる者は?」
再度言ってから、また汐里を見る。
「わ、藁をも──」
「掴む!!!」
被せ気味によしおが声を張り上げた。
隣にうんざりした様子の陽と、よしおの目の前に立っていた汐里はそろってびくりと肩を跳ね上げる。
「そんな紛いものであっても、彼女には愛が必要だった。このままではいけない──僕はそう思いました。そして色々あって真心の泉への入会を勧めたのです」
「そ、そうなんですね」
汐里はタジタジであった。人間、返すべき言葉を持たないときは高確率で「そうなんですね」という陳腐な相槌を口にする。
「彼女はここで癒されるべきだ。水沢さんもそう思いますよね?」
「え、ええ……そう、ですね。はい」
汐里としても陽に同情する部分は大きい。
まさか不慮の事故で恋人が亡くなり、そればかりかその心の痛みについて相談したカウンセラーが悍ましい獣欲をむき出しにして陽を襲い、妊娠、堕胎! そんな心の傷の上から新しい傷をつけるようにして夜な夜な歌舞伎町のコー横広場で売春!
うら若き身空でそんな不幸に立て続けに遭うというのは余りにもひどすぎる。
──かわいそうな子ね。
汐里は重々しく頷き、しかし問題もある事を告げた。
「茜山さんは未成年、ですよね? 見た所──1年生とか2年生とか、それくらいじゃないんですか?」
正解は2年生である。これがまずい。真心の教団は未成年は出禁だ。活動内容が活動内容であるので、その辺は危機管理の一環と言う寸法である。だが──。
「いえ、彼女はもう成人していますよ。新社会人です」
よしおは堂々と嘘をついた。
よしおの嘘があまりにも素朴な顔で為されたためか、汐里もそれ以上は突き詰めなかった。寧ろ「新卒で社会に出た直後の女性が、これほどの苦しみを抱えているなんて」と憐れみが上乗せされたほどである。
ともあれ陽の入信は首尾よく完了したのだ。
入会金五千円、月会費三千円。即金で払い、誓約書めいた書面に署名し、汐里から「これからお仲間ですね」と微笑まれ──陽は会釈で済ませた。声を出せばその声色から年齢がバレるリスクがあった為である。
信者たちはこの「茜山」なる若い女に対し、不審よりも憐憫を多く示した。「真心の泉」が「愛に飢えた者の最後の砦」を自任する組織であった事に加え、よしおという男の口添えという保証書付きであった為だ。
よしおは満足げにエレベーターのボタンを押している。
が、陽は満足げではなかった。
◆
「ちょっと、鈴木さん」
地上に出た瞬間、陽はぐいとよしおのジャケットの袖を引いた。
「はい」
「『カウンセラーに獣欲をむき出しにして襲われ妊娠堕胎』ってあなた、本気でそんな話を盛りに盛ったわね?」
「はい」
「しかも『歌舞伎町のコー横広場』って、わざわざ地名まで足したわよね?」
「事実関係に齟齬があってはいけませんから」
「事実じゃないわよ!」
「事実ではありません。しかし汐里さんはそう信じてくださいました。これを世間ではカバーストーリーと呼ぶんです、茜崎さん」
「もう少し穏当な選択肢が無限にあったでしょう!」
よしおは少し考えた。歩きながら考えた。陽は彼の顔を斜め下から見上げて返答を待った。よしおが考えなしのボンクラではない事は陽もよく分かっている。ただ、それでもあんまりにあんまりな話ではあった。
信号待ちの間に、よしおはようやく口を開いた。
「『失恋した』では弱い気がしたんです」
「そこから一足飛びでカウンセラーに襲われないでよ」
「フットインザドアという技術が──」
「馬鹿にしないで! それとこれとは全然違うわ!
夜の青梅街道で、ふぅふぅ言いながら陽が抗議する横で、よしおは首を傾げて数歩ぶん黙考した。何かを真剣に検討している顔である。然して結論が出たらしい。
「すみません、次からはもう少し慎重に組み立てます」
「次なんて無いわよ!」
茜崎家の名門の血筋、座主の覚えめでたき西の姫巫女、火之迦具土神の系譜──そういった重みのある肩書きに今日、「コー横広場での売春女」と「レイプ被害者」という瑕がついてしまった。
◆
駅まで残り二百メートル。陽の文句はひとまず収まったようで不機嫌そうにしながらもそれ以上ぐちゃぐちゃ言う事はなかった。
歩道の端で陽がふいに立ち止まる。よしおも数歩先で立ち止まり、振り返った。
陽の表情がさっきまでと違う。
眉がわずかに上がり、視線は街灯の届かない方角を向いている。少女の顔ではない、巫女の顔である。
「でも──」
声の質が変わっていた。
「確かにあそこは、なんだか空気が淀んでいる気がしたわ」
よしおは黙って先を促した。
「信者たちじゃない、もっと違う、そして沢山いる何かから……視られているような感じがした」
よしおは深く頷いた。
「やはりお分かりになりますか」
「私を誰だと思ってるのよ」
陽は鼻を鳴らした。
「で、その出所を探るのが──」
「私の役目ってわけね」
よしおは頷いた。
「ええ、分かっているわよ。でもこの貸しは大きいわよ? 私だって巫祓千手での任務があるんだから……」
「ええ、分かっています。言い値で払いますよ」
証券マン時代、よしおはそれなりに数字をあげてきたが阿漕な真似はただの一度もしたことはない。己の弁舌と何やら得体のしれぬ圧で以て顧客に決断させてきたのだ。
「お、お金は別にいいわ……困ってないから」
「ではどのようにして借りを返しましょうか」
「その時になったら決めるわ!」
陽はそう言ってから、自分でも少し慌てたように付け足した。
「ま、また厄介な奴が出てきたら……力を借りるかもしれないし……」
よしおは静かに頷いた。
「そうですか、わかりました」
かくして契約は成立した。




