◇二部終章:おもいで◆
翌朝シェラはたいへん不機嫌そうにして、白いネグリジェ姿のまま自室でローレントに髪を梳いてもらっていた。
「……あなたはずるいしひどいし最低なひとですっ」
そう言った頬は真っ赤で、視線は右に左に泳いでいる。
椅子に座った彼女のうしろに立って、ローレントはなんでもないような顔をして彼女のすべらかな髪をとかしていく。
「誘ったのはきみだろう?」
「断じて、断じてそんな、はしたないことはしていません」
シェラは血を吸っただけだ。
そう、それだけだ。
あとのことはすべてローレントが悪い。
「……なつかしいな、こうしてきみの髪を結っていると、昔のことを思いだすよ」
「昔……?」
一瞬、ひどい頭痛がして彼女は額をおさえた。
「シェラ?」
それを疑問に思ったのか、遠くローレントの声がする。
「だい、じょうぶ……で……」
す、と、言い切る前に頭痛がひどくなり、ブツリと意識が途切れた。
◇◇◇
『お待たせしました、どうしたのです?』
『――シェラ、髪が……あぁ、そうか……腕が』
一瞬驚いたような顔をしたローレントはすぐに、シェラの左腕を見て痛ましそうに表情を歪めた。
そして、シェラの黒い髪に手を伸ばす。さらさらとしたその感触を確かめたあと、彼が言う。
『シェラ、そのままだと目立つし、邪魔になるだろう。私が結んであげるよ』
予想外の提案に、驚いたシェラが双眸を見開く。
『え? 良いのですか? というより、失礼ながら……できるのでしょうね?』
ありがたいことだが、少しばかり不安だ。ローレントはけっして不器用なほうではない。
しかし男性である彼が髪を結ったりするのが得意だとも思えない。
シェラが不安に思って問いかけると、ローレントは予想していたというように苦笑をこぼした。
その顔は、なんだかとても優しくてくすぐったさを感じる。
『できるから安心していい。妹が居るんだ、昔はよく結んであげたものだよ。そこに座って?』
◇
なんだろう、この記憶は。
次から次に溢れてきて、気が変になってしまいそうだ。
黒い騎士のような制服、ローレントと、少年のような姿をした自分。
◇
『いい加減にしてくださいっ、私は彼にそんな感情持っていません! 関係ないでしょう!』
そう、思わず大声をあげてしまったとき、足音が聞こえて青ざめた。
誰か来た、そう思ってそちらを向けば、ローレントとアリシャだった。
『――ローレント』
驚いている様子の彼の名をシェラが呼ぶ。
すると、彼は冷静さを取り戻したのか無表情に、シェラを見た。
『……シェラ、彼らと会話するときには注意するように。来たのが私であったから良かったものの、他の者だったら、怪しまれてしまうよ』
なぜか先程とは少し違う、切ないような胸の痛みを感じながら、シェラはローレントから視線をそらして言う。
『……そう、ですね。すみません、気をつけます』
ローレントはそれだけ言うと、シェラを横切って行く。
彼からは、かすかにアリシャと同じ匂いがした。
◇
どうして?
これは何?
そう思って、あぁ過去なのだと気づく。
シェラが失ったはずの、過去の思い出。
◇
『……秘密の逢瀬か何かかい? 楽しかった?』
『は? 何を言っているんです!』
思わず頬が赤くなる。
リヒトにどういう意図があって、シェラを抱きしめたのかは分からないが、王子と孤児ではいくらなんでも、逢瀬も何もあったものではない。
反論しようとすると、その前に彼が……嘲笑のような笑みで言った。
『……あぁ、私には、関係のないことだったかな』
今朝のことを言われているのだとすぐに分かった。
そして、また胸に鈍い痛みが走る。
『――ええ、あなたには関係ありません。私がどこで誰に会おうと、あなたに詮索する権利はないはずです』
思いがけず冷たい声が出て、シェラ自身驚いていた。
――私、本当に、どうしたんです……? ただ、普通に……出かけていたって……言えばいいだけではありませんか、それなのに……
ローレントの顔から笑みが消え、シェラに背を向けた。
『……そうだね。私には関係のないことだ』
◇
『シェラ! シェラ……!』
『嘘だ、こんなのは……嫌だ、死なないでくれ……ッ』
『すまない……シェラ。私は身勝手で……それでも、きみに、死んでほしくないんだ』
◇
――どうしてあなたがそんなに傷ついたような顔をするんです。
――私は嬉しいのに、あなたを守れて、あなたの足かせにならずにすんで。
「シェラ!」
彼が名を呼ぶ声がする。
ベッドに寝かされているのだろうか、柔らかな感覚が心地良い。
それでも彼女が重い瞼を開くと、ローレントの心配そうな顔が映る。
「……ローレント」
「大丈夫かい? 身体は……どこかおかしいところは?」
その質問に小さく笑って、シェラは微笑んだままで言う。
「そんなに心配なさらなくても……どこも何もないですよ、ただ、あなたとの思い出を取り戻しただけです」
「え?」
不思議そうにしている彼がおかしくて、シェラは上半身を起こすと握られていた手をほどいて、すぐ傍の椅子に座っていた彼を抱きしめた。
「ただいま戻りました、ローレント」
「――本当なのかい?」
震える彼の声に頷くと、ぎゅうと身体を抱きしめられる。
「……本当、に……」
やっぱり、忘れられているなんてきっと嬉しいものではない。
だから、思いだせて良かったとシェラは思う。
それにきっと彼は、シェラを曖昧な存在にしてしまった自責の念もあっただろう。
だから、取り戻せたことが純粋に嬉しい。
「おかえり……シェラ」
ローレントの腕の中で、彼女は天使のように微笑む。
――それは人狼の青年と、吸血鬼の少女の淡い恋物語。




