エピローグ
「あんた、何をしとるん。早くせな、お寺さん、来てしまうで。」
日曜日の朝、着替えていた達也に、美里が急かしてきた。その日は、亡き父陽一の、二十四回忌だった。毎年、父の命日には美里と一緒に、陽一が眠る墓地にお参りに行くことを欠かさなかった。
陽一の墓地は、大阪の郊外の、緑豊かな高台にあった。毎年ここを訪れているとは言え、そこからの見晴らしには目を奪われた。西の方には、大阪湾を挟んで、遠く淡路島までを見わたせた。
車を降りて陽一の墓に向かう途中、達也は不意に立ち止まった。遠くに見える淡路島の山並みを眺めながら、学生の頃に出かけた一人旅のことを懐かしく思い出した。あの日、自分は高速バスに乗って、あの淡路島を駆け抜けて、徳島に降り立った。不安だらけの旅だったが、自分の中の何かが駆り立てた。今思えば、懐かしかった。
陽一の実家の檀家寺による読経が終わり、達也は何気に墓石の横に立つ墓標に目をやった。そこには、陽一の名前の横に、見慣れぬ名前が彫られていることに気づいた。
『由人 享年一歳』
達也は、その文字を見た瞬間、全身を雷に打たれたような、衝撃を覚えた。
隣では、信心深く美里が今もなお、墓石に手を合わせながら、亡き陽一に向かって、何かを語りかけていた。
達也は、墓標に彫られた『由人』の文字を、美里に訊こうと思った。その瞬間、達也の記憶の中で、由人の言葉が蘇った。
「お兄ちゃんと一緒にいれて、僕、幸せだったよ。」
あの日、あの火災の中で、達也が夢の中で確かに聞いた言葉だった。
もはや、由人のことを美里に訊く必要はなかった。由人が言った言葉だけで十分だった。だから、達也はいつもの墓参りのときのように、美里が平静を取り戻すと、バケツを持ち上げて、水汲み場に戻った。
達也は、駐車場に停めた車に乗ろうとしたとき、一瞬手が止まった。そして、何かに惹かれるように、対岸に見える島影に目を遣った。
そのとき、由人の声が蘇った。
「僕、お父さんみたいな、立派な消防士になれたかな。お兄ちゃん、これからも元気でいてね。きっと明るい未来が待っているよ。」
達也は、目を細めた。そして、大きく息を吸って笑顔を作ると、島影の遥か向こうに向かって言った。
「よっちゃん、ありがとう。君の分まで、一生懸命生きるからね。」
その声は、穏やかな風に乗って、島影の遥か向こうに消えていった。




