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板前の居る急行  作者: ウチダ勝晃


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3/9

夢の中の板前?

 そんなやりとりがあって数日ほど経った頃、いつものように店で帳簿とにらめっこをしていた真樹はけたたましく鳴り響くコードレスの音にペンを置いた。小さなディスプレイにはカタカナで「バンドウイイン」と出ている。

「はいもしもし――」

 何も考えずに電話を取ってから、真樹はおや、と首をひねった。掛け時計の時刻は十二時過ぎ、まだちょうど、午前の診療が終わったばかりではないか。何かと忙しい開業医の彼がこうして昼日中から電話をしてくるというのは、ちょっと珍しい――。

「――もしもし、真樹さん? 聞こえてますか?」

「あ、ああ、すいません。どうかしましたか、坂東先生」

 向こうの呼びかけに我に返ると、真樹は頬を掻きながら坂東医師へ用件を尋ねた。

「実はちょっと、おかしな話を立て続けに耳にしましてね。これは事によると、真樹さんの専門になりやしないか、と思いまして……」

「――参ったなぁ、近頃とんとそういう変なことがないと安心しきっていたのに」

 相手のないのを幸いと、真樹は実に正直な表情で電話へ応答し続ける。

「やっぱりその……ちょっと人智を超えたなんとやら、的な感じのやつ……ですか」

「聞いた相手がそれぞれ申し合わせていないなら、そういうことになるでしょうね。どうも申し訳ない、こういう手合いの解決を頼めそうな人が他にいないものですから」

「――わかりました。ほかならぬ坂東先生のお願いだ、断っちゃ罰が当たります。今夜そっちへお邪魔するのでも構いませんか? ちょうど貰い物の松前漬けがあるんです、一杯やりながら伺いましょう」

 訪問する時間などを決めてメモを取ると、真樹は簡単にあいさつを済ませ、電話を切った。ちょうどその時、手近にあった「民俗研究」という雑誌の最新号が視界に入り、真樹は盛大なため息をついた。古本屋を営む傍ら、郷土史の研究をライフワークにしている真樹は、その雑誌の常連であった。

 ところがこの何年か、真樹は郷土の伝承に絡んだような、些か怪談じみた出来事――それこそ、坂東医師の言葉を借りれば『人智を超えたなんとやら』に巻き込まれ続けていた。悪いことに、それを不承不承ながら解決してきた実績のせいで、いつの頃からか何かあったら真珠堂へ行け、という認識が街の一部には広まっていた。

「ええい、いったい今度は何が起きたって言うんだ」

 帳簿を乱暴に閉じてブックスタンドへ押しやると、真樹はいらだち紛れに本棚にはたきをかけ出した。数のしれているお客や、通信販売で売れた古書の発送で日が暮れると、真樹は市内電車へ乗り込み、住まいを兼ねた「坂東医院」へと急いだ。

「で、いったい何があったんですか?」

 近所の店からとったざるそばを片づけると、真樹はグラスに注がれたブランデーを片手に話を切り出した。両の手でグラスを包むように握っていた坂東医師は、真樹の問いかけに応じて、そっと口を開く。医院の二階にある、小さなバーカウンターつきの応接間にはかろうじて持ちこたえている西日の淡い光が差し込んでいる。

「うちをかかりつけにしている患者さんのうち六人――年齢も性別も違うその人たちが、同じ夢を見た、と言い出したら、どう思います」

「……ほう?」

 ブランデーを一なめしてから、真樹啓介はグラスを置き、あらためて坂東医師の前へ意識を集中させる。

「この頃どうもよく寝付けない、とか、他愛もない話がきっかけだったんです。そのうちにどんな夢を見るのか、と話が進むうちに、その六人がそろってこう言うのです。『古ぼけた特急電車の中で目を覚ましてうろうろしていると、若い板前が寿司を握っている、小さなカウンターのある食堂車のようなものへたどり着いた』と――」

「そんな、まさか……!」

 手のひらに汗の湧き出すのを覚えながら、真樹啓介は間違いなく、同じことを考えているであろう坂東医師の張りつめた顔へ目を向ける。

「――いつだかあなたから聞いた、あの食堂車の話にそっくりじゃありませんか。てっきり何か、テレビで特集をしたのかとも思ったけれど、調べた限りそんな番組はやっていない。ただ、聞いてみるとその六人とも、夢を見たのは『はくせつ』の車内だったというのです。しかしそれ以外は、住んでいる場所も、所属している組織も違う。面識もないだろうその六人がどうしてこう、揃った証言が出来るのか……不思議で仕方ないのです」

「で、僕をお呼びになったと、こういう訳でしたか」

「ええ……」

 真樹の指摘に、坂東医師はローテーブルに置いたキャメルを手にとり、抜き取って火をくべる。換気がてらつけたクーラーの涼風に紫がかった煙が踊り、吊るした小さなシャンデリアへと絡むように上がってゆく。

「ずいぶん前だけど、夢の中で同じ顔の男を見かけた、なんて話がありましたっけね。まあもっとも、あれは海外の大学教授が情報の伝播を確かめるために流したシャレだったそうですが……」

「じゃあ、今度の件も、どこかの誰かがふれまわってると、こうおっしゃいたいんですか?」

 当人たちから直に話を聞かされていたせいか、坂東医師はひどく神経質になっている。だが、真樹は手慣れた調子でそれを交わし、ブランデーを一口含んでからこう続けた。

「ないとは言えませんよ。知らず知らず、無意識のうちにそうした情報が頭に刷り込まれている、ってのは洋の東西を問わずざらにあるもんです。案外、すぐそこの三角大(みすみだい)あたりでサブリミナルまがいの研究でもしてるのかもしれないし……。不思議ではあるけれど、僕はまだ、そんなに心配をするほどではないと思うのですよ」

「うーむ……そういうものでしょうかねぇ」

 筋の通った話ではあるものの、坂東医師はどこか納得が行っていない。日頃どんなにひどい容態の患者が来ても断らず、冷静沈着に対応する印象があるだけに、真樹啓介は彼の様子が少し気にかかった。むやみとキャメルをふかす坂東医師を、真樹はしばらくぼんやりと見つめていたが、ふとそのうちにある考えが脳裏をよぎった。

「ねえ先生。ひょっとしてその六人のうちに、お知り合いがいらっしゃるんじゃありませんか? しかもそれは、普段そうした問題を冷静に見つめているはずの、ご同業の方だったりは……」

 おそるおそる切り出した真樹へ、坂東医師は手元から煙草を落としそうになった。慌てて片方の手でつかんだ吸いさしを灰皿へ戻すと、坂東医師はブランデーを煽るように飲み、唇を手の甲で拭ってからおもむろに口を開いた。

「さすが真樹さん、お見通しのようですね。そうなんです。六人のうちの一人は僕の知り合いで、しかも睡眠が専門の医者なのです」

「やっぱりそうでしたか。で、その夢には冷静なはずのお方が、ひどく取り乱した感じなのが気にかかっている、と、こういう訳じゃありませんか?」

 ここまで来てもう隠し立てをすることもないと思ったのか、坂東医師は重いため息ののち、ゆっくりとことのあらましを真樹へ説明し始めた。


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