第44話:『休日会議』
休日だった。
本当に久しぶりの休日だった。
歌舞伎町もない。 警察もない。 姫からの連絡もない。
忠敬は昼近くまで眠っていた。
*
部屋は静かだった。
正確には、人間にとっては静かだった。
小人たちにとっては違う。
『まだ起きないな』
財布の小人が言う。
『昨日も遅かったからな』
ハンカチの小人が答える。
『三時過ぎ』
『働きすぎ!』
『寝不足!』
『はい微動だにしないー』
*
ベッドの上では忠敬が毛布に埋まっている。
微動だにしない。
しばらくして。
財布の小人が部屋の隅を見る。棚だった。
そこだけ少し空気が違う。
忠敬がきちんと掃除している場所。埃もない。
古い絵本。
木箱。
一枚の写真。
そして、動かなくなったスマートウォッチ。
*
もう誰も喋らないものたち。
『よし、会議するか!』
財布の小人が言った。
『また!?』
『また』
『やるな』
『また』
『どうせやる』
『はい集まってー!』
*
小人たちが集まる。
椅子も机もない。だから好き勝手に座る。
ハンカチの小人は古い絵本の上。
財布の小人は木箱の縁。
キーケースの小人は写真立ての足元。
そして。
誰かが当然のように、動かないスマートウォッチの上によじ登った。
『はい議題!』
『最近の人間関係についてー!』
ため息が飛ぶ。
『まず相沢』
即答だった。
『合格』
『合格!』
『合格だな』
『合格』
『合格!』
『はい合格ー!』
満場一致。
『あいつ馬鹿正直だしね』
『単純!』
『熱血!』
『熱い!』
『騙されそう!』
『でも嘘つかない』
『うん、それ』
『忠敬が一番苦手なタイプだな』
『なのに気に入ってる』
『珍しい』
ハンカチの小人が頷く。
『あいつ最近ちゃんと笑う』
少しだけ空気が柔らかくなる。
『はい次』
沈黙。
『御園生』
全員が顔を見合わせる。
『失格』
『一回失格』
『完全失格』
『はいアウトー!』
満場一致。
『あれは駄目だった』
『値踏みした!』
『刑事の目した!』
『ヤな目した!』
『締め出されたなー。キレイに』
『あの日、冷えたな』
誰かが遠い目をしてぽつりと言う。
『冷えた』
『冷えた冷えた』
『超冷えた』
小人たちは覚えている。
忠敬が何も言わなくなった瞬間を。心の扉が閉まる瞬間を。
しばらく沈黙。
やがて財布の小人が言う。
『でもさ』
『あのおじさん、自分で気づいてたよ?』
『油断できない』
『あ、線から締め出されたって、背中に冷たい汗流してた』
『あ、まずいって顔してたよね!』
『いつもなら怒るか誤魔化すのにさ、ただ笑って、悪かったなって水飲んでた』
小人たちが、それぞれの場所で小さく首を傾げる。
『……分かってるんだね』
『忠敬の線がどれだけ冷たいか、分かった上で、内側に置かれたがってた』
『これ戻れないやつだって、自分で笑ってたし』
『じゃあ』
『ずっぷり、沼の底』
『まぁでも』
『最近頑張ってるよね』
『頑張ってる』
『頑張ってる』
『かなり頑張ってる』
『毎日疲れてる!』
『御園生』
『寝てないし』
『帰らないし』
『ほんと馬鹿だなー』
『相沢と違う種類の馬鹿だ』
くすくす笑い声が広がる。
『じゃあ』
『保留』
『保留』
『保留』
満場一致。
そして。
誰かが何気なく足元を見る。
動かないスマートウォッチ。
沈黙。
『……なあ』
ハンカチの小人だった。
『クロノなら、なんて言うかな』
返事はない。当然だった。
*
部屋には風だけが流れる。
誰も悲しそうな顔はしない。ただ少しだけ静かになる。
『たぶん』
『たぶんさ』
財布の小人が言う。
『面白がってる』
『ああ』
『ありそう!』
『御園生のことをさ』
『めちゃくちゃ面白がってる!』
少しだけ笑いが漏れる。
その時だった。
写真立ての上から声がした。
『違うな』
全員が振り向く。
軍服姿の小人。正一だった。
『おう』
『起きてた!』
『おはよ!』
『ずっと聞いてたのか』
正一は笑う。
『全部聞こえてた』
そして。眠っている忠敬を見る。
『あいつはな』
静かな声だった。
『昔から変わらん』
窓の外で風が鳴る。
『人間を信じない』
誰も否定しない。
『でも、人間を嫌ってるわけじゃない』
『だから厄介なんだ。……嫌いなら、完全に切り捨てて終わるのにな』
それも皆知っていた。
正一は苦笑する。
『放っておけない』
『助ける』
『守る』
『でも信じない』
『損な性格だな』
誰かが言う。
『宗次に似た』
正一が答える。
しばらくして。彼は棚の上を見る。
古い絵本。動かないスマートウォッチ。
もう喋らないものたち。
『なあ』
正一がぽつりと言う。
『消えるのは寂しいか?』
誰も答えない。
『寂しいよな』
それは質問ではなかった。
『でも』
正一は微笑む。
『無くなったわけじゃない』
風が吹く。
『覚えてる奴がいる限り』
その視線の先には。眠る忠敬がいた。
『あいつは忘れない』
静かな確信だった。
『だから大丈夫だ』
誰も反論しない。
それから少しだけ。誰も喋らなかった。
穏やかな沈黙だった。
*
その時。
ベッドが軋む。
全員が固まる。
『やばい!』
『起きる』
『本人だ!』
『逃げろ!!』
『逃げろ逃げろ!』
蜘蛛の子を散らすように解散する。
数秒後。
忠敬がゆっくり目を開けた。
眠そうな目で部屋を見る。
静かだった。
あまりにも静かだった。
「……」
忠敬は半目のまま呟く。
「何か話してただろ」
即答だった。
『知らない』
『知らない!』
『何もー!』
『何もない!』
『平和だった!』
「嘘つけ」
小さなため息。
そして。
忠敬の視線が棚へ向く。
動かないスマートウォッチ。
古い絵本。
セピア色の写真。
そこだけ少し日が当たっていた。
忠敬はしばらく見つめる。
それから。
本当に小さな声で言った。
「……おはよう」
返事はない。
もう二度と返ってこない。
それでも。
忠敬は少しだけ目を細めた。
「今日から連休もぎ取った」
まるで報告するみたいに。
窓の外では、初夏の風が静かにカーテンを揺らしていた。




