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第23話:『見える兄ちゃんと、小人たちの噂話』


営業前の歌舞伎町は、不思議な時間帯だ。

夜の喧騒が始まるにはまだ早く、昼の気配がまだ街のあちこちに残っている。


観光客の姿もあれば、仕事帰りの会社員もいる。ネオンは灯っていても、まだ本番前の準備運動のような明るさだった。


忠敬はそんな街を歩きながら、いつものコンビニへ立ち寄った。冷蔵庫の前で立ち止まり、ミネラルウォーターを一本手に取る。


扉を閉めた、その瞬間だった。

『あっ』

小さな声が聞こえた。


忠敬は反射的に聞こえないふりをする。

だが、それで終わるはずもなかった。


『いた』

『ほんとだ』

『見える兄ちゃんだ』


(……またか)


視線だけ動かすと、冷蔵庫の棚の上でペットボトル小人たちがこちらを見ていた。


しかも一人や二人ではない。

まるで、珍しい動物でも発見したかのようなはしゃぎっぷりだった。


『本物だ!』

『歌舞伎町の見える兄ちゃん!』

『駅前のベンチ小人が言ってた!』

『自販機小人も見たって!』

『ほんとにいるんだ!』


(やめろ)

忠敬は心の中で呟いた。


しかし小人たちはお構いなしだった。

『返事してくれるんだろ!?』

『相談も聞いてくれるって!』

『傘小人が言ってた!』

『信号機小人も知ってる!』

『有名人だ!』


(誰が広めたんだ)


『知らない』

『でも有名』

『めちゃくちゃ有名』


全く嬉しくなかった。


会計を済ませて店を出たあとも状況は変わらない。

駅前を歩けばベンチ小人が反応し、自販機の前を通れば缶コーヒー小人が騒ぎ出す。

街灯小人に至っては、顔を見るなり「本物だ」と言い始めた。


どうやら小人たちの間には、人間が想像する以上の情報網が存在するらしい。

しかも、その情報網の中心に自分がいるらしいことが忠敬には納得できなかった。



家では小人と話すことはある。

たまに相談を持ちかけられれば相手もする。

だが、それだけだ。


それなのに、

『見える』

『聞こえる』

『返事してくれる』

というだけで、小人社会では十分すぎるほど有名になるらしかった。


(意味が分からん……)

心底そう思った。







その日の夕方。

店へ向かう途中で交番の前を通りかかると、見慣れた制服姿が目に入った。


「おう」

相沢だった。

警察官らしい姿勢のまま片手を上げている。


「どうも」

忠敬も軽く返した。


顔を合わせれば挨拶する。

最近はそれくらいの関係になっていた。


すると交番脇の自販機小人たちが、待ってましたとばかりに騒ぎ始める。

『相沢さんだ』

『昨日も夜勤だった』

『朝方までいたぞ』

『コーヒー三本飲んでた』

『最近二本になった』


(健康管理かよ)

思わず心の中で突っ込む。



相沢本人は当然聞こえていない。



「なんだ?」

「別に」

「そうか」


短いやり取りのあと、相沢は交番へ戻ろうとした。

その時だった。


植え込みの方から慌てた声が聞こえてきた。

『落ちた』

『あっ』

『巡査さん落としたぞ』




忠敬の足が止まる。

さり気なく視線を向けると、植え込みの縁に何か光るものが見えた。


鍵束だった。

家の鍵らしいものがいくつか付いている。


『さっきポケットから落ちた』

『気付いてない』

『全然気付いてない』

植え込み小人たちが口々に報告していた。


忠敬は小さくため息を吐く。

相沢はもう数メートル先まで歩いていた。




放っておけば、そのうち気付くだろう。

だが、交番勤務の途中で家の鍵を失くしたと知ったら面倒なことになるのも想像できた。


忠敬は一瞬二の足を踏んだが、

「相沢さん」

「ん?」

振り返った相沢へ、忠敬は鍵束を差し出した。


「これ落としましたよ」


相沢は受け取った瞬間、目を見開いた。

「……あれ?」



ポケットを探る。

反対側も探る。


そして顔をしかめた。


「マジか」

「マジですね」

「全然気付かなかった」

本気で驚いているらしい。



相沢は鍵と忠敬を見比べた。

「どこにあった?」

「植え込みのところです」

「よく見つけたな」

「たまたま見えたんで」


嘘ではなかった。

ただ、見えたものの種類が少し特殊なだけだ。





そのまま別れ、忠敬は再び店へ向かって歩き始めた。


すると今度は小人たちが妙に興奮していた。

『やっぱり見つけた』

『すげー』

『噂どおり』

『だから有名なんだよ』


(だから何なんだ)


『優しいし』

『たまーに返事するし』

『見つけるし』

『相談聞くし』


(聞いてない)

『聞いてる』


『この前も聞いてた』

(勝手に喋ってただけだ)


反論しても意味はなかった。

小人たちの中では、すでに事実として定着しているらしい。







数日後。

営業前に交番の前を通りかかると、また相沢と顔を合わせた。


「おう」

「どうも」

いつもの挨拶。


だが今回は少し様子が違った。

忠敬は嫌な予感がした。


相沢がどこか探るような目でこちらを見ている。

「なあ」

「なんですか」

「お前、勘いいよな」


やっぱりな、と思った。


「そうですか」

「そうだろ」


相沢は苦笑する。

「前のひったくりの時もそうだったし、この前の鍵もそうだ」


忠敬は何も言わない。


すると街灯小人たちがざわつき始めた。

『お』

『来たな』

『気付いた?』

『まだかな?』


(黙れ)


「偶然です」

忠敬はそう答えた。


相沢は数秒だけ考えるような顔をしたあと、小さく肩をすくめた。

「まあ、そういうことにしとくか」


深追いはしてこない。

だが納得している顔でもなかった。



それでも、忠敬は少しだけ胸を撫で下ろした。



いつか誰かに話す日が来るのだろうか。

そんなことを、ほんの少しだけ考える。


もっとも、今はまだその時ではない。



相沢は交番へ戻っていった。

その背中を見送りながら歩き出すと、街灯小人たちが嬉しそうに騒ぎ始める。


『相沢さんいい人だな』

『見える兄ちゃん気に入られてる』

『仲良しだ』


(違う)

『仲良し』


(違う)

『仲良しだな』


(だから違うって)



小人たちの笑い声が夜の街へ広がっていく。

きっと明日には別の街灯小人が知り、別の自販機小人が知り、また新しい噂になるのだろう。


歌舞伎町のネオンが少しずつ輝きを増していく。


その足元で、人間たちの知らない小人たちの口コミネットワークもまた、今日も元気に稼働していた。



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