第22話:『No.2ホスト観察記録』後編
営業終了は午前三時過ぎだった。
最後の姫を見送り、フロアの照明が少しだけ明るくなる。
シャンパンコールの熱気も、笑い声も、今はもう残っていない。
片付けを始めた黒服たちが慣れた手つきでグラスを回収し、ホストたちはようやく営業用の笑顔を下ろし始めていた。
忠敬も回収したグラスをトレーへ載せながら、小さく息を吐く。
今夜も無事終了。
そう思ったのだが。
バックヤードへ足を踏み入れた瞬間、ソファ小人が神妙な顔で呟いた。
『始まった』
『始まったな』
『今週もか』
(ああ)
なんとなく察した。
視線の先。
ソファに腰掛けたシンが、スマホを見つめながら難しい顔をしている。
別に落ち込んでいるようには見えない。
だが、シンのスマホ小人は床に寝転がっていた。
四肢を投げ出し、虚無の目をしている。
『反省会だ』
『長くなるぞ』
『帰りたい』
腕時計小人もげっそりしている。
『今日の主人は重症』
『七番卓の姫案件だ』
(そんなにか)
『そんなに』
即答だった。
*
「クロノくん」
案の定、呼ばれた。
「なんですか」
シンが顔を上げる。
「今日さ」
「はい」
「七番卓いたじゃん」
「いましたね」
「姫、途中でちょっと静かにならなかった?」
始まった。
スマホ小人が両手で顔を覆う。
『第一周』
腕時計小人も慣れた様子で頷いた。
『定型文』
『毎週聞いてる』
忠敬は少し考えた。
そして答える。
「別に」
「ほんと?」
「はい」
「ならいいんだけど」
シンは頷いた。
終わった。
終わったはずだった。
*
五分後。
「クロノくん」
「なんですか」
「やっぱりちょっと気になるんだけど」
(早いな)
『第二周』
『予定通り』
『順調』
小人たちが実況する。
「俺、なんか変なこと言ったかな」
「覚えてないんですか」
「覚えてる」
「なら大丈夫でしょう」
「でも覚えてるから気になるんだよ」
面倒くさい。
忠敬は心の底からそう思った。
するとスマホ小人が小さくため息を吐く。
『始まったよ』
『主人これなんだよ』
腕時計小人も頷く。
『姫が楽しめたか気になる』
『毎回』
『売れてない頃からずっと』
ネクタイピン小人も肩をすくめた。
『だから準備もするしな』
『出勤前ずっと調べてた』
『会話ネタ確認してたし』
忠敬は思い出す。
確かに営業前、シンはスマホを見ながら何か確認していた。
姫の好きなアーティストだとか。
最近飼い始めた犬の話だとか。
営業中も自然にその話題を出していた。
だから客も笑っていたのだろう。
*
その時だった。
バックヤードのドアが開く。
黒服の田辺が入ってくる。
シンを見る。
察する。
忠敬を見る。
さらに察する。
「クロノ」
「嫌です」
「まだ何も言ってねぇ」
「シンさんでしょう」
「シンだ」
図星だった。
田辺は大きくため息を吐く。
「頼む」
「なんで俺なんですか」
「俺が付き合うと長引く」
「でしょうね」
「レンが付き合うと余計悩む」
「でしょうね」
「お前が一番早い」
「不本意です」
田辺は真顔だった。
「店内全員そう思ってる」
全く嬉しくなかった。
*
「シンさん」
「うん?」
忠敬は向かいの椅子へ腰を下ろした。
その瞬間。
ロッカー小人たちがざわつく。
『来た』
『保護者』
『お母さん』
(違う)
ソファ小人が笑う。
『前にも言われてたな』
(忘れろ)
誰も忘れていなかった。
*
「シンさん」
「…うん」
「姫、笑ってたじゃないですか」
「それはそうなんだけどさ」
終わらない。
スマホ小人が頭を抱える。
『出た』
『まだ続く』
『だから長いんだ』
シンは少し考え込むようにスマホを見つめた。
「なんていうか」
「はい」
「もっと楽しませられた気がするんだよね」
忠敬は黙る。
シンは続けた。
「別に嫌な顔してたわけじゃないんだ」
「はい」
「でも途中で少し考え込んでたでしょ」
「そうでしたっけ」
「そう見えたんだよ」
面倒くさい。
本当に面倒くさい。
だが小人たちは呆れながらも笑っていた。
『始まった始まった』
『主人のいつものやつ』
『気にしすぎなんだよな』
『でもまあ』
『だから売れてる』
皆どこか誇らしげだった。
*
しばらくして。
シンがぽつりと呟く。
「レンさんだったらさ」
忠敬は黙って聞く。
「もっと上手くできたのかな」
小人たちが一斉に天井を見上げた。
『出た』
『レン様比較』
『今週も出ました』
『主人ホントそれ好きだな』
『十年言ってる。さらに二十年後も言うでしょ』
「別にレンさんがどうこうじゃないんだけど」
シンは苦笑する。
「なんか考えちゃうんだよね」
その顔は少しだけ子供っぽかった。
売上二位。
接客も一流。
誰から見ても売れっ子ホスト。
それなのに、もっと上を見ている。
だから悩む。
だから準備する。
だから、
客の小さな反応まで気にする。
小人たちはそんな主人を知っていた。
面倒くさいことも。
不器用なことも。
心底楽しませたいと思ってることも。
全部知っていた。
*
「シンさん」
「うん?」
「面倒くさいです」
シンが吹き出した。
「ひどくない?」
「毎週同じこと言ってるでしょう」
「うっ」
「姫は笑ってた」
「…うん」
「会話も弾んでた」
「うん」
「以上です」
バッサリだった。
小人たちが一斉に頷く。
『正論』
『その通り』
『主人聞け』
『毎回それだ』
シンは苦笑しながら頭を掻く。
「クロノくんさ」
「なんですか」
「たまに容赦ないよね」
「面倒なので」
「ひどいなぁ」
そう言いながらも、さっきより表情はずっと柔らかくなっていた。
*
やがてシンが立ち上がる。
「……帰るか」
スマホ小人が涙ぐむ。
『終わった』
『解散』
『帰れる』
腕時計小人もほっとした顔だった。
『今日は早かった』
『一時間かからなかった』
大袈裟だった。
*
鞄を肩に掛けたシンが振り返る。
「ありがとね」
「別に」
「田辺さんに頼まれたから?」
「まあ」
「それだけ?」
忠敬は少しだけ考える。
そして。
「シンさん」
「ん?」
「姫、帰る時笑ってましたよ」
沈黙。
バックヤードが静かになる。
スマホ小人が固まる。
腕時計小人も固まる。
ネクタイピン小人も固まる。
シンは数秒だけ目を丸くしていたが、やがてふっと笑った。
「……そっか」
それだけだった。
だが。
『あ』
スマホ小人が小さく呟く。
『止まった』
腕時計小人も頷く。
『効いたな』
ネクタイピン小人は満足そうに笑った。
『これで今日は寝るな』
*
シンが帰った後。
バックヤードにはようやく静けさが戻る。
田辺が缶コーヒーを差し出してきた。
「助かった」
「次から断ります」
「無理」
「なんでですか」
「お前が一番効くから」
またそれだった。
納得はできない。
その時。
シンの名刺ケース小人が、鞄の隙間から顔を出した。
『兄ちゃん』
(なんだ)
『ありがとな』
少し誇らしげな声だった。
すると腕時計小人が続ける。
『でも主人』
『たぶん明日また悩むぞ』
スマホ小人も頷いた。
『昼くらいから再開』
『LINE返ってきたら第二ラウンド』
『来週もやる』
忠敬は小さくため息を吐く。
(知ってる)
小人たちが笑った。
歌舞伎町の夜は今日も騒がしい。
No.2ホストは明日もまた悩むだろう。
それでも客を楽しませようと考えて。
もっと良くできたんじゃないかと考えて。
そしてまた反省する。
面倒くさい男だった。
けれど。
『うちの主人、すごいんだぞ』
名刺ケース小人の誇らしげな声に、誰も反論しなかった。




