第22話:『No.2ホスト観察記録』前編
歌舞伎町のネオンは今日も眠る気配を見せていなかった。高級ホストクラブ『LUXE』も例外ではない。
営業開始から二時間。
店内はすでに満席に近く、シャンパングラスの音と客たちの笑い声が絶え間なく響いていた。
「クロノー! 三番卓ヘルプ!」
「はい」
飛んできた声に短く返事をしながら、忠敬は空いたグラスを回収する。
シャンパンコール。
笑い声。
香水とアルコールの匂い。
最初の頃こそ落ち着かなかったが、今ではすっかり見慣れた光景だった。
相変わらず自分がホストに向いているとは思わない。
だが仕事そのものには慣れている。
客の酔い方。
卓の空気。
トラブルの気配。
そして――店中にいる小人たちの騒がしさにも。
その時、観葉植物の鉢の下から妙なざわめきが聞こえてくる。
『来たぞ』
『始まるぞ』
『金曜だ』
『観察会だ』
(なんだそれ)
忠敬は眉をひそめた。
声のする方へ視線を向ける。
観葉植物の小人たちが、なぜか全員同じ方向を見ていた。
しかも観葉植物だけではない。
近くの灰皿小人。
間接照明小人。
シャンパンクーラー小人。
壁際の花瓶小人。
気づけば店中の小人たちがフロア中央へ注目している。
まるで何かのイベントでも始まるような騒ぎだった。
『今週も開催』
『実況準備』
『賭ける?』
『今日は何回鏡見るかな』
(お前ら暇なのか)
『失礼な』
『忙しい』
『だからこそ観察する』
意味が分からない。
だが小人たちの視線の先を見た瞬間、忠敬は少し納得した。
そこにいたのはNo.2ホストのシンだった。
*
シンは今日も人気だった。
店の中央席。三人組の指名客に囲まれながら、自然な笑顔で会話を回している。
「それ絶対嘘だって」
「ほんとほんと」
「盛ってるでしょ」
「だから盛ってないって」
客が笑う。
シンも笑う。
卓の空気が柔らかい。
押しつけがましさもない。
無理に盛り上げている感じもない。
会話が呼吸のように流れている。
流石だな、と忠敬は思った。
自分には真似できない。
したいとも思わない。
だが、客の感情を読みながら空気を整える技術だけは本物だった。
その一方で。
シンの腕時計小人は床に突っ伏していた。
『疲れた』
(何が)
『今日の会話』
忠敬は思わずシンを見る。
腕時計小人は遠い目をした。
『さっきの笑い話』
『三日前から考えてた』
(は?)
『三日前』
隣のネクタイピン小人も深く頷く。
『候補は五個あった』
『主人、最後まで悩んでた』
『出勤前も確認してた』
『トイレでも確認してた』
(そこまでするのか)
『する』
『めちゃくちゃする』
営業中の自然な姿からは想像もできない。
客は誰も気づいていない。
周囲のホストも気づいていない。
だが小人たちだけは全部知っていた。
*
しばらくして忠敬はヘルプで卓へ入った。
「クロノくんだ」
客が笑顔になる。
「こんばんは」
軽く会釈する。
するとシンが自然に会話へ引き込んだ。
「クロノさ、この前他の卓でさ――」
話題を振る。
客が笑う。
忠敬が答える。
さらにシンが広げる。
流れが途切れない。
まるで最初から台本でもあったようだった。
その様子を見ながら、忠敬は少しだけ感心する。
レンは場を支配するタイプだ。
だがシンは違う。
相手が気持ちよく話せる空気を作る。
同じ売れっ子でもやり方がまるで違う。
その時。
テーブルの下に置かれたスマホから、小さな声が聞こえた。
『無理してる』
(誰が)
『主人』
スマホ小人は真剣だった。
『今日来る客のプロフィール』
『昨日全部見返した』
『一昨日も見返した』
『先週も見返した』
(覚えてるだろ)
『覚えてる』
『でも不安』
(なんで)
『忘れてたらどうしよう』
『嫌われたらどうしよう』
『会話止まったらどうしよう』
『傷つけたらどうしよう』
忠敬は黙る。
スマホ小人はさらに続けた。
『主人な』
『客の誕生日とか全部覚えてる』
『好きなお酒も覚えてる』
『飼ってる犬の名前も覚えてる』
(十分だろ)
『本人はそう思ってない』
面倒くさい奴だな。
素直にそう思った。
*
シンが席を立った。
グラスを作るためにカウンターへ向かったのだ。
卓の空気が少し緩む。
すると一人の女性客が苦笑した。
「でもさ」
「はい?」
忠敬は顔を上げる。
「シンくんって結構心配性だよね」
悪意のない言葉だった。
責めているわけでもない。
むしろ親しみを込めた冗談だ。
実際、他の客も笑っている。
空気は柔らかい。
問題なんて何もない。
だが。
その瞬間、テーブルの上に並んだ香水瓶の小人たちが一斉に頭を抱えた。
『終わった』
『刺さる』
『今夜長いぞ』
(そんなにか)
忠敬が呆れると、腕時計小人が真顔で頷いた。
『兄ちゃん知らないだろ』
(何を)
『主人な』
小さくため息を吐く。
『こういうのだけ異常に覚えてる』
*
やがてシンが戻ってくる。
客は笑いながら同じことを言った。
「シンくんって結構心配性だよね」
ほんの軽い一言。
何気ない雑談。
だが、忠敬は見た。
シンの笑顔が一瞬だけ、止まったことを。
本当に一瞬だった。
客は気づいていない。
周囲のホストも気づいていない。
だが小人たちは大騒ぎだった。
『刺さったーー!!』
『終わったーー!!』
『今日帰れない!!』
『地獄の反省会だ!!』
(そこまでか)
『そこまで』
スマホ小人が断言する。
『明日も考える』
『来週も思い出す』
『たぶん数年後も思い出す』
(長いな)
『そうとう長い』
*
それでもシンは流石だった。
「そう見える?」
と笑う。
客も笑う。
卓の空気も崩れない。
営業としては百点満点だ。
だがテーブルの下ではスマホ小人が頭を抱えていた。
『もう考えてる』
『営業中なのに』
『今日早い』
『過去最速』
忠敬は思わずため息を吐く。
営業中のシンだけを見れば、不安など一欠片も感じない。
笑うタイミングも。
客との距離感も。
話題の選び方も。
全部自然だった。
だがその裏で、持ち物たちは常に胃と心を痛めているらしい。
(大変だな)
正直な感想だった。
*
営業終了まで残り一時間。
別卓のヘルプを終えた忠敬がフロアを横切る。
シンは相変わらず客と楽しそうに話していた。
笑顔も自然だ。
会話も完璧だ。
誰が見ても問題ない。
だが、スマホ小人だけは死んだ目をしていた。
『今日長いぞ』
(まだ言うのか)
『言う』
『絶対言う』
『帰らない』
腕時計小人も深く頷く。
『二時間コース』
『たぶん三時間』
『田辺さん巻き込まれる』
『黒服逃げる』
忠敬は小さくため息を吐いた。
別に自分には関係ない。
少なくとも今までは、そうだった。
翌営業後、自分まで巻き込まれることになるとは、この時の忠敬はまだ知らなかった。




