第10話:『酔えないシャンパンと、No.1の小さな嫉妬』
週明けの『LUXE』は、妙にざわついていた。
「……なんか今日、空気おかしくないですか」
出勤して早々、忠敬は顔をしかめた。バックヤードの空気がピリついている。普段なら騒がしいホストたちも、 どこかソワソワしていた。
すると、 ロッカーの鏡の小人がヒソヒソ声で教えてくる。
『今日、“例の太客”来るんだよ』
『レンの一番デカい姫』
『先月タワーやった人!!』
(ああ……)
忠敬でも名前くらいは聞いたことがあった。
『LUXE』のNo.1ホスト・レン。 その売上を長く支えている超有名客。金払いが桁違いで、 機嫌を損ねると店全体の空気が凍る。
つまり、 全員が神経を使う相手だった。レン本人が、 死んだ魚みたいな目でソファに沈んでいた。
「……帰りてぇ」
「No.1が言う台詞じゃないですよ」
「今日の姫、勘が鋭いんだよ……」
レンのネクタイの小人が、 青ざめながら補足する。
『やばいんだ!!』
『“レンくん今日ちょっと疲れてる?”とか秒で当ててくる!!』
『観察眼が猛獣!!』
(怖ぇな……)
*
そして夜。問題の客は現れた。
長い黒髪。
派手すぎない高級ブランド。
静かな笑顔。
店の空気が変わった。
シャンパンクーラーの小人たちが、 一斉に背筋を伸ばす。
『来た!!』
『ラスボス!!』
『今月の売上女王!!』
(ラスボス扱いなんだ……)
彼女――美咲は、 レンの席へ静かに座った。
「こんばんは、レンくん」
「待ってたよ、美咲さん」
完璧な営業スマイル。
だが忠敬には分かった。
レンの腕時計の小人が、 すでに泣いていた。
『無理してる!!』
『今日のご主人、HP残り3!!』
(限界近いな……)
美咲は静かに酒を飲みながら、 ふと店内を見渡した。その視線が、 一瞬忠敬に止まる。
「……あの子、新人?」
「え?」
「あの黒髪の子」
レンの笑顔が、 ほんの少しだけ固まった。
その瞬間、レンの香水瓶の小人たちが悲鳴を上げる。
『あっ』
『地雷踏んだ』
『レン、“推し客が他ホスト見た瞬間”にめちゃくちゃ弱い!!』
(繊細かよ……)
レンは平静を装った。
「ああ、クロノ? 変なやつだよ」
「へぇ」
美咲は静かにクロノを見つめる。
その時、彼女のバッグの小人が、 小声で呟いた。
『この人、“ギラギラしてない人”好きなんだよな……』
『実はレンみたいな王道タイプより、“静かな男”に弱い』
(やめろ。本人の前で言うな)
だが、 忠敬はその卓に近づく気はなかった。
関わると面倒臭そうだからだ。
しかし、東がニッコリ笑顔で肩を叩く。
「クロノ。ヘルプ」
「嫌です」
「行け」
「……はい」
黒服は強かった。
*
忠敬が卓についた瞬間、美咲は少し驚いた顔をした。
「こんばんは」
「……こんばんは」
忠敬は最低限だけ喋る。
余計な営業はしない。
その様子を、 卓上のシャンパングラスの小人たちが見守っていた。
『うわ、通常運転』
『この男、“口説く”という概念が本当にない』
だが美咲は逆に、 少し肩の力を抜いた。
「レンくんの周りって、賑やかな人多いよね」
「まぁ……店なんで」
「クロノくんは静かだね」
「うるさいの苦手なんで」
その瞬間、レンのネクタイ小人が 遠くで頭を抱えた。
『終わった!!』
『この“自然体”が刺さるタイプだ!!』
(何がだよ……)
だが、 美咲は小さく笑っていた。
「なんか不思議。ホストっぽくない」
「よく言われます」
「なんでこの仕事してるの?」
「俺が聞きたいです」
吹き出す美咲。
その笑顔を見て、 キャンドルの小人が感動していた。
『うわ〜』
『自然に笑わせた〜』
『テクニックゼロなのに〜』
(うるさい)
*
事件はその直後だった。別卓でシャンパンコール発生。店全体が騒がしくなる。コール隊が移動し、 レンも一瞬席を離れた。
すると、美咲がぽつりと呟く。
「……クロノくんって、なんか安心するね」
周囲の小人たちが、 一斉にザワついた。
『出た!!』
『沼ワード!!』
『“安心する”は重症!!』
(やめろその判定)
戻ってきたレンは、 その空気を一瞬で察した。
ホストの勘だった。
レンの笑顔が、 わずかに引きつる。
その様子を、 レンの腕時計の小人が実況していた。
『あっ』
『No.1、ちょっと嫉妬してる』
『珍しい!!』
(うわ、面倒くせぇ)
レンは笑顔のまま、 忠敬の肩を組む。
「クロノ〜? お前、俺の姫口説いてない?」
「口説いてません」
「ほんとぉ?」
「むしろ帰りたいです」
「そこが怖ぇんだよ」
美咲が楽しそうに笑った。
その瞬間、レンの香水瓶小人たちが 円陣を組み始める。
『緊急会議!!』
『この黒髪新人、“無自覚客吸引機”!!』
『No.1の縄張り荒らし始めてる!!』
(知らんがな……)
*
閉店後の売上確認。
東が数字を見て、 盛大に吹き出した。
「は!?」
「なんです」
「クロノ、お前」
「だからなんです」
東はタブレットを見せた。
そこには。
【美咲様】 【次回指名:クロノ】
「……………………は?」
バックヤードが静まり返る。レンが固まる。
そして次の瞬間。
腹を抱えて爆笑した。
「アハハハハ!! マジかよ!!」
「笑い事じゃないんですが」
「いやだって!! あの美咲さんが!?」
レンのネクタイの小人が、 床を転げ回っていた。
『脳がバグる!!』
『“絶対レン一筋”の姫だったのに!!』
忠敬は本気で頭を抱えた。
「いや、なんでだよ……」
「知らねぇよ。でもお前、多分」
レンは笑いながら言った。
「“疲れた女に刺さる才能”あるわ」
まったく嬉しくなかった。
その時、クロノのスマホが震える。
メッセージ。
【今日は楽しかったです】
【また静かに話したいです】
スマホの小人が、 ニヤニヤしながら肩を叩いてきた。
『おめでと〜』
『大型沼客、爆誕』
忠敬は無言でソファに突っ伏した。
どう考えても、この店で一番厄介なのは酔っ払いではなく、 “静かにハマっていく客”だった。




