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第28話 愛してる

「エメラルド王国法に基づきガレン・ヴォルドの身柄を拘束する。帝国側への照会は後ほど行うわ」


 ルディナ様の声は静かで、感情をほとんど読み取れない。

 氷漬けにされたガレンは、ジルケット様の手によって素早く拘束され、氷が解けた後も意識を失ったまま地面に崩れ落ちていた。

 ルディナ様が淡々と追加の拘束魔法をかけ、その完了を確認した。


 その間、私はイリヤくんと並んで、息を潜めながら少し離れた場所から様子を見守っていた。

 二人の確かな動きを見つめながら、私は無意識にイリヤくんの袖を軽く握っていた。

 イリヤくんもまた、私の肩に手を置いて安心させるようにそっと力を込めてくれる。

 少し離れた場所で、セナが横たわっている。


「あの、セナは…… 」

「気を失っているだけだ。落下のショックによる一時的なものだろう。外傷はない」


 ジルケット様の穏やかな言葉に、胸の奥がふっと緩む。


「……よかった」


 安堵したのも束の間、左足首に鋭い痛みが走った。思わず顔を歪めると、隣にいたイリヤくんが即座に膝をついた。


「足、見せてみろ」

「大丈夫だよ……」

「ダメだ」


 有無を言わせぬ声音だった。私は小さく頷き、岩に腰を下ろして足を差し出した。

 イリヤくんが腫れた足首にそっと指を添える。柔らかな青い光が足を包み込んだ。

 ひんやりとした清らかな魔力が、熱を持った痛みの中に染み渡る。じんじんと脈打っていた熱が、雪解けのように引いていく。


「……すごい、痛みが引いてく」

「俺の力では完治はできない。無理するなよ」


 冷たくて、優しくて、不思議と心地よい。ルディナ様がその様子を静かに見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「あの規模の氷魔法を自在に操れる魔導士がいることを、王国は把握していないわ」


 イリヤくんの手が、ぴたりと止まった。


「それに……まさか、騎士であるあなたが魔力を行使するなんて」


 ルディナ様の視線が鋭く細められる。空気が、張りつめたように変わった。

 ジルケット様も、無言でイリヤくんを見つめている。イリヤくんはゆっくりと立ち上がり、二人の正面に立った。


 赤い瞳の奥に決意の色が宿っているのが、私にもはっきりとわかった。


「……お二人に、お願いがあります。この件は、内密にしていただけますか」

「理由を聞かせて」


 ルディナ様の問いかけに、イリヤくんは一瞬息を整えた。


「ことが公になれば、私は学院に――いえ、この国にいられなくなります」


 そして、彼は続けた。


「お二人は――数十年前、ヴェルダ島で起きた大規模な地震災害をご存知ですか」


 ルディナ様の表情が、わずかに変わる。


「……ヴェルダ島の崩壊。知っているわ」

「あの災害の原因は、地の大精霊テラの加護を持った女性が何者かに殺害されたことだと、私は聞いています」


 ジルケット様が、目を細めた。


「……それは本当か? 公式には発表されていない話だ」

「はい。事実です」


 風が木々をざわめかせ、遠くで鳥の声がした。

 イリヤくんの声は低く、しかし確かな響きを帯びていた。


「テラは深く傷つき、今も新たな加護を与える人間を選んでいません。それゆえヴェルダ島では地震が絶えず、人々は安定した暮らしを失いました。島は事実上、崩壊したのです」


 赤い瞳が、燃えるように光った。


「大精霊の加護を受けた者に何かあれば、大規模な自然災害が引き起こされる。それだけではありません。この世界には――魔法と剣、二律背反した力を同時に扱える存在に異常な執着を抱く者たちがいます。加護を持つ者を狙い、利用しようとする者たちが」


「では、あなたもまた加護を受けた人間ということね?」


「はい。私は水の大精霊アクアリスの加護を受けています」


 その瞬間、場に重い沈黙が落ちた。誰もすぐには言葉を発しなかった。

 ルディナ様は長い間、イリヤくんをじっと見つめていた。厳格な表情のまま、しかし瞳の奥に複雑な揺らぎが浮かんでいる。


 やがて、彼女は静かに息を吐いた。


「……クロヴィス殿下には?」


イリヤくんの表情に、一瞬迷いがよぎった。


「……殿下には、私から話します」


声が少しだけ低くなった。


「信頼できる方だと私は思っています。ただ、この場では止めておいていただけますか? それをお願いしたい」


 ジルケット様が先に頷いた。


「……わかった」


 ルディナ様も、わずかな間を置いてから静かに首肯した。


「この場限りにするわ。ただし、殿下への報告は速やかに。それが条件よ」

「……はい」


 イリヤくんが深く一礼すると、ルディナ様がふと首を傾げた。


「……一つ、気になることがあるのだけれど」


 真っ直ぐな視線が再び、イリヤくんへ向けられる。


「今のあなたからは、魔力を全く感じない。騎士科の生徒としては当然のことだけれど……」


 彼女は私の方へ視線を移した。


「ルリシア。あなたはどう感じる?」


 私は少し考えてから、正直に答えた。


「……そうですね。イリヤくんから魔力を感じたことはありませんでした。でも、あまり驚きません」

「驚かない?」

「今思えば――イリヤくん、おかしなところが多かったので」


 私は指を一本ずつ折りながら続けた。


「四大魔法の暴走を迷いなく断ち切ったり、私の魔力を自由に扱ったり、水の精霊に懐かれていたり……」


 ルディナ様の目がわずかに見開かれた。


「それは……確かに、ただの騎士の力ではないわね」

「はい。だからアクアリス様の加護を受けていると聞いて、納得しました」


 私はイリヤくんを見つめ、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。彼を見て、自然と笑顔になった。


「私のために、そんな大事な力を使ってくれた……話してくれて、ありがとう」


 イリヤくんは一瞬、目を細めた。


「当たり前だ」


 迷いのない声。


「お前を失うわけにはいかない」


 その言葉が、胸の真ん中にまっすぐに落ちてきた。頰が熱くなり、ほんのり朱に染まるのが自分でもわかった。


 その時――「ごほん」


 わざとらしい咳払いが響いた。ジルケット様が、穏やかな深緑の瞳でこちらを見ていた


「……君はそんな風に笑うんだな」


 小さく、優しい声で囁くように言った。


「イリヤ、もう泣かせるなよ?」


 イリヤくんが、じろりとジルケット様を睨む。


「お前に言われなくても、わかっている」

「……は?」


 ジルケット様が、一瞬きょとんとした。


「いきなり態度が違くないか? さっきまでの余所余所しさは何だったんだ……」

「お願いする立場だから、気を遣っただけだ。それに……お前が言ったんだろう。余所余所しい態度はするな、と」


 ジルケット様はしばらく考えてから、ルディナ様を見て納得したように頷いた。


「……ああ、そういえば言った! 手合わせの決着がつかなかった時だ!」


 ルディナ様がため息をついた。


「……あなたは本当に」


 私は思わず小さく笑ってしまった。気づいたら、自然と笑顔になっていた。


「あの――」


 私は改めて二人に向き直った。


「今日は、本当にありがとうございました。お二人が来てくださらなかったら、私もセナも……」

「礼はいい」


 ジルケット様が穏やかに遮った。


「それより、ルリも俺のことはジルでいい。敬語もなしだ」

「え……で、でも」

「なしだ」


 有無を言わせない優しい笑顔に、イリヤくんの視線が鋭くなった。


「気安くルリって呼ぶな」

「ルリがいいなら、いいだろ。嫉妬深い奴だな」


 二人のやりとりにルディナ様がもう一度小さくため息をつき、それから私をまっすぐに見つめた。


「王宮で、あなたを待っているわ」


 その言葉に、私は顔を上げた。


「……え」

「聞こえたでしょう」


 表情は変えなかったが、その瞳は確かに優しかった。胸の奥が、ぱっと明るくなる気がした。


「……はい!」


 やがて遠くから複数の翼音が近づいてきた。

 騎士団の飛竜たちが次々と着地し、隊員たちが手際よくガレンを担架に乗せて拘束を確認する。あっという間の出来事だった。


 ジルが白い飛竜の背に飛び乗り、ルディナ様の手を引いて後ろに乗せる。白い飛竜が、大きく翼を広げた。


「ルリ、またな。イリヤ、今度はちゃんと決着つけるからな」

「……ふん」


 深緑の瞳がこちらを優しく細めた。白い影が、ゆっくりと空へと舞い上がっていく。

 私はその背中が見えなくなるまで、ずっと見上げていた。

 風が頰を撫で、遠ざかる翼音が徐々に小さくなっていく。


 二人が去り、森の中は再び静けさに包まれた。

 さっきまでの激しい戦いの喧騒が嘘のように、木々のざわめきと風の音だけが残っている。


 イリヤくんは無言でしゃがみ込むと、懐から清潔な包帯を取り出した。

 私の左足首にそっと手を添え、丁寧に包帯を巻き始める。


 顔が近い。息遣いが聞こえる距離。

 心臓が、うるさく鳴り始めた。


「……イリヤくん」

「ん」

「あ、あの……」


 包帯を巻く手が止まった。赤い瞳がゆっくりとこちらを見上げる。

 その瞳は真剣で、まるで私のすべてを映し込もうとしているようだった。

 私は俯いたまま、震える声で続けた。


「私たちって今……どんな関係?」


 胸が痛いほど高鳴る。


「私は……イリヤくんのこと、好きだよ」


 言ってしまった。

 一度言葉にすると、止まらなくなった。


「イリヤくんは……?」


 沈黙が落ちた。包帯を巻く手は完全に止まり、風が木の葉を優しく揺らす音だけが響く。

 どれくらい時間が経っただろう。永遠のように感じた。


「ルリ」


 芯の通った声に顔を上げたそのとき――


 柔らかな唇が、私の唇に重なった。

 一瞬の温かい感触。甘く優しく、でも確かに強い意志を感じるキスだった。


「……これが答えだ」


 離れた唇のすぐ近くで、赤い瞳がまっすぐに私を見つめていた。

 その瞳には、迷いも照れも隠さず、ただ真っ直ぐな想いが燃えていた。


 顔が燃えるように熱くなった。


「……っ」


 頭の中が真っ白になる。


「ず、ずるいっ! ちゃんと言葉にして!」


「う……んん」


 私が声を上げると、小さな唸り声が聞こえた。セナがゆっくりと目をこすりながら上体を起こしていた。


「……ルリ? ここ、どこ……」


 セナが起き上がろうとしたとき、遠くから切羽詰まった声が響いた。


「ルリー!!」


 レイラの声。


「ルリシア! イリヤ! 無事か!?」


 先生たちの声も重なり、複数の足音が木々の間を駆け抜けて近づいてくる。

 赤い髪を乱したレイラが、木々の間から飛び出してきた。目が真っ赤で、頰には涙の跡が残っていた。


「よかった……! ルリ! あなたの身にもしものことがあったら……っ」


 レイラは私とセナを両腕で強く抱きしめた。

 少し痛いほどの力だったが、その温かさが胸に染み渡る。


「セナも無事で、本当によかったわ……」

「レイラ……うん、ごめんね」


 セナがきょろきょろと周囲を見回し、私の足元に視線を止めた。


「ルリ、そうだよ! 足、大丈夫?」

「平気。イリヤくんが手当てしてくれたから」


 レイラがぱっと顔を上げ、イリヤくんを見て、それから私を見て――口元に、にやりと意地悪そうな笑みが浮かんだ。


「あら……仲直りしたの?」


 イリヤくんの眉がわずかに寄る。

 私は思わずくすっと笑ってしまった。


「うん。心配かけてごめんね」

「まったく……後でゆっくり聞かせてもらうわよ」


 先生が前に出て、皆をまとめた。


「さあ、戻るぞ。倒れていた生徒たちも命に別状はない。全員、学院へ」


 みんなが歩き始めた。レイラがセナの肩を支え、先を行く。


 私も立ち上がろうとした。


 後ろから肩をそっと引かれ、耳元に熱い息が触れる。


「……愛してる」

「へっ!?」


 変な声が出てしまった。慌てて両手で口を押さえる。


 身体がふわりと浮き、イリヤくんにお姫様抱っこで抱きかかえられた。


「ちょ、あ、自分で歩けるから……!」


 イリヤくんは何も言わない。ただ、口元がわずかに緩み、してやったりな表情を浮かべていた。普段の無表情が崩れた、珍しい顔。耳の先がほんのり赤い。


「本当にずるいっ!!」


 私の抗議の声を無視してイリヤくんは黙ったまま、安定した足取りで歩き続ける。


「……もうっ」


 私は顔を赤くしながらも、その胸に顔を埋めて、そっと目を閉じた。

 この温もりだけが、今はすべてだった。

次回、第一部完結です。

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