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人の足を舐める行為は、必ずしも屈辱的ではない

あなたには、今まで誰かの足を舐めろと言われたことがあるだろうか。


僕はある。


今この瞬間だが、その日は覚悟もなしにある日突然訪れるので、日頃から何となく考えてみていただきたい。


テレビや映画では屈辱的なシーンの象徴としてよく使われる足を舐めることや土下座をさせるようなこの儀式は、余程プライドが高い人でなければ全く効果がないらしい。


というのも、僕はすでにプライドも誇りもすべて捨て去っているので、ただ目の前にいる人の足を舐める単なる動作になっている。


この儀式を終えたところで、僕には何も傷つくものもなければ、失うものもない。


ただひとつ取り戻したいと思うのは、元カノの白澤さんを意図せず傷つけてしまったことだ。


過去に僕が彼女によって傷つけられたのは事実だが、それもすでに清算済みだ。


彼女を傷つけまいと乗った船なのに、最終的には僕が沈没させかけていることには変わらない。


あとは、僕が足を舐めることで明さんが満足してしまうことが解せなかったが、一番のも目的は明さんを満足させて僕らのキスショットを消してもらうことなので、これは致し方ない犠牲である。


僕は死んだ魚の目をしながら、少し興奮した顔を見せる明さんの顔を見て、すぐに靴の先に視線を落とした。


明さんの靴はさっき店で買ってきたばかりの新品のように光輝く真っ白なスニーカーだった。


見たことがあるようなどこかのブランドマークがあって、汚れひとつない白の靴は舐めるのには申し分ないコンディションだ。


ふと僕が履いている靴はなんだったかと冷静になって思い返すと、ボロボロの黒のサンダルだった。


おしゃれなお店でもなく、在庫を捌けたいだけの投げ売りに等しい売られ方で売っていた半額で手に入れた靴だ。


でもそれがなんだ。


靴で人生は決まらないとは僕は言えないが、靴で決まる人生は安易でつまらないと思った。


さて、僕はこうして自問をしながら元カノをストーキングで脅す男の足を舐めようとしていた。


楽しい白澤さんとの同棲生活や恋人ごっこの生活も今日で終わりだ。


また元の世界に戻るだけだ。


一人だけの人生、平凡だけれどもそれが一番良い人生に戻ろう。


そうして僕は更に頭を垂れて、ゴムの臭いがする爪先に舌の先を触れさせようとした。








と、思ったときだった。


いきなり上から何か液体のようなものが降ってきた。


天井が抜けて雨が漏れたのか?


いや、さすがにこの建物はそこまでやわではないし、そこまでになればさすがの僕でも気がつく。


じゃあ、明さんが唾でもはいたのか?


彼ならばやりかねなさそうだが、唾のような粘りけがある液体でもなく、どちらかと言えばコーヒーのような香り高い液体だった。


これは一旦、靴を舐める儀式を中断させて、状況を確認せざるを得ない。


僕は髪から滴る液体を拭いながら顔をあげた。


そこには呆然と仁王立ちで立つ明さんがいた。


顔からずぶ濡れに何か液体を浴びて、彼も状況が読めないと言った顔をしていた。


一体何が起きているんだ?







「あ、失敗しちゃった」


沈黙を切り裂いたのは、少女の声だった。


その声は明さんの後ろから聞こえてきた。


「液体って扱いが難しいのね。思うような軌道を描かなかったわ。あ、でも、手が滑っただけなので失敬ね」


何とも余裕があるその声は、明さんの立ち姿の奥にあり、うまく姿が確認できない。


「おい…何してくれてんだよ…」


頭から液体を被った明さんが鬼の形相でその声の主に向かってゆっくり振り向く。


風に乗って甘い香りが鼻を掠める。


(これは、やはりコーヒーか?)


香ばしい香りがなんとも場違いで思わず笑ってしまいそうになるが、今はそれどころではない。


「あら、お口に合わなくて?」


明さんが振り向いたことで、僕にもその声の主を確認することが出来た。


講堂の生徒用の椅子に座り、さっきかけたであろう液体の入っていたカップを持ちながら涼しげに微笑む。


黒髪は肩の長さできれいに切り揃えられ、前髪は眉毛のちょうど上くらいにこちらも綺麗に揃っていた。


椅子と机で全体像は見えないが、上半身は華奢で白い腕が白いトップスから覗かせている。


顔は白澤さんに負けずとも劣らない整った顔立ちで、目は大きく唇は桜のようにほんのりと優しい色合いで、とても端正で美しいと思える美形の少女だった。


「ん…待てよ…」


僕のはこの少女をどこかで見たことがある。


「おい…嘘だろ…」


僕は小さく呟いた。


「まさか…」


もう一度僕その美少女を確認する。


「もしかして…シイナ…?」


「あら、覚えててくれたの?そしてやっぱり桶谷さんだったんだね。久しぶり。大分髪伸びたね。前は坊主だったもんね」


そこには、喧嘩別れをして行方を眩ましていたあのシイナがいた。


優雅に手をヒラヒラさせながら、僕に久しぶりの挨拶をした。

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