ナイフの男
人は、理解しがたく受け入れるのが難しい事態に遭遇したとき、どうなるのだろう。
僕は過去にそうした経験をすでに神様からさせてもらっていて、そのときは訳も分からずとにかく無心だった。
実感というのは後から沸いてくる。
その時なんて必死すぎて何も覚えていなくて、後から気持ちが少しずつ追い付いてくるんだ。
じゃあ、今のこの状態も、後からじわじわと実感させられるのだろうか。
しかし、今僕がやるべきことはやはり、自分の命と同じくらい優先順位を上げて、白澤さんを守ることだと思う。
「…誰?」
ナイフを持った男は冷たい口調で言い放った。
幸いにして僕が何も考えずにドアを開けたこともあって、内側のロックは正常に外されていなかった。
それもあり、謎の男からはドア一枚と内鍵で守られていた。
いくらナイフを持っていても、外からの攻撃は限界がある。
「あの…逆に…どちら様ですか…?」
僕は反射的に聞き返してしまった。
「何で質問に質問で返すんだよ。頭悪いのか?」
顔がドアに隠れてよく見えないが、僕の180という身長よりも大きい気配を感じる。
体格も僕より筋肉質で重厚感があるように思わされる。
ただ見えるのは右手に握られた銀色に輝くナイフだけだ。
ただの脅しなのか遊びなのか分からないが、どう見ても本物にしか見えないそれは、全く隠すそぶりもなくむしろアクセサリーのように視界をちらつかせていた。
「…美並、いるんだろ?」
男は僕の質問に対しても質問で返してきた。
仮に白澤さんがいると答えたとしよう。
うら若き美少女の家に男がいるのは、非常に複雑な背景を模索してしまう。
逆にいないと言えば、さらに僕の立場をはっきりさせたくなるに違いない。
どちらを取っても、楽な道はない。
白澤さんは男の視線が届かないリビングにいて、体を強ばらせている。
近づきたくもないし、近づきたくないのだ。
白澤さんが言っていた「命を助けてほしい」というのは、このことだったんだ。
もしもこれが白澤さんとこの男でグルとなった演技だとしても、どんなシチュエーションであれ、受け入れることは難しい。
目の前で刃物をちらつかせる男。
怯える白澤さん。
二人の間でどうすべきか分からない僕。
中途半端な回答で納得はしてくれない。
それでも、この場を納めるには、もうあれしかない。
この状況で他人を装っても、それこそ真っ赤な嘘だとすぐにばれてしまう。
それであれば、僕が唯一嘘に近くなく全うな現実感を出せる嘘はこれしかない。
「美並はいません。僕は彼女の彼氏です。帰っていただけますか」
その事場を聞いて、ナイフがぴくりと動き、そしてゆっくりと男のポケットの中に入っていった。
それまで僕は内鍵が開ける限界までドアを開けていたが、ドンッと強い力で扉が閉められた。
外側から強く押されたに違いない。
ドアノブを握っていた右手がビリビリと電気を流したかのようにしびれる。
男は本当に立ち去ったようで、沈黙が流れていた。
念のためにドアの窓から覗いてみても、人の姿は確認できなかった。
僕はずっと握りしめていた右手をドアノブから放した。
じんじんとした痛みが右手から肩にかけて広がるのを感じた。
「詳しく、聞かせてくれる?」
僕は振り返らずに、白澤さんに問いかけた。
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