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僕と彼女の物語、彼女と彼の物語

「63」


何もしていなくても首から汗が伝うほど暑い八月のある日、僕は彼女と出会った。


燦々と空から容赦なく照りつける太陽の日差しを唯一回避できるのは、ボロボロになったバス停の屋根くらいだった。


しかしあるのは錆びた屋根だけで、焼き付けられたコンクリートの照り返しだったり、まるで蒸し器の中にいるかのような尋常じゃない暑さは、これっぽっちも避けられない。


それでも彼女は、色褪せて水色になったプラスチックの長椅子に座って、背筋をピンと立てて、僕と同じように首から汗を流しながら、何かの紙を見ていた。


大学ノートを何枚か破ったような雑多な紙を、大事そうに両手に抱えて、じっと考え事をしているようだった。


「あ」


風で彼女が被っていた白い麦わら帽子が、宙に舞って僕の汚れたスニーカーの上にふわりと音もなく落ちた。


僕はしゃがんでその麦わら帽子を手に取り、彼女に手渡した。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


これが僕と彼女の始めての会話だ。


彼女は手に大学ノートの切れ端をしっかりと握りながら、もう片方の左手で麦わら帽子を受け取った。


そして、僕は長椅子の端に腰を掛けて、次のバスを待った。


唸るような暑さが体力を凄いスピードで削っていく。


こんな山奥にある墓所を訪れてくれるバスは一時間に一本しかない。


墓参りの用事は、どんなに長くても10分で終わってしまう。


それに、毎日僕はその墓に眠る相手を思って祈りを捧げているので、だから何だということあるが、墓前の前でも気持ちは変わらない。


しかし、ここに来なければ、あのときの自分自身の不甲斐なさや幼さはどうにも払拭されない。


墓前で拝んだからといって、あのときの後悔が消えるわけでもないし、死人が生き返るわけでもないが、何となく通過儀礼で来てしまう。


隣に座る彼女もそうなのだろうか。


後ろにそびえる青々とした緑の森の中で、セミが耳をつんざくような大合唱をしている。


この墓所のセミの大合唱を聞いているのは、この世界でたった僕と彼女だけだ。


この話は、僕と彼女の物語である。


彼女にとっては、僕との物語ではないかもしれないが、少なくとも僕は彼女との話だと思っている。


真夏の夜の闇の中で、炎に飛び込む二匹の蛍。


そんな物語は、そっと始まった。

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