第8話 『フェニックス』
「カガヤー!置いてくぞ、早く来ーい!」
自分を呼ぶ声に我に返る。
首元には汗が滲み、呼吸は荒く乱れていた。
「俺……今何してたっけ?」
思い出せない。何かを考えていたのは分かるのだが。
自分を呼ぶ声の方向を見ると、既にエリスは大広間の向こうの玄関を開けて、こちらを待っていた。
「そうだ、これから村に行くんだったな……今行く!」
階段を駆け下りて早足に大広間を通る。
ふと横を見ると、黒い色のメイド服のような物を着た女性が床の掃除をしていた。
(そりゃそうか、こんなデカい屋敷なんだから、セバスさん以外にも使用人は居るよな)
あれだけ沢山の部屋があるなら、他にも使用人がいないと管理なんてままならないのだろう。
(しっかし、綺麗な人だな……)
銀色の髪を携え、凛とした佇まいの黒いメイドは、こちらの視線の気が付いたようで掃除の手を止めると、丁寧なお辞儀をする。
俺はそれに返事をするように、軽く会釈をした。
(あわよくば食事とか誘ってみたり……)
僅かに邪な考えがよぎったが、エリスを待たせる訳には行かない。振り切る様にその場を後にして、大広間を横断した。
扉の前で待っていたエリスに遅れた旨を話す。
「待たせたな、ちょっと考え事してて……」
自分で何を考えていたかは、実のところ分からないのだが。とりあえずあのメイドの人が綺麗だったのは確かだ。
しかし腕を組んで待っていたエリスは、俺を見る目を少し細めて不機嫌そうに告げた。
「カガヤ……うちの使用人とお近づきになりたい、なんて馬鹿な事を考えてたんじゃないだろうな?」
「か、考えてないって?!」
心の中を読んだかの様な彼女の考察の的中具合に、思わず声を上ずらせてしまった、
「ほーう、どうだかな……」
半ば自供したような俺の反応を見て、彼女は「先に行くぞ」と呆れた様に呟いて屋敷から出ていった。
「どうして分かったんだ?心を読む魔法とか……」
ふと顔を触ると、自分が僅かに笑みを浮かべていたのに気が付いた。
「顔に出てたか……」
ポーカーフェイスが苦手だった事を思い出した。
少し自分が浮かれ気味だったという事も、そしてそれをエリスに見抜かれてしまったであろう事。
俺は先行きが不穏な異世界の生活に、大きく溜息を吐いた。
◆
扉を開けたらそこは、豪邸でした。
「いや……改めて見ても凄すぎるな」
大広間の玄関の外に出た瞬間、思わず呟いてしまった。
窓から見たのとでは全く違う。
実際に立ってみると庭の広さに度肝を抜かれる。
そこらのライブ会場が一個、まるごと入ってしまうのではなかろうか。
しかも、これ程巨大な場所に人がいないというのは結構新鮮だ。
「ん、あれは……」
しかしよく見ると、遠くの方では先程の黒いメイドとはまた別の白い服のメイドが花壇の手入れをしているのが見えた。
「こっちだ、着いてこい」
辺りを眺めていると、エリスは玄関から出て右に曲がっていった。
後に付いて行くと、そこには隅々まで手入れされた彩り豊かな花が並ぶ花壇。
その隣には木製の柵に囲まれた部分があり─────、
《キュウ》
奇妙な鳴き声を上げる、巨大な白い毛玉がその中に居た。
まるで鳥のような黄色いクチバシの上には、黒い目玉がパチクリと開いている。
その頭には頭絡が付いていて、羽毛に覆われた背中には鞍が付いていた。
これは────、
「さあ乗れ、村まで行くぞ」
「タイム、タンマ、ストップ!ちょっと待て待て!」
当然の様な顔をして、柵の扉を開きその毛玉の背中に乗ろうとするエリスを呼び止める。
「なんだ?……ん、そうか。コイツをお前は初めて見るんだったな」
「はい、初見です。説明よろしくお願いします」
「良いだろう。この生き物は《走鳥》と呼ばれる、走る事が好きな大人しい鳥だ。安心しろ、人懐っこい生き物なんだ、急に噛み付いたりはしない」
彼女は走鳥の背中に乗りながら、その柔らかい羽毛に包まれた頭を撫でる。走鳥も嬉しそうに、その手に頭を擦り寄せている。
「そう言えば異世界だったな、ここ……」
狼の化物もいるのだ、巨大な鳥の生き物がいても不思議じゃないという事なのだろう。
「軽く撫でてみろ、こいつは少し気難しいがな」
エリスはそう言って手招きしている。
その言葉に従い、恐る恐る毛むくじゃらの未確認動物に近づいていく。
彼……或いは彼女は、その丸い目玉でじっととこちらを見ていたが、
《キュウウゥン》
と鳴くと、こちらに頭を差し出してきた。
「ほう、良かったな。どうやら気に入られたようだ。そら撫でてみろ」
そう言ってエリスは、頭を撫でるように促す。
簡単に言ってくれる、この文鳥とヒヨコを混ぜて巨大化させたような生き物、走鳥は結構な大きさがあるのだ。
正直に言うと怖い。
「ゴクリ……」
生唾を飲み込み俺は慎重に右手を伸ばす、そして指先がその頭に触れた。
「これは……!」
その瞬間、恐怖心はあっという間に吹き飛んだ。
体を覆う毛はツヤツヤで滑らかで、時間が許す限りずっと触っていたくなる感触だった。
「おお……」
走鳥は俺の手の動きに合わせて、擦り寄るように頭を動かしてくる。
何とも可愛らしい。
異世界に来て早々に死にそうな目にあったが、この可愛らしい生き物に会いに来たと考えるならば、
(釣り合いがとれる……のか?)
そんな事を考えながら、しばらく走鳥の頭を撫で続けていると、
「おい、もうそろそろいいだろう」
とエリスが急かしてきた。何故だか不機嫌そうに顔を顰めている。
「なんだよ、もうちょっとくらい良いだろ?」
「駄目だ駄目だ!早く村に行くぞ、一刻も早く!」
「でも─────」
「議論の余地は無い!」
彼女は頬を膨らませて、いよいよ本格的に怒り始めた。
またスネを蹴られては適わないので、しぶしぶ走鳥の頭から手を離す。
走鳥は名残惜しそうにこちらに頭を擦り寄せてきたが。
「ゴメンな、キューちゃん。また後でな」
「なんだその名前は……」
「キュウキュウ鳴くからキューちゃんだ。いい名前だろ?」
「ふん、残念ながらそいつの名前は既にある。私が付けた立派な名前がな。勝手に名付けられては困る」
「あ、そうだったのか。悪い悪い……ちなみになんて名前なんだ?」
「彼女はフェニックス……ニクスと呼べ」
「え、ネーミングセンスのクセ強すぎない?」
その奇抜さに度肝を抜かれながらも、エリスの後ろに乗り込む。
いくら彼女が小柄とはいえ、二人乗りしても音を上げる事無く、ずしりと二本の足で立ち上がる《フェニックス》もとい《ニクス》のタフネスに驚嘆する。
「すげぇ、結構力持ちなんだな」
「うむ、走鳥は荷物を運ぶのにも重宝される鳥だからな。二人の人間を支えるくらい訳はない。よし、ちゃんと掴まっておけよ」
エリスはしっかりと手綱を握り軽く引き寄せる、するとゆっくりとニクスは歩き出した。
振り落とされないようにエリスの腰に手を回すと、エリスがこちらをジロリ睨んできた。
「な、なんだよ?」
「……変なところ触ったら燃やすからな」
「触らねぇよ!」
しっかりと釘を指してくるエリスにツッコミを入れる。
そう言われると逆に意識してしまう。
そんな下らないやり取りを合図に、ニクスは遠くの門を目指して軽快に走り出す。
「お、お、おお!」
すいすいと周りの庭の景色が流れていく。
その速さに吃驚しながらも、爽快感に気分が高揚する。
今まで、馬に乗ろうなんて考えた事はなかったが。
元の世界に帰れた時には、乗馬に挑戦してみるのもいいかも、なんて思ったりした。
「カーラ!」
そうエリスが門に向かって名前を叫ぶ。
よく見ると先程、庭の手入れをしていた白いメイド服の女性が門の前に立っていた。
彼女はその声に呼応する様に門の片側を押す、
大きな音を立てて門が開かれていく。
門の向こうには森が切り拓かれ、道が続いていた。
遠くの方には小さく家々が見える、あれがエリスが言っていた村だろうか。
「行ってらっしゃいませ〜、エリスお嬢様〜」
どこかのんびりした声でそう言って、白いメイドは深々とお辞儀をして見送りをしている。だが、何故か自分達を見る目が生暖かかった気がした。
門の外に出ると、エリスは思い出したように振り返り彼女に声を掛ける。
「カーラ。セバスに後から来るように伝えて、もう一匹走鳥を小屋から出しておいてくれ」
「はい、かしこまりました〜」
そのやり取りをした後、エリスは手綱を引いてニクスは走り出した。
そしてカーラというメイドが門に手をかけると、侵入者を拒む鉄の門は再び音を立てて閉まっていった。
「さ、では!村に向かって出発進行だ!行くぞ、フェニックス!」
《キュウウウウン!》
仲良く声を上げる微笑ましい二人(?)を見て、俺は溜息をついた。
そして、スイスイと走り始めたフェニックスに揺られながら、しばらく風景を楽しむ事にした。
◆
「ところでさ」
五分程走った辺りで、俺は木々しか存在しない景色を見ることに飽きていた。
「村には治療の魔法?を使える人以外に、魔法を使える人っていんの?」
手綱を引いているエリスに掴まりながら、質問する。
彼女が見せた炎の魔法、セバスが手紙を鳥に変えた魔法。
いずれも元の世界ではありえない現象だ。他にも使える人がいるのかは気になる所だ。
「いるぞ。というか……特殊な魔法はともかく、簡単な物なら誰でも魔法は使えるぞ?」
「マジでか、凄いな」
「なあ……つかぬ事を聞くが。まさか、お前……魔法を使えないとかいうんじゃ無いだろうな」
信じられないといった表情を浮かべながら振り返るエリスに、痛い所を突かれたような気持ちになる。
「う、そうだよ。悪いかよ、こちとら別の世界から来たんだ。魔法なんて使った事も見たことも無いっつーの」
俺はどこか威張るように開き直る。魔法が使えたならバリバリ使っていた筈だ。
その言葉を聞いて、彼女は少し考える様に唸った。
「うーむ……そちらの世界とこの世界は根本から違うという事か。よし、村に着く前に少しだけ説明しておこう。いちいち変に騒がれては困るからな」
そう言ってエリスは片手を手綱から離し、人差し指を立てると、
『炎よ』
と唱えた。
屋敷で見せた物よりも小さな、ライターを付けた様な小さな火が指先に生まれる。
「魔法とは、遥か昔……神が我々マグナの人間にその使い方を伝えたと言い伝えられている、魔力を使役させる為の技術だ」
「ほ、ほうほう?」
「まず、詠唱、魔力と結合した意思を言葉として現し、体内で形作る」
エリスはもう一本指を立てる。
「次に、発現。形作った魔力を身体から発し、空間に魔法を起こす。と、まあかなり大まかだが……以上二点が、魔法を使う為に必要な手順だ」
彼女はふっと指先の炎を消し、そしてそのまま指を四本立てる。
「そしてその属性も様々だ。代表的な物は《火・水・土・風》の四種類。それぞれに数多くの魔法がある。私が得意なのは……まぁ、見ての通り火属性って訳だ」
「ほー……でも神様は魔法の使い方しか教えてくれなかったんだろ?なんでそんなに沢山種類があるんだ?」
「いい質問だな。世の中にはこれらの魔法を開拓した《賢者》と呼ばれる者達がいる、彼等の長年に渡る尽力によって数々の魔法が発見され世に普及されたんだ」
「なるほど……」
「自慢ではないが、母様はその賢者の一人だったのだ」
「マジか、もしかしてそれってかなり凄いんじゃ?」
「うむ!時代を築いたと言っても過言では無い!!」
「マジか……!」
領主でもあるし、賢者でもあった。
エリスの母親の次から次へと明かされる経歴に驚く。
そして俺が驚いた事に満足したようで、嬉しそうに話を続ける。
「ふふん。もしかしたらお前を呼んだのも、その《賢者》の誰かだったりしてな?」
「そ…………」
言葉を失う。
エリスのその冗談か本気なのか分からない発言に、俺はなんとも微妙な表情を浮かべてしまった。
(仮にあの白いローブの男が賢者だったら……いやそうじゃなくても、当然魔法使えるよな。見つけたとしても俺、倒すの無理じゃね?)
「むーん……」
俺が不安そうに唸ると、エリスは前を向いて「やれやれ」と呟いた。
「とにかく、お前が魔法も使えない《転移してきた人間》だという事は伏せておくから……ちゃんと話を合わせるんだぞ。ほら!唸ってないで顔を上げろ!」
足を叩かれて顔を上げると、今まで続いていた長い森は途切れ視界が開けた。
「これは……」
目の前には石造りの塀があり、大きな門が俺達を歓迎するように開いていた。
その門の向こうには人々が歩いていて、家が立ち並んでいるのが見える。
ここは─────、
俺の心の中の疑問に答える様に、エリスは告げた。
「ようこそカガヤ。あれが領民が住む、
この森唯一の村、シバだ」