第7話 『お前が』
「おっそーい!!」
扉を開けるとエリスは腕を組み、ぷくーっと頬を膨らませていた。
「部屋から出る事にそんなに時間が掛かるのか?何をしてたんだ?」
「悪い悪い!その……セバスさんとちょっと話しててさ」
俺は目を逸らした。あからさまに何かを隠している、というのが分かるくらいに目を逸らした。
「ほーう?随分と会話が弾んだんだな、何の話だ?」
案の定、怪しむ様にエリスは目を細めると容赦なく追求してくる。
「えーっと……」
言えない。
実際は、エリスが俺を夜通し看病してくれていた事について話していたのだが。セバスさんに「この話は秘密にして下さい」と頼まれている、それを無碍には出来ない。
個人的にはエリスにお礼を伝えたい所だけれど、話の本筋が語れない今、それすらもままならない。
(どう話したもんか……)
そんな風に、言いたくても言えないジレンマに苦悶の表情を浮かべる俺を見て、エリスは訝しげな表情で鼻を鳴らした。
「ふん!二人だけの話というなら、別に詮索はしないさ」
ぷいとそっぽを向くと、足取り早くエリスは廊下を歩き出した。
流石に隠し方が不自然だったか、機嫌を損ねてしまった様だ。
「いや、違……」
何とか取り繕おうとして、ある事を考えつき、
「そうだ。エリス!」
エリスを呼び止めた。
「……なんだ?」
「本当にありがとう」
俺は薄く笑って本心から、感謝の気持ちを伝えた。
「ん、何の話だ?」
エリスはしばらく頭に疑問符を浮かべていたが、何秒か経って、何かに気が付いたようで─────、
「…………っ!!!!」
みるみる内に顔を赤くした。
そして、悔しさと恥ずかしさと怒りが混じったような表情で、こちらにツカツカと詰め寄って来た。
「お前、聞いたな。セバスから、私が夜通し看病していた事を聞いたな?!アイツめ……誰にも言うなと釘を刺したのに!」
彼女の予想は、だいたい合っている。
だが─────、
「いやいや?俺はただお礼を言っただけだけど」
俺は得意気に笑みを浮かべて、エリスに向かってそう言った。
「は?なに?」
彼女は何を言っているか分からない、という表情で首を傾げた。
「夜通し看病してくれてたんだな。知らなかったよ。お前が同年代だったら惚れちゃいそうだよ、実際」
「ほ、惚れ?!というより……お前、か、か、カマを掛けたのか!!」
彼女わなわなと震えながら、俺を指差す。その愉快な反応にこちらも楽しくなってしまう。
「べっつにぃ〜?魔狼から助けてくれたお礼を改めて言っただけだし、それとも……お礼言ったら駄目だったのか?」
「そ、それは……!そういう意味ではなくて!」
「でも、夜通しかあ。だから嬉しくて飛び込んで来たのか。お前結構可愛い所あるよな」
そう言って、俺は再びエリスの頭を撫でた。
相変わらず、素晴らしい手触りだ。
彼女は俯いたまましばらく黙っていたが、
「………の」
微かに何か呟いた。
「ん、なに?」
「うぅぅ、この大馬鹿者ぉ!!」
少し身長の低い彼女の下段蹴り、それは吸い込まれるように俺に向かって放たれ─────、
「え?あ、痛ったああぁあああ!!」
見事に俺のスネにクリーンヒットした。
その威力に、俺はその場に崩れ落ちた。
「もう知らん!このバカ、アホ、トーヘンボク!」
エリスはドスドスと廊下を揺らしながら、歩いて行ってしまった。俺は後を追うために立ち上がろうとしたが、
「あ、あれ?ちょま、痛った!痛い痛い!痛くて動けないんですけど、エリス!ちょっと待って、エリスさーーん!?」
見事に入った彼女の蹴りは、俺の足の自由を奪ったのだった。
それから─────、
俺が息を切らしながら、廊下の先の階段に涙目で座っている彼女の元に辿り着けたのは、十分程経ってからだった。
◆
「なあなあ、ゴメンって、機嫌直してくれよ」
鈍痛が襲う足を引き摺りながら、かなり不機嫌な様子の少女へ調子に乗ってしまった事をひたすら謝り続けている。
そんな情けない男の姿が、そこにはあった。
というか、俺なんだけど。
「ふん、謝っても許さんわ。馬鹿者」
エリスは頬を膨らませながら俺のスネを突っついてくる。
痛みにバランスを崩し、階段から落ちそうになる。
「わー?!痛ってえ!落ちたらどうすんだ!物理はマジでやめて!?」
魔法の世界だというのに、物理攻撃に打って出る彼女に抗議する。
「なら、次は炎を撃ち込んでやろうか?」
「それはもっとやめて!普通に死ぬから!!」
そんなふざけたやり取りをしながら、俺達は階段を降りきった。
普通の家なら特別驚く事はないんだけど─────、
「うおお……本当にすごいな、この屋敷」
俺は廊下を眺めて、感嘆の声を上げてしまった。
階層が変わったにしろ。
廊下は相変わらずとんでもない長さで、上の階と同じ様に部屋が並んでいる。
全部で一体何部屋あるのだろうか。
廊下も廊下だ。
床には濃い色合いの赤いカーペットが敷かれ、窓には見た事も無いような形をした観葉植物、さらに美しい女性や屈強な男性の彫刻が置かれている。
「しかも……庭まで……」
窓から見える巨大庭園、その中央には大きな噴水、更にその向こうには、デカい鉄格子の門が見える。
何もかも大きすぎる屋敷に驚くばかりだ。
「エリスって……もしかして令嬢か何か?見た限り、かなり金持ちだよな」
何とも下世話な質問をしてしまう。
だが、それ程に俺の周りの生活と比べて規格が違うのだ。執事のセバスがいる事から察するに、実際彼女はかなりのお嬢様なのだろう。
「まあな。だが正確に言うとお金持ちなのは、この屋敷を立てたのは母上だ。私では無い」
再び階段を降りながらエリスは訂正する。
どうやら機嫌を少しは治してくれたみたいで、俺は安堵の息をついて話を続ける。
「はぁ。そんなもんなのか、でもこの屋敷はかなり凄いぞ。エリスのお母さんって何やってる人なんだ?」
「母様は、ここら一帯の森を治める領主だ」
「ふーん……りょうしゅ……ん?領主?!マジで?」
一帯を治める領主なんて、並大抵の身分では無い。だったらこれ程の豪邸も納得がいく。
「じゃあ、俺……ちょっと挨拶に行かなきゃ不味くないか?」
「気にするな。それに……もう母様はいないから、挨拶なんて出来ないさ。それに今は私が領主だからな」
エリスが領主という情報にも驚いたが、それよりも。
─────もう母様はいない。
その言葉の意味を理解して、俺は自分の軽率な発言を後悔した。
「それは……その……悪いことを聞いた、ごめん」
エリスは階段の最後の二段をぱっと飛び下りて、そしてくるりとこちらに振り返り、屈託のない笑みを浮かべた。
「まったく……何故お前が気を落とす?それに亡くなったのは三年も前の話だ。それに屋敷の使用人も村の皆もいる、寂しくはないさ!」
そう言って大広間の扉に歩いて行く。
彼女のその幼い見かけからは想像出来ない、気丈な態度に感心させられる。
そして─────、
(寂しくはない……か)
ふと、彼女の顔が脳裏によぎる。
「ぐっ……っ……」
頭痛が走り顔が歪む。どうやら何年経っても、俺は心の傷を克服出来そうにない。
そして、広場で繰り広げられた惨劇が瞼の裏で再生される。
(俺は、どうして……生き残ったんだ?)
◆◆◆
そこは、あの忌々しい広場だった。
『苦しい、苦しい、苦しい』
目の前に倒れる人の首元から声が聞こえ、そこから溢れて流れる血は俺の足元に纏わり付いてくる。
『助けて』
『死にたくない』
『痛い、痛い』
周りには扉が立っていて、その裏側から悲鳴、怨嗟、断末魔の合唱が聞こえてくる。
幾重にも重なった人々の声はまるで地鳴りの様に周囲を揺らす。
そして、
『お前が死ねば良かったんだ』
一際ハッキリと耳元で聞こえた、嘲る様な声。
それは、
─────俺の声だった。
◆◆◆