第5話 『執事と少女と、もしもの話』
「とんだ御無礼を致しました。ほら、お嬢様も」
男は深々と頭を下げ、横に並ぶ少女にも謝るよう促す。
「すまなかった……」
彼女も申し訳なさそうに、ペコリと頭を下げ平謝りしている。
「そ、そんな謝らなくても……」
男の方のお辞儀は逆にこっちが申し訳無いと思う位に、何とも素晴らしいものだった。
横の少女は何秒か頭を下げた後、チラリと俺の方を見た。
「ほら、もういいって此奴も言っておるし謝らなくていいじゃないか!」
「とりあえず、お嬢様は当分食後のおやつ抜きです」
「げぇっ?!そ、そんな!酷い!」
無慈悲で無残な刑が執行され、少女の顔はまるでこの世の終わりを目にした様に絶望に染まった。
俺はその様子を見ながら、軽く溜息をついた。
(なんでこんな事に─────、)
◆◆◆
「お客様とて許せぬ……」
「ひえぇ……勘弁して下さい……」
少女に襲い掛かったような現場を目撃された俺は、危うく男に叩きのめされる五秒前、という所だった。
しかし、その寸前で少女が声を上げた。
「待った!この状況になったのは少しだけ儂にも責任がある!だからその拳を収めろ!セバス!」
彼女が先に飛び掛って来た癖に、なんて言い草だ。
だが今はとにかく、責任の割合をちょろまかしても構わないから助けて欲しい。
男は彼女の言葉を聞いて、僅かに考える素振りを見せると拳を下ろした。
「……少しだけ?」
「あ、ああ、少しだけな!」
「その言葉に、嘘偽りはありませんか?」
「も……もちろんじゃ」
「なるほど」
僅かに目を逸らした彼女の姿を見て、男は深い溜息をついた。
「…………お嬢様が完全に悪いのですね」
「な、なぜバレた!?」
男の慧眼で少女の証言の偽証が見抜かれた事によって、なんとか俺の疑いは晴れたのであった。
◆◆◆
「重ねてお詫びを……」
「いやいやそんな、全然気にしてませんって!」
「しかし、お客様相手に……しかもお嬢様の命を救って頂いた方に……あの様に感情に任せ無礼な態度を取ったことは私、一生の恥でございます……許して頂けるのですか?」
「許します!だから、二人とも顔を上げて下さいよ」
壮年の男はその顔を上げ、信じられないといった表情を浮かべる。
「なんと寛大な御方……心より感謝致します」
この男の人が来なければもう少しあのままで居たかった。などとは口が縦に裂けても言えない空気だ。
自らの邪な心は頭のゴミ箱に捨てておくとして、たった今彼が言った言葉が気になる。
「命を救ったって……そこの、えーと……?」
「これは名乗るのが遅れました。改めまして、私は当家の執事を務めています、セバスチャンと申します。皆にはセバスと呼ばれています……そしてこちらが─────、」
「私の名はエリス・エイメルンじゃ!ふふん、気軽にエリスと呼んでもらっても構わんぞ!」
セバスと名乗る男性が話しているのを遮り、俺の目の前にツカツカと近寄ってきた少女は、胸に手を当て高らかに、相変わらずの奇妙な話し方で名乗りを上げた。
「は、はぁ……」
その姿に唖然としてしまった。
数刻前まで、セバスに怒られてしょんぼりと頭を下げていたのが嘘のようだ。
そのエリスの、カメレオンもびっくりして隠れる事を忘れてパリコレを我が物顔で練り歩いてしまうであろう態度の変わりようはいっそ清々しい。
「またか……」とでも言いたげに、セバスは苦虫を噛み潰したような表情で言葉を失ってしまっている。
その様子を見るに常日頃、かなり苦労しているようだ。
「あ、ああ……よろしくお願いします。セバスさんに、エリスさん。俺は加賀屋 尽っていいます」
その名乗りに応えるように、俺の名前を告げる。
(しかし……二人とも不思議な名前だな)
エリスはともかくこの男の人に至ってはセバスチャンだ、もはや本名なのかすら怪しい。
「ふーん」
俺の名前を聞くと、エリスと名乗る少女は腕を組んで、僅かに唸る。
「カガヤ……というのか?なかなか珍しいが、良い名前じゃの」
「それは、どうも」
珍しいというのはお互い様なんだけど、今はあまり追求しないでおこう。
彼女は微かに笑みを浮かべると、こちらに手を差し伸べる。
「とにかく!昨日は命を救ってくれた事、儂は本当に感謝しておる……ありがとうカガヤ」
(─────昨日?)
窓から差し込む光を見ると、俺は丸一日眠っていたということか。
時間の流れを確認しつつ、俺は彼女に笑いかける。
「お礼なんていいって。助けてくれて、薬で治療までしてくれただろ。俺の方こそお礼を言わなきゃダメだ。ありがとうな、エリス」
彼女の手を取り、ベッドから立ち上がり命を救われた事に対して感謝の意を伝えた。
そして─────、
何故だか俺は、目の前のエリスという少女の頭にスっと手を伸ばしてしまって、
「へぁ?!」
親戚の子供を褒める時の様に、思わず自然に流れる様に彼女の頭を撫でてしまっていた。
「あ」
慌てて手を離す、彼女の髪は滑らかで艶やかで何とも素晴らしい手触りだった。
(良い手触りだな……ってそうじゃなくて!初対面の人相手に何してんの俺!執事さんも居るってのに、やっちまったぁあ!)
しかしセバスは「ほほう……」と感心するように呟いている、どうやら尻尾を踏まずに済んだようだ。
だが、エリスの方は変な声を上げていたが大丈夫だろうか。恐る恐る彼女の表情を伺う。
「わ、悪い……大丈夫か?」
彼女はしばらく呆然としていたが、
「なっ、なな…?!」
すぐに顔を耳まで真っ赤にして慌てふためいた。
先程からの大人びた態度とは打って変わって、見た目通りの少女らしい反応だ。
「………………」
なんだか面白くなりそうだったので俺は再び、動揺するエリスの頭を撫でる。
「再開だと?!なんという度胸を持つ御方……!」
セバスが感嘆の声を上げた。
「セバス?!何を感心しておる?!お、おのれっ!や、やめろぉお!」
ぐわんぐわんと頭を揺られるエリスの悲痛な声が部屋の中に木霊した。
◆
そろそろいいか、と満足して俺は手を離した。
「〜〜〜〜ッッ!!許さんぞ貴様ら、本当に許さんからな!」
エリスは俺の手が離れると、さっと一歩後ずさりをして。乱された髪をどこか悔しそうな顔で整え始めた。
後ろのセバスが少し笑っていたのには、まったく気がついていないようだった。
「全く、そんなに気安く……知り合ったばかりじゃと言うのに……」
不機嫌そうに呟く彼女はさておき、俺は表情を引き締めて本題とも言える重要な質問を始める。
「なぁ……あの狼は、なんなんだ?」
ざっくりとしているが内容は単純、あの狼の化物についての質問だ。
あの広場に飛ばされて来た人達も、同じ様な赤い瞳の黒い化物達に襲われていた。
そして、あの赤い目の狼は恐らく広場から逃げた俺を追ってきたのであろう。
あれは一体何なのか。
エリスはまだ髪を直しながらも、その質問に不機嫌そうに応えてくれた。
「何って……あれは魔獣の狼、ウェアウルフじゃろうが」
「ウェアウルフって言うのか。俺……気絶しちゃったみたいで覚えてないんだけど、あの後その、ウェアウルフはどうなったんだ?」
「お前が吹き飛ばした後、尻尾を巻いて逃げていったぞ?」
「そっか……って、俺が吹き飛ばした?!
そんな馬鹿な事─────、」
脳裏に狼、もといウェアウルフが俺の右手に触れて弾き飛ばされた光景が浮かぶ。
「夢じゃなかったのか……」
「……むう、お主大丈夫か?とにかく……既に王都と村に連絡はしたが、念の為様子を見に行かねばならんな。」
そう言ってエリスは横にいるセバスに目配せする。
「でしたら、すぐお向かいになられますか?」
「うむ、ウェアウルフもしばらくは警戒して身を潜めているとは思う。じゃが、なるべく急いで向かう。それに……」
俺を片目で見ながら彼女は溜息をついた。
「カガヤ、お前の腕も治さんとな」
その言葉で自分の左腕がかなり酷い怪我だった事を思い出す。
(この腕……治んのか?ウェアウルフ……クソッ、アイツのせいで─────)
そこまで考えて、ある事を思い出す。
エリスが森でウェアウルフに放ってみせたあの炎。あれは一体何だったのだろうか。
まさか、彼女は魔法使いだったりするのだろうか。
「エリスって、魔法使えるのか?……あ」
気が付くと、思っていた事をそのまま口に出してしまっていて、俺は咄嗟に口を抑えた。
好奇心か。あるいは猜疑心からか、そんな馬鹿げた事を質問してしまっていた。
森で見た魔法のような炎は、俺の見間違いに決まっている。
(俺、まだ混乱してんだな)
知らない場所をたらい回しにされるわ、連続して死にかけるわ。思えば散々な目に会っている。
きっと精神的に疲れているに違いない。
俺は自分がしてしまった厨二病じみた質問に、赤面しながら「そうだそうだ」と納得する様に独り頷く。
「ごめん。忘れてくれ、今のは─────、」
「何を言っている、もちろん使えるぞ?」
「え」
「ふん、儂が子供っぽいからって見縊られては困るな。ほら、しっかり見ておれ」
エリスは人差し指をぴんと上に向けると、
『燃やし灯せ』
そう唱えた。
すると指先に火の粉が集まり、収束し、渦巻いていく。
肥大化した火の粉は野球ボール程の大きさになり、エリスの指先をくるくると回り始めた。
その火の玉のその赤い光と熱量をもって、こちらにその存在をこれでもかと訴えかけてくる。
「………!?」
目の前で行われている超常現象に、言葉を失ってしまう。
エリスの手にライターが握られている訳でもない。
彼女の指先に、自然に炎が発生したのだ。
「お主、大丈夫か……?何をそんなに驚いてる?まるで初めて見たみたような……」
訝しげな表情のエリスがフッ、とロウソクに付いた火を消す様に息を吹く。
するとその熱量を持った存在は、すぐに火の粉へと戻り空気中に霧散して消えて無くなった。
「む、さては……儂の魔法の鮮やかさに見蕩れてしまったのだな?それは実に良い事だ!今のは母様直伝の炎魔法だ。どうだ?大したものじゃろう」
さっき撫でた事への意趣返しなのか、彼女は俺にこれでもかという程にドヤ顔を近づけてくる。
しかし────、
「お嬢様、室内で魔法を使うのは控えて下さい。家具に火の粉が掛かったら大変です」
「え?!あ、あぁ。す、すまん……」
セバスの一言にエリスはギクッと表情を強ばらせた。
ドヤ顔は彼方へと消えた。
セバスは本棚に並ぶ書物に火の粉がかかっていないか、一つ一つ確認して、そして僅かに焦げ跡の付いた本を見つけると低い声で告げた。
「しばらく、屋敷内での魔法は禁止ですな」
「そ、そんな!だったら屋敷の中で何をしたらいい?!」
「書庫で、ひたすらお勉強をして頂きます」
「ぬぉぉお……なんという事じゃ……」
彼女は力無く、しょんぼりと項垂れた。
この執事とお嬢様の力関係が、だいたい分かった気がする。
だが、今はそんな事よりも─────、
「……エリス」
「ん?どうし……」
項垂れる彼女の肩を掴んで、詰め寄る。
「ち、近いぞ、カガヤ」
「凄いな!今の、どうやったんだ!?ちょっと手を見せてくれ」
「きゃ?!」
「うーん、仕掛けがあるって感じでも無さそうだし……」
彼女の手の平を揉みほぐす様に確認するが、発火装置が取り付けれている等の仕掛けは何も無い。
ごく普通の、白く細い綺麗な手だ。
「え、あ、わ」
エリスは何だか慌てた様子だが、今はそれどころでは無い。
「マジで、魔法かよ……!でも、だったら……」
転移者達、という白いローブの男の言葉。
突然呼び出された広場で行われた、デスゲームさながらの化物達による殺戮。
地面をひっくり返す巨人や成人男性の首を一瞬で折り砕く大蛇等の、現実離れした怪物。
全く知らない場所への転移、扉と鍵。
そしてたった今エリスが見せてくれた、魔法という超常現象。
それらの事から一つの考えが導き出される。
どうにも聞くのがはばかられる内容だが、覚悟を決めて口を開く。
「なあエリス」
「な、な、何だ?」
「もし、もしもの話だ
─────俺が他の世界から来たって言ったら、信じるか?」