第4話 『初めての絶望』
ある同級生の話だ。
そいつはあまりの明るいヤツでは無くて、クラスの中心グループに事あるごとに馬鹿にされたり物を隠されたり、時には金を奪われていた事もあった。
許せなかった。
いじめている奴ら、笑いながらそれを見ている奴ら。ただそれを見ている奴ら。
「やめろ、クソ野郎」
気が付いたら俺はグループの主格の男を殴り倒していた。すぐに取り巻きに掴みかかられたが、
それも構わず殴り倒して─────、
早い話、殴り殴られの乱闘になった。
最終的に生徒が呼んだ教師にお互い取り押さえられ、厳重注意を受けた。
教師は、
「誰が発端だ」
とか
「何で殴ったんだ」
とか、色々聞いてきた。
俺は包み隠さず、いじめの事を話したけれど、どうせこの人は何に反映する事も無く。事務的に処理するだけなのだろう。
そんな風に、俺はどこか諦めていた。
教師の取り調べ(笑)が終わって、職員室を出てから直ぐに帰路に着こうとして、
「ありがとう、助けてくれて」
俺は不意にかけられた声に驚いた。
そこには、助けた同級生の姿があった。
「……別に、当たり前の事しただけだ」
助けたとはいえあんな暴力的な一面を見せたのに、わざわざ職員室の前に夕方になるまで待って声をかけて来るなんて、
物好きな奴だと、そう思った。
「ねぇ、良かったら……」
「ん?」
「友達に……なってくれないかな……」
「……ぷ、ふふふ」
「な、なんで笑うの?!」
「別に?いいよ、友達になろうぜ」
ぷんぷんと頬を膨らませて怒るそいつとは、それからよく遊ぶようになった。
思えば、彼女と過ごす時間が人生の中で一番楽しかった気がする。
◆
「……怪我してる」
彼女は俯きながらそう呟いた。
「大したことないって」
頭についた傷から血が少し流れていた。
相変わらずイジメは止まることは無かったが、俺はその度にちょっかいをかけてくる奴らを片っ端からぶっ飛ばしていた。
「ごめんね、尽君」
俯く彼女に、俺は傷に絆創膏を貼りながら笑いかける。
「なんでお前が謝るんだよ、お前は気にしなくていいんだよ」
俯いたままのアイツは返事をしない。
「帰りに飯食ってこうぜ、駅前に新しく店ができたらしくてさ」
気まずさを誤魔化す様に話を逸らす。
「うん」
小さく彼女が頷くのを見て安心する。
ときたま手痛く反撃を受けて怪我もするけど、これでいいんだ。
俺のおかげで彼女はイジメられなくった。
彼女を助けた事は間違いじゃない。
そう思い上がっていた。
◆
その日の放課後。
いつも通り彼女と一緒に下校しようとしたが、どこにも姿が見当たらない。
(いつもならこの時間に下駄箱に居るはずなんだけどな……)
先に帰ったのか?
とも思ったが、一度教室を探してみようと階段を上がる。案外、居眠りでもしているのでは無いか。
「おい、あれ……」
「うわ……ヤバくない?」
階段の踊り場を歩いていると声が聞こえた。
外からだ。
窓から顔を出して校庭を覗き込む。
眼下には生徒が集まっていて、全員が上を見上げている。
写真を撮っている人や誰かと電話をしている人もいる。
「なんだ……?」
窓から身を少し乗り出し、視線の先を確認した。
校舎の屋上、落下防止のための手すりの外に人影があった。
それは俺が探していた、彼女だった。
「な………ッ!」
思考が停止しかけたが、すぐに階段を駆け上がる。
何故とか、どうしてとかは後で考える事にする。
(とにかく、今は────、)
一心不乱に駆ける。
早く、速く、はやく。
一階を登る事に心臓が破裂しそうだ。
酸欠になりかけているようで、視界が明滅する。
だが足を止めてはならない。
「ハァ、ハァ。やっ、と着い、た」
息を切らしながら最後の階段を上がり、屋上へと続く扉に手をかけた。
勢い良く扉を開けると、彼女は手すり向こうでこちらに振り返った
「ァ……ゲホッ、ゴホッ」
名前を呼ぼうと喉から声を絞り出す。
しかし、上手く声が出ない。
彼女はそんな俺に笑いかけると、口を開く。
「──────、────」
何を言ったのか聞き取れない。
そして、彼女は笑みを浮かべ─────
「待っ……」
俺は走り出し、手を伸ばした。
ゆっくりと彼女の身体は後ろに倒れて─────、
その瞬間悲鳴が響き、
ドン
何かが落ちた音が、聞こえた。
◆◆◆
「………ぅあ……」
目が覚める。見知らぬ天井がそこにあった。
感覚からするとベッドに寝かされているようだった。
「……夢か……はぁ。最悪だ」
頭痛が走り、溜息をつく。
暫く天井を見つめ続け、不快感が引いた後。大分寝ていたのだろうか、酷く固まっている身体を起こした。
「これは……」
誰かが治療してくれたらしく、身体には包帯がぐるぐると巻かれていた。
所々に滲む赤いシミが森での惨劇を思い起こさせる。
ボロボロに傷ついて千切れかけていた左腕には、添え木が備えられ包帯が巻かれていた。
そして─────、
(感覚が、無い)
左腕の千切れかけていた肘から下の感覚が無い。
指を動かそうとするがピクリとも動かせない、まるで肉の塊がぶら下がっているようであった。
「ッ……!」
右手に痛みが走る。目をやると親指と人差し指以外が全て紫色に変色している。
(盛大な突き指……じゃないよな)
あのバケモノ狼を吹き飛ばした時に折れたのだろうか。
「まあ、命があるだけ儲けって事か」
そう独り呟く。
喪失感や絶望感を感じない訳では無かったが、特に動揺はしなかった。
意外と驚かないもんだな、と自分の達観具合に少し驚いた。
或いは、あの広場の惨劇が酷く印象に残っているせいで、ちょっとやそっとでは驚かなくなってしまったのだろうか、
あの人達は、あの後どうなったのだろうか。
鼻に残っている獣の匂いに、身震いする。
(とりあえず……ここはどこだ?)
そう思い部屋を見渡す。
視界に入るのは机、本棚そして椅子。
一見何の変哲もない部屋だが、順番に目線を移していくと、突然あるモノが視界に入ってきた。
ベッドの横にある椅子。
それに座りながら、ベッドの上で寝ている俺に身体を預けている人物。
「……んん?」
宝石の様に美しい赤い髪を携えた少女が、すうすうと寝息を立てて眠っていた。
「この子……」
森で出会った、赤い髪を覗かせたローブの女性を思い出した。
あの時は顔も見えず、尚且つ自分は座りこんでいたので身長の目測もつかなかったが、
「もしかして、あの人か?」
別人の可能性もあるが、しかし赤い髪の共通点。
そして現在の状況を鑑みるに、この少女があの時の女性の可能性が高い。
「……すぅ……んぅ」
そんな考察を繰り広げる俺の上で、相変わらず少女は幸せそうに寝息を立てて眠っている。
「………」
ちょっとした好奇心だった。
俺は少女の顔にかかる髪を少し掻き分けて、どんな顔で眠っているのかを確認しようとした。
そんな時こそ、タイミングは合うもので─────、
「……むう」
「あ」
俺の手が触れた瞬間。
少女の目が開き、俺と視線が重なった。
金色に輝く彼女の目は、寝起きのせいかぼんやりとしている。
どうやら頭がまだ回っていないようだった。
「んー……」
彼女は、ただじいっとこちらの顔を見つめていたが、十秒程経って頭がはっきりとしてきたのか、驚きと喜びが混じったような複雑な表情を浮かべ─────、
「お……」
嫌な予感がする。
咄嗟に逃げようとするが、時すでに遅く。
「起きたあぁぁぁぁ!!!」
少女は、椅子から立ち上がり両手を広げてこちらに飛び込んできた。
「ぐえっ!?」
相手は怪我人だというのに、少女は笑い泣きをしながら全体重をかけて飛び掛って来た。
「ちょ待っ……」
そして、そんな彼女の身体を支えるには、俺の右手だけでは足りず─────、
「おわあぁぁぁぁぁ!!!」
「うわああああああ!!!」
揃って叫びながら、大きな音を立ててベッドから二人とも転げ落ちてしまった。
しばらくの静寂の後、
目を開けると木の床が目の前にあった。身体の感覚から察するに、俺はうつ伏せになって少女に覆いかぶさっているようだ。
辺りを見回すが、どうやら幸い椅子が倒れたくらいで、俺達はどこかに身体をぶつけるような事は無かったようだ。
「痛てて…」
少女の下敷きになった右手を抜き出す。
そして傷がまだ痛む身体をよじり、抜き出した右手を支えにして起き上がろうとして、
「あ─────、」
俺の目と鼻の先に、彼女の顔があった。
その顔は、どこか子供のようなあどけなさを残しながらも、端正な造形をしていて美しく、大人びた印象を受ける。
そして、金色に輝く瞳はこちらの揺れる心を見透かしているようで────
「お、お主……」
俺は見事に見蕩れてしまっていたようで、彼女が口を開いた事でふと我に返った。
客観的に見ると、今の自分はまるで少女に馬乗りになるような体勢になっていた。
「あ、その、ごめん!今退くから……」
「う、あの……」
自分の下敷きになっている少女は目を泳がせながら、頬を赤らめ顔を逸らした。
「そんなにじっと見ないでくれんか……その、恥ずかしい」
「………なっ?!」
その少女の突然の女性らしい表情に動揺を隠せず、なにか言おうにも口が上手く動いてくれない。
ここにきて女性経験の少なさが仇になるとは、思いも寄らなかった。
俺がまるで蛇に睨まれた蛙のように動けないでいると、
─────トントントン
とノックの音が部屋に響き渡り、部屋の扉の外から
「お嬢様、大丈夫ですか。大きな音がしましたが……水の換えをお持ちしました」
と、男の声がした。
─────俺は戦慄した。
(まずい。この状況を見られたらマジでまずい!)
上半身裸の男が、いたいけな少女に馬乗りになっている場面など見られたら────、
事案待ったなし、刑務所に直行だ。
「ちょっと、早くどいてくれ!」
倫理的に致命的なダメージを受ける前に、少なくともこの体勢を変えなくてはならない。
「お、お主こそ、早く退かぬか!」
少女もこの状況は流石に勘違いされると思ったようで、俺を押して抜け出そうとする。
「元はと言えば、お前が飛び掛って来たせいだろ……ってか押すな!こっちは怪我人なんだが!?」
「う、うるさい!儂はその……っ、とにかく退かんか!」
「ちょっ、動くなって、逆にマズい。変な所触る事になるから!!罪が重なる!!」
事案が発生しそうになり、焦りながらも、どうにか動く右手を支えに身体を起こそうとする。
しかし少女も一緒にもがくものだから、イタチごっこで一向に起き上がれない。
横に転がるなりすれば良かったのだろうが、その時の俺達には冷静な判断はできなかった。
そして─────、
哀れな二人の努力虚しく、ガチャリと無慈悲な音を立てて部屋の扉が開いた。
「お嬢様?まだ寝ていらっしゃ────」
開いた扉から姿を現したのは白い髭を蓄えた、まさに執事といった格好の壮年の男。
彼はこちらを視界に留めると、ピタリと立ち止まった。
息を切らせる上半身裸の男。そしてその下敷きにされている、涙目の年端もゆかぬ風貌の少女。
彼は俺と少女を交互に見た後に息をつき、ゆっくりと水入れを机に置くと─────、
「骨すら残らんと思え、ケダモノめ」
手をパキパキと鳴らしながら、阿修羅のような顔になりこちらに迫ってきた。
「ち、違う!誤解なんですぅぅぅー!!」
未だ起き上がれない俺の、悲痛な絶叫が木霊した。