第39話 『闇の中に消えて』
完全に身体を再生させたカイツールは、スマホの画面に何かを入力しながら息を吐く。
「賢者……そうか。ヴァジュラめ、何が厄介だ。それどころの騒ぎでは無いぞ」
「ヴァジュラ?!馬鹿な……」
セバスはその名前に心当たりがあるようで、顔面を蒼白させている。
「ヴァジュラ、あの臆病者の?面倒臭い……生きてたのか」
ロイドは鬱陶しそうに呟く。彼が手を振るうと辺りに浮かぶ氷片は切先を向けてカイツールに飛来する。
「おっと」
しかし彼は、それを飛び上がって事も無げに躱し家屋の屋根の上へと着地する。
「降りてこい」
「丁重にお断りする。君は要注意人物の一人だ。まともに殺り合う訳にはいかないな」
「チッ、あいつ……余計な入れ知恵をしやがって」
再び氷片が飛来する、だがカイツールは片手に発生させた赤い剣でその全てを弾き落とす。
「単調な攻撃だな、賢者とは名ばかり─────」
ぞぶりと、カイツールの身体を透明な何かが貫いた。
「……なんだ?」
向こう側が見える様な穴が開き血が吹き出すが、すぐに再生する。カイツールは不思議そうに首を傾げた。
「心臓を潰しても死なないか……これだから転移者は嫌なんだ、どいつもこいつも面倒臭い」
ロイドはそう言って溜息を吐く。
その口振りからすると彼が何か攻撃をしたらしいのだが、全く見えなかった。
彼は思い付いた様に、こちらを振り返る。
「そこの黒い方の女、まだ水銀は残っているか?」
「いいえ、さっきアナタが凍らせたので最後よ」
声を掛けられたレイスは、僅かに苛立った様子で返事をする。
「フー……じゃあ無理だ、地力で倒すのは面倒臭過ぎる」
もはや打つ手無し、とでも言うようにロイドは両手を上げた。
「クク、不可能とは言わないのが恐ろしい。……もうじき夜も明ける。今回の仕事は失敗だな、また今度迎えに来るよ。加賀屋君」
「っ!……気安く名前を呼ぶんじゃねぇよ」
親しい友人みたく自分の名前を呼ばれ、嫌悪感に顔が歪む。
「おっと、これは手厳しい」
おどけた様子で肩を竦める彼の後ろに、いつの間にか黒い扉が現れていた。
(あれは、あの広場で見た─────、)
「迎えが来たか。しかし、相変わらず趣味の悪い扉だ」
「くっ……逃げるつもりか、卑怯者!」
エリスの怒りの声。彼は表情を嬉しそうに歪めると、何か良い事を思い付いたように手を叩く。
「戦略的撤退だよ、小さな魔女様。流石に賢者に介入されたら分が悪い。だが……君の言う通り、このまま逃げるというのは少し物足りないな」
カイツールは片手を上げ、指を鳴らした。
ビシャリと、何かが張り裂ける様な音がして地面に倒れる男の村人の胸部から赤い剣が飛び出した。
「が─────」
小さな悲鳴と共に血が吹き出す。
エリスはすぐに、その村人に駆け寄ろうとしたが、
パチン
再び指を鳴らした瞬間、体内から無数の剣が飛び出し、村人はあっという間に原型を失い血の塊と化した。
「ハ、ハハハハハ!!支配から逃れても我の血はまだ彼等の体内にあるのだよ。ほらほら、止めて見せろ」
二度、三度指が鳴る度に一人、また一人と村人は血を流して死んでいく。もはや何の理由も無いただの殺戮。
噎せ返る様な血の匂いが辺りに漂う。
「………〜ッ!!」
カーラは表情を悲痛に歪ませ、カイツールの元に走って向かおうとしたが、レイスに手を掴まれて引き留められる。
「離してレイス!!あの人を止めないと!!」
「明らかに罠よ、行ったらカーラが死ぬわ」
「でも、でも〜……!」
涙を流しながらカーラは悔しそうに歯噛みする。
それを見て、俺はもう耐える事が出来なかった。
「やめろ!」
声を上げた。ピタリ、とカイツールの殺戮が止まる。
「本当に俺と同じ世界から来た人間かよ。皆、普通に生きてたんだぞ……理由も無く、なんで簡単に殺せるんだよ!」
カイツールは考える様に腕を組む。
「……ふむ。理由……か、そうだな」
嫌々人を殺しているとか、そういう返事が返ってくるのを、俺はどこかで期待していた。
「単純に、楽しい。それが理由かな」
だが、返ってきた言葉はあまりにも残酷な物だった。
「異世界に来て手に入れたこの能力は良い、これを使って自分の血で人が死んだ時の、なんとも名状し難い快感……元の世界とはまた違った、素晴らしい殺し心地だ!!」
「元の、世界とは違う?快感?お前、何を─────」
「君もこの世界で、大なり小なり能力を使って好き放題しただろう。私はそれを気の向くまま楽しんでいる。それだけだ」
「な…………」
違う。この男は能力を手に入れる前から、普通の人間とは根本的に違う。
元から、邪悪そのものだ。
「ふざけんなよ……一緒にすんじゃねぇ!」
彼は俺を見ながら、表情を嬉しそうに歪めた。
「……そう、一緒ではない。吸血鬼だぞ?人間とは別の存在に成った……つまり人の考えに縛られる謂れは無いという事だ。人間を殺してもクク、アハハハハハ!」
そう言って牙を剥くその邪悪な姿。
言葉も道理も通じない、完全な怪物がそこに居た。
『脚力強化!』
詠唱、家の上へとセバスが超人的な脚力で跳躍し怪物の目の前に降り立った。
「地獄に落ちろ。外道が!」
「これはこれは、歓迎するよ。人間」
指を鳴らす音。
何本もの剣がセバス目掛けて屋根から突き上がる。
しかし前後左右から迫る剣の隙間を縫い。まるで全てが見えている様な最小限の動きで、セバスはカイツールへと肉薄する。
「おお、お見事!!」
笑みを浮かべるカイツールの顔面目掛けて、蹴りが放たれる。血が飛び散る。
「セバス、だったかな。貴公も記憶に留めておこう」
頭蓋が砕け散り、口元から上を失いながらもカイツールはその笑みを崩さない。
彼が指を鳴らすと、蹴り砕いた際にセバスに付着した血から赤い剣が発生し彼の足を貫く。
「ぐっ……!」
「お返しだ」
体制が崩れたセバスの胴体へと、蹴りが打ち込まれた。
「が、ふ─────」
「っ、セバス!」
軽々と家の上から吹き飛ばされたセバスの身体を、レイスがすんでのところで受け止める。
「ああ、実に有意義な時間だった。では、続きはまたいつか……」
『我が炎は光りて爆ぜる!』
ドアノブに手を掛けたカイツールに炎が直撃し、身体が燃え盛る。だが、彼は身体がボロボロと焼け崩れていくというのに平然と扉を開けた。
「それでは、皆様……ごきげんよう」
血に濡れた一礼と共に、パタンと扉が閉まる。
黒い扉は、夜闇の中へと煙の様に消えていった。
◆
「ッ、セバス!」
レイスに抱えられたセバスにエリスが駆け寄る。
その傷は酷く、脇腹が吹き飛び夥しい量の血が溢れ出ている。
「ぐ、申し訳……ございません」
「喋るんじゃない!クソッ、ハイルマンはいない……焼いて、いやこの傷では処置し切る前に……」
エリスは縋る様に辺りを見回す。
カーラ、レイスは首を振る。俺も勿論治療など出来ない。
彼女は歯噛みしながら、最後にある人物へと視線を合わせた。
「…………」
「賢者、ロイド。お前なら、この傷を─────」
無骨な鎧を身に纏った彼は露骨に視線を逸らした。
「断る」
「な、何故だ?!」
淡々と冷たい言葉でロイドは決死の願いを突き放す。
「そいつには恩がある、だけどタダで治すのは癪だ」
「そんな……お前が望む物なら何でもやる!だから……だから頼む!」
エリスは鬼気迫る表情でロイドに掴みかかる。
「……はぁ……何でも、か」
彼はそれを鬱陶しそうに溜息を吐きながら振り払い、ゆっくりと横たわるセバスへと近付き、傷に手を当てる。
詠唱は無かった。淡い光が発生すると共に傷が修復されていく。
「ぐ、あ」
セバスが痛みに顔を歪める。俺も腕を治して貰った時に痛かったのを思い出す。
そんな事を考えながら何も出来ない俺は、ただその治療行為を見つめていた。
周りで血の池を築いている村人達を見て、歯噛みする。
守られるばかりで、皆の命が危機に瀕した時に何も出来ず。挙くの果てに、同じ世界から来た殺人鬼を止めることが出来なかった。
(もっと、俺が強ければ……)
拳を強く握る。
『救済者』という自分の能力の名前が、何故だか馬鹿馬鹿しく思えてくる。
やがて光が消え、ロイドがセバスから離れる。
「終わったぞ」
「済まない、ロイド……」
セバスが感謝を述べて、よろめきながら立ち上がる。
「見事な腕だ。流石賢者だな」
エリスの賞賛の言葉にチクリと胸が痛んだ。
賢者、そう村人達に呼ばれていた事が恥ずかし─────、
(……?本当に胸が痛……い)
終わらない鋭い痛みに思わず自分の胸に手を当てる。すると何か冷たい、硬いものに触れて視線を下に向ける。
透き通る様な氷で形作られた剣が俺の左胸を貫いていた。
「化けて出るなよ、面倒臭いから」
鎧越しのくぐもった声が冷たく響く。
「ロイド!!貴様、何を……!」
セバスの怒号が聞こえる。他の皆も驚きに表情を強ばらせていた。
痛みに頭が割れそうになる。思考が入り乱れて、空気と一緒に不明瞭な声を出す。
「っ、何、で……」
「望むものなら何でも、言われたからな。俺が望むのは……受肉したお前の命だ」
冷たい声が頭の中を反響する。
視界が流れる、どうやら後ろに倒れてしまうみたいだ。ズルズルと胸部から剣が抜ける感覚に吐きそうになる。
「う、あ」
後頭部から倒れたようで、衝撃にただでさえ暗くなってきた視界が明滅した。身体から熱が失われていく。
(俺……ここで、死ぬのか?)
エリスを任せたと、フィルに最期に頼まれたというのに、早速約束を破る事になるなんて。
─────カガヤ!
遠くで誰かが自分の名前を呼ぶ、それに応えたいのに俺の意識は闇の中に消えて行って、
身体の中で、何かが蠢いた気がした。




