第38話 『賢者』
「氷霧の……賢者?」
何気ない嘘で俺はそう名乗らされていたが、まさか本物が目の前に現れるなんて─────、
「キジマ、久しぶりだな。三年ぶりか?」
「……キジマ?」
冷たい声で彼は誰かの名前を呼ぶ。
「その名で呼ぶな。ロイド……どうしてここに、何をしに来た」
そしてその呼び掛けに反応したのは、他ならぬセバスだった。
「森で迷ってたら、伝令鳥を見かけてな。掴まえたら救援を求めてるときた。それで暇つぶしに助けに来たって訳だ、面倒臭いけどな」
鎧の人物が腰のポーチから小さな紙を取り出した。
あれは─────、
「私の伝令鳥……か?」
何故か凍りついている伝令鳥を見て、エリスが驚きの声を上げる。そんな彼女の反応を意に介さず、彼は面倒臭そうに溜息を吐いた。
「そしたら、はぁ、アレが肉体を得てると来たもんだ。お前やってくれたな」
兜の隙間から覗く瞳は俺に向けられている。
恐る恐る、その冷たい視線に耐え、喉から声を絞り出す。
「俺が、何だってんだよ?」
肉体を得たという言葉から考えられるのは、あの本から現れた黒い蛇に関する事だろうか。
俺の少し漠然とした質問に、ロイドと呼ばれた鎧の人物は考える素振りをしたが─────、
「ン〜……………………………説明するのが面倒臭いな」
「は?面倒臭い?」
「そう、面倒臭い」
「─────」
呆気に取られる、この男は声から察するに本心から言っているようだ。
割と重要な話っぽかったのだが、まさか面倒臭いという理由で一蹴されるとは。
「ふー……、まあとりあえず、」
ロイドはそんな俺を気にする素振りすら見せずに、淡々と告げた。
「始末させてもらう」
「っ!?」
殺気というのはこういうものを言うのだろうか。
身を刺す様な冷気が辺りを覆う、発生源はすぐに分かった。目の前に立つロイドと呼ばれる男からだ。
彼はガシャリと音を立て、こちらに歩みを進める。
(なんか分かんないけどヤバい。これは、マジでヤバい!!)
この世界に来て色々あったが、一番危険な状況だと直感が告げている。
魔獣と、ウェアウルフと間近に遭遇した時は、単純に死の恐怖しか感じなかった。
だが、彼の身に纏う得体の知れない威圧感は、死の恐怖を感じると共に、逃げる事も、戦う為に向かい合う事すら不可能に思えた。
「止まれ!」
「断る、面倒臭い」
「っ……レイス、カーラ!」
「「はい」〜!」
エリスはメイド二人に呼び掛け、杖を構えた。
それに応じてレイスは掌をかざし、カーラは瓶の中身を振り撒く。
「へぇ、風に水に……色々いるんだな」
ロイドはそんな臨戦態勢にも関係ないといった風に、真っ直ぐこちらに迫ってくる。
「いけません!私達が適う相手ではない!」
セバスが声を上げて彼女達を静止するが、既に詠唱は紡がれている。
『我が炎は光りて爆ぜる!』
『銀の水よ、穿て』
『来たれ風、吹き荒べ』
炎の塊が撃ち出され、暴風が倒れた木を飛ばし、水銀の弾丸が発射される。
しかし─────、
彼に肉薄した木も水銀も、炎も何もかも。全てが一瞬で凍りつき、粉々に砕け散る。
キラキラと煌めく氷片は、どういう理由か空中に留まったまま落下しない。
「またか、無詠唱で……いや、これは魔法ではなく魔力の変換……?賢者の名は伊達ではないという事か」
動揺しながらも、エリスはたった今起こった奇妙な現象に対しての考察を口にする。
「へぇ、今ので分かるんだな。流石、目が良いな。その調子ならお前も近い内に母親以上の高みに辿り着けるぞ。セルティスの娘」
「……お前は、母様を知っているのか?」
「知ってるとも、お節介焼きで声がデカくて……本当に面倒臭い女だった」
懐かしそうに呟きながらロイドは軽く手を振るう。
すると彼の周りに煌めく氷片は、鋭く変形していく。
もはや凶器と呼んでも遜色無い程に鋭利になった氷片は、まるで空気に反発するように撃ち出された。
木に磔になっている、カイツールに向かって。
心臓に杭を突き立てられた彼の身体は、無数の氷片によって木と一緒に削り取られながら風穴が開いていく。
その勢いは凄まじく、血と共に巻き上げられた土煙が辺りを覆う。
「ふー……こんなもんかな」
成し遂げた、という雰囲気でロイドは息を吐く。
「お、お前、何を?!」
突然、息絶えた人間の死体をズタボロにしたのだ、エリスが驚くのも当然だろう。
「何って、コイツまだ生きてるぞ」
「生きてる?馬鹿な─────」
瞬間、土煙の中から飛来した赤い剣がロイドの兜の隙間に突き刺さった。
彼の身体は後ろに吹き飛び、仰向けに倒れた。
「クク、まった、く……異世界転移も、あまり良い事ばかりでは無いな」
笑いを含んだ声と共に土煙の中から現れた男。ボロボロになった身体からは内臓がこぼれ、骨を剥き出しにして血を滴らせていた。
普通ならば、数秒後に死んでもおかしくない重体だ。
だが、その傷はまるで時間が巻き戻るように次々修復されていく。
「どうやら厄介な存在とやらが、来てしまったようだな……」
自分の胸から杭を引き抜きながら、そう独り言ちる男。
吸血鬼に成った、俺と同じ転移者。
カイツール=アーカードがそこに立っていた。
「お前なんで、生きて、死んだんじゃ……無かったのかよ」
「ああ。我も死んだと思ったが……どうやら予想以上に、不死性が強い吸血鬼に成れたらしい。クク、我ながらツいている」
彼が杭を抜き切ると、ジワジワと胸部に空いた穴が塞がっていく。その様相はもはや人ではなく、ただの化物だ。
「まったくどこまでも、醜悪な奴だ」
エリスは忌々しげに悪態をつくが、カイツールはそれを聞いて満足そうな表情を浮かべる。
「さぁ、第二ラウンド開始だ。加賀屋君、君の能力は実に有用だ。半分殺してでも連れて行─────」
『あー……、本当に面倒臭い』
淡々とした冷たい声が響く。
顔に剣を突き立てられたロイドが、まるで何事も無かったかのように起き上がっていた。痛々しく刺さった剣は徐々に間に凍りつき、端から散り散りに砕けていく。
「……我が言うのもなんだが、お前……人間か?」
余裕の笑みを消し、信じられないといった表情でカイツールは告げる。
「もちろん。俺は、通りすがりの人間の《賢者》だ」
鎧の隙間から、凍りつくように冷酷な瞳が覗いていた。




