剛拳の魔獣 Ⅳ
「ナヴィさん!」
アレクが手を振って応援に来た兵士達の元へ駆け寄る。
閃光筒を上げてすぐに、アレクの上官であるナヴィが五名の兵士達を引き連れて二番街の街道へと掛け降りてきた。その街道の中心でしゃがみ込む徘徊者は未だ沈黙を保っており、先程まで荒く乱していた息すら今は忘れてしまったかのようにしていない。
「これだけしか人数を揃えることができなかった」
ナヴィが連れてきた兵士達はそれぞれ背中に大筒のようなものを背負っている。
皆、徘徊者と何度も戦闘を繰り返してきた者達なのか、沈黙する巨体を見ても騒ぎ立てることなく、距離を取って作戦の打ち合わせのようなものをしている。その中には筋肉の盛り上がった巨漢の男から、細身の女性までいる。ナヴィは作戦の内容を入念に兵士達に伝えている。この女性が見せる落ち着いた雰囲気からは神父やアレク以上に頼もしさを感じる。
しかし、そんな小さな希望でも簡単に打ち砕いてしまうのが徘徊者だ。
この徘徊者と戦う前、自分は根拠のない自信を感じていた。
アヴァンの街で出会った最初の徘徊者を倒したことにより次も上手く行くと、自分のイメージ通りに事が進むと心のどこかで思っていたのだ。偶然倒したにも関わらず自分の力だと大きく勘違いをしていたことに、全身を焦がすような痛みが駆け巡る一撃を食らってようやく理解した。それではいけない。心の底から込み上げてくる悔しさが、瞳に大粒の涙を溜めこむ。
「ユキト、まだ痛むか? 」
神父が優しい口調で心配の言葉を掛ける。
「少しだけ……でももう大丈夫です。 ごめんなさい、力になれなくて」
「初めから上手くはできないさ。 落ち込んでいたら隙を突かれてしまう、戦いの最中に悲観している暇はないんだ。 厳しいことを言うようだが……でも、それは大切なことの一つなんだ」
こらえていた涙が決壊した入れ物の中から溢れだすように頬を伝い足元へと零れる。
神父は気を使いそれを見ないようにした。悔しさか、恐怖心か、神父の優しさか。考えられる原因はそのどれかではなく全てだった。すぐに濡れた目元を拭い、もう一度徘徊者を見つめた。
まだ動かない。剣が鉄拳とぶつかる硬い音、全力で地面を蹴り上げた時に鳴る猛進の跡、命が擦り減っていくような呼吸の乱れ、さっきまでこの街道に絶え間なく流れ続けていた戦いの音は遠くの空へ消えていってしまったかのように、耳の奥でツンとした匂いと共に小さく反響する。
「神父、僕は……」
無意識の内に神父へと語りかけていた。
その言葉は頭の中にはない。しかし、それは自然と心の奥から零れ出た。
「僕は、自分がここにいる意味を知りたい。 この異世界に来た理由を、僕は知りたい」
この世界に来て初めて自分の意志を感じた気がした。
神父は口元を緩ませて、静かに返事をした。
「……自分ができることをしよう。 私も、ユキトも」
神父の言葉に剣を握る手が強くなる。静寂に包まれた街道。それが余計に嵐の前の静けさというものを予感させる。頭の中を一度リセットして、目の前の光景だけに集中するよう深呼吸をした。
「私とアレクは前線に出て囮だ、かく乱するだけで良い。 他の者が鉄杭砲を放って動きを止める」
ナヴィは兵士達に身振り手振りで連携の流れを何度も確認する。彼女が言うには十分も動きを止められれば護衛軍の本隊が到着するようだ。それまで徘徊者、もといスクーロに成り果てようとしている巨体を止めていなければならない。そういえば四番街にいた徘徊者はどうしたのだろうか。既に軍が討伐して、こちらに駆け付けることが前提のようだが、大丈夫なのかと不安になる。
「……して、そちらの二人は避難された方が良いのでは?」
ナヴィがこちらに向かって、さも業務的のような口調で言う。
「いえ、最後まで私たちも手伝います。 アナタ方の邪魔はしません」
「そういうつもりで言ったわけではないのですが……なるべく安全な場所にいてください」
ナヴィという女性は性格が不器用なようだ。しかし何故、今沈黙している徘徊者を攻撃しておかないのという疑問が生まれた。進化する前に首の一つや両足でも切断しておけばいいのではないかと、我ながら恐ろしい想像をする。何かわけがあるのだと思い神父に尋ねる。
「なぜ、みんな攻撃しないんですか? 今はあんなにおとなしいのに」
神父は顎を触りながら答えた。
「徘徊者がスクーロへと進化する時は、必ずああいう風に死んだように動かなくなるんだ
私は一度しか見たことないから確信を持って言えるわけではないが、あの徘徊者は今"殻"の状態なんだ」
「殻?」
神父は頷く。殻とはつまり、蝶で例えて言うと成虫になる前の"さなぎ"のようなことを指しているのだろうか。それならなおさらと、成虫になる前にそのさなぎを破壊しておけば楽に事態が収拾できるのではないかと謎は深まるばかりだ。
「内部構造が一体どうなっているのかは分からない……しかし、殻の状態である徘徊者の首を落とそうが手足をもぎ取ろうが、さなぎである徘徊者はスクーロへと進化する。 細切れにするのも時間が掛かり過ぎる。 殻の状態からスクーロへと変化する時間はおよそ五分もないだろう」
「じゃあ、あのナヴィという人もその事を知って……」
「おそらくは。 どこかで一戦交えたことがあるのかもしれない」
その時、徘徊者の体が一瞬大きく跳ねた。
「始まったか! 全員構えろ、来るぞ!」
ナヴィの号令に場の空気が一瞬で凍て付く。
徘徊者の周りに影のような黒い霧状のものが漂い始めた。遂に来る。すると、徘徊者の体を勢い良く突き破り何か黒い物が現れた。
あれは腕だ。それも二本ではない。
体毛の濃い鋭い爪を生やした四本の腕が、突き破った裂け目の両側を掴み這い出ようとしている。その腕の太さは元の徘徊者よりも一回り大きく、明らかに質量や体積を一切無視した巨体が殻の中から無理矢理出ようとしている。
殻である元の体の骨や肉は炸裂し、生贄にされたクダルモの最後の姿と重なる。辺りには不協和音が響く。
「あれが……スクーロ」
やがて殻の中から出てきたスクーロの全貌が明らかとなった。どこからその巨体は出てきたのだろうか、目線の高さはぐんぐんと上がっていく。
二メートルは軽々と超えたその全貌は、四本のたくましい腕と頭から突き出た、そびえ立つ巨大な角が特徴的で猪から牛へと変化したように思える。目は以前と変わらず、見当らない。筋肉に包まれた体は重量感を感じさせ、寸胴なフォルムが人間と掛け離れた存在だということをより一層と連想させた。
「ニクイ、アノオンナ、ニクイ」
スクーロは何か呟きながら豪快に鼻息を鳴らす。
徘徊者がクダルモの闇の部分と言うならば、このスクーロはクダルモ自身のさらに強烈な闇の姿と言えるだろう。生前、狂ったように語っていた女性への執念を、少ない言葉で表している。
「これよりこのスクーロを"ジジャル"と呼称する! 作戦通り我々は本隊が到着するまで足止めだ。 いいな!」
アレクと他の兵士達が規律よい声で短く返答する。
自分も剣を握り、まずは周りの動きを把握することに徹しようと息を整え集中力を高めた。
「はあッ!」
まずはアレクが巨体を支えるジジャルの足元へと素早く潜り込み、攻撃と回避の動作を両立させながら、右足の後ろにある筋に浅い切り込みを入れた。囮になるためだ。少しだけ血のような黒い霧が噴き出す。
「ブモォッ!」
背中側に回り込んだアレクを捻り潰そうと上部の右腕が重い一撃を繰り出した。アレクは難なく横に避けたが、逃げた先へもう一発の下部の右腕が間髪入れず叩き込まれる。
これには回避に余裕が無かったのか、アレクの長剣とジジャルの拳が激しく衝突した。
少しだけ後方にステップしていたアレクは、その凄まじい威力を利用して吹き飛ばされるように次の一手が来ない射程範囲外へと逃げ込む。あまりの威力に体制を崩さないようバランスを保つのが精一杯だ。しかし、ジジャルは追撃を加えるため地面を蹴り上げた。
巨体が低く浮き上がり、すぐにアレクを射程範囲内へと吸い込む。四本全ての腕が攻撃の体勢を整える。
「ッ!」
ようやく地面へと着地したアレクはすぐに長剣を前に構え防御する。しかし一本の剣ではジジャルの剛拳を全て受け切るにはあまりにも頼りなく、致命傷は免れない。
「アレクッ!」
頭が最悪の事態を予測し反応する。目まぐるしく変化していく状況に完全に遅れを取っている。
「"白式体術"!」
走り出したその時、背後から何かが低空飛行で駆け抜けていくのが見えた。後ろを振り向いた時には既にもういない。前方に向き直すと、人間とは思えない速さでジジャルに追い付いたナヴィの姿があった。通り過ぎたあとの地面からは点々と砂煙が巻き上がっている。
「ナヴィさん!」
「お前は右だッ!」
ジジャルの股下を潜り込んだナヴィがアレクの隣に立ち二本の長剣を構え防御の体勢を取った。
「ブモアァァッ!!」
四本の腕が蓄積された力を解き放つように重い一撃を繰り出した。やがて岩石のような重量感を放つ剛拳が三本の剣へと叩きつけられた。二人は身を寄せてジジャルの猛攻と対峙する。拳が刀身に重くのしかかる。
四本の腕は意思疎通を取っているかのように、それぞれ満遍なく攻撃が行き届くように剣を叩きつける。攻撃が繰り出される間は激しい衝突音が絶え間なく響き、二人は厳しい表情を浮かべひたすら耐える。
「僕にできることを……!」
二人の後に遅れて、ジジャルの側へと辿り着いた。斬れる。しかし頭の中には徘徊者に吹き飛ばされた時の光景がジジャルの背中と重なった。ジジャルの一撃は以前にも増して強くなっているだろう、それを食らえば次はどうなる。
悪いイメージが視界を横切る。
数秒で変わっていく戦場の光景に迷っている時間なんて一秒もない。考えた瞬間に、すでに行動を取らなければならない。ジジャルの元まで残り数歩。
『イメージしてください』
誰かの声だ。聞いたことのある女性の静かな声。
『剣を信じて、剣と一体化するのよ』
誰かの目元が見えた。睫毛の長い優しい目だ。
頭の中で響く声はまるで自分の側で誰かが囁いているようだ。その誰かに背中を押されている。ジジャルの姿が目と鼻の先まで近付いてきた。射程圏内。いつの間にか体は空中へと舞う。斬れる。剣を水平に傾け、左から右へと流すイメージで構えた。呼吸は整っている。ジジャルに一撃与えられる。
斬れる。斬れる。目の前の光景がいつもより暗くなった。
「キエロ」
ジジャルの大きな鼻が反応した。右腕の一本が急に動きを止める。
「ハッ! ......防御だユキトッ!」
それに気付いたアレクが叫ぶ。既に遅い。剣は攻撃の構えだ。
突然右腕の一本が背中側へとありえない方向に曲がり、風を鋭く切り剛拳が体全体を目掛け向かってきた。回避行動は既に不可能。逃げられない。違う、逃げるために剣はあるんじゃない。
「この剣は……希望を掴むためにあるッ!」
空中で身を翻し向かってきた剛拳と対峙する。正面から拳圧が吹き荒れる。自分の体覆うその拳が辿り着く前に、古びた剣はいつの間にか自分の右へと流れていた。
斬った。だが剛拳の勢いは止まらない。
しかし、剣に残る確かな手ごたえが胸を震わせた。
ジジャルの拳に一線の亀裂が入る。




