第43話 大盛況の新しい魚市場
新しい魚市場が開業した。
日本の豊洲市場を参考に作った、新しい市場だ。
そして――。
「売れた!」
「また売れたぞ!」
「魚が足りない!」
開業初日から、大混乱だった。
魚が飛ぶように売れていく。
漁師も、商人も、客も喜ぶ。これぞ三方良し。
ただし――魚が足りない。
「もっと持ってこい!」
「うちの店を広げるぞ!」
「保存する場所も必要だ!」
市場は、早くも予想を超える活気に包まれていた。
ディアーヌは少し離れたところから、その様子を眺めていた。
「……思った以上ね」
最初は、魚を売る場所を作ればいいと思っていた。
漁師が魚を持ち込み、商人が買い、客が購入する。それだけでも、十分に役立つ。
けれど、計画を立てる段階で、ディアーヌはニッポンの豊洲の市場へとヒントを探しに行ったのである。
そこには、魚を扱う人たちだけでなく、その周囲に飲食店があった。
市場で働く人も、買い物に来た人も、そこで食事を楽しめる。
「とある国を視察して、良いシステムを思いつきましたの。思い切った市場改革をしましょう」
ディアーヌがそう提案したのが始まりだった。
「魚を買うだけではなく、その場で食べられる店があれば、もっと人が集まると思いますわ」
最初は周囲も半信半疑だった。
しかし――。
市場の一角には、今、小さな店が並んでいる。
「獲れたての魚を、その場で焼いて出すぞ!」
「魚のスープもある!」
「こっちは魚の煮込みだ!」
「串焼きもできるぞ!」
市場で仕入れた魚を、そのまま料理にする。
その料理というのも、ニッポンで食べたものをヒントにディアーヌがアイデアを出したのだった。
客たちは魚を買うだけでなく、食事も楽しめる。
「この魚、おいしい!」
「新鮮だな!」
「食べてみて気に入ったら、買って帰ろう!」
人が人を呼んだ。
料理を食べに来た客が魚を買って帰り、その評判を聞いた別の客がまたやって来る。
市場はいつの間にか、魚を売るだけの場所ではなくなっていた。
「……うまくいった」
ディアーヌは嬉しそうに市場を見渡した。
豊洲で見たときには、ただ「面白いな」と思っただけだった。
けれど、こうして自分の国で再現してみると、その意味がよく分かる。
売る場所と食べる場所が一緒にあることで、人の流れが生まれる。
人が集まれば、魚が売れる。
魚が売れれば、漁師も商人も潤う。
そして、客は新鮮な魚を楽しめる。
この好循環。
「ニッポンって、すごいな……」
思わず声に出る。
自分が日本で見て、食べて、楽しんだもの。
それが今、自分の国の役に立っている。
ただの食べ歩きだと思っていた時間が、こんな形でつながるとは思わなかった。
「ディアーヌ様!」
声をかけられて振り返る。
「市場は大成功です!」
「漁師たちも大喜びしています!」
管理者や担当者たちがディアーヌに駆け寄ってくる。
「商人たちも、もっと魚を仕入れたいと言っています!」
「おかげで新しい店を出したいという者まで増えました!」
隣にいた部下も、感心したように頷いた。
「さすがです、ディアーヌ様」
「いえ。私は少し提案しただけですわ」
ディアーヌは優雅に微笑む。
「実際に市場を盛り上げているのは、皆様ですもの」
すると、また違う方から声が飛んできた。
「ディアーヌ様! 次は焼き魚の店を増やしていいですか!」
「いいですわよ」
「じゃあ、こっちは魚の揚げ物を!」
「そちらもよろしいですわ」
「魚の燻製も売りたい!」
「それも面白そうですわね」
次々に新しい話が出てくる。
ディアーヌは笑顔で答えていく。
「では、その場所を――」
「ディアーヌ様!」
「はい?」
「魚が足りません!」
恐るべき勢いだ。
「もう?」
「もうです!」
「……早いわね」
「もっと仕入れないと、市場が空っぽになってしまいます!」
「分かりましたわ。漁師の皆様とも相談しましょう」
再び仕事が始まる。
それからしばらくして、ようやく人の少ない場所まで移動すると――。
「……疲れた」
ディアーヌは大きく息を吐いた。
「新しい魚市場の企画が動き始めてから、息をつく暇もなかったわね……」
完璧な令嬢。
聡明で、優雅で、冷静。
そう見られていることは嫌ではない。
むしろ、頼られるのは嬉しい。
今回だって、自分が日本で得た知識が役に立ったのは、心の底から嬉しかった。
「……日本で見たこと、ちゃんと役に立ったな」
思わず笑みがこぼれる。
が、その直後ーー
ぐう。
ディアーヌはお腹を押さえた。
「……お腹すいた」
今日も朝から忙しかった。
市場の準備に追われ、開業してからも休む暇がなかった。
「……これは、仕方ないわよね。無事に上手くスタートを切って、ひとまずは区切りがついたわけだし…」
誰に言い訳しているのか、自分でも分からないが、頭に浮かんだのは――。
冷えたお酒。
美味しい料理。
ニッポンの街並み。
そして、一人で好きなものを食べる時間。
「……行こうかな」
考えただけで、気分が少し軽くなる。
「うん。行こう」
ディアーヌは立ち上がった。
(少し、久しぶりね。何を食べよっかな!)
魚市場で一日中魚を見ていたせいか、なぜか無性に肉が食べたくなってきた。
(どこに行こうかな?)
呑兵衛の聖地ーー
蒲田。
決まった。一切の迷いはない。
仕事中ではあんなに悩んでいたのに、食べるものを決めるときだけは驚くほど早い。
ディアーヌは小さく笑った。
「よし。今日は、飲むぞーっ」
その足取りは、すでに完璧を演じる令嬢のものではない。ただの酒好きのそれだった。




