第37話 王都の魚価高騰
その異変は、王都の朝市から始まった。
「……高い」
ディアーヌは魚屋の前で、思わず呟いた。
いつもなら庶民でも手を伸ばせる魚が、普段の倍近い値段になっている。
「先週までは、こんな値段ではなかったでしょう?」
「そうなんですよ、お嬢様。漁師から入ってくる量が減ってましてね」
店主は困ったように頭を掻いた。
「不漁なのですか?」
「それもあります。ただ、それだけじゃないんです」
店主は声を落とした。
「最近、魚が妙に遠くへ流れてるんですよ」
「遠くへ?」
「ええ。王都の近くで獲れた魚まで、別の町へ運ばれていく。逆に、王都には魚が入ってこない」
ディアーヌは眉を寄せた。
魚そのものが消えたわけではないのに、王都では魚が足りないーー
その日の午後。
ディアーヌは魚を扱う商人たちから話を聞くため、王都の魚市場へ向かった。
市場はいつもより空気が荒れていた。
「こちらだって好きで値上げしているわけじゃない!」
「だったら、なぜ漁師からあんなに安く買い叩くんだ!」
「安く買っているんじゃない! 運送費が上がっているんだ!」
「その運送費だって、お前たち商人が勝手に決めているだろう!」
怒鳴り声が飛び交っている。
片方には漁師たち。
日に焼けた顔に、厚い手をした男たちが腕を組んでいる。
その向かいには魚商人。
帳簿を抱えた男たちが、険しい顔で言い返していた。
「何があったのです?」
ディアーヌが尋ねると、商人の一人が振り返った。
「これはディアーヌ様。実は……」
話を聞けば、王都周辺の海では確かに不漁が続いているらしい。
だが、昨年ほどひどいわけではない。
問題は、その少ない魚が王都へ十分に届いていないことだった。
「今年は獲れる魚が少ない。だから少しでも高く売れる場所へ運ぶ。それは商売として当然でしょう」
商人が言った。
「王都以外の町では、もっと高く買ってくれるところがあるんです」
「では、王都には魚が足りなくなる」
「ええ」
「そして王都の魚屋は、仕入れ値が上がる」
「そうなります」
「その結果、魚の値段も上がる」
商人は頷いた。
「ですが、我々だけが悪いわけではありません。漁師から買う時点で、すでに値段が上がっているんです」
すると漁師の一人が怒鳴った。
「嘘をつけ! 俺たちは去年より安い値段で魚を売っている!」
「それは一部の魚だけだ!」
「そちらが大量に買ってくれないからだろう!」
「大量に買ったところで、売れる場所がない!」
ディアーヌは二人を交互に見た。
「つまり……」
彼女は市場の魚を見渡した。
「漁師は、魚が少ないから収入が減っている」
「そうです」
「商人は、魚を仕入れても、王都で売るより他の町へ運んだほうが利益が出る」
「その通りです」
「そして王都の人々は、魚が足りないので高い値段で買わなければならない」
二人とも黙った。
「……誰も得をしていませんわね」
ディアーヌの言葉に、市場が静かになった。
不漁ーー
それだけなら、魚が少なくなって値段が上がるのは仕方がない。
しかし今起きているのは、それだけではない。
魚が獲れない。
↓
少ない魚を、より高く売れる場所へ運ぶ。
↓
王都への供給が減る。
↓
王都で魚が高騰する。
↓
さらに高値で売れる場所へ魚が流れる。
という、悪循環が生まれているのだ。
「流通の問題ですわね」
ディアーヌが呟いた。
漁師と商人のどちらかを責めても、解決にはならない。
必要なのは、魚がどこへ、どれだけ、どの値段で流れているのかを把握することだ。
ディアーヌはその日のうちに、漁師から魚を買い取る価格、商人が各地へ売る価格、運送費、そして王都での販売価格を調べ始めた。
数字を書き並べていく。
「……やはり」
利益の大きい町へ魚が集中している。
しかも商人ごとに運ぶ先が違うため、同じ王都の近郊で魚が余っている場所と、魚が足りない場所が同時に生まれていた。
その調査を終え、どうすべきか思案しながら歩いているとーー
「ディアーヌ嬢!」
聞き慣れた声に振り返ると、リリーが駆け寄ってきた。
「あら、リリー嬢。こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「ええ。ところで……」
リリーは、じっとディアーヌの顔を見つめた。
「最近、ルシアン様とずいぶん親密ではありませんこと?」
「……そうかしら?」
「そうですわ。以前よりずっと自然にお話しされていますもの」
そして、少し頬を膨らませる。
「ルシアン様にはくだけた口調なのに、わたくしにはいつまでも敬語ですのね」
「それは……」
「ちょっと不公平ですわ!」
あまりに真剣な顔をするので、ディアーヌは思わず笑った。
「では、これからはお互いに敬語はやめましょうか」
「本当ですの?」
「ええ。リリーも、わたくしに敬語はやめてね」
「わかりましたわ!!あれ、難しいですわね」
「リリーは、無理しなくても良いのよ」
「そうしましたら、お名前は親しみを込めてディアーヌと呼ばせていただきますわっ」
二人は顔を見合わせて、くすりと笑った。
「そういえば、ルシアン様もニッポンへ行かれたんですの?」
「ええ。とうとうデビューしたわ。色々あってね……」
「まあ!でしたら、今度はみんなで行ってみたいですわね」
「……それも、楽しそうですわ」
ディアーヌは小さく笑った。
自分だけが知っていたニッポンを、みんなで歩く。
そんな日が来るのも、悪くない。
ーーその夜。
ディアーヌが王宮へ戻ると、ルシアンが待っていた。
「話は聞いた」
「もうご存じなの?」
「王都の食料価格が上がっている。王族として放置できる問題ではない」
ルシアンは机の上に広げられた帳簿を覗き込んだ。
「不漁だけが原因ではないようだな」
「ええ。魚そのものが消えたわけではなく、流れ方に問題があるようね」
「なるほど」
ルシアンは腕を組んだ。
「ならば、漁師を責めても商人を責めても意味がない」
「同じ意見だわ」
「しかし、王都の魚価がこのまま上がり続ければ、庶民の生活に影響する。場合によっては他の食料品まで値上がりするだろう」
「ええ」
ルシアンはしばらく考えた。
そして、ふと口にした。
「……ニッポンで、何かヒントが得られないだろうか?」
ディアーヌの手が止まる。
(さすがルシアン、盲点だったわ……)
「魚を大量に扱う国なのだろう?」
「……そうね」
「以前、君が話していた。魚を獲る者、運ぶ者、売る者、そしてそれを食べる者。その間には、多くの仕組みがあると」
「ええ」
「ならば、実際に魚がどのように集まり、どのように流れていくのかを見る価値はある」
ルシアンは真剣な顔をしていた。
「ニッポンのやり方をそのまま我が国へ持ち込めるとは思わない。だが、考え方の参考にはなるかもしれない」
「……確かに」
ディアーヌは考え込んだ。
日本には、魚を扱う大きな市場がある。
漁師から魚が集まり、選別され、取引され、各地へ運ばれていく。
王都の市場とは、規模も仕組みも違うだろう。
だからこそ、見る価値がある。
「では、少し調べてみるわ」
「頼んだ」
「ルシアンは?」
「私は王都側の資料を整理する。漁師と商人の双方から話を聞いて、行政として何ができるか考える」
「……珍しく真面目に役割分担をなさるのね」
「私はいつでも真面目だ」
「そうでしたわね」
ディアーヌは微笑んだ。
こうして、魚価高騰の原因を探るため、ディアーヌは再びニッポンへ向かうことになった。
見るべき場所は、魚の集まる場所。
日本最大級の魚市場だった。
「さて……」
転移の準備をしながら、ディアーヌは小さく息を吐いた。
「今度は、どんな仕組みが待っているのかしら」
その目には、いつもの食べ歩きの時とは違う、仕事人の光が宿っていた。




