第34話 甘党王子と秘密の交換
アライダ嬢の家庭教師を終えたディアーヌが屋敷を出ると、通りの向こうから聞き慣れた声が飛んできた。
「ディアーヌ嬢!」
「……リリー嬢?」
振り返ると、こちらへ向かってリリーが小走りに駆けてくる。
「ちょうどよかったですわ!」
「どうしたの?」
リリーは息を整えると、困ったように両手を合わせた。
「実は、少々お願いがございまして……」
聞けば、以前の肉料理対決――いや、リリー本人にとっては「可愛らしくお肉をいただいた会」――で世話になった料理人たちから、最近やたらと菓子を贈られるようになったらしい。
焼き菓子にパイ、タルト、砂糖菓子。
「皆さん、私が甘いものが大好きだと思っていらっしゃるようで……」
「実際には?」
「もちろん、大好きですわ!」
間髪入れずに答えるリリー。
キャラ作りに失敗した、というのは完璧な令嬢を演じるディアーヌにとっても身に覚えがある。
「……お肉ほどではないけれど」
小声で付け加えるリリー。
「それで、さすがに一人では食べきれなくなってしまいまして。ディアーヌさん、お手伝いいただけません?」
「それなら、私より、ルシアンが喜ぶと思うけれど」
ディアーヌが何の気なしについそう口にすると、リリーはきょとんとした。
「ルシアン様に?」
「ええ。甘いもの、好きだから」
「ええっ?」
リリーが目を丸くする。
「ルシアンって、あの頭が良くていつも冷静で…ちょっぴり近寄りがたい、あのルシアン王子ですわよね?甘いものなんて食べるかしら?」
「……」
しまった。
ルシアンが甘党であることは、本人が必死に隠している秘密だ。ここで不用意に口を滑らせるわけにはいかない。
「……い、妹よ」
「妹?」
「そう。ルシアン王子の妹が、甘いものが好きなのです!」
我ながら苦しい。
しかしリリーは素直だった。
「まあ!ルシアン様、妹君がいらっしゃるのですね!」
「え、ええ。とても甘いものがお好きで……」
「でしたら、ぜひ召し上がっていただきたいですわ!」
「そうね……」
ディアーヌは引きつった笑みを浮かべた。
数日後。
ディアーヌの自宅に、ルシアンがやってきた。
「急に呼び出されて何かと思えば……菓子?」
「ええ。たくさんいただいてしまったの。せっかくだから一緒に食べましょう」
テーブルの上には、見事な焼き菓子が並んでいる。
香ばしいバターの香り。
ナッツを使った菓子。
果物を焼き込んだタルト。
砂糖をまとった小さな焼き菓子。
どれも王都の名だたる料理人たちが作ったものだ。
ルシアンはどこか落ち着かない様子で、しばらく眺めていた。
「……随分あるな」
「でしょう?」
「君はこれを一人で食べるつもりだったのか?」
「まさか。だから呼んだのよ」
「なるほど」
いつの間にか、二人は互いにすっかり砕けた口調になっている。
ルシアンは席についた。
ディアーヌも向かいに座る。
「では、いただきましょう」
「ああ、では遠慮なく」
ルシアンが焼き菓子を一つ手に取る。
「……うん。悪くない」
「でしょう?」
「さすがに評判の料理人だけある」
ルシアンの視線が、別のものを捉える。
テーブルの端。
そこに置かれているのは、ディアーヌが用意した背の高いグラスだった。
中には黒い液体。
そして、その上には白い丸いものが浮かんでいる。
「これは…?」
「コーヒーフロートよ」
ディアーヌは得意げに答えた。
以前、神保町の喫茶店で注文して、気に入った一品だ。
「アイスコーヒーにバニラアイスを浮かべたものよ」
「冷やしたコーヒーに……アイス?」
「ええ」
ルシアンはしばらくグラスを見つめていた。
やがて、恐る恐る口をつける。
「……!」
その瞬間、目がわずかに見開かれた。
「どう?」
「……美味い」
声が、少しだけ弾んでいる。なんとなく、勝った気分になる。
ディアーヌは思わず笑った。
「ふふ」
「何だ?」
「いえ。随分お気に召したようだから」
「いや……これは」
ルシアンはもう一度グラスを眺めた。
「コーヒーの苦味に、冷たい甘さが重なる。これは……いいな」
明らかに嬉しそうである。
(やっぱり。喜んでくれると思った)
躊躇いつつも、我慢できない様子で菓子を食べるルシアン。
しかし、そのルシアンがふと真顔になった。
「ディアーヌ嬢…いや、ディアーヌ」
改めて名前を呼ばれ、ディアーヌは悪いことが見つかった子どものようにドキリとする。
「な、なにかしら?」
「以前、君が土産にくれただろう」
「……どら焼き?」
「そう、それだ。あれは素晴らしかった」
「それは良かったわ」
しかし、そこでルシアンの視線が鋭くなる。
「私はあれを何度か再現しようとした」
「えっ」
「だが、どうしても同じものにならない」
ディアーヌの笑顔が固まった。
「皮の食感も、中の餡も、微妙に違う。材料を変えても、製法を変えても駄目だった。そもそも、あの豆はなんだ?」
「……」
「それに、このコーヒーだ」
ルシアンがグラスを指差す。
「なぜ氷が入っている?」
「さっぱり飲めるから……?」
「私の知る限り、コーヒーに氷を入れて飲む者などいない」
「そうね……」
「菓子もそうだ。君は以前から妙に珍しいものを知っている」
ディアーヌは黙った。
ルシアンはじっとこちらを見る。
「どこで知った?」
「……」
「どこで食べた?」
「……」
「そして、ニッポンとは何だ?」
「!」
ディアーヌの肩が跳ねた。ルシアンは腕を組んで、質問を続ける。
「君が時たま漏らす、ニッポンという言葉。菓子の名前だと言っていたが……恐らく違う」
ルシアンの口調には、確信が込められている。
「ニッポンというのは、食べ物ではないのではないか?」
ディアーヌは観念した。
ここまで来て、もう誤魔化せない。
「……そうね」
小さく息を吐く。
「ニッポンは、食べ物の名前ではないわ」
ルシアンが身を乗り出した。
「では、何だ?」
「国よ」
「……国?」
「ええ。私が以前から話していたニッポンは、とある国の名前なの」
部屋が静かになる。
ルシアンはしばらく何も言わなかった。
やがて、
「……やはりそうか」
納得したような顔をした。
「では、君はそこへ行ったことがあるのだな?」
「ええ」
「どこにある?」
「それは……」
ディアーヌが答えようとすると、ルシアンが手を上げた。
「その前に、一つ確認したい」
「何?」
「君は私が甘いもの好きだと知っていたな?」
「……ええ」
「なぜ知っている?」
「あなたが隠しているからよ」
ルシアンの眉がぴくりと動いた。
「私は隠していない」
「隠しているわ」
「いない」
「いるでしょう」
「証拠は?」
「皆が集まる場で、わざとデザートの類から目を逸らしているわ」
ルシアンが黙った。
ディアーヌも黙った。
数秒後、やっとルシアンの方が口を開く。
「……仕方ない」
ルシアンは小さく息を吐いた。
「認めよう。私は甘いものが好きだ。そして、それを周囲に悟られたくないと考えている」
「やっぱり!」
ディアーヌは思わず立ち上がる。
「ついに認めたわね!」
「声が大きい」
「だって、あれほど隠していたのに!」
「君もニッポンを隠していただろう」
「……それはそうだけど」
二人は顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく笑った。
秘密を一つずつ交換した。
そのときだった。
「ディアーヌ」
ルシアンが、いつになく真剣な顔をした。
「私も、そのニッポンという国へ行きたい」
「……え?」
「君がこれほど楽しそうに話す国だ。どら焼きも、コーヒーに氷を入れるという奇妙な飲み物もある。」
ルシアンはそのアイスコーヒーをまたひと口啜ってから、続ける。
「きっと、素晴らしい食文化を持つ国なのだろう。それにーー」
そして、ほんの少しだけ口元を緩める。
「他にも、私の知らない甘いものがあるのだろう?」
ディアーヌは呆れた。
結局そこなのだ。
「……ニッポンへ行けば、きっと驚くわよ」
「望むところだ」
「甘いものばかりではないわ」
「それもいい」
「お酒もあるわよ」
「……それは君が好きなのだろう」
「美味しい料理もたくさんあるわ」
ルシアンの目がわずかに輝いた。
「なおさらだ」
ディアーヌは少し考えてから、笑って答えた。
「わかったわ」
「本当か?」
「ええ。案内してあげる」
ルシアンは満足そうに頷いた。
その横で、コーヒーフロートのバニラアイスが静かに溶けていく。
こうして――。
ディアーヌがずっと隠していた「ニッポン」の秘密は、ついにルシアンへ明かされた。
そして同時に、王子の「甘党」という秘密も、とうとう白日の下に晒されたのである。
美味しい菓子をつまみながら、甘党のルシアンをどこへ連れて行こうかと、ディアーヌは想像を膨らませるのだった。




