70. 奪い返すために
東へ向かって歩きながら、奏真は何度も同じことを考えていた。
自分は何をしたいのか。
どこへ向かっているのか。
神崎へ返したいものは何か。王国と教会へ返させたいものは何か。
怒りだけなら簡単だ。
許せない、で走ってしまえばいい。
でも今の自分は、そこにだけ乗れなかった。
奈落で見てきたもの。
古代施設。
歪められた術式。
セレスの拘束。
地上で塗り替えられた自分の名前。
全部を見たあとで、“復讐”だけでは少し足りない気がしていた。
日が傾き始めた頃、三人は小さな丘のふもとで足を止めた。
風がよく通る。
人の気配は少ない。
今夜の休息にはちょうどいい場所だった。
火を起こしたあと、奏真はしばらく黙って空を見ていた。
セレスはすぐ隣に座っている。ノアは少し向こうで周囲を見ていたが、やがて戻ってきて火の前に立った。
『考えがまとまりかけていますか』
「……そう見えるか」
『沈黙時間と視線移動の傾向から』
「便利だなお前」
『事実です』
「もういいよ、それで」
奏真は火を見た。
ゆらぐ光。
静かな夜。
奈落の底とは違う広さ。
「神崎に返したいものはある」
ゆっくり言葉を出す。
「落とされたこと。押されたこと。勝手に終わらせられたこと」
セレスが黙って聞いている。
「でも、それだけじゃないんだよな」
神崎だけじゃない。
その感覚は、もうはっきりしていた。
「王国もだ。教会もだ」
奏真は続ける。
「俺を危険にした。裏切り者にした。名前を塗り替えた」
『はい』
ノアが短く返す。
「たぶん、奪われたのは命だけじゃない」
奏真は自分の手を見る。
「信頼も、立場も、名前も、たぶん他にもいろいろ持っていかれてる」
「うん」
セレスが静かにうなずく。
その一言だけで十分だった。
命だけなら、生きている今、まだ取り返せる。
でも名前や信頼は違う。向こうに書き換えられたままなら、それは地上の中では“本当”になってしまう。
だから、返させなきゃいけない。
「失くしたものを数えるのは、もう終わりだ」
その言葉は自然に出た。
火の向こうで、ノアがこちらを見る。
セレスも、静かに目を上げている。
「ここからは返させる番だ」
言ってから、自分でも少しだけ驚いた。
でも、それがいちばん近かった。
復讐。
それもある。
けれど、本当にしたいのはそれだけじゃない。
自分から奪われたものを返させる。
セレスみたいに、誰かから奪われてきたものも返させる。
王国と教会が歪めたものを、正しい形に戻す。
それが自分の力に一番近い。
《奪還の王》に、一番近い。
「神崎だけじゃない」
奏真ははっきり言った。
「奪ったやつ全員に、返させる」
火がはぜる。
風が揺れる。
静かな夜の中で、その言葉だけが妙にまっすぐだった。
ノアが小さくうなずく。
『現在の目的として、極めて適切です』
「そこだけ聞くと、ちょっと褒められてる気がするな」
『評価です』
「そういうことにしとくか」
セレスが小さく息をつく。
「奏真らしい」
「どのへんが」
「壊すって言わないところ」
「……そうかもな」
奏真は苦笑した。
たしかにその通りだった。
全部壊したいわけじゃない。
めちゃくちゃにして終わりたいわけでもない。
返させたい。
戻したい。
自分の名前も、奪われた意味も、全部。
そのためにまず必要なのは、今すぐ王都へ行くことじゃない。
足場を作ることだ。力を整えることだ。見えるものを増やすことだ。
「辺境で土台を作る」
奏真が言う。
「戻るのは、そのあとだ」
『妥当です』
「だからほんと便利だなその言葉」
セレスが少しだけ笑う。
「でも、いい」
「何が?」
「今の奏真、ちゃんと前を見てる」
「……前な」
奈落の底では、上を見ることしかできなかった。
今は違う。地上に戻って、ようやく“先”を見ている。
それだけで十分だと思えた。
奏真は火を見つめたまま、もう一度心の中で言葉をなぞる。
失くしたものを数えるのはもう終わりだ。
ここからは返させる番だ。
それが、今の自分の進む理由だった。
第三章完




