61.知らない勇者
地上へ出てから最初に決めたのは、すぐには人前へ出ないことだった。
奈落を出たばかりの今、奏真たちは何も知らない。
王国がどうなっているのか。
教会が何を言っているのか。
神崎がどんな立場にいるのか。
何一つ、ちゃんと見えていない。
「だから、まずは様子見だな」
奏真が岩陰から前方を見ながら言う。
『妥当です』
ノアがいつもの調子で返す。
「便利だな、その言葉」
『高頻度で適切なためです』
「もうその説明も聞き飽きた」
セレスが少し後ろで木にもたれていた。
まだ本調子じゃないが、昨日までより顔色はいい。光や風にも少しずつ慣れてきたらしい。
「人のいる場所、近い?」
セレスが聞く。
奏真はアリシスに意識を向ける。
視界の先。木々の間。土の踏み固められ方。空気の流れ。そういうものが少しずつ“人の気配”としてつながってくる。
前方、人為踏跡あり。
移動頻度:中。
近距離に街道の可能性。
「近いな」
『はい。徒歩圏内に人の往来があると推定されます』
「推定でだいたい合ってるのが腹立つな」
三人は少し遠回りしながら、街道に近づいた。
いきなり人に会うのは避けたい。
まずは、どんな空気かを知るのが先だ。
木の陰から様子をうかがうと、細い街道を二人連れの男たちが歩いていた。旅人というより、近場を移動する商人崩れみたいな格好だ。荷車はないが、背負い袋は大きい。
会話が風に流れてくる。
「最近また勇者様の話、広がってるよな」
「そりゃそうだろ。王国の顔だぞ」
「教会もずいぶん後押ししてるらしいし」
「魔物の被害も減ったって聞いたぜ」
奏真の目がわずかに細くなる。
勇者様。
その呼び方だけで、神崎の顔が頭に浮かんだ。
セレスが小さく奏真を見る。
ノアは黙ったまま、聞き取れる範囲へ意識を向けている。
「……かなり持ち上げられてるな」
奏真が低く言う。
『はい。公的認知が進んでいる可能性が高いです』
「そういう言い方するよなあ」
街道の男たちはそのまま話を続ける。
「にしても、勇者様も苦労してるよな」
「何だ急に」
「ほら、あの禁忌持ちの件」
「……ああ」
「身内にああいうの抱えてたら面倒だったろ」
「勇者様が止めてなきゃ、もっと大ごとになってたって話じゃねえか」
その瞬間、奏真の中で何かが引っかかった。
禁忌持ち。
それだけならまだ曖昧だ。
でも、“勇者様が止めてなきゃ”という言い方が妙に胸に残る。
「……何だそれ」
ぼそっとこぼれた声は、自分でも思ったより低かった。
セレスがすぐ横を見る。
「奏真」
「まだ確定じゃない」
そう返したものの、嫌な感じは消えない。
禁忌持ち。
勇者が止めた。
身内。
それが全部、自分のことへつながる気がした。
街道の男たちはそのまま歩き去っていく。
もう追っても仕方ない。
奏真は木の幹にもたれ、短く息を吐いた。
「……もっと聞く必要があるな」
『はい』
「今のだけじゃ足りない」
「でも、嫌な感じ」
セレスが言う。
「ああ。かなりな」
勇者神崎の名は、思っていた以上に地上で広がっている。
それだけでも十分、胸の奥にざらつきが残るのに、そこへ自分らしい影がちらついた。
まだ断定はできない。
でも、たぶん地上ではもう何かが決まっている。
それを知らないのは、自分たちだけなのかもしれなかった。
第62話
処理された死
街道沿いをさらに進んだ先に、小さな休憩所があった。
屋根だけの簡単な造りで、水桶と粗末なベンチが並んでいる。今は人が少なく、荷物を下ろして雑談している旅人が三人と、奥で荷をまとめている老夫婦がいるだけだった。
奏真たちは少し距離を取って、木立の陰からその様子を見ていた。
「ここなら話が拾えそうだな」
『可能性は高いです』
「便利な返事だなほんと」
『事実です』
「知ってるよ」
セレスは少し不安そうに周囲を見ていた。
「近い」
「近いな」
「人の声、多い」
「嫌か?」
「……まだ少し」
「なら、無理に出なくていい。ここで待て」
「奏真は?」
「俺が少しだけ近づく」
今のところ、顔を見られないほうがいい。
少なくとも、地上の空気を読むまでは。
奏真はフードを深くかぶり、休憩所の裏手へ回った。
壁代わりの木材の隙間から、旅人たちの声が聞こえる。
「王都は今、だいぶにぎやかだってよ」
「勇者様関連か?」
「それもあるし、教会の行事も重なってるらしい」
「へえ。まあ勇者様がいりゃ人も集まるか」
「魔王の残党狩りだか何だかも進んでるって話だしな」
そこまでは、まだいい。
神崎が勇者として持ち上げられている。
それは気に入らないが、想像の範囲でもあった。
問題は、その次だった。
「そういや、前に問題起こした禁忌持ちいたろ」
「ああ、あの裏切り者か」
「勇者様の仲間だったって話の」
「結局、奈落に落ちて死んだんだっけ」
「死んだっていうか、処分みたいなもんじゃねえの」
「危険だったらしいしなあ」
奏真の指先が、ぴくりと動いた。
裏切り者。
奈落に落ちて死んだ。
処分。
耳に入ってくる言葉が、一つずつ重い。
まだ名前は出ていない。
けれど、“仲間だった禁忌持ち”なんて、自分以外に心当たりはない。
「勇者様も大変だったろうな」
「身内にああいうのがいるとな」
「教会が早めに危険視してたって話も聞いたぜ」
「そりゃ勇者様が正しかったってことだろ」
その瞬間、奏真の中で何かが一段沈んだ。
神崎が正しかった。
教会が危険視していた。
そして、奈落に落ちて死んだ。
全部が一本につながり始める。
自分は、地上で“そういう存在”として片づけられている。
ただ死んだんじゃない。
ちゃんと意味をつけられて、処理されている。
「……まじかよ」
口の中だけでそうつぶやく。
声にはならなかった。
まだ感情が形になっていない。ただ、何か冷たいものが胸の奥へ落ちていく感じだけがあった。
そこへ、奥で話していた老夫婦の会話が重なった。
「にしても怖い話だよねえ」
「何がだ」
「勇者様のそばにいたのに、裏切るような人がいたってこと」
「ああ……でも勇者様が気づいて止めたんだろ?」
「そう。だから今こうして平和なんだってさ」
平和。
その言葉が妙に痛かった。
奏真は一歩だけ後ろへ下がる。
これ以上聞いても、今はたぶん同じことの繰り返しだ。
十分だった。
少なくとも一つ、はっきりした。
自分の死は“ただの事故”にはなっていない。
地上ではすでに、物語として処理されている。
木陰へ戻ると、セレスがすぐに顔を上げた。
「どうだった」
「……最悪寄りだな」
奏真は短く答えた。
ノアが表情を変えずに聞く。
『内容を要約できますか』
「できる。あんまりしたくないけどな」
奏真は木にもたれ、乾いた息を吐いた。
「俺はたぶん、ただ死んだことにされてるんじゃない」
「……うん」
「勇者の仲間にいた禁忌持ちで、危険人物で、裏切り者で、奈落に落ちて死んだ。そういう筋書きになってる」
セレスの目がわずかに揺れる。
『処理済みの死、という表現が近いです』
ノアが静かに言う。
「そうだな」
奏真は苦く笑う。
「死んだことより、“どう死んだか”まで勝手に決められてる感じだ」
その言葉は、自分の中で思っていたより重く響いた。
奈落に落とされた。
それは事実だ。
でも、その後まで地上で勝手に塗り替えられているとしたら――。
「……嫌な予感が当たり始めてるな」
奏真は低く言う。
「うん」
セレスも小さく返した。
風が吹いた。
地上の風は奈落よりやわらかいはずなのに、今は少しだけ冷たく感じた。




