59.光の下へ
門の向こうにあったのは、長い階段だった。
白い石でできた、上へ伸びる階段。
青白い線が足元を照らしているが、その先には別の光がある。
薄い白。
やわらかい色。
奈落の青とは違う光。
奏真は一歩ずつ階段を上がった。
後ろではセレスとノアがついてくる。
誰も喋らない。今は言葉がなくてもよかった。
空気が変わる。
湿り気が薄くなる。
風がやわらかい。
それに、においが違う。
土。
草。
水。
奈落の底では感じなかった、外のにおい。
最後の数段を上がった時、白い光が一気に視界へ流れ込んできた。
「――っ」
思わず目を細める。
明るい。
奈落の青い光とは違う。
もっと広くて、もっと高くて、目を開けていられないくらいにやわらかいのに強い。
風が吹く。
頬をなでる。
冷たすぎない。湿りすぎてもいない。ただ、外の空気だった。
奏真は数歩進んで、ようやく視界を上げた。
空があった。
青い。
遠い。
奈落の底から何度想像しても届かなかった色が、今は頭上いっぱいに広がっている。
「……空だ」
自分でも、あまりにそのままの言葉だと思った。
でも、それしか出なかった。
足元には草がある。
揺れている。
ほんの少し乾いた土が靴の裏に触れる。
生きている地面だ、と奏真は思った。
後ろで、セレスが小さく息をのむ音がした。
「まぶしい……」
「だろうな」
振り返ると、セレスは片手を額にかざしていた。
光に慣れていないせいか、目を細めている。
ノアはいつも通り真顔で立っていたが、それでもその白い髪が風に揺れるのを見ると、奈落の底より少しだけ違う存在に見えた。
『地表環境を確認』
「そういうのいいから」
『事実です』
「今だけはもうちょっとこう……」
『改善努力中です』
「それもいい」
奏真は苦笑してから、もう一度空を見上げる。
帰ってきた。
少なくとも、地上へは。
けれど、その実感は思ったより単純じゃなかった。
嬉しい。
たしかに嬉しい。
奈落を出られた。
生きて地上の空を見ている。
それだけで本当は十分なはずだ。
でも同時に、妙な遠さもあった。
空は変わっていない。
風も草も、たぶん昔と同じだ。
なのに、それを見ている自分のほうが、もう前のままじゃない。
「……変だな」
ぽつりとこぼす。
「帰ってきたはずなのに」
セレスが隣へ来る。
「違う?」
「いや……地上なのは間違いない」
「でも」
「前と同じ場所には見えない」
それが正直な感想だった。
神崎に落とされて、奈落で生き残って、ノアとセレスに出会って、返す力の意味を知った。
そんな自分が立っている地上は、もうただ“戻る場所”ではなくなっていた。
取り返しに来る場所。
真実を確かめる場所。
奪われたものを返させる場所。
そう思うと、この空の青さすら少し遠い。
風がまた吹いた。
そのにおいの中に、どこか懐かしいものが混ざる。
それだけで胸の奥が少し痛くなる。
『周辺に大規模生体反応なし。短時間休息可能です』
ノアが言う。
「……今はそれがありがたいな」
『理解可能です』
「そこは普通に言えるんだな」
『改善努力中です』
「戻るな」
セレスが小さく笑う。
その音を聞いて、奏真も少しだけ肩の力を抜いた。
奈落を出た。
でも、ここからが本番だ。
地上がどうなっているのか。
神崎が何をしたのか。
王国と教会が何を語っているのか。
まだ何も知らない。
だから今は、この空をちゃんと目に焼きつけておく。
奏真はもう一度、空を見上げた。
「空は、変わっていなかった」
その言葉は、風の中へ静かに落ちた。
「変わったのはたぶん、俺のほうだ」
誰に聞かせるでもなく、そう言って。




