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第21話 王の資格

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 赤月の名残が消えた夜空から、冷たい風が吹き抜け、瓦礫の転がる広間を撫でていく。


 グレンの嗚咽は、とうに止んでいた。

 彼はレヴィを閉じ込めた氷塊の前に力なく座り込み、うなだれたまま動かない。

 将斗も言葉をかけることはできず、ただ少し離れた瓦礫の上に座り、黙って夜風に当たっていた。


「……あいつの、言う通りだった」


 ふいに、掠れた声が静寂を破った。

 独り言のようだったが、この空間には将斗しかいない。


「雄矢が言った通りだ。俺は……この二年間、何一つできなかった。いや……『しなかった』んだ」


 グレンは顔を上げないまま、自嘲するように乾いた笑いを漏らした。

 その肩は、まだ微かに震えている。


「怖くて、家を出られなかった。全身が震えて、力が入らなかった……だって、何かしたら皆があの時みたいに……二年前のように……」


 グレンが両手で顔を覆う。

 指の隙間から、搾り出すような声が漏れた。


「……俺が動くことで、誰かが理不尽に殺されるのが……たまらなく恐ろしかった」


 将斗は黙って聞き入った。

 今まで見てきたグレンは、いつだって毅然としていて、皆を引っ張っていくリーダー気質の男だった。弱いところは見せず、常に強くあろうとする人だと思っていた。

 だからこそ、今のあまりにも弱々しい彼の姿に、将斗はそのギャップに言葉を失い、声をかけられずにいた。


「レヴィに引きずり出されるまで、ずっと家に引きこもっていた。気づいたら一年経ってたよ。それからはただ必死に鍛えた。時間がないからって、焦ってた。焦りに身を任せれば、恐怖を感じなかったから」


 剣を振り続けることで、無理やり恐怖を塗り潰していたのだろう。

 だが、その張り詰めた糸は、今日の戦いであっさりと断ち切られてしまった。


「でも届かなかった。あいつの魔法に、全く歯が立たなかった。涼しい顔して吹かしてきた『風』に俺は全く抗えなかった。それはそうなるよな、あんだけ閉じこもっていたんだから!」


 悔しさをぶつけるように、グレンの拳が瓦礫を強く叩いた。

 その怒りの矛先は、雄矢ではなく、全て彼自身に向けられている。


「閉じこもって何もしてこなかった。最低なやつだよ俺は。民のために何もできなかった。殺されたくないから王の機嫌を伺って、抑圧されても文句を言えないでいる皆に、俺は何にもしてやれなかった。それを見て聞いても黙ってることしかできなかった!」


 血を吐くような懺悔だった。

 完璧な英雄などではない。彼もまた、圧倒的な暴力の前に怯え、絶望したただの一人の青年だったのだ。


「俺は王子でもなんでもない。ただの臆病者だ。父さんに見せる顔がない。俺が……俺がもっと早く覚悟を決めていれば、何かが違っていたかもしれないのに」


 再び声が震え出し、グレンは深く頭を垂れた。

 広間に響くのは、彼の後悔と、冷たい夜風の音だけだ。


「誰も失いたくなかったんだよ。そんな綺麗事、無理に決まってるのに。だから、この臆病のせいでレヴィまで失うことになった……」


 グレンは床を叩いた。


「父さんから国を任された。任されるところだった。だから、皆守りきらなきゃいけなかったのに、一番肝心な時に何もしてこなかったのが俺だ!」


 項垂れるように、グレンは地面に突っ伏した。


「こんな俺に王の資格なんてない。俺は王に向いていない」

「……じゃあ、俺がやろうか?」


 将斗の唐突な言葉に、グレンがゆっくりと顔を上げる。

 悲しみも怒りも忘れ、聞き間違いかというように、不思議そうに目を丸くしていた。


「今、『は?』って思ったよな?」

「それは……」

「思ったろ? 俺だったら明らかに王の資格がない。でもお前にはあると思う」

「何を根拠に……」


 将斗はグレンの言葉を思い出す。ずっと彼は同じことを言っている。


「グレンはさっきからずっと、『皆が殺されるのが怖い』って言ってるよな。それって十分、民の事を考えられてるってことだろ」

「でも、何も――」

「何も出来なかったのは、お前が臆病だったからじゃない。皆んながこれ以上傷つくのが怖かったんだろ?」


 将斗は瓦礫から腰を上げ、グレンを見下ろした。


「俺だったら、グレンとレヴィを失うのは怖い。でも下の階で、騎士たちが殺されてた姿を見ても『雄矢は間違ってる』って腹が立つくらいで、心底悲しいとは思えなかった」


 それが、異世界から来た部外者としての限界だ。

 しかしグレンは違う。


「でもあの時、お前は怒ってただろ?」

「……っ」

「俺だけかもしれないけど。誰かが理不尽な目に遭わされた時、怒ったり、悲しんだり出来るのは、その相手が自分にとって親しいとか、関わりある人間じゃないと出来ないんじゃないか?」


 将斗は床に突っ伏すグレンに言葉を落とす。


「皆を失いたくないって恐怖が、王様としての責任感からなのか、お前の本心からなのかは知らない。けど国の皆を『大切な人間』として思ってやれるのは、お前が誰よりも優しい人間だからだ」

「……そんなことはない」

「そんなことある。俺はお前に、資格がないとは思えないよ」


 グレンはそれを聞くと、顔を下に向けた。

 表情は見えない。

 将斗も元気付けるつもりで言っていたが、自分程度の言葉が響くなんて思っていない。

 だから最後の言葉を投げかけた。


「何も出来なかったのを悔しいと思うなら、これから挽回してけばいいだろ?」

「挽回……?」

「グレンが王様になって、今までできなかった分、皆に尽くしてやればいいんじゃないか?」

「今まで表舞台に立たなかった男を、皆が受け入れてくれるはずがないだろう」

「だったら納得してもらえるまで、頑張ればいいんだよ」


 将斗は踵を返した。


「それしかお前のその気持ちは晴れないと思う」


 そう言って、広間の出口に向かって歩き出す。


「それを決めるのはお前だけどな」


 グレンは何も言わず、去っていく将斗の背中を見送っていた。



******************************


 

 将斗は広間を出て、城を降りるための階段を目指して歩きながら、盛大に頭を抱えていた 


――なんか変なこと言った気がする……やべぇ……流れで出てきちゃったし……


 将斗は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 グレンの言いたいことは痛いほどわかったが、あの重すぎる感情を正面から受け止め続ける精神力がもう残っていなかったので、それっぽいことを言って逃げてきてしまったのだ。

 

「戻りづらくなっちゃったしなぁ……」

「あ……」

「え?」


 階段の踊り場。目の前にルナが立っていた。

 着替えを終え、彼女の髪色と同じ、淡い水色のドレスを纏っている。


 将斗は中にいるグレンに聞こえないよう、慌てて小声で話しかけた。


「……もしかして聞いてました?」

「そ、その、入る機会を窺っていたらつい……」

「恥っず……」


 将斗は一気に顔が熱くなるのを感じ、両手で顔を覆った。穴があったら入りたい。


「でも、間違ったことは言っていないと思いますよ。素敵でした」

「フォローもつらい……」


 もうこれ以上触れてほしくないので、彼女にはグレンのもとに行っていただこう。将斗は道を譲るように、背後の扉を指差した。


「グレン、中にいるんで行ってあげたらどうですか?」

「それが、まだ心の準備ができておらず」

「な、なんで? ルナさん生きてるって知ったら喜ぶと思いますけど」

「本当はグレンが起きた時に出ようと思ってたんですが。その、始まってしまったので……」


 何のことかわからず首を傾げた将斗に、彼女は『人の襟元を掴んで、壁に激しく押し付ける』という物騒なジェスチャーをして見せた。


「……それ、俺がグレンに氷に叩きつけられたやつですかね」

「はい……」

「そっからずっと見てたと?! 入ってきてくれれば……」

「あの場に「生きてました」と出ていくのは、流石に変ではないでしょうか」

「それはまぁ、変なんですけど」


 将斗は深くため息をついた。

 確かに、マジギレして取っ組み合いをしている最中に、死んだはずのヒロインがひょっこり出てくるのはタイミングが最悪すぎる

 

「でも、もう落ち着いているんで、行ってあげたほうが……」

「で、では一緒に。一緒に行きましょう」

「いや、それもなんか変な感じになりませんか?! ――っていうかまだ俺も気まずいし……」

「……」

「……」


 薄暗い階段に、二人の間に気まずい沈黙が訪れる。

 ルナはまだ決心がついていないようで、広間に入れない。

 将斗もあんなクサい台詞を吐いて出てきてしまった手前、すぐ戻るのは恥ずかしすぎる。


 将斗は渋い顔をしながら、城の下の方へ指を差した。


「一回、外に出て、気を引き締め直した後向かうというのは?」

「……名案ですね」


 二人の意見が完全に一致し、こっそりと階段を降りようと足を踏み出した――その時だった。



――ガシャァァァン!!



 耳を疑うような音。

 上の階。つまり、今しがた将斗が出てきたばかりの玉座の間から、派手なガラスが砕け散る音が響き渡った。

 天井や壁が崩れるような重い音ではない。何者かが『外から窓をぶち破って無理やり侵入してきた』ような、乱暴な破砕音だ。


「……え?」

「今の音、広間からですよね……? グレンしかいないはずじゃ……」


 階段の踊り場で、二人の足がピタリと止まる。

 先ほどの気まずさも、戦いを終えた安堵も、一瞬にして吹き飛んだ。


「誰かが入ってきた……?」


 将斗の冷たい汗が伝う。


 敵はもういないはずだ。雄矢は完全に凍りついた。

 なら、今、あそこに侵入してきたのは誰だ?


 将斗の脳裏に、最悪の予感がよぎる。


「……っ、戻ります!」

「はい!」

「……ちょっと待った」


 階段を登ろうとする彼女に、将斗は慌てて声をかけた。


「ルナさんは、安全なところに行ったほうがいいと思います」

「しかし、私にも何か」

「だってもし雄矢が生き返ってるとかだったら、また操られて危険だと思うし……」

「っ……わかり……ました」


 ルナは頷くと、素直に階段を降りていった。

 彼女の背中を見送ると、将斗は振り返り、天井を睨みつけた。


「なんなんだよ、終わったんじゃないのかよ……」


 外の空気を吸うどころではない。

 将斗は今降りてきたばかりの階段を、全速力で駆け上がっていった。

 

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