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スキル返してもらいます!!  作者: 味噌煮
第1章 偽りの勇者
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第18話 VS鈴木雄矢/356話 赤月の侵入者

 日が落ち、空がオレンジ色に染まる頃。 

 レジスタンスのアジトの一角。グレンの家に戻った将斗とレヴィは机に座り、グレンは窓の外を眺めていた。


「私たちの作戦を伝えるわ」


 レヴィが静かに口を開いた。

 いつもより低く緊張感のある声色に、空気が静かに張り詰める。

 しかし、その中で将斗は机に突っ伏していた。


「将斗聞いてる?」

「胃が……ムカムカするんだけど」

「今ちょっと真剣だからしっかりしてもらえる?」

「……ごめん」


 ゲテモノを飲まされ、魔力が九割方回復した将斗だったが、体の内部が悲鳴を上げている。泥酔した翌朝の二日酔いのように、胃の中身が逆流する感覚が止まらない。

 将斗は目を細めながら、無を飲み込み続けることで、湧き上がりを押し留める。


「うぷ……よろしく」

「じゃあ説明するわね」


 レヴィがテーブルに広げたのは、使い込まれて端が毛羽立った一枚の羊皮紙だった。 グラディア王国の地図だ。 将斗は目を丸くして、その精巧な書き込みに見入った。

 左右に長い楕円状の城壁。

 城壁の左端には最も大きい建造物が記されている。四角の頂点に建てられた四つの塔。その中央に太く大きい尖塔が描かれている。グラディアの王城らしい。


 王城から東へ道路が伸び、町の中心辺りに大きな丸が描かれている。

 見れば王国のどの道路も、そこに集まるように配置されていた。

 将斗が少年たちを見つけたあの広場がそこに当たるはずだ。

 レヴィが「私たちは今ここね」と城壁の下部を示した。


「まず城壁に沿って移動して王城を目指す。そしたら城の南西の見張り塔の裏に隠し通路があるの。私たちはそこから潜入する」


 レヴィは指でツツーと地図をなぞる。


「見張り塔の二階から中央の塔に通じる道がある。衛兵が回る時間は把握してるから、問題ないと思う」

「これ一本道じゃね? 鉢合わせたら不味くない……?」

「大丈夫、グレンなら一瞬で倒せるから」

「対策が物理じゃねぇか」


 将斗のツッコミには触れず、レヴィはそのまま「そこから階段を目指して……」と説明を続けた。


「王城の最上階に玉座の間がある。そこに雄矢がいるわ」


 ターゲットと遂に対面する局面とあって、将斗は背筋を伸ばした。


「――ここからが重要なんだけど、まず私とグレンで、堂々と玉座の間に入る」

「奇襲するとかじゃないんだ」

「最初はそのつもりだったけど、将斗がいるならこのやり方の方がいいかなって」

「俺も一緒に突入すればいい?」

「あんたは扉の影で様子を伺ってて。多分魔法を撃ち合うことになるし、危ないわ」


 そう言ってレヴィは赤い宝石がついた首飾りを取り出した。


「隙を見て将斗は『交換チェンジ』で、雄矢の首飾りと『これ』を入れ替えて」

「……確か『防御魔法シールド』の魔法具だっけ? 入れ替えてバレないか?」

「バレても問題ないわ。どのみちあいつは自分で『防御魔法シールド』を作らないといけなくなる。そうなると――?」


 レヴィの問いに、将斗は考えた。


「あ、魔法は二つしか使えないから、攻撃される機会が減る……?」

「そう。あいつは今、適当に魔法具に魔力を流して『防御魔法シールド』を展開してるから、空いた両手で二種類の攻撃ができる。それが片方の手が防御使えなくなるとなれば、きっとどこかで隙は出来るはずよ」

「そうなれば、これであいつを斬れる」


 グレンが腰の黒剣を撫でた。 


「黒剣の性能は確かなのか?」

「問題ないわ。『防御魔法シールド』を簡単に破壊できるか確認もした。どれだけ頑丈に作っても、魔法の構成そのものを破壊できるから相性抜群よ」

「それなら大丈夫か」


 昔の話では、『防御魔法シールド』にグレンが剣を弾かれていた。雄矢の絶対防御を確実に破壊できるのであれば、とても心強い。

 

「俺はとにかく、隙ができるのを待てばいいのか」

「そうね。そのためにも、将斗にはもう一つやってもらいたいことがあるの」

「それは?」

「スキルを回収して欲しい」


 そういえば当初の目的はそれだったなと、将斗は思い出した。


「私がアンタの体と同じ大きさの氷の塊を雄矢の背後の壁に打ち込む。折を見てその氷と入れ替わって」

「俺が?」

「うん。そういうスキルでしょ?」

「怖……」


 大虐殺を行った彼に近づくのは不安がある。

 想像しただけでも、胃の奥が冷たくなるようだ。

 しかし近づく以外方法はない。

 『回収コレクト』がそういうスキルである以上仕方ないのだ。

 悪いのは、そういう仕様にした神だな、と将斗は心の中で彼女を呪った。


「そしたら背後から近づいてスキルを回収して。その後は、広間の色んなところに打ち込んだ氷の塊と入れ替わって逃げてね」

「めっちゃ怖い……」

「いざという時は逃げていいわよ」


 意外な答えに、将斗は顔を上げた。

 レヴィが貼り付けた笑顔をこちらに向けていた。

 なんか見覚えがある。


「その場合、私たちは高確率で負けるから、死んでもあんたを呪うわ」

「そっちのが怖い!」

「じゃあ、言うこと聞いてね」

「……こんなのばっかだな」


 手法が神と似ている。

 しかし、どのみちスキルを回収しなければ、神によって消されてしまう。呪われたついでに消されるのだけは将斗は嫌だった。

 意を決し、レヴィの顔をまっすぐ捉えた。

 

「できるだけ頑張るよ。まだ魔法を教えてもらった恩を返してないしね」

「……ありがと」


 レヴィの偽物ではない温かい笑顔に将斗はホッとした。

 こういった感謝をされるのは久しぶりだったので、感動して涙しそうになった。

 するとレヴィが古ぼけた巻物を取り出してきた。


「あとこういう古文書もあったら奪ってほしい」

「……承知、しました」


 思ったより仕事量がある。

 一旦頑張ると言った手前、文句は言えまい。


 するとグレンが将斗の隣まで歩いてきて言った。


「君はどうして戦う?」


 そういう質問だった。

 質問の意図は問わず、将斗は素直に答える。


「それは……神様のおつかいでもあるし、魔法のお礼もあるし。あとは――」

「命懸けの戦いになる。その覚悟があるのか」


 言葉を遮ってまでの強い問いかけ。

 将斗は虚を突かれたように、グレンの顔を見上げた。

 怒声ではない。だが、その瞳には射抜くような鋭さがある。急に突きつけられた刃のような空気に、将斗は思わず眉をひそめ、視線を泳がせた。

 頑張るとさっきそう言ったはずだが、何か不満があるのだろうか。


「どうしたのグレン?」


 レヴィも様子が変と思ってか、グレンに声をかけるが、彼は何も言わず、将斗をじっと見つめてきていた。


「あるのか?」

「ない」

「うんうん……ないの?!」


 正直な答えにレヴィが愕然としている。

 一方グレンの表情に動きはなかった。


「死ぬのは普通に嫌だ。でも、スキルを持って帰らないと俺は消されるんだから、何もしないで死ぬよりはマシだなって思ってる」

「そんなことで、命を張れるのか」

「張れる張れないを聞かれると困る。正直なとこ、まだ命懸けの戦いに行くにしては、まだ気持ちが切り替わってない」


 レヴィ達の話を聞いて、戦いのスケールが違うのはわかっているが、まだ自分がそういう場で戦うという実感が湧いていなかった。

 だからどういう緊張感で望むのか、というのは想像の範疇でしか補完できない。将斗の人生の中で一番『戦い』と呼べるものは、昨日の路地裏の戦いか、レヴィと相対した時くらいなものだ。

 

「盛り下げる感じになるのは悪いと思ってる。でも言っとかないと、それはそれで悪いような気がしてさ。こんな態度の奴が行く場所じゃないってのはわかってるんだけど」

「わかっているならやめた方がいい。そんな気持ちなら後悔するぞ」

「手厳しいな……」


 将斗は苦笑した。

 黙って聞いていたレヴィが、グレンに釘を刺す。


「グレン、言い方。将斗の事情は聞いたでしょ。この子にとっては今日が絶好の機会なのよ」

「いや、悪いのは俺だよ。二人が覚悟を持って『今日』って決めてたのに、急に俺が来て相乗りする感じになってる時点で、悪いのは俺だ」

「なら――」グレンが何か言いかけていたが、将斗は続けた。

「親しい人を奪われた気持ちは俺にはわからないから、それも悪いと思ってる。でも……許せないって気持ちは同じなんだ」


 グレンが真剣である以上、将斗も自分の思っていることは赤裸々に語ることにした。


「俺はずっと異世界に来たいって思ってたんだ。のびのび暮らすでも、勇者になるでも、なんでもいいから別の世界に来たかった」

「元の世界で……何かあった?」

「……何もなかったんだよ」


 夕日が角度を変え、部屋は次第に影に染まりつつあった。

 この暗さが、いつも暮らしていた自分の部屋と重なる。


「俺は何かになりたかった。選択肢は沢山あったはずなんだけど、楽な方を選んでいるうちに、やれることも狭まって、それらにも興味が持てなくて……とにかく、何もなかったんだ。だから異世界に来たかったんだ。異世界なら、何かになれると思ってさ」


 自分の生き方も、異世界に逃げ場所を求めたその考え方も、我ながら浅はかで馬鹿だなと、将斗は自嘲気味に口の端を歪めた。


「なのに、俺じゃないやつが選ばれて。そいつが暴れ回ってて……納得いかない。最初から俺を選んでくれよって思ってる。だから許せないから、戦いに行くよ」

「……」


 グレンは何も言わず、将斗を見ていた。

 自分の腹を割って話したのもあって、静かなままのこの空間に耐えられず、将斗は人差し指を立てた。


「――目標は、一発パンチいれることかな」


 無論、暴力反対ではあるので、そんなことをするつもりはないのだが。


「こういう理由で、どう?」

「わかっ……た」


 そう言うとグレンは、ふっと体の向きを変え、静かに外へ通じる扉へ向かった。


「どこ行くのグレン」

「外で待ってる」


 だが一歩踏み出したところで足を止め、背中越しに「将斗」と言った。


「すまなかった。僕は、()()()()()()()()()()()()()言い方を選べなかった。頭を冷やすよ」

「……そうか」


 グレンは出て行った。

 将斗は静かになった部屋で、レヴィに勢いよく向き直った。

 

「なぁ、グレンめっちゃ怒ってたよね……!? どうすればいい? 作戦に支障ある?! マ、マジでどうすればいい? 俺こんな時どんな対応したらいいかわからないんだけど!」


 わかりやすく、取り乱した。

 レヴィの肩を揺さぶって、将斗は助けを乞う。

 彼女は無力にも首を前後に揺られ、目を細めた。


「あー……少しは緊張感持つことを覚えるといいんじゃない」

「いいのか?! 本当にそれだけでいいのか?!」

 

 レヴィはなんだこいつという顔をしていたが、あまりにもしつこいからか、万歳の要領で将斗の手を跳ね除けた。


「いい加減にして! 大丈夫だって! アレ多分怒ってるわけじゃないから!」

「いやだって〜最後の言い方どう考えてむっ!」


 レヴィは将斗の口を、それ以上は喋れないよう手で押さえると、溜息をついた。

 すると思いついたように、将斗の顔を見た。


「もう一つお願いがあるんだけど」


 まだあるのかと、将斗は思った。


 ――レヴィは最後のお願いを語った。

 予想外の言葉に虚を突かれ、将斗の動きが止まる。しかし、すぐに覚悟を決めて答えた。


「――……わかった」



*******************************



 レジスタンスが潜伏するこの森は、鬱蒼とした木々に空を遮られている。木々の隙間から覗く遠くの空はまだ橙色を帯びているというのに、地上には早くも夜の闇が沈殿していた。


『目標は一発パンチを入れることかな』


 グレンは、あのふざけた転生者の言葉を反芻する。

 『パンチ』

 レヴィが稀に使う謎の言語と同じ。意味は聞いたことがある。

 殴るという意味があったはずだ。だが、本気ではなく冗談めかして使うことが多いらしい。

 将斗も同じように本気で言っていないだろう。

 少なくとも、命のやり取りをする場で吐く言葉ではない。


「何が……パンチだ」


 静かに、吐き捨てるように呟いた。


「こっちはそれどころじゃないっていうのに……なんでお前は――」


 グレンは、自身の左手が微かに震えていることに気づき、右手で強く握りしめた。爪が食い込むほどの力で抑え込む。


「――なんで、そんな顔をしていられる」


 闇に溶けるような独り言。

 その表情は、嫉妬と苦痛で酷く歪んでいた。



********************************



 グラディアの夜空に、月が懸かっている。 だが、その一部は不吉な赤色に染まっていた。まるで、見えない何かに蝕まれているようだ。

 『赤月の儀』が始まるのは、あの月が完全に鮮血の色に染まった時だという。


 つまり、タイムリミットは目に見えて迫っている。


 将斗を含めた三人は王城を目指し、城壁の影に潜むように走っていた。 ふと、将斗は走りながら疑問を口にする。


「そういえば、他のレジスタンスは何してんの?」

「知らない」

「知らない?!」

「私たちは互いに作戦は共有していないのよ」

「え、同じ組織なのに?」


 レヴィは前を見据えたまま答える。


「私たちがもし負けて、催眠魔法で向こうの作戦内容を雄矢にバラしたら、マズイでしょ?」

「…………確かに」

「だから私たちは互いに関与しない。そういう約束で動いてる」

「でも、作戦タイミング被ったらヤバくね?」

「『赤月の儀』の前に動くって言ったら許してもらえたわ。ってことは向こうは『赤月の儀』の最中か、その後に動くんでしょうね」


 許可が出るあたりは寛容だが、互いに関わらないというのは随分とドライだ。

 確かに、二人が他のレジスタンスと会話している姿は見ていない。

 同じ志を持つ同志ではあるが、馴れ合いは一切ないということか。


「そっか……」


 秘密組織っぽくてかっこいいな、と将斗は少し憧れていたのだが、想像していた「チームワーク抜群の組織」とは違っていて少しがっかりした。

 そもそも服装も、いつもの白シャツとジーパンだ。

 この時点で、自分は「組織の一員」というより「部外者の協力者」なのだと思い知らされる。

 それとも洗ってくれているから、組織として見てくれているのだろうか。


「見た感じ、結構人数いたけど、こっち来ちゃって大丈夫なのか?」

「……ん? なんで僕が?」


 グレンが不思議そうな顔をしている。

 一瞬返事がなかった時に将斗は、また怒っているのかと思って胃が縮み上がったが、単に疑問だっただけのようで安堵した。


「え、だってリーダーでしょ?」

「リーダー……?」

「グレンは総隊長じゃないわよ」


 グレンがリーダーだと思い込んでいた将斗は、素っ頓狂な声を上げた。

 その一方でグレンは「ああ、なるほど」と腑に落ちた顔をしている。


「総隊長はクリスだし」

「……あ、そうなんだ」


 将斗は納得した後、すぐにレヴィの方に向き直った。


「クリスって言った? え、あの昔の話に出てきた?」

「あれ? 言ってなかったっけ」

「すまない。後で紹介すると伝えたんだが、思ったより魔法の練習に時間が取られたからね……」


 将斗の中で彼女はいつの間にかフェードアウトしていたので、てっきり――そういうことになっていると思っていた。

 しかし、言われてみれば妙にしっくりくる。


 この組織が掲げる「雄矢を殺す」という執念に近い目標。

 グレンがリーダーだと思っていた時は、少し過激すぎると感じていた違和感が氷解する。

 クリスなら、それを掲げる理由がある。

 あれだけ愛していたアリスを奪われたのだから、当然だ。彼女こそが、この復讐劇の中心なのだ。


「着いたわ」


 王城の真裏。

 城壁の足元に、雑草に隠れるようにして人が一人通れるくらいの小さな亀裂――隠し通路の入り口があった。


 ふとグレンを見ると、彼の周りの空気が、氷のように張り詰めていた。握りしめた拳が、微かに震えている。きっと恐怖ではない。抑えきれない怒りによるものだろう。


 レヴィが、躊躇なく闇の中へ足を踏み入れる。

 グレンが続く。

 レヴィ達が、隠し通路に入っていく。


 遂に雄矢に挑む時間が近づいてきている。


 ほんの少しだけ、足が重くなるのを将斗は感じた。

 しかし、二人から聞いた壮絶な過去や、先ほど目にしたグレンの怒り――将斗の足は、自然と前へと進んだ。



********************************



 想定していた通り、隠し通路から王城へ侵入。

 螺旋状の階段を登り、見張り塔に到達した。


 石造りの塔内は気温が低く、シャツとその下の肌着二枚だけの将斗にはこたえる寒さだった。

 埃が積もり、蜘蛛の巣が張っていて、廃墟のような不気味な雰囲気が漂っている。人の気配が、不自然なほどにない。


 しんと静まり返った通路には、灯り一つなかった。窓から差し込む青白い月明かりだけを頼りに進むしかない。見回りの兵がいるはずなので、音を立てるのは厳禁だ。


 二人は全く音を立てていない。影のように滑らかに進んでいく。

 しかし将斗は素人だ。床に散らばる砂利を踏むたび、レヴィが振り返って唇に人差し指を当ててくる。 


「逆になんで二人は無音で走れるんだよ」

「シッ……」


 小声で抗議するが、冷たくあしらわれる。頼むからコツを教えてくれ。


 その後も数回、小石を踏んで睨まれながら、見張り塔の二階と中央の塔をつなぐ渡り廊下の入り口に到達した。


「マジでここで鉢合わせたら終わりだな」

 

 何度も怒られて学習したので、最小限の音量で呟く。

 するとレヴィが口を開いた。


「ねぇグレン――」 

「は?」


 レヴィが普通の声量で言うので、将斗は驚いて声を裏返らせた。


「変よね?」

「……ああ。静かすぎる」


 グレンが静かに頷く。

 そしてそのまま、隠密行動を解除するように、堂々と歩き出した。


「え、何、何が? 行っていいの? てか喋っていいの?」

「シッ!」

「ひどい……」


 理不尽な扱いに不満を覚えつつ、将斗は慌てて二人の背中を追う。

 一歩進むごとに通路の向こうから何かが現れないか、気が気でなかったが、最後まで何も現れることはなかった。


「――っ?!」


 通路を抜けた向こうで、強烈な異臭が鼻を貫いた。

 反射的に将斗は鼻と口を覆う。


 錆びた鉄を漬けた水を、そこらじゅうにぶち撒けたような匂いだ。  空気が十分にそれを含み、湿り気と重さすら覚える。

 それだけではない。鉄にはない生臭さ――生物の中身が持つ特有の刺激臭が混じっている。


 近づいてはいけないと、本能が警鐘を鳴らす。


 それでも進まなければならず、一歩踏み出した時、グレンとレヴィが息を呑んで立ち止まった。

 そしてレヴィの手がすぐに伸びてきて、将斗の視界を覆った。


「見るか、見ないか選んでいい。無理そうなら自分で覆ってて。抱えて連れてくから」


 ()()()()()()を見たことがないであろう将斗を気遣って、レヴィは前置きを用意してくれたのだ。

 しかし、雄矢と戦うのであれば、避けては通れない道だ。

 この先の惨状は、この世界では起こり得ることなのだ。


「見るよ」


 レヴィがそっと手を離した。

 将斗は覚悟していた。

 あたりに肉片が散らばっているような、乱雑な惨状を。

 全てが真っ赤に染まっていて、足の踏み場もない地獄絵図を。


 ――現実は、もっとたちが悪かった。


「っ……」


 手で口を強く押さえ、大きく息を吸った。

 吐き気よりも先に、寒気がした。


 雄矢に対しての理解を拒絶するその光景に、胃の奥底へ氷を流し込まれたような寒気が走った。


 階段へ続く巨大な廊下。

 赤い絨毯が中央に敷かれ、豪奢な装飾が施された美しい回廊だ。

 その両脇で――鎧を着た騎士たちが、向かい合うように整列し、跪いていた。

 全員が、自らの剣で、自らの喉を貫いたまま。


 まるで王族を出迎えるかのような、整然とした死の列。

 冒涜的な光景だった。


 ――ジャリ、と金属の擦れる音がした。 


 見ると、一人だけ中央でこちらを迎えるように立っていた騎士がいた。彼もまた、剣で喉を貫かれている。

 なぜ立っていられるのか不思議だった。

 鎧を赤黒く染め上げていて、体を流れているはずのものが全て流れ落ちてしまったように見えた。


「……ッア………ごァ」


 血の泡が弾け、彼だったものの口から空気が漏れる。


「ヨ、ウコ……ソ……オフ……タ…リ、サン」

 

 途切れ途切れだったが、それは言葉だった。

 『お二人さん』。という言葉に、これが誰からのメッセージなのかがよくわかった。


「ウエ……デ……マッ…………テ……ルゼ」


 言い終わると同時に、レヴィを中心に突風が吹き荒れた。

 風のように見えたそれは純粋な魔力の波であり、物理的な破壊は伴わない。それが駆け抜けると、廊下の騎士たちは糸が切れた人形のように、ガシャン、と床に崩れ落ちた。

 兜が転がる音が、やけに軽く響く。


 レヴィは彼らに掛けられていた『洗脳魔法』を強制解除したのだ。


「こんなことに使われると……本当、嫌になるわね」


 レヴィが悔しそうに唇を噛んでいた。

 将斗は見ていられなくて、沈黙を破るように口を開いた。


「見回りの兵と全然会わないと思ってたけど、ここにいたってことだったのか」

「……そうね」

「てか、来てるのバレてたよな」


 将斗は動かなくなった騎士を見下ろす。


「どうかしら。二人って言ってたでしょ。アンタのことは気づいてないみたい」

「彼らの遺体は時間が経っている。一日にそこらの腐敗じゃない。あらかじめ前もって用意していたんだろう」


 グレンが吐き捨てるように言って、歩き出した。


「悪趣味な男だ……」



********************************



 玉座の間の巨大な扉が、轟音と共に内側へ吹き飛んだ。


 瞬間、肌にまとわりつくような重い空気が流れ出してきた。 濃密すぎる魔力だ。ただそこにいるだけで、空間そのものが歪んでいるような錯覚を覚える。


 舞い上がる粉塵の中、二つのシルエットが戦場となる広間へと踏み込む。


 広間には誰の姿もない――いや、一人いる。その空間の最奥。

 背後の巨大な窓から差し込む『赤月』の光を背負い、玉座の手すりを枕に寝ている男がいた。

  退屈そうに寝転がっていた彼は、ゆっくりと顔を上げた。

 侵入者の姿を確認すると、ニヤリと口角を吊り上げ、勢いよく起き上がって座り直す。


「遅かったなぁ、もう来ないかと思ったぜ」

 

 雄矢は頬杖をつき、玉座の上から二人を見下ろした。

 その声には、隠そうともしない傲慢さと、侵入者を羽虫程度にしか思っていない軽薄さが滲み出ている。


「二年ぶりだよな。随分と死ぬ覚悟を決めるのに時間がかかったな」


 その瞬間、雄矢の言葉を遮るように、無数の氷のつぶてが彼に殺到した。

 先頭の数発は、雄矢の目の前数メートルの位置で、見えない壁に阻まれて砕け散る。後続の氷塊が嵐のように降り注ぎ、破壊された床や壁の破片が粉塵となって視界を奪う。

 しかし、次の瞬間。玉座から発生した爆発的な突風が、煙も氷も全て吹き飛ばした


 飛び散る氷片をマントで防ぎながら、レヴィが雄矢を睨みつける。


「あのさ〜、アスベスト入ってたら肺がどうかなるだろ。気をつけろよ」

「何言ってんのかわかんない。通じる言葉で喋ってくれる? それとも二年経つとボケちゃうのかしら?」

「一言目それ? ドラマがねぇなぁ」


 大袈裟に肩をすくめて、雄矢は笑い飛ばした。

 彼は指をレヴィの隣へ――既に黒い剣を抜き放っているグレンへ向けた。


「そっちの王子はどうよ。二年越しのセリフをぉ〜どうぞ!」


 その言葉が終わるよりも早く、グレンの姿が掻き消えた。  赤い眼光の残像だけを残し、神速で肉薄する。


 雄矢は、目の前に現れた凶刃にも眉一つ動かさず、ただ退屈そうに片手をかざした。


「『ウィンド』」


 短い詠唱と共に、暴風の壁がグレンの突進を強制的に止める。グレンは床に剣を突き立てて耐えるが、その肌がジリジリと焼けるような熱を感じ取った。


「『火球ファイア』」


 風の壁の向こうから、巨大な火の塊が迫る。

 グレンは床を蹴り、風圧に身を任せて後退しながら、迫り来る熱波を黒い剣で一閃した。

 真っ二つに両断された火球が、破裂する風船のように一瞬にして霧散する。


 グレンはレヴィの近くまで吹き飛ばされたが、空中で体勢を立て直し、猫のようにしなやかに着地して再び剣を構えた。


「……」


 その後方の扉を失った入り口の影で、将斗は赤い首飾りを手に機を伺っていた。

 頼まれた仕事は四つ。

 特に急ぐべきは、二つ。

 『首飾りをダミーに入れ替えること』と、『スキルを奪うこと』。


「見づれぇ……」


 存在がバレないよう物陰に隠れているが、この視界では状況把握が難しい。

 雄矢は余裕綽々だ。後ろでこそこそしているネズミがいれば、すぐに気づくだろう。

 バレたら終わりだ。スキルを奪う時に不利になる。

 やるなら『三人目』なんていないと思っている今この時しかない。


「……でも早くしないとマズいよな……」


 開戦からわずか数秒でこの惨状だ。部屋を揺るがす魔法が飛び交い、煙と熱波が視界を遮る。

 遠くにいる雄矢を正確に捉えるには、視界がクリアな瞬間を狙うしかない。

 今、両者は睨み合い、動きが止まっている。

 やるなら今だ。将斗は壁の縁に手をかけた。


「一瞬、一瞬だぞ……3、2…………」


 一旦やめた。


 心臓と、呼吸と、心のタイミングが一致していない。


 深呼吸。

 肺の中の空気を全て入れ替え、息を吐く。

 この局面になって、緊張するなんて笑えない。

 だが失敗したらもっと笑えない。


 将斗は数回の深呼吸を経て、再び壁の縁に手をかける。


「行くぞ。3……。よし、3……2……1!」


 入り口横から、顔半分だけ出す。

 見えた。玉座に座る雄矢。

 年齢は自分と同じくらいだろうか。ニヤニヤと笑っている。

 その顔の下。

 胸元に、赤く輝く宝石が見えた。


「『交換チェンジ』」

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