第19話 氷獄の別れ/357話 力の誘惑
将斗の手に握られていたのは、淡い光を放つ赤い宝石の首飾り。
ダミーの首飾りが今まで光ることはなかった。
――つまり、入れ替えは成功した。
小さくガッツポーズを作りつつ、おそるおそる雄矢を確認した。
レヴィ達と会話しているだけで、入れ替えには気づいている様子はなかった。
「あとは、スキルを回収か……」
雄矢の背後を見ると、数個の氷塊が壁に突き刺さっている。
ここからが山場だ。
予定は、氷塊と入れ替わり、雄矢の背後を取る。
『浮遊』を使い、雄矢へ接近。
そのまま『回収』で、『無限魔力』を彼から奪う。
その後、気合いで逃げる。
「気合いで逃げれるもんか……?」
不安になりつつも、雄矢の背後の氷塊に目を向けた。
雄矢から一番近い氷塊に狙いを定め――
「『交換』……」
詠唱の後、まだ広間の入り口にいた。
失敗した。
将斗は急に胸が鼓動を早めるのを感じながら、首を傾げた。
不発の理由はおそらく『サイズが同じではないから』だ。
レヴィは氷は将斗と同じサイズで撃つという話になっていた。
しかし、よく見ると雄矢の近くの氷塊は、『火球』の影響を受けてか、溶けていて角が無く丸くなっている。
その分小さくなり、スキルの条件を満たせなかった。そう推測した。
「なら……」
将斗は雄矢の左上あたりに刺さった氷塊を見た。
角がまだ残っており、溶けていないように見える。
再度覚悟を決め、集中し――
「『交換』」
視界が一瞬にして切り替わる。
見えたのは灰色の石の壁。
つまり今、雄矢の後ろにいる。
氷塊が刺さっていたことで崩れかけている石壁の縁を手で掴み、壁にボルダリングの要領でしがみつく。
そのまま頭を後ろに向けると――。
「だからさぁ……『赤月の儀』があと数時間だからって焦って死にに来るのはダサくねって言ってんだよ」
「はっ、そう言って焦ってんのはあんたの方じゃないの?」
「はぁ? 馬鹿かよ。俺が焦る必要ねぇだろ――」
まだ言い争いをしていた。
思ったより時間稼ぎは上手く言っている。
「『浮遊』」
将斗が小声で唱えると、体が宙に浮いた。
雄矢はまだこちらに気づいていない。
背中から推進力が生まれるイメージで、一気に雄矢へ突撃した。
ここで終わらせる。
右手を突き出し、狙いを定めた。
「『回――」
触れてから唱えるのでは遅い。
多少フライングでも良いはずだ。
勝負は一瞬。
触れた瞬間に詠唱を終えるように狙いをつける。
「収』――!」
パシッ、と掌に感触が走る。
触れた。
将斗の手がほのかに光った。
見たことない現象。
おそらくスキルが発動したらしい。
「……は?」
しかし、目の前の光景に唖然とした。
感触はあったが、手のひらと雄矢との間には一人分の空間があった。
透明な何かが、雄矢の前にいる。
それに触れている。
標的の雄矢に『直接』触れられていない。
「いらっしゃーい」
雄矢がゆっくりと、首だけでこちらに振り返った。
そのニヤついた瞳と目が合った瞬間、将斗の心臓が早鐘を打つ。
まるでそのセリフは、こっちの存在を知っているかのよう。
向こうは焦ってすらいない。
バレていた。存在も、狙いも。
一体、いつから。
全身の体温が引いていく。
「将斗! こっち!」
事態を察知したレヴィが叫ぶ。
頭上に氷の塊を生成している。
「『交――」
将斗の混乱していた脳が、『交換』の判断をつけたのは奇跡だった。
だが――
「『光』」
将斗の思考を先読みするかのように、雄矢が短く告げる。
視界が白一色に埋め尽くされた。
強烈な閃光に将斗は反射的に腕で目を覆う。
視界が奪われた。
『交換』が使えない。
将斗は次の手を考える。
スキルは諦めて、とにかく逃げなければならない。
そう思った瞬間、自分の腰のあたりに何者かが抱きついた。
「っ?! 離せっ」
眩しさに、細めた目でなんとか前を見る。
誰もいない。
いや、いる。
見えない何かが、そこにいる。
そこにいて、腰のあたりに抱きついている。
なんなのか。誰なんだ。
そんな湧き上がる疑問と、この状況における焦りが、将斗の判断を鈍らせた。
「そのまま抑えとけ」
雄矢が将斗に掌を向ける。
腰に巻き付いている見えない何者かを、無理やり蹴り飛ばし、将斗は後方へ力いっぱい飛び退いた。
しかし、距離を取っただけでは、彼の照準からは逃れられない。
未だ白く霞んでいる視界の端、将斗から数メートルのところにグレンがいる。
剣を床に突き刺して耐えている。何か叫んでいる。
だが雄矢の左手から吹き荒れる突風が、グレンの言葉を遮りながら、彼の動きを止めていた。
助けはこない。
これはまずい。そう思った。
スローになった視界の中で、雄矢があの魔法の名を口にする。
「火球」
*******************************
爆発が起き、広間の壁が崩壊する。
「将斗!」
悲痛な声を上げたレヴィの目に最後に映ったのは、炎に包まれる将斗の姿だった。
炎は彼を飲み込んだまま、広間の壁に衝突し、地面を揺らす衝撃波と轟音を伴って爆発した。
広間に開いた大きな穴から遠くの景色が見えた。
「……やられた」
将斗の動きは問題なかったはずだと、レヴィは思い返していた。
彼女はそのまま目の前の風景を悪い冗談を見るような目つきで睨んだ。
将斗は予定通り、問題なく雄矢に接近していた。
雄矢が気づいている様子はなかった。
しかし、雄矢の体の直前で彼の腕が止まっていた。
部屋の反対側で見ていたレヴィの目には何かいるように見えたし、実際に将斗も何者かの存在に驚いていた。
彼女はあの時、『交換』で回避できるよう、レヴィは頭上に彼と同じ大きさの氷塊を作った。
直後に、ただ眩しくするだけの魔法――『光』によって、将斗の視界が奪われた。
「なんで知ってる!」
レヴィは、悔しさに歯を食いしばった。
雄矢の対策が的確だった。いや、的確すぎる。
二つとも、誰が、何をするかを知っていなければできない対策だ。
どこからその情報が漏れたのか――それを追求しようとするも、レヴィは目の前の状況を最優先した。
爆発した広間の一部を見て、呆然と立ち尽くしているグレンに、二つ目の火球が迫っていた。
「呆けてんじゃない!」
レヴィは『浮遊』でグレンに急接近。
抱えて逃げる余裕はなく、横方向へ蹴り飛ばす。
そのまま、『魔法障壁』を展開。
火球は、高速回転する魔力の壁により構成を破壊され霧散した。そのまま続けて数発の火球がレヴィを襲うが、障壁は難なく火球を消し去った。
いける、この魔法なら耐え切れる。
『魔法防御』と違い、破壊できないことに気付いたのか、雄矢は魔法を放つ手を止めた。
「なんだよそれ。また妙なもん作ったな? 教えてくれよ」
レヴィは返事をしなかった。
さっきまで会話していたのは、あくまで将斗のための時間稼ぎ。
意味もなく、だらだら会話するつもりは毛頭ない。
彼女は立ちあがろうとしているグレンの方を向いた。
「気を抜かないで」
「……わかってる!」
吐き捨てるようにグレンはそう言うと、そのまま雄矢目掛けて走り出した。
「バカ! 突っ込まないで!」
「『風』」
またも、巻き起こる風がグレンを足止めした。
レヴィは、咄嗟に空いている手で魔法を放つ。
「無鉄砲に突っ込まないでよ。『氷旋錐』!」
彼女の手から高速回転する氷のドリルが発射される。
突風の影響をもろともせず、雄矢を貫こうと進む。
彼はもう一方の手で魔法を展開する。
「『防御魔法』」
彼の周囲を半透明な壁が包み、ドリルは衝突し砕け散った。
レヴィはドリルを再生成し放つが、そのどれもが壁に阻まれてしまう。
レヴィの背中を汗が伝った。
策はある。
だが、好ましい状況ではない。
依然として風が吹き荒れているため、グレンは動けない。
雄矢はその風を放ったまま、『防御魔法』を展開している。
おかげで、手が塞がっているから、お得意の『火球』が使えない。
レヴィは、『防御魔法』を破壊する魔法が出せない。
時間を掛ければ大技で破壊は可能だが、その隙が大きすぎる。
レヴィだけでなく、グレンが危険だ。
図らずも膠着状態となった。
ここで理があるのは、無限に魔法を使える雄矢だ。
耐え続けられれば、負ける。
氷のドリルで牽制を続けたまま、レヴィは考えた。
雄矢が迷いもせず『防御魔法』を使用した時点で、首飾りがダミーになったことは気づかれているということ。
つまり今日の朝目覚めた将斗と交わした会話の内容が、どこかから漏れていると言うことになる。
その方法が思いつかない。レジスタンスは全員には毎日、あの不味い『催眠魔法』を防ぐ薬を飲んでもらっている。
操られた人間が近くにいたとは考えづらい。
だが、違和感はあった。
昔の話を終えたあたりで、外に何者かの気配は感じた。すぐに確認したが、何もいなかった。
きっとあれがヒントだ。
だが、今の状況には関係ない。
これ以上は考えても無駄だと、レヴィは思考を切り替える。
この膠着状態から脱却する方法を探さねばならない。
「長期戦で俺に勝てるわけないのに、どうするんですかー? レヴィせんせー!」
雄矢からの煽りに、今考えてんだろ、とレヴィは眉間に皺を寄せた。
「にしても、王子様は相変わらずなんもできねぇんだな」
雄矢がグレンに声をかける。
「マジでお前、何しに来たんだ? 王子として国を取り戻すってか?」
雄矢は魔法を展開したまま、玉座を降りてグレンに近づいてきた。
レヴィは嫌な予感を覚えた。
「この二年何もしてこなかったくせにさぁ!」
「黙れ! お前は二年でこの国の民を苦しませ続けた! 王の座から引き摺り下ろしてやる」
雄矢の狙いが、グレンであることにレヴィは気づいた。
「グレンそいつと会話しないで!」
「引き摺り下ろしたら、お前が王様か? お前が王様になったとして、何ができんだよ」
雄矢はレヴィを無視して、執拗にグレンを挑発する。
「俺の方が相応しくねぇか? 知ってんだろ? 俺が隣の国を一部滅ぼして、領土を広げたこと」
「相応しいものか! そのせいで他国から反感を買っている! 国民を不安にさせて何が楽しい!」
「領土を広げるのはいいことだろうがよ! 反感買ってようが、あいつらには反撃すら出来ねぇだろうが」
「この国の人々の生活が圧迫されている時点で、領土の話は二の次だ。まず民だ。民を第一に考えられない者が王であっていいはずがない!」
グレンの声に怒りが乗り始めている。
「そいつと喋らないで!」
レヴィは彼に呼びかけるが、彼は聞く耳を持たない。
「そんなに国民が大事なら、お前は今まで何をしてきたんだよ!?」
氷のドリルを半透明の壁で弾きながら、雄矢がグレンに問いかける。
「お前は何もしなかったじゃねぇか。『民が苦しんでるぅ』って言うならそれ相応の何かはしたんだよな?」
「それは――」
グレンが言葉に詰まる。
それを狙っていたかのように、雄矢が矢継ぎ早に言葉を並べ立てる。
「しなかったよな!? 俺が何人か殺してもお前はちっとも現れなかった。この二年間ずっと! 王子様なのに! 王子様の癖に!」
グレンが少しずつ足を前に進めている。
怒り任せのように見えた。
荒くなっている呼吸のせいで、肩が上下している。
雄矢の挑発に乗ってしまっている。
「あいつも親バカだな、こんなのに王が務まるわけねぇだろ!」
その言葉に、風の中からでも鮮明に聞こえる声で、グレンが声を上げる。
「父上は悪く言うな! あの人は誰よりも国民のために生きた偉大な王だった! 民を第一に考える王だった! あの人は間違っていない!」
「そぉーんな偉大なお方に選ばれたくせに、お前はなんかしたか?! この二年、お前は一度でも民のために生きたのかよ! 違うよな?! 王子のくせに自分が大事で大事で、皆を見捨ててのうのうと生きてたんだよな?!」
「違う!!」
「違くねぇだろ!!」
一言一句強調するように言って、雄矢は高笑いした。
「民の皆々様がかわいそうで泣けてくるわ。皆助けを求めてたって言うのに、なんでもっと早くこなかったんだよ〜?」
「黙れ……!」
雄矢は挑発をやめない。
「弱くって勝てないって思ったからだろ? 俺と戦ったら死ぬってわかっちゃったからだろ? 怖かったんだろ? だから来なかったんだろ?」
「黙れ! 黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!」
雄矢が片手を上げた。
「そんなんだから、家族も恋人も守れねぇんだよバァカ!!」
「貴様ぁぁぁアァアア!!」
――その瞬間、風が止んだ。
グレンを阻んでいた、風をなぜ消した。
不自然だ。
レヴィの直感が警告する。
これは罠だ。
「グレン、待っ――」しかし、声をかけるより早くグレンは駆け出していた。
魔法を切る黒き剣の、その切先が『防御魔法』に迫る。
グレンが躊躇なく、剣を振り下ろした。
ザシュ――
肉を断ち切る音。
振り下ろされた剣の軌跡をなぞるように、鮮血が飛び散った。
「………………な、ん」
グレンの動きが止まる。
唖然とした顔で、正面を見ている。
彼の目の前には少女がいた。
肩から斜めに切り裂かれ、そのドレスを真っ赤に染めた、水色の髪の少女が――ルナがそこにいた。
死んだはずの彼女がいる。
グレンの目の前で、致命傷を負ったはずの彼女の口が動いた。
「どうして、助けに来てくれなかったの?」
「――――っ?!」
グレンの目が大きく見開かれる。
彼は呼吸するのすら忘れ、立ち尽くした。
いないはずの、亡くしたはずの彼女が目の前で――自分の手によって切り裂かれている。
「あーあ、殺しちゃったな」
その呟きは、亡霊でも見た顔をした彼の耳には届かない。
雄矢は手をあげ、少女の背中越しにグレンに狙いを定めた。
「『火炎光線』」
「――?! グレン真っ向から受けないで!」
レヴィの声が届くと同時に、赤熱した光線が、グレンに迫る。
あの剣は『個』の魔法は消せるが、風や光線といった『量』で迫る魔法と相性が悪い。
彼は剣で防ごうとしたが、その視線はまだルナに釘付けだった。
「ごめ……ん……」 謝罪の言葉と共に、彼は光線に飲み込まれ――
広間の入り口まで吹き飛ばされると、彼は内壁に巨大な亀裂を作りながら衝突し、やがて事切れたように床に倒れた。
黒い剣が金属音を立てて床に転がった。
「親子で雑魚だったな。お前は少しくらいは楽しませてくれるかよ?」
話術で巧みにグレンの心をかき乱し誘い出す。
それを、操ったルナを盾にし、隙を生み出す。
まんまと策に乗ってしまったことに、レヴィは腹が立っていた。
何より、それを止められなかった自分に。
少女の亡骸とマントの切れ端が床に両断されて落ちている。
マントは元々『透明になれるマント』だったのだろう。黒剣によって機能を失いただの布切れと化している。
あの日使ったものだ。
奪われていたのだ。
さらには、ルナの死体をここで使ってくる手口の汚さと醜悪さに、レヴィの怒りは頂点に達していた。
「『氷弾暴風』!」
二年前より進化させた、数も規模も数段改良した氷塊の嵐を、雄矢に放つ。
壁も天井も全てを飲み込む嵐が広間を破壊していく。
「ああ〜! 久々にやり合えるヤツだなぁ! 『火球』!」
雄矢の手から次々と火球が生成され、氷の嵐へ降り注ぐ。
相性はレヴィの方が悪く見える。
しかし、拮抗していた。
二年前の二の舞にはしない。するつもりなどなかった。
そのためにここに来ている。
火球が着弾と共に爆発する。
衝撃波を嵐で押し返しながら、レヴィは全神経を魔法へ注ぐ。
「負けるか……っ!」
少しでも気を抜けば火球に押し返される。
魔力は蓄えがある。
まだ持久戦はしていられる。
この間に次の策を練ればいい。
せめてグレンが目を覚ますまで――。
――その時、火球が数個、空気を焼きながら視界の上を通っていった。天井の一番高いところへ。
この中央塔の先端にあたる部分目掛けて。
雄矢の狙いは――屋根の崩落。
天井が爆発し、城全体が揺れ、灰色の瓦礫が降り注ぐ。
「『浮遊』!」
片手で『氷弾暴風』を維持しながら、レヴィはグレンの元へ飛び立つ。
広範囲の『防御魔法』を展開する。
しかし、彼の位置が遠すぎる。端の耐久力には自信がない。
その時、氷の嵐の間を裂くように、数十枚の透明な刃が床を切り裂きながら迫った。
――ここで『風刃』?!
魔法の正体は瞬時に見抜いた。
その魔法はレヴィだけでなく、倒れているグレンにも向けられていた。
「……っ」
『防御魔法』は中心から遠ざかるほど耐久力が低い。
遠くのグレンを守りきれない。
レヴィは、『浮遊』を維持したまま移動し、『魔法障壁』を広範囲に展開した。
風の刃が魔力の壁に衝突し、次々とその形を失っていく。
その代償として氷の嵐が晴れる。
拮抗相手を失った火球が、堰き止められることなくレヴィに襲い来る。
『魔法障壁』でそれらを消し去りながら、グレンの元へ降り立つ。
辿り着いた瞬間、『防御魔法』を展開し、落ちてきた瓦礫から身を守った。
それから数分の間、豪火の雨と風の刃がレヴィに降り続けた。
「グレン! グレン! 起きなさいよ!」
レヴィの呼びかけに、彼は応じない。
床に突っ伏したまま動かない。
だが僅かながら背中が上下している。呼吸はある。生きている。
「グレン! ねぇグレン!」
レヴィは魔法障壁を維持しながら必死に考えた。
瓦礫の雨は耐えきった。
『防御魔法』はもう必要ない。
広間は天井と一部の壁を失い、赤い月明かりが照らしている。
玉座の間とは思えない惨状だった。
雄矢から放たれたいくつもの火球が、レヴィたちの元に迫る。
凄まじい威力だが、障壁はそれらの対策として完璧だった。
『防御魔法』と違い、魔法を完全に無力化できていた。
だが雄矢の魔法の規模が大きすぎる。
障壁は緻密な魔力操作が必要になる上、広範囲となると他の魔法の発動に意識を割けない。
「また、こうなの……?」
同じに思えた。
二年前と変わらない。
場所が玉座の間になっただけ。耐える時間が伸びただけ。
攻撃を受け続けているだけで、抵抗できない。
「グレン! 起きて!」
グレンさえ起きれば状況は変わる。
大きく変わらなくてもせめて、時間が要る。
一矢報いるための時間が欲しい。
「お願い! グレン!」
足で、彼の体を揺らす。
彼は動かない。
「このままじゃ、勝てない……」
何のためにこの二年準備してきたのか。
なぜギリギリまで、準備してきたのか。
その意味が無かったなんて、レヴィは思いたくなかった。
「お願い……」
――彼女の視界の端で、動くものがあった。
横目で見ると、玉座の間の端。
ヒビが入っている硝子窓の向こうに人影があった。
人影は窓の方に、片足を向けると一直線に迫ってきた。
ドッ――
「………………何してんの?」
レヴィは届かない小声でつぶやいた。
窓を蹴破ろうとした人物――将斗が、硝子に跳ね返されていた。
ぶつけた方の片足を痛そうに押さえ、広間の外に浮いている。
彼はそのまま隣の割れている窓からゆっくりと入ってきた。
「意外と割れないんだな窓って……」
*****************************
雄矢の火球に飲み込まれる直前、将斗の目の前に半透明の壁が生まれていた。
火球の着弾、爆発と共にそれは砕け散ったが、直撃コースは逸れ、将斗は城の頂上から外へ投げ出されるだけで済んだ。
落下の途中で、ポケットから粉々になった赤い宝石の破片が零れ落ちた。
幸運にも、入れ替えていたあの魔法具が起動して致命傷を防いでくれたようだ。
しかし無傷とはいかず、肩や腕には焼きゴテを当てられたような激痛が走り、広間の壁にぶつかった衝撃で全身が悲鳴を上げていた。
それでも意識があったおかげか、地上に激突する寸前で『浮遊』を発動して急制動をかけて着地。
ふらつきながら見上げると――城の頂上が爆発していた。
将斗は痛みに顔を歪めつつ、『浮遊』で再び頂上へと舞い戻る。
窓の外からは劣勢のレヴィが見え、窓ガラスを蹴破って入ろうとして失敗し、今に至る。
「お前……何で生きてる」
魔法の手を止めた雄矢が、底冷えするような声と共に将斗を睨んでいた。
さっき殺されかけた分、恐怖があった。
だが、倒れているグレンを見て、怯えているわけにもいかないと思って、
「……運が良かったから?」
「あ?」
適当に答えると、雄矢は納得していない顔だった。
羽虫一匹殺せなかったことが、彼のプライドを傷つけたらしい。
「将斗! 生きてて良かった!」
レヴィが歓喜の目で将斗を見ていた。
彼女が無事であることに安堵しつつ、将斗は返事をしようとして――
「行ける?」
レヴィの短く、だが強い意志の篭った問いかけに、将斗は口を噤んだ。
それが合図であることは、片時も忘れていない。
将斗は彼女から目を逸らすと、雄矢に向き直った。
殺気立っている彼の前へゆっくりと歩いていく。
ちょうどレヴィと彼の中間あたりで足を止めた。
「お前じゃ相手にならねぇよ、雑魚は引っ込んでろ」
雄矢の手が向けられた瞬間、将斗は――
「ストップ」
将斗は掌をむけて制止した。
雄矢が不快そうに目を細める。
広間が静まり返っている。
壁が崩落して開放的になった広間に夜風が吹き込み、肌を刺すように気温が下がる。
その中で、将斗は切り出した。
「俺は敵じゃない」
「あ? 何言ってんだ」
雄矢が不機嫌そうに鼻を鳴らした。
だが、攻撃の手は止まっている。
こちら側の心理を測りかねているようだった。
「俺のことはどこまで知ってる? なんか透明人間に邪魔されたんだけど。色々知ってる風だったよな?」
「……あぁ、大体知ってるよ。カスの掃き溜めで、そこの二人とのんびり話してたもんな」
汚い言い方だが、レジスタンスのアジトのことだろう。
そこ以外で将斗は素性を話していない。
「おかしいな。あの時俺ら以外いなかっただろ。無限の魔力って盗聴もできるのか?」
「ハッ、ちげぇよ雑魚。催眠魔法の応用だ」
雄矢は将斗を笑い飛ばし、気持ちよさそうに語り出した。
「対象とパスを繋いでる間、俺にはリアルタイムでそいつの見た、聞いたっていう情報が入る。これが俺が進化させた『催眠魔法』のシステムだ」
聞いてもいないのにベラベラ喋っていた。
これは使えると思って、将斗は話を合わせることにした。
「操られてる人がいるなら分かりそうなもんだが」
「パスを繋いでる間だっつったろ。命令を下してねぇだけで、いつでも操れるようにしてるやつがいる。そいつは命令がねぇから普段通り過ごすだけだが、俺はそいつの情報を得られるって寸法だ」
つまり、あの家の付近にその誰かがいたということになる。
レヴィが何か確認していたが、確かにそこにいたのだ。
雄矢の目と耳となる存在が。
「で、敵じゃないってのは何だよ」
どうでもいいというように、雄矢は話題を戻した。
将斗は冷や汗を隠しながら言葉を紡ぐ。
まだ話していなければならない。
「俺はお前のスキルが欲しいってのは知ってるってことだよな」
「ああ、ってことは敵だろうが」
「待った。落ち着いて聞いてくれよ」
将斗は慎重に両手を挙げ、降伏のポーズを見せる。
「俺の事情は知ってんだろ? お前のスキルがなきゃ、神様が俺を消しに来るんだ」
「だからなんだ。お前のことなんかどうだっていい」
本当に興味なさそうな顔をしていた。
「お前、神様に会ったことはあるよな? あの白い部屋だよ、シチュエーションが同じだったか知らんけど」
「会った。で? それがなんだ」
「一回だけ?」
「ああ? あの時だけだ。だからなんだ、結論から――」
将斗は遮るように言った。
「神様はさ、何でわざわざ転生者を遣うと思う?」
「……どういう意味だ」
雄矢が肩に手を回して気だるそうに揉む。
だがその目は将斗に釘付けになっていた。
強者ゆえの余裕か、あるいは『神』というワードへの興味か。
「神様は何でもできるように見えて、実は万能じゃないんだってさ」
「……くだらねぇ。だったら俺に『このスキル』を与えられるわけがねぇだろ」
「そこだよ。そこが俺がこんなとこに来させられた意味だよ」
将斗は淡々と告げる。
雄矢からの返事はない。
次の言葉を待っている。
ならば――クリティカルな一言を、投下する。
「神はお前に勝てないんだ。だから自分じゃ来ないんだよ」
雄矢の眉がピクリと上がった。
凍てつくような静寂の中、将斗は畳み掛ける。
「俺は神に『手をつけられないやつがいるから困っている。あいつからスキルを盗ってきて欲しい』って言われたんだ」
「……それで?」
「わからないか? 自分じゃ手に負えないから俺に任せたんだよ」
そんな時、視界の端に、少女の死体が転がっているのが見えた。
下の階の騎士たち同様、操られたのだろう。
斬られているということはグレンの攻撃に盾にされたのか、と思った。
心底不快な男だなと思いながらもその気持ちは抑え込み、将斗は笑みを浮かべた。
「神はお前に勝てないから、自分で来ないんだ。多分、返り討ちに遭うってビビってる」
「……ハッ、ありえねぇ。んなことあるわけねぇだろ」
雄矢は一瞬考えた後、大袈裟に笑い飛ばした。
半信半疑といったところだろう。その表情には少しの朗らかな愉悦が浮かんでいる。
「これは俺のお願いなんだが、神を倒してくれないか」
「何でお前の願いなんか聞いてやんなきゃいけねぇんだよ」
「いいだろ、同郷のよしみでさ。それに――」
雄矢は欲しいのは力だ。この男は誰よりも自分が強いことを誇っている。行動原理はシンプル。『力』への渇望と、傲慢さ。
「俺にはスキルを奪うスキルがある。もし神を倒してくれたら、神の死体からスキルを奪ってお前にくれてやる」
「……どんなスキルだ」
「詳しくは知らないけど、『次元転移』ってのがある。どんな力かはわかるだろ? 俺たちが体感したアレだ」
「世界を超えられるってことか……」
雄矢の目の色が、欲で濁った。
そんなスキル、今適当に考えただけだというのに。
「奪う力はさっき使っちゃったせいで、あと一回しか奪えないが、それ相応のスキルは奪える。その力があれば、お前は今まで以上に最強になれる。どうだ?」
「……おもしれぇ」
雄矢は笑みを浮かべ、将斗を見た。
しかしすぐに何かに気づいたように真顔になり、こちらを指差してきた
「だが、お前にどんなメリットがある」
「俺はこの世界でのんびり暮らすよ。お前が好き勝手してるのを眺めてるくらいでいいや、俺は消されなきゃそれでいい」
空気がパキパキと音を鳴らしている。空気中の水分が凍る音だった。
そして背後で、コツッと靴の音がした。
もう、準備はできちゃったのか。
「――まぁ全部嘘だけど」
「は?」
きょとんとする雄矢の目の前で、将斗は両手を広げながら、『超強化』の跳躍力で思い切り真横に飛んだ。
そして、
――パァン!
と、景気良く手を鳴らした。
雄矢の視線は反射的に音のした方へ、将斗の方へ向けられる。
アドリブだったが、十分惹きつけられてくれた。
ただの拍手にまんまと意識が誘導されている。
「残念、こっちじゃねぇよ」
将斗は指を立てて、レヴィの方に向ける。
雄矢の首がその方向を見るよりも早く――
「『氷獄』」
彼女の静かな呟きと共に、部屋に満ちていた冷気が一気に収束した。
冷たい空気は集まり、温かい空気が流れ込んでくる。
すると雄矢とレヴィの足元から、青白い氷が、二人の体にまとわりつくように這い上がっていく。
「何だこれっ?! てめぇ!」
レヴィに攻撃しようと、雄矢が手を向ける。
しかしその手もまた、指先からみるみるうちに氷に侵食されていく。
「何で『防御魔法』が効いてねぇ?! なんだこの魔法は!」
「封印魔法」
両手を祈るように胸の前へ掲げ、目を閉じたレヴィが語る。
「相手の『全て』を凍結させ、永久に停止させる魔法。代償は私の全て。私の全てを賭けて、あなたを封印する」
雄矢の顔が珍しく引き攣った。
寒さからではなく、本能で震えているのだ。
「くそっ! 魔力が操作出来ねぇ。ありえねぇ! 凍ったくらいで!」
「凍らせたのは全てよ。あなたが操作するという意思も。その湧き上がってくる無限の魔力も、全てね」
「概念的な意味でってことらしいぞ」
将斗は遠くから声をかける。
あの家で最後に聞かされた『お願い』がこれだったからだ。
「お前は文字通り全てが凍結する。だってさ」
「てめぇ……さっきの話は時間稼ぎか……っ!?」
この魔法は詠唱とやらに長い時間がかかる。
それを稼ぐために、将斗は命懸けで雄矢にハッタリを仕掛けたのだ。
「……はっ、ああ、寒ぃ、痛ぇ……て、て、テメェ! 俺を改心させるんじゃなかったのか?!」
これまでの余裕はそれか、と思った。
どこかで、その事実もとっくに知られていたのだ。
だから殺されると思ってなくて、余裕で、今はこんなに必死になっているのだ。
「それ嘘、私の手でケジメをつけたかったのよ。これは……この役目だけは他の誰にも渡せない。レジスタンスにも、グレンにも、誰にも」
既に体の半分が氷像と化した彼女が目を開く。
黄色に光る瞳で、かつての教え子を捉えた。
「気乗りしないけど、数百年。お互い朽ちるまでよろしくね」
「い、い、嫌だ、くそ……お、お俺は! こんな……こんな雑魚に――」
雄矢は首元まで凍ると、徐々に瞳から光が消え、やがて口を開けたまま固まった。二度と動くことない氷の彫像となって。
広間には、レヴィの体にまとわりつく氷の音だけがしていた。
「……将斗」
レヴィが呼びかけてくる。
将斗は駆け寄った。
急いだ。
氷に触れないギリギリの距離で立ち止まる。
「……ごめんね」
首を振った。
「レヴィは正しいことをしたと思う。謝らなくていいよ」
その言葉に、首元まで凍った彼女は、ゆっくりと微笑む。
その笑顔のまま氷が彼女の頭部を覆う。
「……じゃあね」
そう言い残して――彼女は永遠に氷の中で、眠りについた。




