新しい隣人
「あれ? 引っ越しかな?」
桜の花びらが舞う閑静な住宅街を、
デニムに紺のパーカーを着た背が高めの娘――露木莉子が大学から帰ってくると、隣の家の前に大きなトラックが停まっていた。
近づくと、青い作業着を着た作業員たちが、しきりに荷物を運び入れているのが見える。
莉子はその横を通り過ぎながら、さりげなく様子を眺めた。
トラックの横に、小さな自転車が置いてある。
(子どもがいるのかな?)
そんなことを考えながら、彼女は自宅に入った。
玄関には、紺色のハイヒールが乱雑に脱ぎ捨てられている。
(お母さんだ)
莉子はスニーカーを脱ぐと、ハイヒールを拾い集めて玄関の隅に一緒に揃えた。
細長い廊下を通って、庭に面した明るいリビングに入ると、そこにはスーツ姿の母親がいた。
一心不乱にカレーを食べており、テーブルの上には、仕事用の大きな革鞄がドスンと置かれている。
母親は莉子に気づくと、もぐもぐしながら陽気にスプーンを上げた。
「お帰り、莉子。カレー、もらってた」
「ただいま。……そのカレー、帰ったら食べようと思ってたんだけど」
「ごめん。夜勤明けでお腹ぺこぺこだったの。莉子のカレー、すっごく美味しいし」
カレーを頬張りながら謝る母に、莉子は苦笑した。
美味しいと言われると、まあ仕方ないかという気がしてくる。
莉子は冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出してコップに注ぐと、母親の正面に座った。
食べる姿をながめる。
「……お母さん、ちょっと太った?」
「そうなのよ。最近ずっと机に向かってばっかりだから、太っちゃって」
母は大学病院に務める産婦人科の医師だ。
学会に向けて準備をしているらしく、最近は特に忙しく、こうやってちゃんと会話をするのは久しぶりだ。
莉子はふと思い出して口を開いた。
「そういえば、隣の家に、引っ越しのトラックが停まってた。誰か来たのかな」
「うん。あれねえ、お母さんの従弟」
「従弟?」
食べ終わった母親が、満腹そうにお腹をさすりながら頷いた。
「去年奥さんが亡くなって、地元に戻ってきたのよ」
娘と一緒に渋谷のマンションから引っ越してきたらしく、
後で挨拶に来ることになっているらしい。
話をしながら、母親が疲れたようにあくびをした。
食洗器に食べ終わった皿を片付けると、眠そうな顔で莉子を振り返る。
「じゃあ、挨拶に来るまでちょっと寝るわね」
「ああ、うん、おやすみ」
母親がフラフラと出ていくのを見送ると、莉子は窓の外をながめた。
隣の家の窓が開け放たれており、段ボールが積まれているのが見える。
(……奥さんが亡くなったってことは、父子家庭ってことなのかな)
気の毒ではあるけど、しょっちゅう遊びに来る子だったらちょっと困るな、と思いながら、莉子は立ち上がった。
自分の荷物と、母親が忘れて行った荷物を持って、2階へと上がる。
*
そして、その日の夕方。
莉子が漫画だらけの自室で、ベッドに寝転がってスマホをいじっていると、
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴った。
下から、母親がパタパタと廊下を走る音が聞こえる。
そして――
「莉子!」
大声で呼ぶ声が聞こえた。
「はーい!」
莉子は大声で返事をしながら、ベッドから起き上がった。
たぶんお隣さんだろうと思いながら、鏡の前で軽く髪を整え、部屋を出る。
そして、階段を下りていくと、玄関に、背の高い男性と小柄な女の子が立っていた。
男性は白いTシャツを着ており、年齢は40歳くらい。
穏やかそうな雰囲気で、少し疲れた顔をしているもののかなりのイケメンだ。
女の子の方は、小学校低学年くらい。
肩くらいまである茶色っぽい艶のある髪に、人形のように整った顔立ち。
ピンク色のワンピースを着て、お父さんの少し後ろに隠れるように立っている。
(イケメンパパと、美少女だ)
そんなことを考える莉子に、母親が振り返った。
「莉子、お隣に引っ越してきたお母さんの従弟、直樹くんよ」
男性が丁寧に頭を下げた。
「こんばんは。海老名直樹です」
「……はじめまして、露木莉子です」
莉子がやや固くなりながら挨拶すると、母親がニコニコしながら口を開いた。
「莉子、小さい頃に直樹くんに遊んでもらったことがあるのよ」
「え、そうなの?」
莉子が目を見開くと、直樹が優しそうに目を細めた。
「小学校に上がる前のことだから、たぶん覚えてないんじゃないかな」
「すみません……」
莉子は頭を掻いた。
小さい頃の自分を知っている人に会うのは、なんとなく気恥ずかしい。
直樹が、後ろに隠れるように立っていた女の子の肩に優しく手を添えた。
「こちらは娘の結月です。今7歳で、今年小学校2年生になります」
「……こんにちは。海老名結月です」
結月は、緊張したような笑顔を浮かべながら、挨拶をした。
礼儀正しくぺこりと頭を下げると、すぐに目を逸らしてしまう。
「こんにちは、露木莉子です」
そう挨拶を返しながら、莉子は思わず口角を上げた。
(可愛い子だな、照れ屋さんなのかな)
そして、彼女はふと、結月が白い犬のぬいぐるみを抱えていることに気が付いた。
大きさは子どもが小脇に抱えられるほどで、つやつやの毛並みに赤い首輪をつけており、目がキラキラしている。
(このぬいぐるみ、手入れ良さそう。お気に入りなのかな?)
そんなことを考える莉子の横で、直樹と母親が今後のことを話し始めた。
直樹は都内の会社に勤めており、帰宅までの間はシッターさんに来てもらって、家事や結月の世話をお願いする予定のようだ。
月末は遅くなるが、その他は8時までには帰って来られるらしい。
「これでやっていくつもりですが、万が一何かあったときは、よろしくお願いします」
「ええ、もちろんよ。ね? 莉子?」
莉子は「はい」と頷いた。
遠いとはいえ一応親戚だし、それくらいは全然かまわないと思う。
その後、直樹たちは「引っ越しの片付けがありますので」とお辞儀をして踵を返した。
バタンと玄関のドアが閉まる。
母親がホッとしたように息をついた。
「よかったわ。直樹くんも結月ちゃんも元気そうで」
母によると、2人はとても大変な状況だったらしい。
「奥さん、自宅で亡くなって、可愛がっていた犬まで死んじゃったみたいでね。環境を変えた方がいいってことになって、地元に戻ってくることにしたみたい」
「そうなんだ……」
莉子は眉間にしわを寄せた。
2人とも何となく疲れた雰囲気だったが、引っ越しの疲れだけではないのかもしれない。
(あんな小さいのに、大変だったんだ……)
ぬいぐるみを抱える結月の姿を思い出し、思わず小さくため息をつく。
その後、莉子は母と夕食に宅配ピザを食べると、
少しおしゃべりをした後、眠りについた。




