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1 雪絵


 三十五歳の冬、夫は仕事帰りに忽然と姿を消してしまった。

 警察は「事件性なし」として積極的に動かない。だが私には、私だけが利用できる探索方法があった。

 科学的なある手法で、犯罪現場を見ることができる。それを使えば、夫の足跡を辿ることができるはずだ。


 自分で言うのもなんだが、私―(ゆき)()はかなり有能な科学者だ。

 大学生の頃から研究していた過去を「見る」装置は、二十二歳の頃にはすでに実用化のめどが立っていた。


 タイムマシンは夢物語だが、過去を「見る」だけなら理論上は可能である。

 人が鏡で自分の顔を見る時、今現在の顔を見ていると思いがちだが、それは正確ではない。鏡が一メートル先に置いてあるのなら、光が到達するまでに3.34ナノ秒かかるから、それが戻ってくるのにまた3.34ナノ秒。つまり見ているのは6.68ナノ秒前の自分ということになる。

 そんなのは今現在とほとんど変わらないと言ってしまえばそれまでだが、それが一光年先にある鏡だったらどうだろう?


 見えるものは、二年前の自分ということになる。いや、二年前の自分は鏡の前には立っていないだろうから、全く別のものが映るはずだ。

 とはいえ、これは現実的ではない。一光年先と言えば太陽系をはるかに超えているから、そんなところに鏡は置けないし、置いたとしても見ることはできない。


 けれども、私はこの理論を使って、過去を「見る」ことができる装置の開発に着手したのだ。実用化のめどが立つと、警察庁のバックアップを受けることができるようになった。過去の犯罪シーンを見ることができれば、迷宮入りなどなくなるからだ。


 もちろん、実用化は簡単ではなかった。


 犯罪現場を見るためには、時間と場所をかなり特定しなければならない。光は鏡で反射して進むため、遠く離れた場所からの映像も理論的には観測可能である。そのためには、鏡の位置・角度・大きさを極めて精密に設計する必要があり、現実的ではないと反論する科学者も多かった。


 しかし、私は諦めずに研究を続けた。そして、三十歳になった頃、AIによる鏡面配置シミュレーションにより、地形や建物の配置を考慮し、最適な鏡設置ルートを自動計算できるようになった。

 それとともに、超高速光学解析アルゴリズムにより光の経路をナノ秒単位で解析し、映像データを再構成する方法を構築した。

 多層誘電体コーティングで反射率99.999%以上の鏡素材を作ることができたことも、実現への大きな一歩となった。

 結果、一年以内の犯罪なら、かなりの精度で「見る」ことができるようになっていた。


 こんな風に語っていくと、私は研究にしか興味のない仕事人間のように思われるだろうが、私生活だってそれなりに充実していた。

 私は、とにかく子供が欲しかった。母性本能がどうとかという理由ではない。私が持つ有能な遺伝子を未来に残さないのは、人類にとって損失だと思ったからだ。


 しかし、私がいくら有能な遺伝子を持っていても、父親が無能では優秀な子孫は望めない。私は様々なつてをたどり、私の子供にふさわしい父親を探し出した。

 白羽の矢を立てたのは、数多くの論文を書き学界で認められている医師。偶然を装って彼に近づき、情報収集した恋愛成就のノウハウを駆使して彼を落とした。無事結婚し、子供を授かった時は安堵の胸をなで下ろしたものだ。


 三十二歳の時に生まれた子供は女の子、美月(みづき)と名付けた。

 研究は順調だったし、私生活も充実している―そんな順風満帆な人生に影が差したのは、三十五歳の時だった。


 夫が行方不明になってしまったのだ。


 いつものように仕事を終え、病院を出たところまではわかっていたが、その後の行方がようとして知れない。

 地元警察に捜索願を出したが、明らかな事件性が認められない以上、熱心に捜査してくれるはずもない。数日間は形式的な聞き込みや捜索が行われたが、すぐに打ち切られた。


 もちろん、私は自分の開発した装置を使って、夫の行方を追った。

 しかし、最寄り駅から地下鉄に乗ったところで追跡不能となってしまった。この装置は、鏡を利用しているので、室内は「見る」ことができない。つまり、地下鉄内は「見る」ことができないのだ。

 それでも、私は諦めなかった。夫が乗った路線各駅の地上出口をしらみつぶしに見ていった。どの駅で降りたかもわからないし、一つの駅に地上出口はいくつもある。どこかの駅で乗り換えた可能性だってある。

 これは完全に私事なので、調べるのは勤務時間外。膨大な時間を費やして調べたが、ついにタイムアップとなってしまった。夫が失踪してから一年の時が経ってしまったのだ。現段階では、それ以上過去には遡れない。


 私は、さらに研究に没頭した。さらに過去を「見る」ことができるように装置を改良しなければ…と思ったからだ。


 そうして、ようやく二年までなら遡れるようになった時……夫の遺体が発見された。


 私は三十八歳になっていた。


 夫が発見されたのは、とある森の中。そして、警察が結論づけた死因は「心中」。

 失踪前、夫は、ある看護師と不倫関係になっていたらしい。彼の失踪と同じ頃、その看護師も失踪していた。ふたりの失踪が関係づけられなかったのは、ふたりが巧妙に関係を隠していたこと。そして、その看護師が失踪の一年以上前に転職していたことが理由だったそうだ。

 将来に絶望したふたりは、心中する道を選んだのだろうと警察から報告を受けた。

 検死による死亡推定時刻は、約三年前。つまり、失踪直後に心中したというわけだ。


 しかし、私は信じられなかった。


 夫に浮気相手があることは、薄々気づいていた。しかし、あくまでも「浮気」。私のように有能な妻がいるのに、それ以下の女と人生をともにしようなどと考える者がいるだろうか? 遊び相手ならともかく、心中するほどの思いを、あの程度の女に向けるはずがない。


 これは、女による無理心中だと私は確信した。


 警察に訴えたが、取り合ってもらえなかった。

 それならば、私自身が証明するしかない。私は、再び研究に没頭した。

 夫の心中現場を「見る」には、いくつものハードルがある。

 まず、それが三年前であること。現在の装置では二年前までしか遡れない。

 そして、現場が森の中であること。室内でなかったことは幸いだったが、深い森の中である。障害物をいくつも乗り越えるためには、現状使用しているものよりさらにたくさんの「鏡」を設置しなければならない。


 研究にはとても時間がかかった。時間がかかればかかるほど、夫の心中事件は遠い過去となり、さらにハードルが上がる。しかも、警察が心中と結論づけた事件なので、あからさまに調べることができない。

 研究所の職員が帰った夜半にしか作業できないので、調査はなかなかはかどらなかった。けれども、私は諦めなかった。


 そして、ついに私はやり遂げた。


 この研究を始めて二十年以上もかかってしまったが、夫の心中事件の現場を、私は「見る」ことに成功したのだ。


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