終章:霧呼の咆哮、あるいは無限の旅路
静寂の里、霞ノ社。
ソウケンとコトネの緊迫したやり取りを陰で聞いていたカイエンが、音もなく主の部屋へと足を踏み入れた。
「お前……主の役割が板についてきたじゃないか」
カイエンが皮肉交じりに、しかしどこか誇らしげに呟く。
「ふん、抜かせ。……それより、どうしたんだ? その刀は」
ソウケンの視線が、カイエンの手に握られた一振りに釘付けになった。それはリクセンが生涯をかけて打ち上げた最高傑作であり、里の魂とも言える銘刀『霧呼』であった。
「これ、俺も持っていっていいか?」
「何を馬鹿な! 冗談はよせ、すぐに祭壇へ戻しておけ」
ソウケンは一蹴したが、カイエンの眼差しは真剣そのものだった。
「……だが、そうだな。このままサヤを見捨てておくわけにはいかん。それはリクセン様の想いにも反するからな」
「そうだろ? そう言うと思ったよ」
「……いいのか、カイエン」
「ああ、あいつらを追いかけるのは俺の得意分野だ。任せておけ」
カイエンは不敵に笑い、霧呼の柄を親指で押し上げた。
「どうやって追いかけるつもりだ?」
「この刀……サヤが持っていった次元刀と瓜二つだろ? こいつで、道は拓けるはずだ」
「……別に構わないが、ちゃんと返せよ。そして、必ず生きて帰ってこい」
「ふふふ……考えとくよ」
「ほざけ。返さぬ時は、俺が地獄の底まで追いかけてやるからな」
「はっ、望むところだ」
二人の間に、かつての戦友としての熱い信頼が通い合う。カイエンはそのまま背を向け、静寂の里を後にした。
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緑の平原がどこまでも続く街道。
里を離れて数日、カイエンはサヤとエルムの足跡を求めて荒野を彷徨っていた。
すると、前方から殺気を孕んだ大勢の男たちが現れ、カイエンの行く手を遮った。
「なんだ? お前らは」
鋭い眼光で睨みつけるカイエンの前で、男たちの肌が一斉にどす黒く変色し、指先から鋭い爪が伸びた。
「レイドール様から仰せつかってきた……。貴様の首から上だけで十分だとな」
魔物たちが醜悪な笑みを浮かべる。その名を聞いた瞬間、カイエンの全身に衝撃が走った。
「そうか……レイドール……! 奴が生きていたか!」
カイエンは怒りを押し殺し、手にした霧呼を魔物たちに突きつけた。
「そう言えば、お前ら。この刀に見覚えはないか?」
「ああ? 杖じゃなくて刀かよ。ガキが持ってる赤いやつなら、クラッドベリーで見かけたぜ」
「……親切にありがとうよ」
「ふふふ、礼には及ばんさ。どうせ貴様は、ここで死ぬんだからな!」
次の瞬間、カイエンの体が物理法則を無視して高速に動き、景色が霞んだ。
彼の残像が二体、四体、八体と、指数関数的に増殖し、戦場を埋め尽くしていく。
「な、なんだ!? 何が起きている!」
魔物たちが狼狽えたその一瞬。カイエンの無数の残像が一斉に踏み込み、銀閃が空間を裁断する。
三十体近くいた魔物たちの首が、一瞬の静寂ののち、同時に宙へ跳ね飛ばされた。
凄まじい高速斬撃の嵐。それほどの負荷がかかりながらも、銘刀『霧呼』は刃こぼれ一つせず、返り血さえ弾いて鋭く輝いている。
「流石だぜ……師匠」
カイエンは霧呼の重みを確認し、ゆっくりと鞘に納めた。
「『影足』の会得には失敗したが……代わりに、妙な技を覚えちまった」
彼は何事もなかったかのように、草原の道を再び歩き始めた。
肉体が蘇ったヴァルガスを打倒したことで、黒本を巡る因果の物語は、ひとまずの終焉を迎えた。
しかし、彼らの歩みは止まらない。
彼らは今、それぞれの「新たな道」を歩んでいる。
この果てしない世界が続く限り、彼らの鼓動は、そして風の物語は、明日へと生き続けていくのだ。
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【完】




