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ダンジョン「地球」の管理者は、人生二度目の天使さま。  作者: 伊里諏倫
地上の星

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当たり前を、君に(ジャン)

 ジャン・メーティスは、老舗の化粧品メーカーに勤務する25歳の研究員だ。

 男性ながらにスキンケアを欠かさない、潤い肌の持ち主である。


 彼は大学を卒業してすぐ、叔父が経営する会社に就職して、「薬用化粧品」の開発に携わってきた。

 半ば縁故とはいえ、採用を勝ち取ったのは偏にジャンの努力があればこそ。決して、甥だからという理由だけで選ばれたわけじゃない。化学科卒の経歴と、将来性も加味して雇った――とは、後にホームパーティーで聞いた叔父の弁だ。


 最初は仕事に慣れることから始めて、いっぱいいっぱいの毎日だったが、月日は彼を成長させた。今では立派な開発室のメンバーだ。周囲に目を配る余裕だって身につけたと自負している。


 もっとも、その余裕は『新商品』の開発という使命によって消し飛びそうになっているが――と、そこで彼は我に返った。


「ジャ~ン~? ねぇ。ねぇってば。アタシの話、ちゃんと聞いてた?」

「あっ……ご、ごめんサラ。えーと……なんだっけ?」


 昼時でごった返すフードコート。

 食べかけのサンドイッチ片手に、呆れた顔がこちらを見ている。


「だーかーら、仕事の話! 最近どうなのって。しっかりしてよね、センセ。まぁでも、その調子じゃ駄目そうかしら」


 そう言って大袈裟に頭を振ったのは、ジャンの幼馴染であるサラだ。昔からご近所同士、本当の家族のように育って、互いに示し合わせたわけでもないのに大学まで一緒だった。さすがに学部は違ったが、もはや腐れ縁と言って良い。


 そんな彼女は、暖房の効いた店内で首元から足先までしっかり着込んでいる。手袋も外していないし、ストールだって巻いたままだ。いくら冬とはいえ、よほどの寒がりでもこうならないだろう。

 だがジャンにとっては見慣れた、当たり前の光景だ。


「いやいや、さすがに仕事中は大丈夫だって」

「そう? でもアンタ、学生時代しょっちゅう怒られてたじゃない。特に数学のセドリック先生。授業中にラクガキするなーって。もうアタシ、助けてあげらんないわよ」

「……その節は、そのぅ、大変お世話になりまして」

「今の仕事ってそんなに忙しいわけ?」


 問われて、ジャンは腕を組んだ。


「うーん。まぁプロジェクトリーダーを任せてもらったからには、ね」

「あんま張り切りすぎるんじゃないわよ。人には許容量(キャパシティ)ってもんがあんだから」

「あはは、ありがとう。心配してくれて。でも充実してるんだ」


 リーダーと言っても、開発室全体を統括するようなレベルじゃない。あくまで数多あるプロジェクトの内、一つを主導しているだけだ。そしてまた、今は疲労より期待感の方が大きかった。



「何せ、うちにもようやく『迷宮品』が降りてきたからね」



 迷宮品。突如世界に出現したダンジョンから採れる資材の総称だ。

 フランスのダンジョンは、国民の声(デモンストレーション)により世界でも早期にこじ開けられた(・・・・・・・)過去を持つ。その流れで他国と比べ、迷宮品の流通が活発だ。ともすれば、普通の民間会社でも買えるくらい。


 ジャンは椅子の背もたれに体を預け、目を閉じた。


「試したいことが多すぎて、夜も眠れないよ」


 一人の科学者として、この時代に生まれたことを幸運に思う。

 一方で既存の学術体系が押し流されようとしていることに、恐怖も覚える。


「あら、それはいけないわね」


 片目だけ開ければ、サラが含み笑いを浮かべていた。


「夜更かしはお肌の敵よ?」

「……ごもっとも」

「アンタからすりゃ、魚に泳ぎ方を教えるようなものだけど、化粧で何でもかんでも誤魔化せるわけじゃないんだから」


 その時、ジャンの胸に湧き上がった感情は郷愁だった。

 前にもこんな会話をしたことがあると。


 せっかく綺麗な肌をしてるんだから、勿体ない――そう言ってスキンケアの大切さを教えてくれたのは、他ならない眼前の幼馴染だ。お陰で今のジャンがいる。ごく自然と浮かび上がってきた言葉が、口を突いて出た。


「そうだ。本当にそうだね。サラは、今日は調子良い感じ?」

「……ん。まぁね。じゃなきゃ外食なんてしないわよ」

「そっか」


 失言だった。少なくとも、自分と彼女にとっては。

 からっとした声でサラが言う。


「人の心配より、まず自分の心配。今日はさっさと眠ること! いい?」

「はぁい」

「ってか迷宮品って……アンタ今、何作ってんのよ? まさか危ないもんじゃないでしょうねぇ」

「化粧品会社がそれ以外のものを作ってどうするのさ。社長が急にとち狂ったりしたら別だけど。少なくとも、ちゃんとした商品だよ」


 もっとも、美容という大きなカテゴリで捉えて、別事業を展開する会社も少なくないが。ジャンの叔父は今のところ手堅い経営をしていた。


「詳しくは部外秘だからまだ言えないけど……。でも、完成したら真っ先に連絡するよ。だって君は――」


 背筋を伸ばし、居住まいを正す。

 それからジャンは出来るだけサラの瞳をまっすぐ見つめて、続けた。



「僕の大切な……と、友だち、だから」



 今更、何を口にしたところで緊張する仲でもないが、思わずはにかむ。

 一方のサラは気にした風もなく、にぱっと笑った。


「おっ、そんじゃセンセの発表を楽しみに待ってますかね」

「……うん。期待してて」


 大切な友だち。その表現は嘘じゃないが、本当でもない。

 実のところ、ジャンはサラに対して友情以上の感情を抱いていた。


 だが、それを明かすのは今じゃない。

 少なくとも、今はまだ――『新商品』の実験が終わるまで。

 固く硬く秘しておこう。


 秘密を守るのは得意だ。

 ジャンは窓の外へ目を向け、どこか遠くを見ながら言う。



「必ず、やり遂げてみせるよ」



 何せもう10年以上。

 この想いを隠し通してきたのだから。



 ◇ ◇ ◇



 カタカタとキーボードを叩く音が断続的に響いている。

 やがてキリの良いところまでいったらしい。一際大きな打鍵音がして静寂が訪れた。


 人気のない研究室。そこで一人、ジャンは目頭を揉む。


「ふぅー……」


 時計を見ると、すっかり定時を過ぎていた。

 どうやら集中するあまり、終業ベルを聞きそびれてしまったらしい。

 くぅ、と小さくお腹が鳴る。


「……もうこんな時間か」


 データの打ち込みなんて、他人に任せるべき作業かもしれない。だが今回のプロジェクトに彼がかける思いは、並々ならぬものがあって、つい根を入れ過ぎてしまった。疲れからデスクに突っ伏す。

 そのまま気だるげに目を閉じた。


 眠るわけにはいかないから、ぼんやり考え事をする。


 ――神様は理不尽で、いじわるだ。


 昔から、漠然とそう思いながら生きてきた。

 別に今の人生に不満があるわけじゃない。


 むしろ、ジャンは恵まれた側の人間だ。問題なく最高学府を出られる経済的余裕に、老舗化粧品メーカーの研究員という安定した地位。何か犯罪に巻き込まれたこともない。これで不平を訴えたら罰が当たるというものだ。

 それに何より、健康的な肉体を持っている。


 健康。それこそが、彼の思う最も不平等な要素。


 経済力や環境に差があるのは仕方ない。人間が社会的動物である以上、どうしたって格差は生まれてくるものだ。

 しかし肉体は。それだけは、不均衡があることを許せない。


 だって、お金は稼げばいいし、勉強は大きくなってからでも出来る。

 けれど身体的不満は一部を除いて、当人の努力じゃどうにもならない。

 生まれつき病魔に侵された肉体を得てしまえば、その不出来な体と一生付き合っていくしかないのだ。


 こんな意味の分からない欠陥(システム)があるだろうか。


 サラは――ジャンの幼馴染は、幼い頃からアトピー性皮膚炎を患っていた。

 季節やその日の湿度、気温、本人の体調によって、病状の具合が異なる。酷い時はかゆみで夜、目が醒めて眠れないのだという。何より皮膚がボロボロであることは、思春期の少女にとってどれほど絶望的なことだったろう。


 あれはまだ中学校(コレージュ)に通っていた頃。

 校庭に植えられたミモザの木の下で、サラが泣いているのに遭遇した。


 何か辛いことがあったのか聞くジャンに、彼女は首を振るばかりだったが、しつこく食い下がると、消え入りそうな声で事情を話してくれた。なんでも、同じクラスの男子に告白して、振られてしまったらしい。

 それだけなら、悲しいがよくある恋愛話だ。


 しかし。


『誰がお前みたいな「カエル女」と付き合えるかよ』


 そう言って、素気無く断られたのだという。


 学校生活は大人に見えないストレスがあちこちに潜んでいて、それはサラの病状にもダイレクトに表れる。朝、調子が良いように思えても、時間が経つと湿疹がぶつぶつ浮き上がってくることだってあった。

 だとしても、「カエル女」だなんて揶揄が許されていいはずがない。


 ジャンは心の底から憤慨し、腕まくりしながら相手の名前を聞いたが、ついぞ教えて貰えなかった。仕方のないことだから、と。それにアンタ喧嘩弱いでしょ――そう薄く微笑んだ少女を見て、ジャンの進路は決まった。


 あの日から、彼女の時間は止まったままだ。


 一見明るく振る舞っているが、心の底に、どうしようもない諦めを飼っている。

 それを解き放つには、肉体の不均衡を是正するしかない。

 彼女の肌を、誰もが持つ普通に正すのだ。


 だから叔父の経営する化粧品メーカーに就職した。綺麗な肌を作ることは、究極的に見てジャンの目的と合致している。それに日頃から、「今は男の子だって化粧(ケア)する時代なのよ」とサラに教わっていたから、抵抗もなかった。


 果たして、その選択が正しかったのかどうか。

 答えはまもなく出るはずだ。


 今、ジャンが開発している『新商品』が完成すれば――


「おいジャンジャン。こんなとこで寝るなよー、お前」

「はっ」


 ぽす、と丸めた紙か何かで頭を叩かれる感触。

 ジャンが慌てて体を起こせば、傍に白衣を着た年配の男性が立っていた。


「す、すいません主任! 休憩のつもりっていうか、寝てたわけじゃなくて……」

「あのねー、お前さんが倒れたら怒られるのは俺なんだからねー。その辺きちっと頼むぜ、まったく。まぁ気持ちは分かるけども。ぼちぼち大詰めだもんな?」

「……はい、そうなんです」


 今ジャンが任せられているプロジェクトは、迷宮品を使ったまったく新しい化粧品の開発だ。もちろん入社して数年の彼に、その重荷が全て振り被ったわけでなく、いくつもあるチームの一つという扱いである。


 上は最悪、結果が出ないと思っているかもしれない。

 だがジャンはこの機会を逃すつもりなどなかった。


「あとちょっとだからこそ、休むのも大事だぜ。なんせしょうもないミスなんてしたら、それまでの苦労が全部パーだからな。あこれ、おっさんの経験則ね」

「はぁ……」

「というわけで、今日はさっさと帰りなさい。どうしてもって言うんなら、ジャンジャンに一つ、重大な任務を与えよう」


 ジャンは椅子に座ったまま、上司の無精ひげを見上げて瞬きする。


「任務……?」

「うむ。いつまでもナメクジクリーム(・・・・・・・・)なんて呼ぶわけにいかないだろ? そろそろ、ちゃんとした名前を考えてやらにゃあ。名前は大事だぜ。なんせ、売れ行きに大きく関わるからな。それを考えるのも立派な仕事ってわけ」

「まぁ、そうですね」


 目下、ジャンが開発している商品にはまだ名前がなかった。

 便宜上仮称を用いている状態なのだ。


 頭の中に、自社から競合他社まで様々な商品名が思い浮かぶ。

 ヒット商品というのは、大抵名前も一流だ。普段生活していると意識しないが、いざ作る側に回った時、思わず唸らされることも多い。それを考えろというなら、確かに重大な任務と言えるだろう。


「実はもう、これというのを思いついてるんです」

「おっ、さすがは我が社のホープ。用意周到だねぇ。何々、ここだけの話、俺にもこっそり教えてよ!」


 この人懐こさが昇進の秘訣なのかもしれない。

 そう思いながら、ジャンは苦笑しつつ口を開いた。



「――白雪姫(ブランシュネージュ)



 言ってしまってから、恥ずかしさで頬をかく。


「いや、何番煎じだとは思うんですけど、分かりやすいかなって」


 お伽噺のお姫様と聞いて、誰もが思い浮かべるような、艶やかな肌になりますよう。そんな願いを籠めている。


 そもそも、今ジャンが開発している薬用化粧品は、ジェルタイプのクリームだ。塗ると保湿効果と肌質改善をもたらす。そんなどこにでもあるクリーム。ただし、その効能が既存のものと比べ桁違いに高い。

 秘密はとある「モンスター素材」にあった。


 ――大なめくじ(ジャイアントスラッグ)


 常にねとねとした粘液で身を守り、探索者に襲いかかるモンスター。多少の怪我は粘液で埋め、すぐに治してしまう。大きい個体で全長二メートルにも達する化け物だ。そのジャイアントスラッグが持つ粘液に、ジャンは着目した。


 もしあの防護機能と修復作用をスキンケアに応用することが出来たなら。

 美肌効果に限らず、様々な皮膚病に苦しむ人たちを救えるんじゃないか。


 そして挑戦が始まった。

 言うは易し。モンスターの体構造は人間と違う。素材をそのまま持ってきたところで、同じ役割を果たしてくれるわけじゃない。だが苦心の末、臨床試験にまで漕ぎ着けることが出来たのだ。


「ブランシュネージュ、ね」

「どうぞ笑ってください。子どもっぽいでしょう」

「いや、笑わないよ」


 それまでの飄々とした態度から一変、ジャンの上司は(しん)から真面目な瞳をしていた。


「分かるよ。俺も研究者なんだから」

「……はい」


 管理者として、彼もまたジャンの苦労を――並々ならない熱意を傍で見てきたから、その名前に籠められた願いを、何となく察しているのかもしれない。分からないが、すぐにまた草臥れた顔に戻ってしまった。


「じゃ、その名付け親である君が、肌荒れなんかしちゃいけないよねー。残業はお肌の敵だよ? さぁ帰った帰った!」

「わー!? 帰りますっ、帰りますから!」


 急に部屋の照明を切られ、慌てふためくジャン。

 何だかつい最近もこんな台詞を聞いたような気がすると思いながら、彼は急いで帰り支度を整えるのだった。



 ◇ ◇ ◇



 ナメクジクリーム改め「ブランシュネージュ」の開発は順調に進んだ。

 社内で開催された品評会(コンペティション)の反応も悪くない。ジャンの仕事は作ることで、売ることにないから、ひとまず修羅場を乗り越えた。後はもう、なるようにしかならないだろう。そう考えれば気楽なものだ。


 しかし、ジャンにはまだやるべきことがあった。

 それは研究メンバーとの打ち上げ――ではなく、試供品をサラに送ること。


 もとより彼の原動力は幼馴染だ。

 今も皮膚炎に悩む彼女の苦痛を、少しでも和らげることが出来れば。そう願い研究に打ち込んできた。


 とはいえ、闇雲に製品を送りつけたところで、突っ返されるのがオチだろう。

 なにせ持病のある人間というのは、その病気のプロフェッショナルだ。自分なりにこれという療法を探し、試して、折り合いをつけながら生きている。そこへ他人が口を挟んでも、いたずらに反感を買うだけだ。


 だからジャンはサラの神経を逆なでしないよう、初めて「一生のお願い」も駆使し、懇切丁寧に頼みこんだ。


 結果、不承不承ながらも受け入れて貰うことが出来たのである。

 形としてはテスターということになるだろうか。


 そういうわけで。


「……かける、かけない。かける、かけない」


 お昼時。ジャンは職場を抜け出して、スマートフォンと睨めっこしていた。


 場所は彼が勤務する研究棟の屋上だ。所狭しと並べられたプランターから緑が溢れている。そんな屋上庭園に置かれたベンチに座り、ぶつぶつひとり言を漏らすばかりで、どれだけ時を浪費しただろうか。


 四角い画面に映るのはトークアプリだ。

 そこに記された幼馴染の名、そして通話ボタンをずっと押せないでいる。


「よーし、かける、かけるぞ……!」


 たった一言、使ってみてくれたか聞くだけ。

 何度も脳内シミュレートを重ね、今度こそと意気込んだ瞬間、


「ぉわっ!?」


 けたたましい着信音が鳴り響いた。


 発信源は他でもない、ジャンが持つスマートフォンだ。見れば、今まさに通話を試そうとしていた相手――サラからのコールだった。


「あ、あー……もしもし?」


 まさか先手を打たれるなんて思いもしなかったから、声が裏返るのもしょうがない。


『ジャン! 今話してもオッケー?!』

「え、と……うん。お昼休みだから、大丈夫……だけど」

『なら手短に済ませるわ!』


 何だか声が弾んでいる。

 その分、声量も大きくて、ジャンは耳にくっつけていたスマートフォンをほんの少し遠くへ離した。


『あのね、アンタが送ってくれたアレだけど――』


 やはり要件はジャンが開発したジェルクリームについてらしい。

 来たか、と身を固くする彼に、サラはあっさりと続けた。


『めっっっっっちゃくちゃ効いたわ!』

「ほ、本当!?」

『ホントホント! いつもお風呂上りに塗ってるヤツのパワーアップ版っていうのかな。ちゃんと炎症を抑えてくれるし、何よりお肌がツルピカになってね、もうビックリよ! しかもコレ、結構長持ちするんでしょ? 毎日塗るのって何だかんだ大変だからさぁ、その辺も超助かるわー!』


 華やいだ幼馴染の調子に、自然とジャンの口元が緩む。

 もし通話中でなかったら、人目もはばからず飛び回っていたことだろう。


『ジャン、アンタ天才よ! それにしても成分表示を見たけど、ジャイアントスラッグ……っていうの? 迷宮品ってやっぱ凄いのね!』

「……もしかして、検索した?」

『へ? 何が?』

「う、ううん。何でもない。してないならいいんだ」

『ふーん』


 仮に「ジャイアントスラッグ」とは何ぞやと思いインターネットで調べれば、画像付きでまだら模様の大ナメクジが出てくるはずだ。男女問わず、悲鳴を上げてもおかしくない見た目をしているので、知らぬが仏だろう。


(でも、そうか。……効いたんだ)


 走馬灯と言うには大袈裟だが、いくつもの想い出が脳裏に浮かぶ。

 一番強く思い出されるのは、やはりサラが校舎裏で泣いていたあの日。


(やったんだ、僕は)


 もう彼女は肌を隠さなくたっていい。サマーバカンスに行った先、波打ち際で一人、寂しく微笑む必要もない。ジャンの開発したブランシュネージュさえあれば、湯上りのような卵肌を保つことが出来るだろう。


 それがサラのコンプレックスまで破壊してくれるかは分からない。

 けれど今までみたいに、何かを諦める必要はなくなるはずだ。


『やっぱ持つべきものは親友ね!』

「あの、さ。……サラ」


 諦めるといえばジャンも同じだ。

 彼は今までずっと、伝えるのを諦めてきたことがある。


 それはサラに対する好意だ。友人としてでない。異性としての好意である。


 俯きがちな境遇ながらも、サラは基本的にへこたれず、周囲に対し明るく奔放に振る舞ってきた。そんな彼女をずっと近くで見てきたから、ジャンが惹かれるのも必然で、距離が近いからこそ想いを隠し通してきた。


 明るさの影に潜む卑屈さが、告白を同情だと受け取ったら。

 それにサラ自身、色恋沙汰から一歩引いているようにも見えた。


 だから心に秘めたまま言わないで来たのだが、それももう終わりだ。


「僕も、君に話が――」


 今の彼女ならきっと、想いを伝えても変に曲解したりしない。

 前向きに未来を見据え、考えてくれるはずだ。

 良いなら良い、駄目なら駄目でスパッと断ってくれるだろう。


 万感の思いを籠め、大きく息を吸った時。



『でね、でね! もう一個お礼を言うことがあってね! 職場の先輩に思い切って告ったら、なんと……オッケーもらっちゃったの!! キャ~!』



 ぴしり、とジャンの動きが止まった。

 ともすれば罅の入るような音まで聞こえたかもしれない。


「…………へぁ?」


 その決意が抜ける声音をどう感じたのか。

 サラは滔々と言葉を重ねる。


『今まではさぁ、アタシなんてって気持ちがやっぱどこかにあったのよ。でもアンタが送ってくれた薬のおかげで、自信がついたっていうか。勇気、もらっちゃった。だから……ありがとね、ジャン!』


 いや、あれは薬じゃなくて化粧品――という訂正も出てこない。

 ただぱくぱくと言葉にならない何かが口先から洩れていく。


『また今度、ご飯食べにいきましょ! 何でもおごったげるわよ! 要件はそんだけ! 忙しいとこ悪かったわね。それじゃ!』


 プツ、と通話が途切れる。

 待てど暮らせど、それ以上音声は聞こえてこなかった。


 空高くで名前も知らない鳥が鳴いている。

 ジャンはしばし呆然としていた。

 それから思い出したように膝から崩れ落ちる。


「……あ、あぁぁ」


 自然と両手は頭の横へ。抱えながら天を見上げた。


(脳が……破壊される……!!)


 振る振られる以前の問題だ。こんな結末ないだろう。まさか告白さえ出来ずに終わるなんて。悪い冗談。夢なら醒めてくれ。そう思っても現実は変わらずそこにある。一体どこで間違えてしまったのか。


 これじゃ何のために頑張ってきたのか――いや、違う。


 自分は決して下心で動いたわけじゃない。

 友として、友人のために何か出来ればと努力した。

 その成果が報われたんだから、胸を張ればいいじゃないか。


 だが、しかし。


「ほへぇ……」


 半分くらいは下心があったのも事実で。

 ジャンの口から息と一緒に、魂までがまろび出る。


 もはや糸の切れた人形だ。

 くったりへたり込んだ彼へ――



「お悩みですか、人類」



 ――不意に、凜とした声が届いた。


 それは魂の抜けた人間ですら、思わず意識を取り戻してしまうくらいの衝撃。

 ジャンが驚いて顔を上げれば、そこに――『天使さま』がいた。


 屋上庭園のプランターから垂れさがる植物たちが、まるで傅く家臣であるかのように見える。陽光に煌めく銀の髪。射貫く瞳は琥珀色。背の翼は呼気に合わせて薄く上下していた。総じてこの世ならざる存在がそこにいる。


「……む。何か、タイミングが不味かったような」


 天使さまが傍に控えるクラゲに対し何事か呟くも、それどころじゃない。ジャンは慌てて立ち上がり、どうすればよいかも分からず姿勢を正した。


「なん、なな……えぇ!?」

「まぁいいでしょう。こほん。えー、汝。迷える星の子よ。単刀直入に言いましょう。確か……そう、ブランシュネージュと言いましたか」


 諸手を組み、瞼を閉じる様は、まるでステンドグラスのような荘厳さがあって。

 思わず息を呑み込んだジャンに対し、天使さまは鈴の音を鳴らす。

 言の葉という名の鈴を。


 それはまさしく『お告げ』だった。



「――貴方の力作、CMに出してみませんか?」



 ただしお告げにしては、その内容があまりに俗っぽ過ぎたが。


 思わずぽかんと口を開け、間抜け面になるジャン。目の前に超常的な存在がいるというだけでも驚きなのに、話すことまで支離滅裂ときている。これで驚くなという方が無理な相談だろう。


 その代わり、衝撃的過ぎて直前までの失恋(ショック)が完全に消し飛んでしまったのだけは、不幸中の幸いと言うべきか。


 ともかくとして。

 突然の邂逅は、彼にこれから先の混沌とした未来を予感させた。


 下を向いている暇などないほどの、混沌を――



 それから少し、未来の話。

 ジャン・メーティスが開発した薬用化粧品「白雪姫(ブランシュネージュ)」は、ダンジョン配信専用サイト「D-Live」での宣伝を皮切りに、空前の大ヒットを叩きだす。その勢いは、一躍会社のエース商品に躍り出るほどだった。


 塗れば玉のような肌を手に入れられるクリーム。

 保湿性もばっちりで、何より荒れた皮膚でも癒してしまうそれは、男女問わず、多くの愛好家を生んだ。美容目的はもちろん、様々な皮膚病を抱える人間にとっての福音になり、業界を牽引する一助となった。


 特にいつからか、これを塗って意中の人に想いを伝えれば、その想いは成就するという噂が広まって、別名「恋の薬」とも呼ばれるようになるのだが。


 当の開発者(ほんにん)はインタビューでそのことを聞かれると、何故だか苦笑いを浮かべていたという……。


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― 新着の感想 ―
私も欲しいっ…!!(肌が弱いにんげんです) 天使さま天使さま下界にもなめくじクリームを…!! ジャンよRIP
ジャンもジャンでさっさと告白しろナードだが、相手も自分の悩みで仕事決めたこと諸々も察せない、あるいは分かった上で彼氏出来た報告する女なら頭お花畑すぎる…
破壊された脳に効く薬も作らないとね・・・(涙)
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