空に憧れて(五空木卓海)
古ぼけた二階建てのテナントビル。
あちこち蔦が這う中で、階段脇に掲げられた「イソラギモータース」という看板だけが、唯一新しい。一階はシャッターが閉じられていて中が見えない。どうやら来客者はまず、二階の正面玄関を訪ねる形のようだ。
来客者といっても、こんな怪しい建物に好んで訪れる人間などそういないだろう。あってもセールスか、宗教勧誘か。
他ならないビルの借主、五空木卓海はそう考えていた。
だから、というわけでもないが。
未だに眼前の状況を飲み込めない自分がいた。
もっぱら荷物置きになっている来客用ソファ。
そこに浅く腰かけた人物が、感情の読めない瞳を動かし、言った。
「すみません。砂糖……いえ、何でもありません」
薄い桜色の唇が紡ぐ言の葉は、思わず陶然とするほど澄んでいて。
埃っぽい部屋の中、絹糸のような銀髪が輝いている。
形の良い頭に載った小さな冠。
何より目を引くのは、その背に遊ぶ純白の翼で――
「こほん。それでは、商談を始めましょうか」
――およそこの場に似つかわしくない存在。
真っ白な『天使さま』がそこにいた。
考えれば考えるほど、わけが分からない。
何か返そうにも困惑ばかりが先にきて、一旦、落ち着くべきだと悟る。ゆえに、卓海は今日起きた出来事を時系列順で振り返ることにした。少なくとも、一日の始まりは可もなく不可もなく、いつも通りだったはずだ。
いつも通りの、うだつが上がらない日常――
◇ ◇ ◇
昨夜降った雪が、まだ街路にほんの少しだけ残っている。
それもすぐ陽光に溶けて消えるだろう。時刻はまもなくお昼ごろ。
名古屋の街に居を構える地方銀行、その本店から出てきたくせ毛の青年――五空木卓海は、ほぅと息を吐いた。冷たい外気に、息だけでなく眼鏡までもが白く曇る。
そのまま身を縮こまらせながら歩き出した。
(まーた空振りかぁ……)
安っぽいコートに手提げ鞄。何より目立つのは背中の荷物だ。
大きな包みを背負うようにして運んでいる。
人とぶつからないよう、それなりに気を使いながら、卓海は冬の街を行く。
どことなく足取りが重いのは、決して荷物のせいだけではなかった。
(これで30件目。ものは良い……と、思うんだけどなぁ)
たった今、卓海は『商談』に失敗したばかりだったのだ。
楽観的な性格の彼をして、さすがにこう失敗続きだと落ち込みたくもなる。それでも自前のポジティブシンキングに任せ、前を向くことしばし。通り道の傍に緑地公園が見えてきた。中を通ればショートカットになるだろう。
「……ふぅ。ちょっと休憩」
いい加減、荷重で肩が痛くなってきたところだ。
手近なベンチを見つけ、どかっと腰を下ろした。
平日のためか、公園は閑散としていて鳥の声がよく聞こえる。
「いーい天気だなぁ」
見上げれば真っ青な空。
卓海はどちらかといえば寒がりな人間なので、冬より断然夏の方が好きだ。しかしこの不純物が一切ない、寒さの底のような空を見ていると、気持ちがぐらつく。夏の雲も嫌いじゃないけれど、まったく透明感が違う。
「こんな時は……」
おもむろに鞄をまさぐって、取り出したるは一本の竹とんぼ。柄に螺旋型の溝が刻まれた特製の品だ。
「それ!」
両手で捻じるようにして擦れば、しゅっと音を立てプロペラが回り出す。ここは外周を木々に囲まれ、風も穏やかなので、高く高く飛んでいく。
卓海は目を細め、その雄姿を見送った。
(気持ちよさそうだなぁ)
青空の中、闊達に飛び回る竹とんぼはどこまでも自由だ。俗世の悩みなど無用と言わんばかりに、悠々と宙を泳ぐ。ただし、段々高度が落ちてくる。卓海はその落下点を予測して、重たい腰を上げた。
と、芝生の上、自分と同じように空を見上げる小さな存在に気づく。
子どもだ。それもまだ幼い。園児だろうか。
ほけっと口を開いて立っている。
やがて地面へ落ちた竹とんぼ越しに、まん丸な瞳と目が合った。
「……これ、気になる?」
「ん」
果たして、それは肯定なのか否定なのか。
いずれにしても逃げないあたり、物怖じしない子だな――と卓海が思っていると、母親らしき若い女性が、慌てた様子で駆けてきた。
「こら、ジュン! 急に走ったら危ないでしょ! あとそれは、そこにいるお兄さんの! 勝手に取ったら駄目!」
怒涛の口撃に大体何があったかを察して、卓海は苦笑いを浮かべた。
「すみませんっ、うちの子が」
「いえいえ、大丈夫ですよー。何にも迷惑してないので」
実際、掠め取られたわけでもなければ、踏み壊されたわけでもない。特に怒る謂れなどないから、ゆるゆると首を振った。
「それに……しょっと」
もう一度、今度は幼子にもよく見えるよう竹とんぼを構え、捻じり上げる。
「ほら、よく飛ぶだろう?」
「おー……!」
幼い歓声が上がった。
天高く舞うプロペラは、卓海自身が考えて削り出した自慢の一品だ。どうすれば高度を出せるか、空気力学も駆使して設計している。だから幼かろうと、誰だろうと、こうやって目を輝かせて貰えるのは職人冥利に尽きる栄誉だ。
二度目の遊覧飛行を終えた竹とんぼが、再び地面へ着陸する。卓海はそれを右の親指と人差し指で摘まみ、幼子に向かって差し出した。
「はい、あげる。絶対人に向かって飛ばしちゃダメだよ」
「ん」
素直に頷く、もこもこ装備の子ども。
「えっ、いい……んですか?」
一方で、保護者の女性は困惑を隠せない。よく聞けば警戒もしているようだ。だから卓海はふんわり笑って、コートのポケットからもう一本、竹とんぼを取り出した。
「ご覧の通り、予備がありますので。お気になさらずー」
「は、ぁ……」
よく見ればそれは幼子に渡したものと比べ、形状も違うし、色褪せている。だが細かな違いがあっても、竹とんぼは竹とんぼだ。一応の納得を得て、女性はおずおずと頷いた。
「でしたら、遠慮なく……?」
「一応、遊ぶ時は一緒に見てあげてくださいね。木とか、屋根の上とか、あと車道の方へ飛ばさないよう。それからコツはゆっくり回すこと。たぶん、最初は上手くいかないと思います。なので、練習あるのみ!」
卓海がぐっと拳を握れば、ぎこちない笑顔が返ってくる。
「……ありがとうございます。ほら、ジュン。お兄さんにお礼!」
「あいあとー、ごじゃます」
「はい。大切に使ってね」
いかにも練習中と言わんばかりのお礼に、卓海の相好が崩れる。つい頭を撫でそうになるも、ぐっと堪えた。相手は親戚ですらない、知らない家の子どもだ。代わりに膝を追って目線を合わせた。
たぶん、気持ちの半分も伝わらないだろうけど。
「これが君にとっての――想像の翼となりますように」
少なくとも、一日くらいは覚えていてくれますよう。
そう願って呟いた言葉は、案の定、きょとんとした顔で返されるのだった。
◇ ◇ ◇
蔦が這った二階建てのテナントビル。商業街にひっそり混じるその建物こそが、卓海にとっての仕事場であり、住居だ。錆びた階段をカンカン踏み鳴らしていき、ガラス戸を潜れば、時刻はまもなく昼へ入ろうかという頃合い。
そろそろ小腹の空く時間だ。
何か軽く作るか、外へ食べにでもいくか。最近、値段の割にボリューミーな弁当屋を見つけたから、足を延ばしたっていいかもしれない。
ただ、どちらを選ぶにしても少し歩き疲れた。
卓海はインスタントコーヒー片手に、事務所で一息つく。
「ほー……」
外に出て寒さで凝り固まっていた頭が、ゆっくり解凍されていくようだ。マグカップを持ったまま、彼は窓辺のクラフトテーブルへ近づく。そこには先ほどまで彼が背負っていた大きな荷物が、既に包みを解かれ鎮座していた。
(やわな作りじゃないはずだけど、一応、診ておこうかな)
それは一言で表せば、スノーボードのような見た目をしていた。
幅30cm・長さ140cm程度の板で、両端ともに角が丸い。いかにも足を置くための台座がある以外は、つるりとした作りだ。黒を基調に赤い差し色を混ぜた彩色。確認のため裏返せば、中央部に翡翠色の玉が埋まっていた。
(魔石は……まだ持ちそう。まぁ大して使わなかったしね、今回も)
玉の中に渦巻く光を眺めて、卓海は顎を撫でる。
それからマグカップをテーブルに置いた。
空けた両手で何をするのかと思えば、赤と黒のボードを持ち上げ、床に置き直す。そうしてぽつりと一言呟いた。
「起動」
瞬間、翡翠色の玉が発光し――ボードがひとりでに浮き上がった。
一見して、気流が出ているわけでも、磁力の反発が起きたわけでもない。本当に音もなく、ただ浮上してみせたのだ。およそ地面から30cm程度の高さまで上昇し、そのまま滞空し続ける。
「よしよし。それじゃ失礼して……ほっ」
次いで、卓海は浮かぶボードの上に飛び乗った。彼の体重は約60キロ。普通それだけの重さが加われば沈んでしまいそうなものだが、一瞬降下する仕草を見せただけで、ボードはぶれずに安定している。お陰でバランスを崩さず済んだ。
「せっかくだし、アクセルとブレーキも確認しておこうかな」
誰にともなく零して、体を僅かに前傾させる。
するとボードは卓海を乗せたまま、ゆるやかに前進し始めた。
「おっとと。曲がって曲がって……八の字、スピン!」
辿るのは、家具や荷物を障害物に見立てた即席の航路だ。
体を倒した方に進み、曲がる直感的な操作方法で、ちょっとした隘路も抜けていく。見えない観客に向けくるりと妙技。その瞬間、間違いなく彼は宙を駆けていた。たとえ地面スレスレだったとしても、飛んでいたのだ。
「はい、ゴール!」
無事スタート地点まで戻ってきて、万歳ポーズ。
「検証完了っと。こんなに面白いものが世にあろうか? いや、無い。こりゃ、馬鹿売れ間違いなしだね! はーはっはっ……はぁ」
諸手を上げて喜んだかと思えば、がっくりと項垂れる。
しょうもない独り芝居だ。卓海はずり落ちた眼鏡を直しつつ、ボードから飛び降りた。すると役目を終えたことで、摩訶不思議な板がゆっくりと下降していく。やがて静かに着陸し、玉の光も消え失せた。
(やっぱり変速機能がイマイチ、かな。でも……これ以上となると新しい『秘紋』がいるかもしれないし。うーん……)
重力の頸木を断ち切って、自在に泳ぎ出す神秘の乗り物。
世が世なら神器と持て囃されてもおかしくない。
しかし卓海には、まだ改善の余地があるんじゃないかと思えて仕方なかった。
何故ならば。
「我ながら、良い発明をしたと思うんだけどねぇ」
仮称「フライングボード」と名づけたその『魔道具』を制作したのは、他でもない、五空木卓海であるからだ。開発者だからこそ、各所に粗が見えて仕方ない。
彼はダンジョンがこの世に生み出されてから出現した、魔石を動力源として動く機械を設計・製作する『魔道具師』の一人だった。といっても、実績と呼べるものはまだ何一つ積んでいない、名ばかりの職人だが。
――遡ること十カ月前。
卓海は勤めていた自動車メーカーをクビになった。
当時、世間では新型感染症の「ヒルタ熱」が猛威を振るっており、社会全体に縮小ムードが漂っていた。俗にいう「ヒルタショック」が起こり、あちこちで人員整理が行われ、その余波を受けてしまったのだ。
同僚の中には、この不当を広く世に訴えようと気炎を上げる者もいたが、卓海は一目散に逃げだした。何せこんな不条理、世の中にはいくらでもある。そんなことに時間を使うよりか、自分がしたいことを探した方がマシだ。
だから雇用保険の手続きが終わるまで、何をしようか考えて、思いついたのが「ダン活」だった。
ダン活。ダンジョン活動の略。ダンジョンを通して自分の人生に刺激をもたらそうとする行為を指す。ある種、自分探しや海外旅行に似ているかもしれない。聞くところによると、ダンジョンに入ってそれまでの生き方が180度変わった、なんて人間もいるらしい。
近頃、若者の間でちょっとしたブームになっているのだとか。
もっとも大抵は物見遊山で終わるそうだが。
最悪、採用面接で話の種くらいにはなるだろう。
そんな動機で日本国・第三号ダンジョン「名古屋金鯱閣」へ向かい――未来が変わった。
『あなたの職業は〈機工師〉です』
初めてダンジョンへ足を踏み入れた時、聞こえてきたその声が、彼の人生を変えたのである。それは卓海を新世界へと誘う呼び声だった。
〈機工師〉とは、〈鍛冶師〉や〈調理師〉などに並ぶ生産系の職業だ。その能力は大雑把に言って魔道具の製作に向いている。
魔道具――現代の技術では到底説明がつかない、超常現象を巻き起こす道具たち。時折ダンジョンから発掘されるそれらは、分解すると、内部に無数の紋様が刻まれている。外見は同じでも、中に秘められた紋様が違えば、発動する効果も変わってしまう。
いわば命令文とも言えるもの。そこに魔石から供給されるエネルギーが通ると、奇跡が体現するのだ。
〈機工師〉はその紋様を物体に刻印する力を有していた。「起動」の秘紋に始まり、レベルが上がるごと、扱える紋様が増えていく。これまでに発見された秘紋の数は、優に500を下らない。
必ずしも〈機工師〉でない限り秘紋を刻めない、というわけではないのだが、どうも効力の強さや安定性に欠ける部分があって、〈機工師〉は偏に生産職と言っても、その唯一無二性から「当たり職業」とまで言われていた。
少し先見性のある企業を探して門戸を叩けば、快く迎え入れて貰えるだろう。作るだけに限らず、解析という需要もあるのだから。
しかし、卓海はもう一度勤め人になることを良しとしなかった。
良く言えばマイペース、悪く言えば我が強い人間だから、またあの窮屈な生活に戻りたくないという気持ちもあった。せっかく浮かんだアイデアや提案の全てが、慣例にないからと却下され続けた人生は、どこまでも鬱屈していた。
ただそれよりも、何よりも――幼い頃に抱いた夢を叶えたい。
不遜かもしれないが、そう願ってしまった。
――どうして人は空を飛べないんだろう。
誰もが一度は考えて、すぐに忘れ去ってしまう疑問。
そんなもの、飛べるように出来ていないんだからしょうがない。大人になるにつれ、気にも留めなくなる、つまらない問いだ。
ところが卓海の父は、よくあるその質問に対し、大真面目に悩んで、一緒に答えを探してくれるような人間だった。だから幼い息子の度重なる「なんで」攻勢を受けきって、こう答えた。
『それは、俺たちのがんばりが足りないからだ』
曰く、人類はこれまでたくさんの「出来ない」を「出来る」に変えてきた。自動車だって、飛行機だって、宇宙船もそうだ。かつては誰もが不可能だと思い込んだ常識を覆す人がいて、今がある。
その証拠にと笑って飛ばした竹とんぼは。
ほんの一瞬、電線から飛び立つ雀の上を跳び越えて。
『ほら、届いただろ?』
この世に不可能なんて存在しない。
あるとすれば、それはまだ克服されていないだけなんだ。
そう教えられた。
以来、父がくれた竹とんぼは卓海にとって大切なお守りになった。
不可能を覆す象徴に。
あの時抱いた空への憧れ。
飛行機は普通の人間にとって、手軽な手段じゃない。大抵航路だって決まっている。まして他の乗り物であっても、資格や訓練が必要なものばかりだ。
誰もが自由に空を飛ぶことが出来る世界。それを〈機工師〉なら実現出来るんじゃないか。そう夢想したのは自然なことで。僅かばかりの退職金と解雇手当、そして使う暇もなく溜まっていた貯金を下ろし、まず会社を立ち上げた。
社名は「イソラギモータース」。
卓海一人しか社員がいない、彼のためだけの城だ。
きちんとした看板があれば取引だってしやすい。特に迷宮品――ダンジョンから取れる資源を買う時は、魔道具の開発を売りにしたスタートアップ企業ということにしておけば、通りもよかった。もちろん嘘は一つもついていない。
時々〈機工師〉のレベルも上げて扱える秘紋を増やしつつ、開発の日々が始まった。
夢は大きく、目標は小さく。
まず手の届く範囲から積み上げて、天にまで届かせるのが技術者というもの。
ただ単に「浮上」の秘紋を刻んだだけでは、エネルギーが切れるまで延々浮かんでいくし、搭乗者が振り落とされないよう安全機能も必要だ。さらに既存の飛行機と違って、ややこしい操縦系統も無しにしたい。
そうしたこだわりを追及した結果、ボード型の魔道具になった。
秘紋の組み合わせはプログラムに似ている。ただし最後に物体へ刻むことを考えると、寄木細工が近いかもしれない。秘紋同士が重なったり隣り合ったりすることでも、効果が大きく変わるから、立体的なパズルになるのだ。
昔から父と一緒に日曜大工を楽しみ、自由帳に迷路を書いては友に遊ばせ、最終的に巨大な木工パズルまで作った卓海だから、三次元的思考はなんのその。秘紋を刻んだ板を何枚も用意し、重ね合わせることで、多層構造の回路を作り上げた。
省スペースもさることながら、省魔力も兼ねた優れものだ。
そうして半年以上の歳月をかけ、「フライングボード」が完成したのである。
夢の魔道具が出来上がり、万々歳――かと思いきや。
現在、卓海はある切実で重大な問題を抱えていた。
それは活動資金が完全に底をついてしまった、ということだ。
こだわりが強い性格は時として災いとなる。あれもこれもと機能を追加し湯水のように金を使うばかりで、収入がなかったのだから当然と言えよう。それでも試作とは言え、ものが完成しただけ上々だ。
そこで卓海は「フライングボード」を背負い、資金調達の道を探ることにした。
何せこの先、継続的に改良していくにせよ、試験を経て日本迷宮規格の認証を受けたり、特許の出願や広告を出すのだって、金は際限なく必要になる。いくらあっても足りないのだ。
だから融資を求めて、今日も銀行へ行き――
「…………はぁ」
――成果は変わらずゼロのまま。
実績がない無名の魔道具師へ投資するのは、あまりに博打が過ぎる。
少なくともまっとうな金融機関なら、持続的で安定した売り上げが見込めそうにない事業へ融資を渋るのは、至極当然の選択だろう。それでもと挑み続けて、もう何件断られただろうか。
(企業に売り込んだ方がいいですよ、かぁ)
門前払いのところもあれば、真摯に話を聞いてくれたところもある。
今回の商談相手は後者だ。
卓海の発明を褒めてくれたうえで、設計図を関連企業へ売るべきだと助言してくれた。それが個人として取れる、もっとも現実的な選択だと。そう語った男性行員の、理知的な瞳が脳裏に浮かぶ。
(でもそれは、この子を手放すってことで……)
仮に卓海の「フライングボード」を買い取ってくれる会社があったとして、それが彼の想い描く、誰もが自由に空を飛べる未来へ繋がるかは分からない。売ってお終い。金になればそれで良し。そんな考えだったら、もっと別のものを作っている。
第一、それ以上開発する権利が無くなってしまったら。
(……父さん)
棚に置いた家族写真。その前に、お守りの竹とんぼが転がっている。
こんな時、頼りになる父なら何と助言してくれただろうか。
そこまで考えて、卓海はぶんぶんと頭を振った。
「あ~、やめやめ! 暗いの禁止!」
ネガティブになったって、良いアイデアは浮かばない。失敗は成功の母。偉大なる先人もそう言ったじゃないか。きっとお腹が空いているから悪い方にばかり考えてしまうんだ。
「お昼お昼~っと」
やっぱり今日は気分転換に、外へ食べに行こう。
相変わらず財布はカツカツだけれど、まあ何とかなるだろう。
そう楽観的に決めつけて、回れ右した時だった。
――――ピンポーン。
突如鳴り響くチャイムの音。軽快な調べが事務所の中に木霊する。
卓海は思わずびくりとして、目を丸くした。
(え、誰?)
こんなオンボロビルを訪ねてくる人間など滅多にいない。卓海が知る限り、国営放送の集金くらいだ。驚きつつもドアカメラの方へ走る。前の入居者が工事したらしく、一応壁にモニターがついているのだ。
応答ボタンを押して、とにもかくにも声を出す。
「はい、どちらさ――」
ただ、最後まで言葉にすることが出来なかった。
言いかけたまま、ぽかんと口を開け放ってしまう。
何故ならば小さな画面の中に、
「こんにちは、人類」
純白の翼を携えた『天使さま』が立っていたからだ。
荒い画素などなんのその。
隠しきれない存在感。
(は、えっ……うん?!)
ドッキリか何かだろうか。いや、この神々しさは間違いなく本物だ。
知らず、卓海は唾を飲み込んでいた。
やがて彼の優れた脳みそが、この状況にふさわしい解を叩きだす。すなわち。
「あの――おうち、間違えてますよ?」
そう、これこそが正解だ。
きっと誰かの家と勘違いしたんだろう。そもそもこの地上に、天使さまが直接訪ねてくるほど、とんでもない誰かがいるのかは知らないが。
カメラの電源も切って、ほっと息を吐く。
これで一件落着なは――ピンポーン。ピンポピンポピンピンピンピンポーン。
「……はい、五空木です」
どうやら、そのとんでもない誰かというのは。
にわかに信じがたいが、自分らしい。
◇ ◇ ◇
お構いなく。そう天使さまは言うけれど、さすがにお茶の一杯も出さないわけにはいかないだろう。だから卓海は慌てて来客用のカップ――普段使いしない金縁の容器――にコーヒーを二杯淹れ、震える手で運んだ。
そうしてソファで待つ天使さまと、よく分からないクラゲの前に一つずつ置く。
陸上にクラゲが浮かんでいるというだけでも困惑するのに、何故かサングラスを頭に載せているのがまた謎だ。
ともかく、他の部屋から折り畳み椅子を引っ張り出してきて、天使さまの前に座った。こんなことなら応接セットを作っておくんだったと思うも、後の祭りだ。
「すみません。砂糖……いえ、何でもありません」
真っ黒な液体に琥珀色の瞳を投じた天使さまが、不意に口を開く。
だが途中で頭を振って、空咳をついた。
「こほん。それでは、商談を始めましょうか」
「商談……ですか?」
とりあえず応じてみたものの、卓海からしてみれば何が何やらだ。
固唾を呑んで次の言葉を待つ。
「ええ。まず、貴方はこの画面を見たことがありますか」
天使さまの細い指が、宙に小さな四角を描く。するとその何倍もの大きさで、光る窓が現れた。ぎょっとするのも束の間、卓海は技術者として食い入るようにして見つめる。一体、どんな原理が働いているのか。
ただ、すぐに眉根を寄せることになった。
「……『D-Live』?」
「どうやらご存じのようですね」
「え、ええ。まぁ」
ダンジョン配信専用サイト「D-Live」。曲がりなりにもダンジョンの恩恵に与かる者として、知らないわけがない。探索者協会は基本的に探索中のライブ配信を義務付けているし、規則に従い、卓海も配信したことがある。
問題は何故そんなものを見せてきたかということだ。
天使さまが膝に手を置き、小首を傾げる。
「単刀直入に聞きましょう。貴方、此処へ広告を出してみる気はありませんか?」
「へ……!?」
およそ神秘的な存在からは聞こえるはずのない、何か俗っぽい響きを聞いた気がして、卓海は素っ頓狂な声を漏らした。
自分自身に確かめるつもりで言う。
「こ、広告?」
「――フライングボード」
「っ、どうしてその名前を……!」
「私には優秀な秘書がいましてね。さておき貴方は今、大層お困りの様子」
何気なく天使さまが視線を投げた先にあるのは、渾身の魔道具。
己が夢を詰め込んだ、かけがえのない宝物だ。
「どんなに良い物でも、知られなければ、それは存在していないのと同じです。クラウドファンディングでも、試遊会でも、あるいは合同プロジェクトでも。兎角、広げ方なぞいくらでもあるでしょう。だから――諦めるにはまだ早い」
息を呑む。そうだ、諦めないこと。それが自分の原点だったはず。
大昔、誰もが空を飛ぶなんて絵空事だと思っていた。
けれどその不可能を可能に書き換えた人たちがいたんだ。
「なに、心配はいりません。きっと貴方の夢は、大きな声援を受けることでしょう。広告作成において不安があるのなら、うちの敏腕マネージャーがサポートいたしますし、それに何と言っても……」
ふと、天使さまが笑った。
春の日を受け花弁が綻ぶような、そんな笑み。
「空を飛ぶのは気持ちが良いですから」
それは卓海が生きてきた中で、一番説得力に満ち溢れた台詞だった。
何せ発言の主は羽の生えた天使さまだ。
この世界のどこを探したって、否定出来る者などいまい。
どこか得意顔をしているようにも見える。
釣られて、卓海はくすりとした。
「それはそう……でしょうねぇ」
「はい。もし貴方が私の助力を必要としないなら、構いません。この話は忘れてください。けれどもし、あと一歩、何かが必要だというのなら――いかがでしょう」
差し出された手は小さくて、ぞっとするほど透き通っていた。
「今ならキャンペーン中につき、出稿料も無料ですよ?」
朗々と、歌うように言葉を紡ぐ。
正直、天使さまの言う『商談』の内容をきちんと理解出来たかは怪しい。
それでも卓海は――信じたいと思った。
だから。
「……分かりました。もっと詳しく、聞かせてください」
恐る恐ると握手に応じる。
触れたその手は、卓海が想像したものとまったく違っていて。
触れたら壊れたりもせず、ぞっとするほど冷たくもない。
きちんと血の通った温かさを持っていた。
後日、卓海が「D-Live」に流した映像は非常にシンプルなもの。
ただ原っぱで自分がフライングボードに乗って飛ぶだけ。子どものような表情で、大人が無心に遊び回るだけの映像だった。そこへ申し訳程度の宣伝がつく。果たして、その効果はいかほどだったのか。
それは歴史が自ずから証明してくれるだろう。
いつの時代も「出来ない」を「出来る」に変えた人間は、未来永劫、称えられるものだから。




