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ダンジョン「地球」の管理者は、人生二度目の天使さま。  作者: 伊里諏倫
間章

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潮騒のスープ・上(比嘉照匡)

【連続投稿 1/2】

 地下道に張り巡った木の根から滾々と水が沁み出し、川の流れを作っている光景。星と見紛う発光石の明かりの下で、比嘉(ひが)照匡(てるくに)はぼんやり釣り糸を垂らしていた。その後ろで静かに焚火が揺れている。


 断続的に響くせせらぎの音は、照匡を夢の世界へと誘う。だが時折ぱきん――と枝が燃え折れ、大きく鳴るおかげで、舟を漕ぐまでには到らない。


 一心不乱に浮きを見つめること、しばし。

 目立つ蛍光色のそれが沈む。


「……おっ」


 ただし、アタリがあったのは照匡でなく『隣人』の方だった。

 すぐ傍で彼に並んで竿を握っていたゴブリン(・・・・)が、慌てて折り畳み椅子から立ち上がり、ぐっと獲物を引き寄せる。


「グギギ……!」

「大丈夫、落ち着いてムナさん。そうそう……その調子。近くまで寄せてくれれば俺が掬い取るからね」

「ギャウ!」


 見れば銀の腹を光らせて、魚が一匹掛かっていた。


 照匡は自分の竿を置き、タモ網に持ち替える。それからゴブリンが見事魚を釣り上げるのに合わせて、すかさず網で受け止めた。


「しょっ……と。シロビカリかー。この大きさ、記録更新じゃない?」

「ギャッギャ」

「うんうん。大分釣れたし、ご飯にしようか」


 小躍りして、全身で喜びを表現するゴブリン。照匡はその純朴な様に苦笑しつつ、水の張ったバケツへ魚を放り込んだ。既に何匹か先客がいて、ちょっとした騒ぎが起きる。これからかれらを待ち受ける運命。それはすなわち、まな板の上だ。


 アウトドアテーブルと調理器具を前にして、照匡が首を捻る。


「とりあえずウロコはみんな取るとして、どう食べよう?」

「ギッ」

「その動き(ジェスチャー)は……削ぎ切りかな。前に食べたお刺身、そんなにおいしかった?」

「ギヒ、ギヒヒ!」


 足元にぽてぽてとやってきたゴブリンが、身振り手振り、思いの丈を伝えると、照匡は分かったとばかりに頷いた。


「それじゃあムナさんが釣ったのは、お造りにしようか。あとはー……面倒くさいし、軽く捌いて串にしちゃおう」

「ギー!」


 彼にゴブリンの言葉は分からないが、わーっと両手を挙げている様からして、恐らくはしゃいでいるのだろう。そう断じてバケツから魚を引き抜く。


 一尾一尾、慣れた手つきでウロコを剥ぎ、頭を落として内臓も取っていくと、視界の端に小鬼の頭が映る。目をやれば、踏み台の上に乗ったゴブリンが、照匡の手つきをきらきらと見つめていた。


「……今日も手伝ってくれる感じ?」

「ギャッ!」

「はは。それじゃあこれ、洗ってくれる? せっかくだし、串打ちもやってみようか」


 大変な作業も二人で行えばあっという間だ。

 てきぱきと調理を進めていく。


 照匡にとってもはや見慣れた光景である。


 二足歩行で手を使う生物。そう捉えれば、ゴブリンと人間(ホモ・サピエンス)は似ているかもしれない。もちろん見た目に始まり、違うところの方が多いけれど、教えれば大抵の技を身に着ける。


 せっせと働く小鬼の姿に、照匡は思わず目を細めた。



「上等上等。ムナさんはほんとお利口さん(じんぶなー)だね」



 誰に言われたわけでも、強制されたわけでもない。

 このゴブリンはいつだって、進んで人の役に立とうとする。


 思えば、出会った時からそうだった。


 ――遡ること一月前。


 比嘉照匡はここ、日本国・第五号ダンジョン「琉球宝樹」で一体のゴブリンを仲間にした。突然頭の中に響いたお知らせ(アナウンス)に驚きつつ、そのゴブリンを「ムナさん」と名づけたのは記憶に新しい。

 沖縄諸島に伝わる精霊、キジムナーから取った名前だ。


 照匡の活動は、仕事というより趣味のそれ。


 協会主催の初心者育成プログラムに参加し、臨時パーティーを組んで第五層のゴブリンキングを討伐してから、後は一人(ソロ)で気ままに探索している。もっぱら第六層か七層で釣り糸を垂らすだけの生活だ。


 ただ、探索に必要な魔道具――見た目より容量の大きい鞄だとか、中身が自動で充填される水筒を使うには、燃料となる魔石が必要で、たまに低層へ戻ってはゴブリンを倒して回ることがあった。

 何せ照匡の職業(クラス)は〈槍士〉だ。生産職と違い、一人でダンジョンを探索しようと思ったら、便利な魔道具に頼らざるを得ない。


 その結果、ムナさんという相棒を得たわけだ。

 人生何が起こるか分からないものである。


 ムナさんは初めて顔を合わせた時から、とにかく好奇心旺盛なゴブリンだった。照匡がやることなすこと、全てに興味を示し、一緒に釣りを楽しんだり、代わりばんこで火の番をしたり。さらにはこうやって調理の手伝いもしてくれる。


 その代わり戦闘だとさっぱり役に立たないが、些末なことだ。槍働き(・・・)など自分がすればいいと割り切っている。照匡はモンスターとの戦闘に、そこまで魅力を感じていなかった。


 強敵と戦うより、のんびり三昧。

 それが彼の目指すところである。


(今度、三枚おろしから教えてあげようかな)


 気分は親戚のおじさんだ。

 もっとも、こんなに手がかからない子など、そういないだろうが――


「ギゥギゥ!」

「さすが、盛りつけるの上手いねぇ。そうそう、その調子……よし出来た。冷えてきたし、あっちの方で食べようか」


 照匡が左右の手に皿を持って歩けば、その後ろをムナさんがちょこちょこついてくる。と、主人の両手が塞がっていることに気づいたらしい。急いで折り畳み椅子を二脚、焚火の前に並べてみせた。


「ありがとう。はいこれ、ムナさんの分」

「ギヒッ」


 お互い一枚ずつ皿を持って、腰を下ろす。

 ちょうど隣り合う形だ。


 待ちきれなさそうなゴブリンを横目に、照匡は一旦、荷物から調味料セットを取り出した。箱の中にソースやら醤油やらの小瓶が詰まっている。もちろん調理する過程で塩くらい振ったが、人それぞれ好みがあるだろう。

 だから取りやすい位置に置いて、ようやく一息。


「今日のメニューはシロビカリのお造りと贅沢串焼きセットです。それではお手を拝借――手を合わせて、いただきます」

「……ギ!」


 少し行儀悪いが、膝の上に皿を乗せて合掌する。

 慣れたもので、ムナさんも照匡の真似をして手の平を打ち合わせた。


「さて、どっちから攻めようかな」


 薄く切られたシロビカリの身は透明で、きらきらと輝き、その奥に鎮座する串焼きは、種々様々な小魚が豪快に串を通され、こんがりと色づいている。ぱりっと焼けた皮がいかにも美味そうな香気を放つ。


 どうやらムナさんは刺身からいくことに決めたらしい。醤油をだばっと回しかけ、かきこむようにフォークで浚う。ワサビを使わないのは、つい先日悲劇があったからだろう。あの山盛りワサビ事件は照匡が止める間もなかった。


 さておき。


「ギゥー♪」


 あまりにも美味しそうに食べるので、照匡も一枚、箸で摘まんで持ち上げる。そのまま何もつけずに口へ運び、しっかり噛んでから飲み込んだ。


「…………うん」


 ぷりぷりして弾力のある身だ。

 照匡が幼い頃から親しんできた海の魚と、何ら遜色ない。


 ロケーションを考えれば捕れたのは川魚のはず。しかし琉球宝樹の第六層を流れる地下水脈を、普通の「川」と呼ぶべきか疑問であるし、そこに生息する魚もまた、一説によるとモンスターの一種らしい。

 だから想像と違う食感が返ってきても驚かなかった。


 地上の常識が通じない珍味。

 それを贅沢に味わえるのも探索者の特権と言えよう。


(美味しい……んだろうな、たぶん)


 ただ、残念ながら味についてはさっぱりだ。

 それは身が淡白だからとか、味音痴だからという理由じゃない。


 単純に――照匡の舌が味を感じなく(・・・・・・)なっている(・・・・・)からだった。


 決してゼロではない。濃い味つけならかろうじて分かる。

 だが何を食べても似たようなもの。


(……薬のせいかな)


 そういえば担当医に副作用の話をされたような記憶が――と考えて、頭を振った。


 せっかく現実離れしたダンジョンに来ているのだ。

 辛気臭い考えはやめて、今を楽しもう。


「ムナさん、美味しい?」

「ギヒヒッ」

「何なら俺の分もあげようか――え、何? ここ? あ、焼き目か。この部分がオススメってことね。……うん、分かった。ちゃんと食べるよ……」


 ゴブリンのムナさんは調味料こそ盛大にかけるし、一口も大きいが、決して食いしん坊じゃない。だから照匡が残すかお裾分けしようとすると、「何で食べないの?」と純粋な瞳で問うてくるのだ。


「ギィ~!」


 実際、釣った以上はリリースするかちゃんと食べきるべきで、反論することも出来ないから、もそもそと串焼きに齧りつく照匡。


 たとえ隣にいるのがゴブリンだとしても。

 誰かと一緒に食べるだけで、錆びついた味覚がこれは美味しいものだと訴えているような気がした。



 ◇ ◇ ◇



 照匡がダンジョンを出ると、空はすっかり赤くなっていた。

 琉球宝樹の樹影が大きく伸びて、街を飲み込むように覆いかぶさっている。


 沖縄諸島は秋が深まってもなお温かく、過ごしやすい。

 東京の街と大違いだ――と思いながら、照匡は古い軽自動車に乗り込んだ。しばらく車を走らせて、海岸線に沈む夕日を横目に、無心で自宅を目指す。車内に響く歌謡曲の調べ。やがて、山を背にした漁師町へとタイヤが滑り込んでいった。


 古風な平屋建てだ。

 その傍にくっついた手作りのガレージに駐車する。


 車を降りると、照匡のくせ毛が海風に揺れた。


「…………」


 手入れを怠っているせいで、草に埋もれかけた玄関までの道を歩く。やらなければと思うばかりで、もうどれだけ時が過ぎただろうか。


 みちみちに詰まったポストから郵便物を抜こうして、辞めた。どうせロクなものなど入っていまい。クビになった職場から未だに届く脅迫状(いやがらせ)か、はたまた税金の書類か。恐らくそんなところだろう。


 引き戸を鳴らして家に入れば、誰もいない、がらんとした空気が彼を迎える。

 無言で荷物を降ろすと大きく埃が舞った。


 それからまず目指したのは脱衣所だ。

 衣類で溢れかえりそうになっている洗濯機に、また新たに服を詰め込んで、シャワーを浴びる。その間、照匡は努めて何も考えないようにしていた。ただ黙々と体を洗い、風呂場から出ると、短パンを履きTシャツに袖を通す。


 ようやく言葉らしいものを発したのは、居間に移動してからのこと。


「……きったな」


 洗いものが山になったシンク。脱ぎ散らかされた下着たち。縛ったあと、置いたままになっているゴミ袋の群れ。机の上で列をなすカップ麺の空き容器と、汚れたコップ。開けずに放り投げられた書類の海。


 この惨状を作り上げたのは他ならない照匡自身だ。

 だから誰に文句もつけられず、ソファに寝ころんで目を閉じた。


(なんか、どっと疲れたな)


 正直ちっとも眠たくない。

 やらなければならないことも山積みだ。

 けれどそうと分かっていても、一向に気力が湧いてこなかった。


 その代わり、言いし得ようのない不安ばかりが満ちていく。


 たとえば金銭の問題。

 照匡はほんの数か月前まで、この生まれ故郷を離れ、東京で営業職として働いていた。新卒から足掛け4年、我武者羅に勤めた結果、彼が得たのは多少の貯金だけ。むしろ全体的に見れば、マイナスの方が大きかったかもしれない。


 何せ激しい内部競争やパワーハラスメントにより、精神を病んでしまったからだ。


 お客様第一と謳うその口で、相手の良心を利用して丸め込み。少しでも成績が下がれば、ところかまわず罵倒され。覚えのない瑕疵の責任を取るために、取引先へ出向いて頭を下げる毎日。顧客が求めれば昼も夜もない。


 そんな日々に終わりを告げたのは、一本の電話だった。


 普段あまり話さない叔母から連絡が来た時点で、照匡には嫌な予感があって――母の訃報を聞き、頭が真っ白になった。


 照匡の家は代々続く漁師の家系だ。父は彼がまだ幼い時、漁に出て事故に遭い、行方知れずとなった。それから祖父は照匡が十五の時、畳の上で天寿を全うし、以来照匡の母が一人で家を守ってきたのだ。


 そういえば、最後に連絡を取ったのはいつだったか。

 忙しさにかまけて、自分を心配するメッセージに返信もつけないまま。

 いつか長い休みが取れたら、苦労人の母を慰安旅行に連れ出すのが夢で――


 そこから、どうやって帰省したものか。


 気がつけば、照匡の代わりに叔母が葬儀の指揮を取ってくれ、出棺していた。

 全てが終わったあと、職場へ電話をかけた時の上司の一言が、今でも忘れられない。


『お前その程度で、何勝手に休んでんだ?』


 いいから早く会社に来い。お前のせいでみんなが迷惑してるんだぞ。

 その続きが何だったか、いまいち覚えていないし、思い出したくもない。ただ、罅だらけだった心は、その一言でついに瓦解した。


 それから目に余る無断欠勤ということで、照匡は解雇通知を受け取った。

 退職金など当然ゼロだ。


(……母さん、どうして)


 思い出したくないと言えば、家族のこともそうだ。


 本当なら日常的な清掃に限らず、きちんと家の中を整理しなくてはならない。けれど出しっぱなしの道具や、ものを片付けようとすると、どうしても故人の顔が思い浮かび、手が止まってしまうのだ。


 時折叔母が様子を見にきてくれなければ、あっという間にゴミ屋敷となっていただろう。顔を合わせる度「しゃきっとしろ」「姉さん(ねーねー)に申し訳ない」と彼女は言う。照匡自身もそう思うが、いつまで経っても体がついてこないのだ。


 苛立ちから寝返りを打った。


(ダンジョンがあるのなら、きっと死後の世界(ニライカナイ)だって――じいちゃんや母さんも、そこに――)


 一人の時間は、つい余計なことばかり考えてしまう。

 だから嫌なのだ。


 ――現実(ここ)ではない異世界(どこか)へ。


 早く、またダンジョンに戻りたい。

 そう思いながら、照匡はまんじりとして一夜を過ごす。


 明け方、ほんの少し眠れただけで、朝日とともに体を起こす。


 どんなに心が萎れていても腹は減るものだ。買い溜めたカップ麺を手に取って、お湯を注ぐこと三分。割り箸で義務的に麺を啜る。


(……これ、何味だったっけ)


 食べ始めてから疑問に思うも、すぐ意味のないことだと切り捨てた。

 どうせ何を食べたって、今の自分に違いなど分からないのだから。


 ただ腹が満たされれば――それでいい。


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