見取り稽古と秋の空・上(姉村香菜)
【連続投稿 1/2】
日本国・第一号ダンジョン「東京摩天楼」。
その第一層を守護する番人、ゴブリンウォーリアーは初心者たちの登竜門だ。
ただのゴブリンと比べきちんと武装を固めているうえ、押し引きの概念を持ち、闇雲に突撃してこない。今日に至るまで、軽い気持ちでダンジョンに挑んだ人間を数多返り討ちにしてきた手強い存在である。
決して油断出来る相手じゃない。
けれど姉村香菜にとっては、取るに足らない雑兵だ。
「チェストォオオオッ!」
空気を震わす大音声とともに竹刀を振るう。
しなる刀身がゴブリンウォーリアーの肩に当たって、
「ギ!?」
ぱしん、と乾いた音を立てた。
革鎧の上からでも十二分に衝撃を与えたらしい。僅かに顔を歪める小鬼の剣士。
そのまま攻め立てることも出来たが、香菜は落ち着いて一歩下がり、息を吐く。
(まず、一本)
当てた部位が部位だけに、これがもし剣道の試合なら旗は上がらないかもしれない。それでも手応えのある一撃だった。
憎々し気にこちらを睨むゴブリンを見て、思う。
(……遅いわね、やっぱり。前はあんなに苦戦したのに)
今度はこちらの番とばかりにゴブリンウォーリアーが剣を振るう。竹刀でまともに打ち合えば切断されてしまうから、香菜は横薙ぎに竹刀を払って、相手の一撃を往なすことにした。それから円を描くようにステップを踏む。
彼女がダンジョンに潜り始めたのは、今から一年半も前のこと。
迷宮事変と呼ばれる天変地異。その黎明期から探索者として活動している。
レベル26とあれば、今更低層のモンスターであるゴブリンウォーリアーに苦戦するわけもない。ただ、それは装備が万全ならばの話だ。
「後何回打ち込めば、あんたを倒せるかしらね」
「ギギィ……!」
今日の香菜は高校指定のジャージを着て、竹刀袋を背負っただけの恰好だった。いつも探索に着ていくいわゆる「メイン装備」を全て預けた状態だ。もし万全の状態なら、最初の一撃で相手を切り倒していただろう。
しかし、それでは駄目なのだ。
わざわざ攻略済みの階層に来た意味がない。
ボスドロップと呼ばれる低確率の貴重品を求めに来たわけでも、ゴブリンよりは多少マシな経験値を稼ぎに来たのでもない。
香菜は挑発するように、ゆらゆらと剣先を動かしながら叫んだ。
「さ、どんどん打ってきなさい。じゃなきゃ『修行』になんないでしょうが!」
「グォオオオオオオオオッ!」
新人探索者なら気絶しかねない咆哮を放って、ゴブリンウォーリアーが走り出す。再び剣と竹刀が交錯し、香菜にとっての『稽古』が始まった。
――姉村香菜は都内の私立高に通う、ちょっぴり強気な女子高生だ。
男勝りな面はあるものの、概ね一般的で、ごく普通の少女である。
そんな彼女が何故、探索者、それも黎明期から活動しているのかと言えば、偏にその負けん気のせいだった。
昨年の春、無事高校へ進学を果たした香菜は、幼馴染の金剛澄花とともに剣道部へ入部した。いろいろ部活を見て回ったうえで、三年生の女子の先輩が凛と竹刀を振り下ろす姿に、感銘を受けたのである。
だから澄花を誘って――彼女は大抵、香菜が頼めば断らない――新入部員となったのだが、入ってみると、これが問題だらけだった。
まず部員が少ない。
今の三年生が抜けてしまうと、男女ともに三人制の団体戦なら何とか挑める程度。しかも肝心の二年生は、初めから自分たちの才能に見切りをつけてしまったらしく、練習もなぁなぁでサボりがちだった。
幸い、香菜と澄花のほかにもう一人男子が入部してくれたのだが、これがまた癖者だった。見てくれは爽やかな好青年、けれどその実才能に胡坐をかいた、いけ好かない男で、彼を追いかけてやる気のない女子まで入ってくる始末。
人数こそ足りたが、一々防具をつけるにも文句を言う姦しい少女たちと、やる気のない一つ上の先輩たちを見て、香菜は震えた。
このまま頼りになる三年生が卒業してしまえば、この部活はお終いだ。
それを回避するためには――自分が強くなるしかない。
どんな風にも揺るがない、一本の大木になるのだ。
そこでさっさと辞めてしまおうとならないあたり、香菜は負けん気の強い、良く言えばチャレンジ精神に溢れた人間だった。入学して間もないこともあり、根拠のない自信や未来への希望があったことは否めない。
ただ、香菜はあくまで初心者だ。
安穏と部活動に勤しんだところで急激な成長は見込めない。
そこで何を血迷ったか、当時まだ世間から遠巻きに見られていたダンジョンに、いち早く突貫したのである。竹刀片手に、文句をつけながらも何だかんだとくっついてきた大親友を連れて。
香菜は自身を、探索者として特別優れた存在だとは思っていない。
ただ人より始めるのが早かっただけだ。おかげで華やかな才能ひしめく東京摩天楼の中でも、澄花とともに現役女子高生の探索者ペア「カナミカ」として、それなりの知名度を誇っている。
「グラァ!」
「遅い! 面、胴、小手ェ――ッ!」
「グ、ギ……!?」
ゴブリンウォーリアーの攻撃をかいくぐり、繰り出したコンビネーション技が面白いように刺さる。
レベルの恩恵も去ることながら、香菜がこの修練――スキルも装備も制限したうえで、一対一でゴブリンウォーリアーと戦う訓練――に挑むのは初めてじゃない。幾度となく繰り返してきたために、もう動きの癖まで覚えてしまった。
そろそろ次の修練相手を探すべきかもしれない。
そう考えながら、大上段に竹刀を構えた。
――ところで香菜と幼馴染の澄花は、どちらも〈剣士〉だ。
度重なる探索によって、香菜は〈軽剣士〉に、澄花は〈重剣士〉に昇格したという違いはあれど、ともに剣で戦う職業だ。だからどうしても互いを意識するし、比べてしまう。
澄花は昔から、何かにつけてでかかった。常にクラスで一番背が高く発育も良いせいで、大きな胸を男子にからかわれ、おっとりした彼女に代わって香菜が何度も怒るハメになったものだ。
しかし、その大きさはこと剣を振るうのにおいて、心強い味方となった。
香菜が小さな切り傷をつける横で、澄花は敵を一刀両断するのである。
もちろん戦い方の違いや相性だってある。
速さなら自分の方が上だろう。
けれどダンジョンから出て、いざレベルのない状態で枠線の中、向き合うと、通算成績は昔の貯金を入れて何とか勝ち越し。最近は香菜が黒星をつけられることの方が多い。それに結局、いけすかない同期の男子にもまだ勝てていない。
いつだって、頼りない澄花の手を引くのは自分の役目で。
気がつけば逆転しようとしている立場に、焦りを覚えていた。
ゆえに。
「――チェストォオオオオオ!」
苛立ちが、剣筋にまで現れる。
香菜が頭上から振り下ろした竹刀は、ゴブリンウォーリアーに辛くも受け止められ、弾かれた。
「く、こんの……!」
「ギギッ」
焦って繰り出した突きも、相手の喉を掠めるだけだ。
ぐっと踏み込んで返す刃を翻したゴブリンウォーリアーに対抗するため、香菜は咄嗟にスキルを発動していた。
「っ、【格子斬】!」
「アギャ!?」
青く輝く竹刀が、高速で格子模様を描いた。
その軌跡にうっかり正面からぶつかってしまった小鬼が、すぱっとサイコロ状に分割される。そうしてすぐポリゴンに変わった。
一拍遅れ、みしりという音。
「……あー。またやっちゃった」
見れば、香菜の握る竹刀が真ん中から折れている。加減なしに動くスキルの負荷に耐え切れず、壊れてしまったのだ。〈木工師〉が手ずから作成したわけでもない市販の一品だから、それも当然のこと。
ダンジョンにおいて武器が破損することは死を意味するが、幸い、もう敵を倒している。香菜はため息を吐きながら頭を抑えた。
「これじゃ練習になんないじゃん。何やってるんだろ、ほんと」
探索者として活動すること。
ダンジョンでの経験は、間違いなく己を強くしている。
確かにレベルは持ち出せないが、実践を経て培った技術や精神、勝負勘のようなものは無くならない。高校生活で迎えた二度目の夏。香菜が所属する剣道部は団体戦こそボロボロだったものの、本命の個人戦で県大会まで進むことが出来た。
しかし、まだ足りない。
どころか力をつけたことで、目標が遥か彼方にあることを知った。
(……そもそも、こんなんで強くなれるわけもないか)
間違いなく、香菜の成長曲線はゆるやかになってきている。漫然とダンジョンの奥地を目指し、徒にモンスターと斬り合うのではなく、地に足をつけた修練が必要だ。そう思って始めたゴブリンウォーリアーとの稽古は今のところ空回り。
後ろを歩いていたはずの親友も、気がつけば自分を追い越していた。
「はぁ~あ」
ダンジョンの外ではスキルが使えないのだから、安易にスキル縛りを考えてみたものの、いざ危機に陥ると使ってしまう。それはある種反射のようなもので、彼女が熟練の探索者である証拠だ。
それなりに稼いでいるから、竹刀の一本や二本、壊したところで懐は痛まないが、剣の道を志す者として恥ずかしい失態だ。竹刀袋から予備の武器を取り出し、報酬の宝箱から初級ポーションを拾うと、香菜は第二層の階段へ足をかけた。
ダンジョンでは道中倒したボスと再戦しようと思ったら、一度ダンジョンの外に出なければならない。ボス部屋に戻る――すなわち階段を降りるということは、システム上、脱出と見なされるからだ。
今日はもう切り上げるか、あるいはもう一戦くらい挑むか。
考えながら足を動かす。
そうして最後の一段を昇りきった時、
「ん……?」
ふと、香菜は視線を感じて顔を上げた。
階層が変わってすぐのところに人がいるのは珍しいことじゃない。得てして、出入り口とはそういうものだ。
ただ、そこにいたのは人間でなく――ゴブリンだった。
一見すれば、何の変哲もない普通のゴブリン。しかしすぐ違和感を覚える。身綺麗で、磨き抜かれた剣を持っていること。加えてその『立ち姿』に、脳内で警鐘が鳴った。
(何、こいつ……!?)
背筋を伸ばし、ぴんとゴブリンが構えている光景。
剣道の世界に足を踏み入れてからというもの、香菜は人一倍姿勢や歩き方を矯正するのに苦労した。何なら、今でも完璧とは口が裂けても言えない。
だからこそ分かる。
――眼前のゴブリンは間違いなく剣士だ。
猫背で、何も考えずに突撃してくるような存在じゃない。
間違いなく正しい『在り方』を知っている。
「……あんた、あたしとやろうってわけ?」
応えは無い。
代わりに摺り足で、少しずつ距離を詰めてくる。
香菜もまた鏡映しのように足を動かし、息を殺して相手の出方を伺った。
知らず、汗が瞼にかかる。
咄嗟に瞬きした瞬間――
「は」
――足元に小鬼がいた。
不意を突かれ、戸惑ったのは刹那。
考えるより先に体が反応している。
ゴブリンが剣を薙ぎ払うのと、香菜が大きく下がるのはまったく同時だった。ジャージの腹部分を斬られインナーが露出するも、何とか回避しきる。〈軽剣士〉という素早さの高い職業であることが幸いした。
「ッ……!」
香菜の足先から、ぞくぞくと悪寒のようなものが立ち昇る。
(――【風纏い】!)
とても竹刀一本で渡り合える相手じゃない。
だから香菜は刀身を横に倒すと、左手で根元から剣先までをなぞった。途端、竹刀が淡く輝きだす。〈軽剣士〉のスキル【風纏い】によって武器を強化したのだ。これで鋭利かつ頑強になったうえ、常に追い風を受けるかの如く剣速が増す。
先ほど、うっかり攻撃スキルを使って武器を破損させたのは記憶に新しい。
今度こそ得物を失うわけにはいかない。
「はぁああああッ!」
跳ぶように踏み込んで光る竹刀を振り下ろせば、ゴブリンが鷹揚に迎え撃つ。
刃と刃がぶつかり合って、
『……!?』
ぐん、と竹刀が加速した。
想像以上に重い手応えだったらしい。目を見開くゴブリン。
一方、見えざる風に後押しされて、香菜は勢いづく。
ここが勝機と言わんばかりに連撃を繰り出した。
「そこ、そこ、そこォ!」
右へ左へ、ゴブリンの守りを揺さぶるように竹刀を振り回す。
連続して響く風切り音とくぐもった呻き声。
しなる刃は嵐のようで、剣を盾に防戦一方のゴブリンを見て、香菜は有利を確信した。このまま押し続ければ勝てそうだ――
(避け?!)
不意に、ゴブリンの動きが変わった。
打ち合うのは不味いと理解したらしい。下段に構え、少し大仰に香菜の攻撃を躱す。恐るべきはゴブリンの眼力だ。たった十数合、切り結んだだけ。その短い間で、スキルとレベルの加護を受けた探索者の速度に眼がついてくる。
どころか、間隙をついて反撃までしてきた。
逃げるのではなく、あくまで香菜の連撃を往なしながら、ゴブリンの剣が閃く。
「うっ……!」
斬られたのは左の太腿だった。
がくっと体が傾き、香菜は慌てて防御態勢を取る。
すなわち己を守るように竹刀を構え、どこから攻撃が来ても防げるよう、目を見開いたのだが。
「え」
気がつけば、ぐるんと世界が回っていた。
右足を払われた――と理解したのは、横倒しになってから。
相手の剣先に集中するあまり、足元が疎かになっていた。
そもそも、ゴブリンが体術を仕掛けてくるなんて思ってもみなかった、という油断もあったし、【風纏い】のスキルだって、こんなに早く対処されるとは想定外だ。
「あ、これ死――」
呟きを肯定するように刃が降ってきて、香菜の意識は途切れた。
どこまでも落ちていく感覚。
それからぱっと目が覚めた時、彼女はごわごわの貫頭衣を着て床に横たわっていた。
明るい木目調の天井が目に入る。
「…………負けた」
死に戻り部屋。
別名、復活の間とも呼ばれるこの場所は、ダンジョンで命を落とした時、強制的に送還される小部屋だ。
「負けた、負けた、負けた……!」
幾度となく見てきた景色。
探索者にとって死に戻りすることは恥でも何でもない。
それでも彼女は歯を食いしばって本気で悔しがる。
「あー! やりなおしたい! なんであの時、あたし――くぅうううっ」
装備が弱いから負けた、とは思えない。
少なくとも打ち合いの中で、こちらが力負けしたシーンなど一度もなかった。あくまで身体能力は普通のゴブリンのそれ。何ならスキルを使っていた分、香菜の方が圧倒的に有利だったはずだ。
それなのに敗れたのは、己が未熟だったから。
負けず嫌いな香菜にとって許せるはずもない。
もし自分じゃなく、澄花だったなら――パワーファイターな彼女なら、相手が受けることも許さず、断ち斬っていたのだろうか。
「あいつ……次会ったら覚えておきなさいよ……!」
本当は今すぐにでも「ゴブリン窟」に戻って突撃したい気分だったが、しかし。
間の悪いことに、これから香菜は人と会う約束をしていた。澄花と二人、定例の探索を行うのだ。さすがにすっぽかすわけにはいかない。
したがって復讐の炎に燃えながらも、何とかそれをしまいつつ。
協会内の待ち合わせ場所に向かって、ずんずんと歩き出すのだった。




