運命が奏でたもの(1)
――翌日の王宮。
両脇をかためるようにずらりと並んだ大勢の従者たちに見守られながら、聖堂の三人は王宮の長い回廊を粛々と進んだ。
ロザリンドはいつもと変わりない凛とした様子で立ち、カティアは少しだけ緊張した面持ちだった。
籠に入れたパンを大切に両手に持つふたりが付き従うような形をとりながら、その間の中央をセーラが歩く。
セーラは他の聖堂のふたりよりも光輝く宝石でひときわ華やかに飾られた姿で、ベールを目深にかぶっていた。
その三人の後からは、引き締まった表情のエドガーが続く。
――これからセーラは初めて自分からリオン様に会いに行くんだから、誰よりもきれいにしなくちゃね!
そんなカティアの発案でセーラは三人のうちで、最も美しくなるように飾られた。
顔かたちがより鮮やかに映える化粧を施され、ロザリンドから借りた宝飾品を幾重にもベールの上から重ねて垂らしたセーラは、目を上げてそっと周りを見た。
歴史の重みを感じさせる、そこかしこにある彫刻や、金銀が用いられた絢爛たる装飾の壁や柱を見ていると、まだ自分がどこか別の世界か、もしくは夢の中にいるような気がした。
――ここがリオンがずっと過ごしてきた場所……。
「ガルディアン大聖堂の皆様、王宮にようこそお越し下さいました。国王陛下はお客様にお会いになる時には、通常であれば謁見の間を使われますが、此度だけは特例としてこの先でお待ちになりたいと仰っています。どうかこのままお進みください」
案内役の者に指示された通りに、そのまま回廊を進んでいくと、周囲からはセーラたち以外の人影は消え、やがて道の先からはまばゆい一筋の光が差し込んできた。
そこは王宮の中庭にあたる場所らしく、建物との境目はテラスになっており、ここから先にはさらに細い小径が作られていて、庭園の奥に入っていけるようになっていた。
彩り溢れる花が咲き乱れ、緑の木々が美しく植樹された中に一歩踏み出そうとしかけた時、エドガーが背後から声をかけ、全員の足を止めさせた。
「待って下さい。僕とロザリンドとカティア嬢が一緒に行けるのはここまでです。この先へはリオン様に求婚された、セーラ様だけが行くべきです」
そう言うなりエドガーは三人の横から回り込んで追い抜くと、中央にいるセーラの前に立った。
ロザリンドは兄から送られた目配せに応える形で、セーラの真後ろに回ると、艶やかな黒髪の上からかぶせていた薄いレースのベールを、手を回してそっとめくりあげた。
そしてそれが終わると、ロザリンドはセーラに、自分やカティアよりも、一歩前に出るようにうやうやしく促した。
この王宮内に入って初めて顔があらわになったセーラは、聖堂の衣装の裾を両手の指先でつまんで少し持ち上げ、改めてここまでついてきてくれたお礼のためにエドガーに会釈した。
エドガーは本来であれば脇に退いて道を開けるべきところを、まだ動こうとはしない代わりに口を開いた。
「ここで今、国王陛下がこれまで歩まれてきた道のお話を僕から少ししたいと思いますが、聞いて頂けますか?」
「はい」
セーラが短く答えて頷くと、エドガーは彼の中に在る一番古い時間の記憶から、落ちついた口調で話し始めた。
まず口にしたのは、初めてこの光溢れる庭園でリオンと、最初に出会った幼い日のこと。
遊び友だちだったふたりは、やがて時を同じくして、この国においての最高峰とも目され、名門として広く名を知られる学院へと進み、以後も関係が途切れることがなく続いてきたこと。
そして――。
「ここまでは、最も身近な友人であり、同時に今は臣下でもある身として、自分の勤めを果たすつもりでお話しました」
そこまで言うと、エドガーは一旦言葉を区切り、改めてセーラの顔をじっと見つめてから再び言葉を続け、
「しかし、僕があなたに真に話して聞かせたかったのは、ここから先です。おそらくリオンは、これまで最も大切なことを、あなたに一度も話してこなかった。そのことを伝えたいのです」
――リオンがわたしに一度も話してこなかったこと……。
エドガーの言葉を反芻するようにセーラは思った。
「そのたったひとつの重要な事実を、リオンがあなたに打ち明けないまま会い続けた理由を、僕はわかる気がしています。おそらくリオンはあなたのことを深く想い過ぎたがために、自分の立場を考えると、そうしたくとも、それがどうしてもできなかったんでしょう」
「……」
「代わりにこの僕が、僕自身にとっても、リオンにとっても忘れがたい『あの日』の話を、あなたには話して聞かせたいと思っています。それが常に自分以外の誰かのことを思いすぎる、不器用なあの方のためになると思っているからです」
エドガーはそこまで言うと、以後は過去を思い出しながらとつとつと話し始めた。
時が遡り、後にすべての始まりとなっていった日のことを。
――その日、リオンとエドガーは少数の従者たちとともに狩猟のため、森の奥深くに分け入っていた。
しかし、午後から想定をこえる天候の悪化にみまわれ、やむなく足止めされてそのまま一夜を過ごすことになり、風雨を避けるため大木の影に身を潜めていた。
ごうごうとうなりを上げる吹きすさぶ強風。
叩きつけるような雨。
そんな中で、同行していたエドガーは忙しなく落ち着かぬ様子でリオンが繋いでいた馬の方に向かおうとするのを見た。
「リオン、どこへ行く気ですか? こんな嵐の中に出て行ったら道に迷って、最悪帰れなくなりますよ!」
最初、エドガーはこの時の王子の行動を冗談か何かだと思った。
従者たちも誰一人信じていなかった。
現国王の正式な王位継承者である大切な跡継ぎが、こんなにも酷い悪天候の中でたったひとりどこかへ行こうとしていることに。
冷たい雨は身体の体温すらも容赦なく奪っていく。
こんな状況下であえて闇に閉ざされている森をさまようのは自殺行為にも等しい。
そんな真似をあえてする者などいるはずがなかった。
しかし、リオンは表情を引き締めた真剣な眼差しで、エドガーの腕を振り払った。
「俺に行けと言っているんだ。行くしかない」
「は? 誰がですか?」
「聴こえたんだ。確かに呼ばれている。今すぐに行かなければ間に合わなくなると」
エドガーが止める間もなく、リオンは僅かな最低限の装備だけの姿で馬にまたがり、今この瞬間にも駆け出そうとしていた。
「待ってください!」
切羽詰まったエドガーが慌てて身体を張ってでも、リオンの足を止めさせようとした。
「いいから行かせろ。エドガーは従者たちとここにいてくれ。彼らを守れ」
「どうかしているとしか思えない。この場で一番守られるべきなのは王族のあなたのはずだ! 何を言ってるんですか! まさか気でも触れたんですか? こんな中に出て行ったら、どうなるか分からないわけじゃないでしょう!?」
必死に説得しようとするエドガーの言葉にも関わらず、リオンは耳を傾けようとはしなかった。
「違う、狂ってもいない。俺には強い護りがついてるんだ。お前が危ぶむような、そんなことには絶対にならない」
「強い護り? なんですかそれは?」
「そうだよな。お前にも『この声は聴こえないし、見えない』んだよな……。ずっとこの話はしてこなかったからな。いつも俺はそれを誰にも理解されない。これからもずっとそうなんだろう」
そう言ったリオンは微かに淋しそうに見えた。
そして片方の手を広げて、その上にまるで何かがいるかのように見つめた。
誰とも分かち合えない、自分だけしか知らないものが、この長年の友人には何一つ分からないのだから。
リオンが決意したように顔を上げて、もう一度エドガーの方を見やった時には、もうその表情はこれまで何度となく目にしてきた、よく知る幼馴染のそれではもはやなくなっていた。
「聴こえないし、見えないって……」
状況を理解できず、戸惑いながらエドガーが聞き返すと、
「あいつらは嘘だけは絶対につかない。こんなふうに呼ばれるのも初めてだ。だから俺が行く」
厳しい表情でそう言い残すと、リオンはエドガーが止める間もなく馬を駆ると、瞬く間に森の奥に姿を消した。
「俺が行く、って……。他の誰よりもリオンだけはここにいなきゃ駄目じゃないですか……」
残されたエドガーは、止むことのない激しい風雨に打たれながら呆然とその場に立っていた。
 




