聖堂に響く旋律
――数時間後、聖堂にリオンが来て、ふたりはいつもの広間でまた会った。
「あの時、どうして街にいたの……?」
理由をききたくて訪れを待ちかねていたセーラからの問いかけに、
「側近と食事をしてたんだ。以前から時々同じようなことをやっていた」
「それって大丈夫なの……?」
「別に、そんなには問題じゃないな。俺が街に出た時に、仮に誰かとたまたますれ違って相手に気づかれたとしても、似た誰かだとは思っても、大概の人間は誰もそこに本人がいるとは思わないからな」
「そうなのね……。確かにわたしも最初はそう思ったわ」
「それに今夜は誘われたから突発だったが、俺自身が街へ出るのはある意味では必要なことなんだ」
「必要……?」
「国の状況を知るには、自分の目で街の様子を実際に見るのが、一番いいし間違いがない。この街には常時、人や物が多く集まるし、逆に出て行く物も同じだ。それらがどんな形で動いているかを、下からの報告に頼ることも勿論多いが、そればかりではどうしても時として判断が鈍る。公式な視察じゃ見えないものの方が多いからな。だから俺は自分の目を使うことを厭わない」
そこまで言ってリオンは一旦言葉を区切り、
「まあ、そうは言っても今日のように俺が素性を隠して好き勝手に外へ出ることは、年寄り連中どもは余りいい顔はしないな。知られたら権威が失墜するだのなんだとかいう、お決まりの面倒な小言が待っているが、そんなもので損なわれる権威など、所詮そんな程度のものに過ぎないと思っている」
「王宮内部の詳しい事情を、わたしに話してしまうのは良くないことなんでしょう? ごめんなさい、本当は聞いてはいけなかったことよね」
セーラは何も考えずに聞いてしまったことに、話の途中で気づいて後悔した。
けれどリオンはそんなセーラの心にわきあがったものを包み込んで消すように、
「セーラには、俺が話したいからいいんだ」
「わたしには……?」
「ああ。友人だろ? 俺は相手の目を見れば大概のことを読み取れるし、経験上自分の目には絶対的な自信がある。だからやってこられた。俺が心のままにそう思えた人間は、俺を裏切らないと知っているから」
リオンがそう言って、ふたりはしばし見つめ合った。
何処か挑戦的でもあり、挑んでこようとする相手を有無を言わせず聞く者を理屈抜きに無条件に従わせられる、一国を率いる王らしい風格の片鱗を、リオンの眼の中にセーラは確かに見た気がした。
――俺があの店で弾いたのは、本心ではあなたに聴かせたかったからだと、俺が言ったらあなたは何と言うだろうか……。
リオンはそう思いながらも、それを表情には表さずに、
「最初の夜、あなたの歌を聴いた時、初めて自分で弾いて歌わせたいと思えた人だと思った。もう隠す必要もなくなってしまったから、今ここで弾くからまた歌ってくれないか? いつか機会があれば一緒にやりたいと思っていた」
リオンは顎で、この広間の奥にあるチェンバロを指すと言った。
セーラは頷いて、ふたりはそこまで歩いて行った。
リオンがチェンバロの蓋を開き、鍵盤のひとつを指で弾いた。
澄んだ音が空間に響いた。
「いい音だ。曲は何がいいだろうな。……そうだな、俺と最初に会った日に、セーラが歌っていたあの聖歌にしよう」
「わかったわ」
セーラは少し離れた場所で、リオンの方を向いて立とうとした。
「なんだ、ここで歌ってくれないのか?」
リオンが拍子抜けした様子で、自分が座るチェンバロ用の長椅子の横を指した。
「少しお互いにこうやって離れた方が、よりきれいにわたしの声が響くかと思ったの。だから、歌うならこの位置の方がいいかと……」
「俺はもっと近い距離でセーラの声を聴きたいんだ。だからここに来てほしい。俺の耳元でもっとよく聴こえるように。そうしないと満足できそうにないし、たったひとりの大切な人ために弾きたいのに、それじゃあ弾き甲斐がない」
普段は見せない有無を言わせぬリオンの強引さに、セーラはほのかに頬を赤くした。
そして求められた通りにおずおずと近寄ると、黙ってリオンの隣で椅子に浅めにそっと腰を下ろした。
リオンは自分の口をついて出た「大切な人」という言葉に、なんとも言えない気持ちになった。
――つい、本心が出てしまったな……。独占欲が強くなりすぎて、自分を抑えられない。セーラは細かいところまで聞かなかっただろうから、そんなに深くはとらなかったと思うが……。
リオンは鍵盤を見つめながら思った。
一方のセーラは、俯き加減になりながら、
――リオンは絶対そんなつもりで言ったはずじゃないのに、なんだかこの距離感や態勢だとわたしが友人じゃなく、リオンの恋人になったようで恥ずかしい気がしてしまう……。
「では始めようか」
リオンのその言葉に促され、セーラがこくんと頷いた。
チェンバロが奏でる旋律が流れ始め、セーラは目を閉じて息を吸い込んだ。
――わたしは自分のためじゃなく、初めて誰かのために歌うのね。どうか今夜は一番きれいな声で響きますように。
セーラはしっとりと歌った。
時々、お互いに目を合わせ、夜の静寂の聖堂の中にその歌は長く響いていた。




