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路地裏の酒場、その片隅で(2)

 急にセーラの話をエドガーが口にしたので若干驚きはしたものの、話がそこで途切れたのでリオンは少し安堵してもいた。

 仕切り直しも兼ねて、近くにいた店員を呼び止め、リオンは新たに注文を伝えた。

 そして運ばれてきたばかりの、最初のものよりは数倍きつい酒を一気に煽った。


「お前が話につきあえないのなら……」


 リオンは周囲を見回し目についたものに、席から立ち上がった。


「だったら、久しぶりにここで一曲やるか」


 リオンが言うと、まだ僅かに意識が残っていたエドガーが微かに頭をテーブルから浮かせて、


「あなたが聴かせてくれるなら、この店にいる客も皆喜びますよ。きっと……僕も聴きたいし……」


 エドガーをその場に残し、リオンは店の奥の方に置かれている、古びたチェンバロの前まで向かって歩いて行った。

 リオンがそのそばに置かれた椅子に腰かけて、遠慮なくその蓋を開くと、中からは整然と並ぶ、使い古されて表面が擦れて鈍い光を放つ木製の鍵盤があらわれた。


「あら珍しいわね。お兄さん、何か弾いてくれるの?」


 注文品を運んでいた店の娘が、面白そうに寄ってきて声をかけた。


「少しな」


 指を鍵盤に這わせ、ひとしきり感触を確かめた後、リオンは顔を上げた。

 店内に古びたチェンバロの音色が響き始めると、そこにいた全員が思わず料理を楽しんでいた手を止めてそちらを見た。





 セーラがそれを聞きつけたのは、丁度カティアとの聖堂の寄付品の配達の仕事が終わった後の帰り道の途中だった。


「なんだろ? 向こうからきれいな曲が聴こえてくるね。行ってみようよ!」


 ふたりは頷き合って通りに響く音色につられて、そこへ駆けていった。

 そして通りに面して間口が大きく解放されている店の前で足を止めた。

 セーラはその飲食店の奥で、即興で見事な指運びでチェンバロを弾いている男の顔を見た瞬間に、まさかと思い、息が止まりそうになった。


 ――……! リオン……! どうしてここに……? 服装がいつもと違うし、もしかして見間違いとか、よく似た別人かしら? でも……。


 セーラはとっさのことに驚きながらも、同時に冷静に判断したい気持ちもあり、そこに立ち止まったままで、そのチェンバロ奏者のことをじっと見続けていた。

 そうしているうちに、遠目にも奏者と確かに目が合った。

 男はセーラの存在を認めた瞬間に、一瞬だけ悪戯が見つかった少年のような目をしたものの、またすぐに元通り前を向き直った。


 その様子に、セーラは間違いなくリオン本人だと確信を持った。

 演奏は続き、曲は途中で一度転調して、そこから先は最初とはがらりと雰囲気が変わって、明るく華やかものになった。

 店の中には聴く者を残らず心を震わす繊細な旋律が溢れた。

 誰もが聞き惚れ、気がつくとざわめきはやんで、店内で会話をする者はいなくなっていた。

 空中に飛び上がった妖精たちが、天井近くから楽しげに虹色の光の粉をしきりに振りまいていた。

 けれどカティアを含め、店内にいる誰一人それに気がついた者はいないようだった。


 ――妖精も音楽が好きなのね。虹色の光がまばゆく輝いてとてもきれい……。もしも女神様が地上に降臨される時があるなら、こんなふうなのかしら。でも、こんなにもきれいなのに、わたしとリオン以外にはこの光は誰にも見えないのね……。


 そしてリオンが一曲弾き終えると、その瞬間に、店内は惜しみない賛辞と拍手で溢れた。


「終わったみたいだし、もう、行こっか。すごく素敵な演奏だったね。偶然だけど聴けてよかったね! なんか得した気分! またいつか聴きたいね」


「う……うん……そうだね……」


 盛り上がる店内を横目に、カティアに促され、セーラは戸惑いながらも一応頷いた。


 ――リオンがどうしてここにいるのかは全然分からないけど、なにか特別な理由があるのかもしれないわ。声はかけられなさそうだから、わたしは今はこのまま帰った方がいいかしら……?


 少し迷いながらも、セーラが歩き出そうとしかけた時、再びリオンと目が合った。


 ――後で聖堂でふたりになった時に説明する。


 リオンの眼差しからは、直接言葉を交わさなくても、何故かそれが伝わってくるような気がした。

 ふたりきりの秘密の合図を送られた気がして、セーラの鼓動がとくんと微かに高鳴った。

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