二度目の夜(2)
セーラはリオンと同じように、自分もお茶を飲みながら内心迷っていた。
次にリオンに会ったら、必ず聞きたいと思っていたあのことを考えていたからだ。
正直言ってこんな場で、唐突に、しかも十年以上が過ぎた過去のこととはいえ、雰囲気を大きく損ないかねない、重い話を切り出していいかどうかも迷う。
けれど、リオンが次にここにまた来てくれるかどうかも分からない、その保証もない以上は、だからやはり今夜どうしてもここできいておきたい。
その思いだけで、意を決してセーラは話し出した。
相手が望むように、なるべく努めて『丁寧な言い回し』を省くことを心掛けながら。
「リオン、あなたにききたいことがあるの」
「俺の話? 答えられることなら答えてやれるけど」
「いいえ、あなたの話じゃなくて、わたしの話なの。実はわたしはずっと人を探していて……。リオンならきっと大勢の方を知っているから、もしかしたらそれで少しは何かの手がかりがつかめるんじゃないかと思って……」
「……」
「今から十三年前に、下級貴族の幼い娘が森の中を馬車で移動中に、盗賊たちに襲われた事件が起きたの。その時、命を助けられたのが、わたし。まだこうやって生きてる。その時助けてくれた人にいつか会いたくて、でもどこの誰だったかも分からずじまいになってしまって、だからずっと行方を捜したくて……」
「その事件のことだったら知っている」
リオンからの思いがけない反応に、セーラは思わず驚いて立ち上がった。
そして食い入るように前のめりになった。
「本当ですか?」
思わずつい口調も元に戻ってしまった。
「ああ、その事件のことならこの王都の中でも、当時はかなり大きく取り上げられたからな。……だが、その時の男の話の詳しいことまでは俺にも分からないな」
「いいえ、いいの! もしかしたら……って思っていただけで、それだけだから……」
その言葉とは裏腹に、セーラは意気消沈し、哀しげに肩を落とした。
元々そう簡単に、僅かでも手がかりが見つかるとは思っていなかった。
天涯孤独になった後に、ガラリナの街で色々な仕事を渡り歩いていたのも、出来る限り多数の人々との繋がりをつくり、その『恩人』を探す目的もあった。
けれどその間にも有力な手がかりらしい手がかりは何も見つからなかった。
事件自体が有名な割は、その男性の所在や行方をおかしなほどに『誰も知らなかった』のだから。
まるで何かから遮断され、完全に隠されてしまったように。
それに誰かにそのことを打ち明けると、そんな事件に見舞われた経験を持つ自分に対して表向きは同情しつつも、何処か好奇に満ちた眼差しを向けられることも多かった。
そのせいで、セーラは最近ではもう自分から、当時のことを口にすることすら避けていた。
――もしかしたら、あの時のことを誰かに直接きくのは、これが最後かもしれないわ……。でも、最後にきけたのが今夜でよかったのかもしれない。これ以上、恵まれた機会はきっとわたしにはもう二度と訪れないだろうから……。
セーラがそう思った時、同時に気になったこともあった。
「リオンは驚かないのね。今の話を聞いても……」
「俺は仕事柄色々な人間を知っているからな」
「仕事柄……」
「俺の仕事はかなり特殊だから、だろうな。大抵のことには慣れているんだ」
そう聞かされて、セーラはなるほどそういうことかと納得した。
しばらくの沈黙が流れた後で、リオンが再び口を開いた。
「もし、その男に会えたならどうしたい?」
意外な問いかけに、セーラは少しだけ考える表情になってから、
「わたしに何ができるかはまだ分からないけど、その方の力になりたいの。そのためにこれまでにたくさんの知識も技術も得てきた。まだまだどれも未熟なものばかりだけど……。でもそれでもいつかその力がその方のために、少しでも何かの役に立つって信じたいと思うから」
セーラと別れて王宮に戻った後で、リオンは暗闇の中、寝台の上で横たわり、ひとり目を閉じていた。
ついさっきの無垢な表情でその恩人の男の力になりたい、と熱心に語るセーラの言葉が何度も繰り返し思い出された。
――俺がその相手だと言ったら……?
結局、真実を打ち明けないまま帰ってきてしまった。
次に会えた時も、言うつもりはなく態度を変えるつもりはなかった。
――俺の心に在るものを打ち明けることで、セーラの気持ちを変えたくない。
リオンの胸中にあるのは、ただひとつその感情だけだった。
一度会っておけば、迷惑な行動ばかりを繰り返す妖精たちも、それで納得するだろう。十三年前のあの時、あの事件を自分に報せたのは他ならぬ妖精たちだったのだから。
それもあって軽率だったかもしれないが、あえて自ら会いに行った。
だが、誤算があった。
リオン自身の心にわきあがったこの気持ちだ。
セーラは自分の周りが過去に進めようとしてきた、どの縁談相手とも違う。
権力に媚び、裏で見返りを期待されかねない関係性には辟易していた。
子供のころから自分は大抵のことで苦労したことがなかった。
それゆえ興味の向く先も多岐に渡った。
こういう自分とは価値観が合う人間などいないと長くあきらめていた。
――そしてセーラは、俺が一番望むように成長して目の前に現れた。
自分と向き合っても、臆することなく話せるあの度胸も並々ならぬものを感じた。
正直言って二度会っただけで、過去のことなどどうでもいいほど惹かれ始めてしまったのも自覚済みだが、この自分のものになることは、同時にセーラにとって生涯大きすぎる代償を背負わせることを意味する。
たったひとりで生きてきて、後ろ盾がないセーラにはなおさらだ。
結果的に籠の鳥にしかねないその自由を奪うことと、この自分の気持ちを等価にはできない。
気が変わった自分に、エドガーどころか年寄りどもも含めた関係者全員が、色めき立ってもろ手を挙げて賛成し、嬉々として話を進めようとするだろうし、次に会った時に気持ちを打ち明け、セーラを強引に自分のものにしてしまうこともできる。
自分の立場なら容易いことだ。
妻になる娘の身分は問わない、王族とはいえ、元々そういう家系だ。
けれどどれだけ条件に障害がなかろうとも、そうはしたくなかった。
今のセーラを知ってしまったからだ。
――だからこの心を、俺は自分以外の誰にも伝えはしない。
あえて自分のものにならなくても、地道な努力を積み重ねてきたセーラはいずれそれが実を結んで、十分につり合いがとれる誰かと幸せになれるだろう。
妖精がまたふわりと飛んでリオンの顔の近くに来たので、
「お前たちは十三年前のあの時、確かに俺に言ったな。『お前の運命の相手が危機に瀕しているから、今すぐに助けに行け』と。いつも勝手気ままでも、嘘だけはつかないお前たちがあの時言わんとしていた、その『運命』がなんなのかが、俺には未だに分からない。……だが、これ以上、ふたりに重なる運命はないんだ。俺はセーラとはこれ以上の関係には踏み込まないからな。これは運命でなく俺が俺自身の意志で選ぶことだ」
――運命の相手。
この話を自分以外の誰かに打ち明けたことはなかった。
その影響力の計り知れない大きさを考えれば口をつぐんでおいた方がいい、とそう考えたからだった。
リオンは両手で顔を覆った。
自分の手で触れられなくても大切にしたい、と切に思った。
――そうは言っても、また会いに行ってしまうだろうな。止められそうにない。肌を重ねたいなどという過ぎた望みを抱くつもりはないが、どういう形でも構わないからセーラとともに過ごしたい。周りから縁談を進められても、どうしてもその気になれずにうんざりして長年避けていたが、いざ本当に守りたいと願う相手ができても、触れない誓いをたてなきゃならないとは、俺もだいぶこじらせてるよな……。
遅咲きの恋を自覚したリオンはため息混じりにそう思った。




