13.返事
エトヴィンはベッドの下に隠してあった無線機を取り出した。電源をいれて、何度か声を出すと相手側が反応した。
『マイクテストみたいに声を出すんじゃない。その後調子はどうだ?』
「特効薬ができた」
『……それは本当に言ってるのか?』
「本当だ」
無線機の向こうの声は何か考え事をしているのか押し黙った。エトヴィンは無線の向こうにいる人物をよく知っている。彼はルナとエトヴィンの昔馴染みであり、軍のとある地位にいる人間だ。こちらの状況を分かっていて、好きにさせてくれた人物であり、今、一番エトヴィンが信用できる人物である。
『ルナは?』
「今は特効薬を打って、経過観察中だが、落ち着いてる。反復行動もしなくなってゆっくり寝てる。皮膚が爛れていたのも看病していくにつれ、治ってる」
『……まさか、研究するという反復行動をとるとは思わなかったな』
エトヴィンはベッドに寝かせているルナの頭を撫でた。
本人には自覚がなかったのだろう。
彼女は、爆発に巻き込まれて、炎のせいで少し皮膚が爛れてしまったエトヴィンの姿を見て、ひとしきり泣きながらエトヴィンに手を引かれて自宅に向かった。エトヴィンの治療をルナがすると、見事に包帯だらけになってしまった。
治療が終わり、エトヴィンが目を覚ますと、そこはベッドの上で自分の足首には手錠が繋がれていた。扉の向こうで呻き声とカリカリと木の扉が引っ掻く音が聞こえた。しばらくはベッド近くに大量に置かれた非常食を食べていたが、やがて呻き声も引っ掻く音も聞こえなくなった時に扉が開いた。
最後に見た時と違い、皮膚が爛れ、呻き声に似た不明瞭な声を発する彼女を見て、エトヴィンは言葉を失った。
こちらの言葉を一切聞いていないらしい彼女が一人で話す不明瞭な言葉を聞いているうちに、エトヴィンは、彼女の中で屍病に感染したのは自分で、自分のためにルナが特効薬を作ろうと毎日末期患者に咲くと言われている花を探して街に出ていることを知った。
「ルナが死んだら、特効薬の作り方は分からなくなるぞ。お偉いさんにもそう言ってくれ」
『ほんとは、お前も知ってるくせに』
「……」
『とりあえず、お偉いさんにはそう言っておく。詳しいことについては伏せる。できるだけ俺の管轄でお前ら二人を保護できるように取り計らう』
「ありがとう」
『俺も一緒にヘリで迎えに行く。カルトンにあるルナの自宅の屋上で待っててくれ。詳しいことが決まったらまた連絡するいつでも反応できるように電源を入れててくれ』
「分かった……ありがとう」
『こちらこそ。安全地帯の研究者たちは誰も花なんか研究しないし、患者は全て燃やしてしまった。封鎖した地域には誰も向かわない。特効薬などできるわけがなかったんだ』
ため息を吐いて、無線は途切れた。
「ルナ……」
エトヴィンはベッドの脇に腰かけ、包帯が巻いてあるルナの手を軽く握った。
「大丈夫だよ。絶対に君を殺させたりしないから」
無線の向こうの声は、研究することがルナの反復行動だと言っていたが、エトヴィンだけが違うと分かっている。
研究することが反復行動であれば、毎日エトヴィンの分の食事を用意したり、エトヴィンの好きな本を拾って持ってきたりなどしないだろう。毎日エトヴィンに不明瞭な声で話しかけていたのも全部、全部の行動が全部。自分を救いたいという想いからの行動だと、エトヴィンは知っている。
「……君が目覚めたら、まずは料理だね。ちゃんと栄養のある食事をとってもらわないと」
手錠が簡単に外れることに気づいたのは、ルナが出かけるようになった初日だった。玩具の手錠を使っていたのだ。ルナは外に出かける間はエトヴィンの部屋の扉を厳重に閉めていたが、帰ってきて研究に没頭している時は、鍵をかけなかった。こっそりとダイニングから治療用の道具を持ってきて、毎日火傷痕に塗り薬をつけていると少しは爛れた皮膚もマシになった。
「特効薬が普及したら、二人で誰も知らないところに行って、小さな家でも買って暮らそうよ。庭で花でも育ててさ……。君の作った花はどんな花になるんだろうね」
どんな花を植えようか、と世間話のように話しているうちにエトヴィンの声が震えた。顔を歪めて、背を丸めて、額にルナの手を押し当てるように両手で握りしめる。
「よかった……本当に、薬が効いて……生きてて、よかった」
ほとんど信じていなかった。
屍病にかかりながらも研究を進める彼女が、特効薬を作るなど。病気にかかり健康状態の時よりも判断力が低下しているのだ。完成するわけがない。だから、彼女がいつものように机に突っ伏して寝ている隙に、直前まで書き留めていたノートを見た時は驚いた。健康状態と変わらず、彼女は研究をしていたのだ。日常で繰り返し行っていた行動は病にかかっていても行えるらしい。
いつもはしないような計算などの間違いは、こっそりと毎日エトヴィンが直していた。
「……エトヴィン……?」
ベッドから聞こえる小さな掠れた声にエトヴィンは弾かれたように顔をあげた。
「ルナ?」
包帯の隙間でうっすらと瞼が開いているのを見て、エトヴィンは嬉しくて泣き出しそうな子供のような表情をした。
「私、君に……言わないといけないことが……」
「なぁに?」
震える声で尋ねる。起きたばかりで小さく掠れた声がぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「君は、いつも、私の食事に小言を言うし……机で寝るのは気絶だと言って怒るし……君は私の母親かと言いたくなる……」
「それはルナが心配だからだよ」
エトヴィンは気が抜けて、思わず涙が引っ込んだ。
「でも……いつも、君が起こしてくれるから……起こしてくれたから」
ルナは目を細めてエトヴィンの方を見た。
「返事を、したいんだ」
「うん」
「私、君のことが好きだよ」
引っ込んでいた涙が溢れる。
「知ってるよ」
病にかかってもなお、ずっとエトヴィンの傍にいて、彼を助けようと特効薬の研究をつづけた彼女のことをずっと見てきたエトヴィンは知っている。返事など聞かなくても、ずっと知ってる。
「ずっと見てきたから。ずっと僕のことばっかり考えて、自分のことなんかお構いなしに……」
昔、エトヴィンは同僚に言われたことがある。
あの白い髪の女にいくら尽くしたところで、彼女は研究のことしか考えてないからお前を愛してはくれないぞ、と。
もしかしたらそうかも、とその時は思っていたが、今ならはっきりと違うと言える。
ここまで愛してもらえているのだ。
口から嗚咽が漏れそうになるのを、深く息をして留め、エトヴィンはルナに精一杯の笑顔を見せた。
「僕も、君のことが好きだよ」
「……知ってる」
ルナは嬉しそうに微笑んで、エトヴィンの手を握り返した。




