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第17話 二人きりの氷上で

 オレはテントの中で一人、釣り糸を垂らしていた。


「……釣れん。何故だ?」


 そんなオレの独り言が漏れる。


 ラウルとセリカが去った後、オレとエリスはここに来た目的であるワカサギ釣りを開始した。ラウルの祖父リオネルさんへの手土産というのが本来の目的だが、ラウルにも「俺たちの分も」って頼まれたしな。ここはたっぷりと釣って帰らねばなるまい、と意気込んで。


 幸いにも、と言ってはいけないのかもしれないが、モンスターの襲来なんてアクシデントがあったせいで、今現在湖の周囲には誰もいない。この綺麗で雄大な自然が全てオレ達二人の貸し切りのようなものだ。つまり、今ここでワカサギ釣りをしているのはオレ達だけ。邪魔する奴はいない。釣り放題ってことだな。


 そう思って湖のど真ん中にテントを置き、そこの氷に手のひらより少し大きいくらいの穴を空けた。この穴はエリスの火の魔法で簡単に空けることができた。


 そして早速釣り糸を垂らしたのだが……


 一時間くらいは経っていると思うのだが、うんともすんとも言わない。


 おかしい。何故だ?


 湖の水はちゃんと全部戻した。

 もちろん表面に張っていた氷もだ。

 ただし、その氷は至る所にひびが入っていたので、念のためエリスに頼んで魔法を使い、表面の氷は少し厚めに張り直してもらっている。


 なので釣り場としての環境はちゃんと元に戻っているハズだ。


 魚がいないということもありえない。

 水を収納したときに、跳ねている魚が結構いたことを見ている。


 だけど、全然釣れない。


 もしかして餌が悪いのか?

 釣り具屋のおっさんが「ワカサギ釣りならコレだ!」って、自信満々に勧めていた活きのいい赤虫だぞ?


 うーむ……


「タクマ。入口開けて?」

「ああ」


 テントの入り口を開けると、桶を両手で持ったエリスが中に入ってきた。

 底が浅めの横幅の広い桶から白い湯気が上っている。


「おお!」


 オレの収納庫ストレージから桶を出させ、それを持って外で何をしているのかと思っていたら、こんな素晴らしいものを作っていたのか。


 ――エリス、マジ、グッジョブ!


 テントの中が湯気と熱で満たされていく感じだ。


 オレは足元に置かれた桶を覗き込んでいたが、堪らず湯の中に手を入れてみる。

 ちょっと熱めのお湯に、かじかんでいた手が急速に癒されていくのを感じる。


 素晴らしい。

 素晴らしすぎる!


「靴を脱いで、足を入れるときっと気持ちいいよ」

「なるほど! じゃあ早速」


 オレは靴を脱ぎ、靴下も脱いで、まずは右足からゆっくりお湯に近付ける。

 親指がお湯に触れ、なんかそれだけで熱がじぃーんと伝わってくる感じだ。

 堪らず、全ての指を入れ、さらに踵、そして足首と順にゆっくりとお湯に付けていく。


「はあ……」


 思わず吐息が漏れる。


 これはいい!


 厚着をして寒さ対策はそれなりにして来てはいるが、それでもずっと氷の上にいたんだ。足はかなり冷え切っていたみたいで、それが癒されていくこの感覚は格別だ。


 オレは左足もお湯の中に突っ込んだ。


「くう……。天国だぁ」

「ふふふ。大げさだなぁ」


 エリスがそんなオレを見て、目を細めながら笑っている。

 こんな天国を用意してくれたエリスが、ホント女神様に見えて来るよ。


「大げさなもんか。エリスも入れよ。ホントに気持ちいいぞ」

「うん。じゃあ、私も」


 エリスがオレの左隣の椅子に腰かけ、ブーツと靴下を脱ぐ。

 そしてオレと一緒の桶の中にそっと足を入れてきた。


「はあ……。ホント、天国だねぇ」

「だろう?」


 水面が揺れ、お湯がほんの少し溢れて桶を伝い下りる。

 その中で、オレの左足の小指とエリスの右足の小指が、ちょこんと触れた。


 思わずエリスに視線を向けると、彼女は目を閉じて足に伝わるお湯の温かさを噛みしめているみたいだ。オレもエリスに倣って目を閉じる。


 ……なんか、いいよな、こういうの。


 周りに誰もいない静かな氷上で、二人だけでのんびりと釣りをしながら、二人で一つの桶に足を入れて暖まる。そんな、ほんのささいなことなのに、とても他愛のない事なのに、なんかエリスと二人ですごく貴重で特別な事をしているような感じがして嬉しくなってしまう。


 ふとエリスの視線を感じ、オレは再び彼女に視線を向けた。

 目が合うと、エリスは少しはにかむように微笑んだ。


「ん? どうした?」

「ううん。なんでもないよ。……こういうの、なんかちょっといいなって思っただけ」

「……そっか」


 エリスも、オレと同じようなことを考えていたのか。


 それがなんだか無性に嬉しくて、顔がにやけてしまう気がして、オレは思わず左手で口元を隠した。


 やばいやばい。

 こらこら、にやつくな、オレの顔!


 だがその時、どこからともなくぐぅーという音が聞こえてきた。


 うっ……


 それがオレの腹からだと気付き、一気に顔のにやけが引いてしまった。

 口元にあった手が、今度はお腹を押さえる。

 だが今の音は、さすがにエリスの耳にも届いたらしい。


 俯きかけていたオレの顔を、エリスが覗き込むように見上げて口を開いた。


「そう言えば、いろいろあってお弁当食べてなかったよね。せっかく作ったんだし、今から食べようか」

「……ああ、そうだな」


 ちょっとバツが悪い気持ちもあったが、そこは気を取り直して、今朝エリスとセリカが作ってくれた弁当を収納庫ストレージから取り出した。


 弁当箱は一つだ。今回は個別の弁当箱ではなく、大きな二段重ねの弁当箱に食べ物が入れられている。それを四人で囲んで思い思いにつまんで食べる予定だったらしい。取り出した弁当箱の上には濡れたタオルも載せられていた。


「ほら」

「うん。ありがと」


 エリスがオレから弁当箱を受け取ると、膝に載せてその蓋を開けた。

 とたんにいい匂いがテントの中に広がった。


 今朝と同じく、甘辛いような、すごく食欲をそそる匂いだ。

 思わず唾を呑み込んでしまう。


 弁当箱の中を覗いてみると、そこには一口大の大きさで、茶色い樽のような形をしたものがぎっしりと並んでいた。


 何だろう、これ。

 見たことない食べ物だ。


「これは……?」

「いなり寿司って言うんだって。これもヤマト料理だよ」

「へぇー。すごくいい匂いだな。んじゃ早速……」

「あっ。ちょっと待って!」


 手を伸ばしかけたオレから、エリスは弁当箱を遠ざけた。


 ん? なんだ?


「ダメだよタクマ。ちゃんと手を拭いてから。はい」


 そう言って濡れたタオルを一つオレに渡してくれ、エリスも手を拭き始めた。


「釣りの餌、赤虫……だっけ? それを触った手でしょ? ちゃんと綺麗に拭いてからね。お腹壊しちゃう」


 エリスに指摘されてオレは自分の手を見つめた。


 ……確かに。それはマズいよな。


 オレは濡れたタオルを広げ、指先を重点的に拭き始めた。

 その間に拭き終わったエリスが、タオルを置き、いなり寿司を一つ摘まんだ。

 親指と人差し指、そして中指の三本の指でそっと摘まみながら、それを何故かオレの口元へと運んでくる。


 そしてエリスは、とんでもないことを言い出した。


「はい。あーん?」


 ――っ!?


 言葉にならない衝撃がオレを駆け巡る。


 自分の手を拭いていたオレの動きが止まる。

 そしてオレの視線がエリスの手にある茶色い物体に注がれる。


 きっと今、オレの顔は引きつっているに違いない。


 頭の片隅でそんなことを思っている自分がいる。


「ん? どうしたの?」


 そう言ってにっこり微笑むエリス。


 いや! いやいやいや! どうしたの、じゃなくって!


「じ、自分で食べられるよ?」

「だーめ」

「いや、ダメって……」

「一度してみたかったんだ、コレ。今は他に誰もいないし、いいでしょう?」


 エリスがそう言って上目遣いでオレを見つめて来る。


 うっ! そ、その目は反則だろう!


 あー、もう!

 ラウル! セリカ!

 お前らがいなくなるからだぞ!

 戻ってこーい!

 カムバーーーーック!


 って、何言ってんだ、オレは!


「……もし嫌だなんて言ったら、お弁当あげないんだから」


 ――うっ!?


 そ、それは困る。

 こんないい匂いがする弁当を前にしておあずけなんて冗談じゃない。


 エリスが少しほっぺたをふくらませてオレを睨むように見上げる。

 でもすぐに顔をほころばせ、更にオレの口元へいなり寿司を寄せて来た。


 旨そうな匂いがオレの鼻腔をくすぐる。

 思わず少し口を開いたところへ、エリスがいなり寿司を入れてきた。


 口の中に甘辛い旨みが広がる。

 腹を空かせていたんだ。

 その匂いと味に逆らえるわけがない。

 一口では食べきれない大きさのため、オレは歯で噛み切った。


 とたん、じゅわっと旨みが溢れて来る。茶色い膜というか、袋のようなものの中には米が入っているようだ。その米には少し酸味があり、茶色い袋に浸み込んだ甘辛い旨みと口の中で混ざり合う。


 ――旨い! 何これ! めちゃくちゃ旨い!


 さらに噛みしめると、何か小さな粒があることに気付いた。

 それが香ばしい風味となっている。


 これは、もしかして胡麻かな?


「……どう? 美味しい?」


 エリスが再び上目遣いで聞いてくる。

 その手には、オレの食べかけのいなり寿司を持って。


 エリスの顔と、食べかけのいなり寿司の間をオレの視線が行き交う。


 ここは、テントの中だ。

 他には誰もいないし、外からも見えない。

 さらに言えば、この周囲には誰もいない。


 ここにはオレ達だけ。

 オレ達だけ……

 そう、オレ達だけなんだ。


 だから……誰にも見られることはないんだ……よね?


 オレは口の中のモノをゴクリと呑み込んだ。


 いなり寿司は凄く美味しいし。

 オレは凄くお腹が空いているんだし。

 食べかけを残すわけにはいかないし。

 エリスの機嫌を損ねて、おあずけなんて冗談じゃないし。

 それに……


 再び視線をエリスに向けると、エリスは「ん?」と少し首を傾げた。


 ……エリスに食べさせてもらうと、なんか、美味しさが増す気もするし。


 だから、もう仕方ないよね?

 もう少しくらい、エリスに付き合ってあげても、いいよね?


 きっと十人中十人とも仕方ないと同意してくれるハズだ。

 うん。きっとそうに違いない!


「ん!」


 オレは目を閉じながらエリスに向かって口を開いた。

 エリスの手にある残りのいなり寿司を食べるために。

 そして、エリスに食べさせてもらうために。


 ……目を閉じたのは、まともにエリスの顔を見ることができないから。


「ふふふ。はい。あーーーん」


 エリスが楽しそうに、なんとなくさっきより伸ばした口調で、オレの口にいなり寿司を運んでくる。


 頼むから、その「あーん」って口で言うのは、やめてくれないかな?

 なんか背中がむずむずする。

 っていうか、もう悶え死にしそうだよ。


 それでもオレはエリスにいなり寿司を食べさせてもらい、口を閉じる。


 むにゅ……


 なんか、そんな感触がした。


 思わず目を開ける。

 そこにあるのはオレの口元まで伸ばされたエリスの腕。

 そして目を細めて微笑むエリスの顔。


 これって……


「もう。ダメだよ。私の指まで食べちゃ」


 くすくす笑いながら、まるで語尾にハートマークでもついていそうな、そんなエリスの声が聞こえた。


 ――っ!?


 オレは反射的に身を引いていた。

 オレの口からエリスの指が離れる。


 くすくすと笑い続けるエリス。


 は、恥ずかしすぎる!

 エリスを直視できん!


 オレは思わず視線を外し、そっぽを向きながら口の中にあるいなり寿司を噛みしめた。


 いなり寿司はやはり旨い……と思う。

 思うんだけど……

 なんかもう、味が分からなくなってきた気がするよ。

 っていうか、いろんな意味でもうお腹いっぱいな気がしてくる……


「私も食べよっと」


 そう言ってエリスはいなり寿司を一つ摘まんで自分の口に運んだ。


 あれ?

 それって、オレに食べさせた手だよね?

 さっきオレに咥えられた指……だよね?


 い、いいのかな?


 思わずエリスの指に、そして口元へとオレの視線が張り付いてしまう。

 それに気付いたエリスが首を少し傾げた。


「ん? もう一つかな?」

「あ、いや。その、えっと、弁当はいなり寿司だけ? いや、もちろんいなり寿司は美味しいけど、その弁当箱は二段のようだから。下には何が入っているのかと……」


 なんかオレの口が、適当に思いついたことを勝手に喋っている気がする。


「あ、この下?」


 そう言ってエリスは弁当箱の下の段を開けて見せてくれた。

 見ると、そこには色々なおかずが入っていた。


 卵焼き、ハム、ソーセージ、焼いた鶏肉、茹でたじゃが芋、トマトにキュウリなどなど。


 おお! こちらも旨そうだ。


「じゃあ、コレ。はい」


 そう言ってエリスは下段におかずと一緒に入っていたフォークを取り出し、オレに手渡した。


「あ、でも、それでいなり寿司はダメだよ? フォークじゃすぐに崩れちゃうから。フォークはおかず専用ね」


 そしてエリスは弁当箱の上段を左手で持ちつつ、下段を右手でオレに渡してきた。両方をエリスの膝に載せておくにはこの弁当箱は少し大きいからだろう。オレは素直に受け取り、自分の膝の上に置いた。


 それを見て、今度はエリスがオレに向かって口を開いた。


「じゃあ私、卵焼きがいいな」


 ………………えっと?


 それってつまり、今度はオレがエリスに食べさせろと言っている……のかな?


 まあいいか。

 もうここまで来たら、最後まで付き合ってやるしかないよな。


 オレは顔がにやけてしまうのを必死にこらえながら、ご要望通り、フォークで卵焼きを一つ突き刺すと、それをゆっくりとエリスに向かって差し出した。もちろんセリフも忘れずに。


「ほら、エリス。あーん?」

「あーーーんっ!」


 エリスはオレと違って悶えるほど恥ずかしさは感じていないみたいで、あっさりと差し出された卵焼きを口にした。


 ……でも、ほんの少し頬を染めている……かな?


「美味しい! 我ながら上手くできたと思うんだ、この卵焼き。でも、それ以上に、さ……」


 一拍置いてエリスが言葉を続ける。


「……タクマに食べさせてもらえると、美味しさが倍増するね!」


 そう言ってエリスが心底嬉しそうに微笑んだ。


 う、わぁ。

 何、この可愛すぎる生き物は!

 抱きしめてぇ……


 そしてハッと気付いてオレは口元を手で隠し、エリスから視線を外した。


 だって、もうやばいって。

 今のオレの顔は!

 絶対にやついてしまっているって!


 そんなの、エリスに見せられんよ!


「うふふふ……。はい、じゃあお返し!」


 そう言ってエリスはまたいなり寿司を手で摘まんで、オレの口元に運んできた。


 ちょっと待って、エリス。

 お願いだから。

 オレのこのにやにやがおさまるまで、頼むからちょっと待ってくれ……


 ◇


 その日、弁当を食べる時間も含め、三時間くらいオレたちは氷上から釣り糸を垂らしていた。


 後から考えてみたら、魚たちだってオレ達の戦いに巻き込まれ、水がいきなり消えるなんてとんでもない目に合ったんだ。餌を食べる気になれなかったのかもしれない。


 結局、その日のオレ達の釣果は、ゼロだった。


読んでいただき、ありがとうございます!


これで冬の湖編が終わりになります。

この後、少し後日談を入れて、次の話になる予定です。


ブクマ登録や感想等、多くの人に応援して頂いて、

本当にありがとうございます。心より感謝を! m(__)m


この後の話にも、ぜひお付き合い頂けると嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。


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