エピローグ
劇の成功が功を奏してか、麻里はクラスの人気者になった。どちらかという引っ込み思案で一人で本を読んでいるような少女だった麻里が、皆からゴムとびやらドッジボールやらいろんな誘いを受けるようになった。学校の宿題も友達の家で一緒に済ましたり、警泥やだるまさんがころんだなどをして友達と遊ぶ活発な少女へと変わった。
親もそれを喜んでいた。麻里も麻里で自分にもこんな面があったのだと驚いていた。
そんな時、とある展覧会があった。それは十九世紀のロンドンが舞台の絵画を集めた展示会だった。今まで絵に興味もなかった麻里だったが、バーバラ達の生きた時代の絵ということで惹かれるものがあった。そこで一人で美術館に行くことにしたのだ。
美術館に一人で行くなんていうのも初めてのことだったけど、最近の麻里はとても自分に自信を持ち始めていた。大丈夫、なんとかなる。分からないことがあったら、ロンドンの時みたいに訊けばいい。
そして馬車屋がないかと探し回ったあの時を懐かしがった。私は本当に過去のロンドンにいたのだろうか。だんだんと記憶が薄れていくにつれ、バーバラ達との記憶も薄れていく。そのもどかしさがとてもたまらなかったけど、麻里にはどうすることもできなかった。
電車を使って無事に美術館の前に到着すると多くの人で賑わっていた。チケットを買うのにこんなに並ばなくてはならないのかと思うと、麻里はがくぜんとした。けれどもここまで来てしまったのだから、観ないで帰らないというわけにもいかない。麻里は腹を決めて待ち続けた。
そうしてようやく中に入れると、懐かしいロンドンの情景の絵が飛び込んできた。独特の灰色の冷たい空、活気にあふれた人々。馬車が勢いよく走ってくる様子など、つい先日までいたロンドンを思わせた。
ああ、ここはロンドンの匂いがする。麻里は思わず鼻いっぱいに空気を吸った。ロンドンの街並みを観ながら、麻里は思った。アンナお嬢様の屋敷も描かれているのかなあ。まさかねえ、なんてことを考えながら、順路に沿って観て行った。そして順路も終りの方にさしかかった時、一枚の絵にでくわした。
「バーバラ?!」
館内は静かにしないといけないのに、麻里は思わず叫んでしまった。周りの人達がけげんそうにこちらを見つめている。麻里は恥ずかしそうに下を向いたが、また絵をそろそろと見上げた。
白い肌に金髪に青い目のバーバラ。それは間違いなくバーバラの絵だった。彼女は幸せそうににっこり微笑んでいた。絵のタイトルはバーバラ・マグリット夫人となっていた。
二人は間違いなく結婚したのだ。そうして幸せな生活を送ったにちがいない。この絵がその証拠だ。麻里はうれしすぎて泣けてきた。
そう。よかったね、バーバラ。あなたはジュリエットと違ってアーサーと結ばれたんだね。
麻里は瞳をうるませながら、穏やかな表情を浮かべているバーバラを見つめた。
私はというとジュリエットと結ばれたみたいだよ。あなたが幸せそうでよかった。
絵の中のバーバラは自信に満ち溢れているように見えた。麻里はそのバーバラに笑顔で語った。
私は私でもっとがんばろうと思うよ。そしてバーバラみたいな本当の舞踏会でいつか踊りたいと思う。それまで元気でね、バーバラ。
麻里は絵の中のバーバラに手を振った。するとバーバラは片目をつぶって麻里にウィンクを送った。麻里はびっくりして絵をまじまじと見つめた。
『またいつか会いましょう、マリ』
バーバラの優しい声が麻里の耳もとにすっと届いた。懐かしい彼女の声に麻里の心はうち震えた。
「うん。きっとだよ。きっといつか会おう」
麻里は新たな希望を胸に絵の前に立ち尽くした。時を越え、二人の友情が壊れないことをかみしめながら、麻里はいつかバーバラの前で本当の意味での自分自身の舞踏会を披露できたらと思った。
「きっといつか」
麻里は夢見るようにつぶやいた。けれども彼女の瞳は真剣そのものだった。
(完)




