仲間ゼロの平凡勇者、恐れられる『死神』ダークエルフとコンビを組むことになりました
初めまして、新連載をスタートいたします!
本作は、ステータスがすべて「平均値」の平凡な勇者と、口と目つきは超絶悪いけれど実はめちゃくちゃ優しくて世話焼きなダークエルフの冒険を描いたファンタジーです。
不器用な二人の、少し焦れったくて尊い道中を楽しんでいただけたら嬉しいです。
(※毎日更新を予定しております)
それでは、第1話をお楽しみください!
「ごめんね、勇者様。ウチのパーティーは少数精鋭でやってるから、君を入れる枠はないんだ」
冒険者ギルドの喧騒の中、俺――アルト・ノーマンは、今日だけで五回目となるお断りの言葉を受けていた。
申し訳なさそうに去っていく戦士の背中を見送りながら、俺は小さくため息をつく。
俺は少し前まで、辺境の村で暮らすただの村人だった。
だがある日、村の裏山に刺さっていた『絶対に抜けない聖剣』を、つまづいた拍子にうっかり引き抜いてしまったのだ。
その日から、俺は女神に選ばれし『勇者』となった。魔王を倒し、世界を救う希望の星。
……響きはかっこいいのだが、現実には大きな問題があった。
俺のステータスは、筋力も魔力もすべてにおいて『完全に平均値』だったのだ。
勇者特有のチートスキルもなければ、強力な魔法が使えるわけでもない。得意なことと言えば、村で培った料理や雑用、そして無駄にタフな持久力くらい。
そんな中途半端な能力の勇者を、危険な魔王討伐の旅に連れて行こうとする物好きな冒険者は、この王都には一人もいなかった。
「……今日もダメだったか。一人でスライムでも狩りに行くかな」
クエストボードの前で肩を落とした、その時だった。
――ギィィ、とギルドの重い扉が開く音がした。
途端に、酒場のように賑やかだったギルド内の空気が、水を打ったように静まり返る。
冒険者たちの視線が、入り口に現れた一人の人物に釘付けになった。
現れたのは、息を呑むほど美しい少女だった。
夜闇のような艶やかな黒髪に、褐色の肌。尖った耳は、彼女がダークエルフであることを示している。
しかし、周囲の者が彼女を見つめる理由は、その美貌からではない。
「おい……『死神』だぞ」
「目を合わせるな。機嫌を損ねたら、あの鋭い目で睨み殺される……」
冒険者たちがひそひそと怯えた声を漏らす。
彼女の名前は、ルナ・ヴィエルジュ。
精霊魔法と剣術を極めた凄腕の魔法剣士だが、氷のように冷たく鋭い目つきと、容赦のない辛辣な口調から、誰ともパーティーを組まずに単独で活動している孤高の存在だ。
ルナは周囲の怯えた視線など気にも留めず、コツコツとブーツの音を響かせてクエストボードへと近づいてくる。
その進路に立っていた俺は、慌てて道を譲ろうとした。
しかし、運悪く足元の酒樽につまづき、バランスを崩してしまう。
「あっ――」
ドンッ、と俺の肩が、すれ違いざまに柄の悪い大男の冒険者にぶつかってしまった。
「痛ぇな! どこに目ぇつけて歩いてんだ、この凡人勇者が!」
「す、すみません! わざとじゃ……」
「謝って済むかよ! 俺の機嫌を損ねた慰謝料として、お前のその聖剣を置いていけ!」
大男が怒鳴り声を上げ、俺の胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてきた。
武力で勝てない俺が思わず目を瞑った、その瞬間。
「――邪魔だ、愚か者が」
絶対零度の声が響き、大男の手がピタリと止まった。
目を開けると、ルナが氷のような鋭い視線で、大男を射抜いていた。
彼女の右手が腰の剣の柄に添えられている。ただそれだけの動作なのに、息が詰まるほどの圧倒的なプレッシャーが周囲を支配していた。
「ひっ……!」
「チッ……クエストボードが見えない。さっさと退け、その無駄にでかい図体を切り刻むぞ」
「ヒィィッ! す、すみませんでしたぁっ!」
大男は顔を青ざめさせ、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
静まり返るギルドの中で、ルナは小さく舌打ちをしてクエストボードを見上げている。
俺は慌てて姿勢を正し、彼女に頭を下げた。
「あ、あの! 助けてくれてありがとうございます。ルナさん、だね?」
「……勘違いするな。私は私が依頼を見るのに邪魔だったから排除しただけだ。お前を助けたわけではない」
こちらを一瞥した彼女の目は、やはり超絶に鋭い。
普通の人間ならそれだけで萎縮してしまうだろう。だが、俺は不思議と恐怖を感じなかった。
(……一人で依頼を探してるってことは、ルナさんもパーティーメンバーがいないのかな)
能力が高すぎて周囲から恐れられ、孤立している凄腕のダークエルフ。
能力が低すぎて周囲から呆れられ、孤立している普通の勇者。
対極の理由でひとりぼっちの俺たちは、もしかしたらすごく相性がいいんじゃないだろうか。
「あのさ、ルナさん。もしよかったら……俺とパーティーを組んでくれないかな?」
「……は?」
ルナが信じられないものを見るような目で俺を見た。
ギルド内の冒険者たちも「あの凡人、ついに頭がおかしくなったか」とざわめいている。
「お前、自分のステータスを理解しているのか? すべてが平均値の足手まといではないか。なぜ私が、お前のような弱者の世話を焼かねばならない?」
「確かに俺は弱いけど、体力と打たれ強さには自信があるんだ。料理も得意だし、雑用は全部俺がやるよ。それに……ルナさんとなら、うまくやっていける気がするんだ」
俺が真っ直ぐに目を見てそう言うと、ルナはなぜか一瞬だけハッとしたように目を見開き、そしてプイッと顔を背けた。
「……チッ、正気かお前は。私の足手まといになれば、すぐ魔物に殺されるぞ」
「大丈夫、絶対に死なないように頑張るから!」
「……勝手にしろ。ただし、戦いではお前を囮の肉盾として使うからな。私の後ろから離れるなよ、愚か者が」
言葉こそ信じられないくらいトゲトゲしいが、これは実質的なオーケーだ。
俺は嬉しくなって、満面の笑みで頷いた。
こうして、俺と『死神』ダークエルフのコンビは結成されたのだ。
ギルドを出て、明日の出発のための買い出しに向かう道中のこと。
前を歩いていた小さな女の子が、石につまずいて派手に転んでしまった。
「えーんっ!」と泣き出す女の子。俺が駆け寄ろうとした瞬間、俺よりもずっと速い、風のような動きでルナが女の子のそばにしゃがみ込んだ。
「……前方不注意だ。これだから人間の子供は手がかかる」
口ではそんな冷たいことを言いながら、ルナは驚くほど優しく、そっと女の子のすりむいた膝に手を当てた。
淡い光が灯り、精霊魔法による治癒が施されていく。傷は一瞬で塞がり、女の子はポカンとして泣き止んだ。
「ほら、もう痛くないだろう。さっさと母親の元へ帰れ」
「おねえちゃん、ありがとう……!」
「なっ……お、お礼など言われる筋合いはない! 私がただ、泣き声がうるさくて不快だっただけだ!」
女の子が笑顔で手を振って走り去ると、ルナは顔を少し赤くして、そわそわと落ち着かない様子で立ち上がった。
そして、一部始終を見ていた俺と目が合うと、さらに鋭いギロリとした目で睨みつけてきた。
「なんだ、そのニヤニヤした顔は。お前も怪我をしたら同じように治してやる。勘違いするな、足手まといになられては困るだけだからな!」
ズンズンと早足で歩き出してしまうルナの背中を見つめながら、俺は確信した。
(あれ? もしかしてこの人、口と目つきが悪いだけで、めちゃくちゃ優しくて良い人なのでは……?)
どうやら俺の魔王討伐の旅は、思っていたよりもずっと温かくて、騒がしいものになりそう…
買い出しを終えた俺たちは、王都のすぐ外に広がる『はじまりの森』へと足を踏み入れていた。
初級の魔物が多く生息するこの森は、新米冒険者の肩慣らしにはうってつけの場所だ。
「いいかアルト。お前の役割は索敵と荷物持ち、そして前衛で敵の攻撃を引きつけることだ。くれぐれも無駄死にするなよ」
「うん、わかった。任せて!」
大きなリュックを背負った俺の前を、ルナが警戒しながら進んでいく。
彼女の歩き方には一切の無駄がなく、森の落ち葉を踏む音さえほとんど立っていない。やはり、この人は只者ではない。
「……前方、魔物の気配だ」
ルナがピタリと足を止め、腰の剣に手を添えた。
茂みの奥から姿を現したのは、大人の背丈ほどもある二頭のゴブリンだった。
醜い顔を歪め、手にした粗末な棍棒を振り回しながら、こちらに向かって奇声を上げて突進してくる。
「ひっ……!」
俺は思わず後ずさりしそうになったが、ルナとの約束を思い出し、ぐっと足を踏ん張って聖剣(ただのなまくら同然だが)を構えた。
「よ、よし来い! 俺が相手だ!」
「……チッ、動きが硬すぎる。そんなへっぴり腰では、囮にもならんぞ」
ゴブリンの一頭が、俺に向けて棍棒を振り下ろす。
避けきれない! そう覚悟して目を閉じた瞬間。
――キンッ!
鋭い金属音が森に響き渡った。
目を開けると、俺のすぐ目の前で、ルナの剣がゴブリンの棍棒を受け止めていた。
「ル、ルナさん!」
「バカかお前は! 目を瞑ってどうする! ……後ろに下がっていろ」
言うが早いか、ルナはゴブリンの棍棒を弾き飛ばし、流れるような動きで二頭のゴブリンの首を立て続けに刎ね飛ばした。
血の一滴も剣に付着させない、見事な一撃必殺。
戦闘開始からわずか数秒の出来事だった。
「す、すごい……! あっと言う間だったね!」
「フン。この程度の雑魚、造作もないことだ。……怪我はないか? 愚か者が」
ルナは剣を鞘に納めながら、鋭い目で俺を睨みつけた。
口では「愚か者」と言いながらも、その視線は俺の体を素早く上から下へと確認している。
本当に怪我をしていないか心配してくれているのだ。
「うん、全然平気だよ。ルナさんが助けてくれたおかげで……」
「べ、別に助けたわけではない! お前が死んだら、ギルドに報告する手間が増えるからな。勘違いするな!」
顔を真っ赤にしてそっぽを向くルナ。
うん、やっぱりこの人、すごく分かりやすくて可愛いな。
「……それにしても、お前は本当に『普通』なのだな。勇者というからには、隠された力の一つや二つあるものだと思っていたが」
「あはは……期待外れでごめんね。本当に、ただ村で暮らしていただけの一般人なんだ」
俺が苦笑いしながら答えると、ルナはしばらく押し黙り、やがてぽつりと呟いた。
「……期待外れなどとは言っていない。ただ、少し拍子抜けしただけだ」
「え?」
「……これまでの人間は、私を見るなり恐れて逃げるか、力ずくで従わせようとするかのどちらかだった。私に『普通』に話しかけてきたのは、お前が初めてだ」
ルナの横顔が、ふと寂しそうに伏せられる。
彼女がこれまで、どんなふうに人から扱われてきたのか。その言葉だけで痛いほど伝わってきた。
ダークエルフというだけで迫害され、凄腕だからこそ恐れられ、一人ぼっちで生きてきたのだろう。
「ルナさんは、怖い人なんかじゃないよ」
俺は一歩近づき、彼女の目を見てはっきりと伝えた。
「口は少し悪いかもしれないけど……すごく優しくて、不器用なだけだって、俺は知ってるから」
「なっ……! 何を寝言を言っている! 私は死神だぞ! 私の恐ろしさを知らないだけだ!」
「うん、死神さん、さっきゴブリン倒してくれてありがとう。すごくかっこよかったよ」
「だーっ! もういい、さっさと歩け! 日が暮れる前に野営地を見つけるぞ!」
ルナは真っ赤になった顔を隠すように早足で歩き出してしまった。
その耳まで真っ赤に染まっているのを見て、俺は思わずクスリと笑ってしまった。
(やっぱり、すごく良い人だ)
日が暮れ始め、俺たちは森の中で野営の準備を始めた。
「俺、料理するね! 得意なんだ」
「……勝手にしろ。私は周囲の警戒をしておく。間違っても不味いものを食わせるなよ」
そう言いながらも、ルナは俺が焚き火を起こしやすいように風除けの魔法をかけてくれたり、座りやすい石の上に自分のマントを敷いてくれたりしている。
「ルナさん、マント貸してくれてありがとう」
「……お前が地べたに座って風邪でも引いたら、私の足手まといになるからだ。勘違いするな」
「あはは、わかった。それじゃあ、美味しいシチューを作るから待っててね」
しばらくして、干し肉と野菜を煮込んだシチューが完成した。
村でよく作っていた、俺の自信作だ。
「できたよ、ルナさん。熱いから気をつけてね」
「……フン、見た目はまあまあだな。味はどうだか……」
ルナは恐る恐るスプーンを口に運ぶ。
その瞬間、彼女の尖った耳がピクッと動き、瞳がキラリと輝いたのを俺は見逃さなかった。
「……どうかな?」
「……悪くはない。まあ、私の口には合わないこともない」
「本当? よかったらおかわりもあるよ!」
「! ……仕方ないな、お前がそこまで言うなら、残飯処理をしてやろう」
そう言って、ルナはものすごい勢いでシチューをおかわりし始めた。
その食べっぷりは、冷徹な『死神』の異名とは程遠い、まるで腹を空かせた子供のようで。
「美味しいね」と声をかけると、ルナは「うるさい」とそっぽを向きながらも、その頬は嬉しそうに緩んでいた。
俺の勇者としての旅は、まだ始まったばかり。
世界を救えるかはわからないけれど……少なくとも、この不器用で優しい相棒の笑顔は、俺が絶対に守ってみせる。
そう心に誓った、野営の夜だった。
***
真夜中。パチパチと爆ぜる焚き火の微かな音と、鼻をくすぐる妙に甘い香りで、俺はふと目を覚ました。
(……なんだろう、この匂い?)
毛布代わりのマントからそっと顔を出し、薄目を開けて周囲を伺う。
すると、見張りをしているはずのルナが、焚き火のそばで何やら真剣な顔をして鍋に向かっていた。
「……チッ、火力が強すぎる。精霊よ、もう少しだけ炎を弱めろ。焦げてしまうだろうが」
普段の冷徹な声からは想像もつかないほど、焦ったような、それでいてどこか楽しげな独り言。
彼女の手元を見ると、昼間の買い出しの際に「薬草の調合に使う」と言って彼女がこっそり買っていたカカオ豆のようなものが、トロトロのペースト状に煮詰められていた。
ルナは火の精霊魔法をミリ単位で調整しながら、細い木の枝を使って一生懸命にそれをかき混ぜ、小さな型へと流し込んでいる。
(もしかして、お菓子を作ってる……?)
その手つきは、剣を振るう時の洗練された動きとは違い、どこかぎこちなくて不器用だ。
熱さのせいか、それとも照れのせいか、彼女の白い頬は焚き火の光を受けてほんのりと赤く染まっている。
その一生懸命な横顔がどうしようもなく可愛くて、俺はしばらく見惚れてしまった。
だが、もし俺が起きていることに気づかれたら、彼女は確実にパニックになってせっかくの料理を台無しにしてしまうだろう。
俺はそっと目を閉じ、規則正しい寝息を立てて、決して見ていないふりを貫くことにした。
翌朝。
森の小鳥たちのさえずりで目を覚ますと、すでにルナは身支度を終え、完璧な『死神』の冷たい表情に戻っていた。
「……起きるのが遅いぞ、愚か者が。さっさと荷物をまとめろ」
「おはよう、ルナさん。ごめんね、マントすごく暖かくてよく眠れちゃった」
俺が手早くリュックに荷物を詰め込んでいると、ルナはずかずかと足音を荒立てて俺の目の前まで歩み寄り、立ち止まった。
そして、どこか落ち着かない様子で視線を泳がせた後、懐から小さな包みを乱暴に突き出してきた。
「……ほら、受け取れ」
「えっ? これ、なに?」
綺麗に折りたたまれた葉っぱの包み。
受け取ると、中には不格好ながらも一生懸命に形を整えられた、一口サイズのチョコレートがいくつか入っていた。
「ルナさん、これ……」
「べ、別に深い意味はない! 昨日の戦闘で、お前があまりにもへっぴり腰だったからな! 脳に糖分を送って、少しでもマシな動きをしろという私からの情けだ!」
ルナは顔を真っ赤にして、早口でまくしたてる。
「勘違いするなよ! 昨日お前が作ったシチューの礼とか、そういう甘っちょろい理由では断じてない! ただの余り物だ! 毒見だと思って食え!」
ものすごい剣幕で睨みつけてくるが、その尖った耳の先までリンゴのように真っ赤になっているせいで、迫力はゼロだった。
昨日の夜、あんなに真剣な顔で火加減を調整していたのを知っている俺からすれば、その不器用な優しさが嬉しくてたまらない。
「ありがとう、ルナさん。すごく嬉しいよ。さっそく食べてもいいかな?」
「……か、勝手にしろ。不味くても吐き出すなよ」
俺は包みから一つチョコをつまみ、口に放り込んだ。
濃厚なカカオの香りと、絶妙な甘さが口いっぱいに広がる。形は少し歪だが、味は王都の高級菓子店にも負けないくらい美味しい。
「うん! すっごく美味しい! ルナさん、天才かもしれない!」
「なっ……! お、大げさなことを言うな! ただ溶かして固めただけだ!」
ルナは照れ隠しのようにバッと背を向けたが、その後ろ姿からは、尻尾を振る子犬のような隠しきれない喜びが滲み出ていた。
「美味しいよ、本当に。……俺の相棒は、料理も得意ですごく優しい人なんだね」
「だーっ! うるさい、うるさい! さっさと歩け、お前など森に置いていくからな!」
照れ限界を突破したのか、ルナはずんずんとものすごい早歩きで森の奥へと進んでいってしまう。
「あはは、待ってよルナさーん!」
慌てて追いかける俺の口の中には、まだ甘くてほろ苦いチョコレートの味が残っていた。
最恐で不器用なダークエルフとの旅は、やっぱりどうしようもなく楽しくて――そして、甘い。
***
森を抜け、俺たちが近隣の大きな宿場町へと到着したのは、午前十時を回った頃だった。
活気あふれる大通りは多くの商人や旅人でごった返しており、人の波を縫うようにして進まなければならない。
「……チッ、人間どもめ。無駄に群れおって、歩きにくいことこの上ない」
不機嫌そうに舌打ちをするルナだが、その冷たいオーラと美貌のせいで、道行く人々がぎょっとして道を空けていくので、実はかなり歩きやすかったりする。
そんな風に周囲を威嚇しながら歩いていたルナだったが、ふと露店に並べられた可愛らしいウサギのぬいぐるみに目を奪われたらしい。歩みが一瞬だけ遅れ、石畳の僅かな段差にブーツの先を引っ掛けてしまった。
「あっ――」
体勢を崩し、前のめりに倒れそうになるルナ。
「危ない!」
俺は咄嗟に手を伸ばし、彼女の細い腰をぐっと抱き寄せるようにして抱きとめた。
ドンッ、と俺の胸にルナの背中がぶつかり、二人の体が密着する。
ふわりと、朝露に濡れた森の葉のような、彼女の髪からする良い香りが鼻をくすぐった。
「……っ!?」
数秒の静寂の後。俺の腕の中で硬直していたルナが、バッと弾かれたように距離を取った。
「な、ななな、何を気安く触っているのだ! こ、この痴れ者がっ!」
「ご、ごめん! でも転びそうだったから、思わず……」
「転んでなどいない! 今のは私が自ら前傾姿勢をとって、周囲の敵情視察を行おうとしただけだ! そ、それを貴様が勝手に……っ!」
ルナの尖った耳は根元まで真っ赤に染まり、綺麗な顔にはこれ以上ないほどの朱が差している。
「次同じことをしたらその腕を切り落とすからな! 愚か者! 鈍図星!」
プンプンと怒ったように肩を怒らせ、ずんずんと足音を立てて先へ歩いて行ってしまった。
(……怒っているのに、なんだか照れ隠しみたいで可愛いな)
俺は苦笑いしながら、彼女の後を急いで追いかけた。
それから二時間後。昼の十二時。
俺たちは町でも一番美味しいと評判の、有名な大衆レストランのテラス席に座っていた。
「……おい。なぜ私が、こんな騒がしい店で食事など……」
「まあまあ。ここの『特製とろとろオムライス』、絶品らしいよ。ルナさんもお腹空いたでしょ?」
不満げに腕を組むルナだったが、やがて運ばれてきた湯気を立てる黄金色のオムライスを前にすると、その鋭い目つきがピタリと止まった。
スプーンを手に取り、恐る恐る一口分を掬って口に運ぶ。
「……っ!」
その瞬間、ルナの瞳が見開かれ、背筋がピンと伸びた。
「どう? 美味しい?」
「…………ふん。まあ、人間の作る餌にしては、辛うじて食べられるレベルだな。決して私の口に合ったわけではないが、残すのは食材に失礼だから食べてやっているだけだ」
そう言いながらも、ルナのスプーンの動きは止まらない。
むしろものすごいペースでオムライスを口に運んでおり、頬を緩ませてモグモグと咀嚼する姿は、小動物のように愛らしい。
午前中に腰を抱き寄せてしまった時のプンプンした態度はどこへやら、美味しいご飯の前ではすっかり機嫌が直っているようだ。
「よかった。あ、口元にケチャップついてるよ」
「なっ……! 子供扱いするな! 自分で拭ける!」
俺が差し出した紙ナプキンをひったくるように受け取り、慌てて口元を拭うルナ。
『死神』と恐れられる凄腕ダークエルフと、すべてが平均値の平凡勇者。
傍から見ればちぐはぐな二人組だろうけれど、向かい合って美味しいご飯を食べているこの時間は、平和そのものだ。
***
「ふぅ……。ごちそうさまでした。やっぱりここのオムライスは最高だね」
「……チッ。量が多すぎるのだ。こんなに油っこいものを腹に詰め込んでは、午後の戦闘に支障が出る」
口では文句を言いながらも、ルナの前に置かれたお皿は、一粒の米すら残さずピカピカになっている。
俺は思わず吹き出しそうになるのを堪え、席を立った。
「それじゃあ、午後は明日のためのポーションとか、保存食を買い足しに行こうか。市場の方に行けば色々あるはずだよ」
「……勝手にしろ。私はお前の護衛としてついて行くだけだ。迷子になって泣きついてきても知らないからな」
そっぽを向きながらも、ルナは俺の歩幅に合わせてピタリと隣を歩いてくれる。
市場は色とりどりの果物や、珍しい魔石、様々な武具を並べる露店で溢れかえっていた。
喧騒の中を歩いていると、ふと、ルナの視線がある一つの露店に釘付けになっているのに気づいた。
そこは、細工物のアクセサリーを売っている小さな屋台だった。
ルナの視線の先にあるのは、銀色で縁取られた、青い宝石があしらわれた綺麗な髪飾り。
けれど彼女は、俺が視線に気づいたと察するや否や、バッと顔を背けてしまった。
「……何を見ている。さっさと行くぞ」
「ルナさん、あの髪飾り、似合うと思うよ」
「なっ……!? ば、馬鹿を言うな! 私のような日陰者のダークエルフに、あんな装飾品など似合うはずがないだろう! 剣を振るうのに邪魔なだけだ!」
ものすごい早口で否定し、ずんずんと先へ進んでしまうルナ。
その背中を見送った後、俺は少しだけ屋台に寄り道をしてから、彼女の後を追いかけた。
買い出しもあらかた終わり、町の広場に差し掛かった時のことだった。
「きゃあああああっ!!」
「逃げろ! 魔獣が檻から逃げ出したぞ!!」
突如として、平和な昼下がりの広場に悲鳴が響き渡った。
見ると、魔獣用の大きな輸送馬車が横転しており、壊れた檻の中から巨大な影が這い出しているところだった。
全身を黒い鋼鉄のような毛皮に覆われた、見上げるほど巨大な猪の魔物――『アイアンボア』だ。
本来ならこんな町中にいるはずのない、中級以上の凶暴な魔物。おそらく、どこかの悪徳商人が密輸しようとして事故を起こしたのだろう。
「グルルルルルッ!!」
アイアンボアは血走った目で周囲を見渡すと、標的を見つけたように前足を掻いた。
その視線の先には、逃げ遅れてへたり込んでいる幼い兄妹の姿があった。
「ああっ……!」
「アルト! 動くな!」
ルナの制止の声が響く。彼女が魔法の詠唱を始めるのが見えたが、アイアンボアの突進の方が早い。
この距離では、魔法の発動より先にあの兄妹が潰されてしまう。
考えるより先に、俺の体は動いていた。
ステータスはすべて平均値。攻撃力も魔法力も底辺だ。
けれど、逃げ足の速さと、何度も殴られて培った『打たれ強さ(耐久力)』だけは、誰にも負けない自信があった。
「うおおおおおっ!!」
俺は兄妹の前に立ち塞がり、腰から抜いたなまくら同然の聖剣を盾のように構え、思い切り足を踏ん張った。
「アルトッ!!」
ルナの悲痛な叫び声と同時に、トラックが激突したような凄まじい衝撃が俺の全身を襲った。
「ぐはっ……!?」
腕の骨が軋み、視界が白く飛ぶ。
強烈な威嚇と重量。並の冒険者なら一撃で粉砕されているだろう。
だが、俺は倒れなかった。靴の裏を石畳に深く擦りつけながら十メートル近く後ずさりしたが、なんとかアイアンボアの突進を完全に受け止めてみせたのだ。
「ぐるぁっ!?」
予想外の抵抗に、アイアンボアが体勢を崩す。
「ルナさん、今だ!!」
俺が叫んだ瞬間。
広場の空気が、凍りつくような殺気で満たされた。
「……私の獲物に、何をしてくれているのだ。この下等生物が」
地獄の底から響くような、絶対零度の声。
見ると、ルナの美しい顔は、これまで見たこともないほど恐ろしい修羅の形相に変わっていた。
彼女の周囲に、凄まじい密度の氷の魔力が渦巻いている。
「消えろ。塵一つ残すな――『絶対氷葬』!!」
ルナが剣を振り下ろした瞬間、アイアンボアの足元から巨大な氷柱が無数に突き出した。
「ブギィィィッ!?」という断末魔を上げる間もなく、鋼鉄の魔物は一瞬にして分厚い氷塊の中に閉じ込められ、次の瞬間にはパリンッと音を立てて粉々に砕け散った。
完全なるオーバーキル。まさに『死神』の名に相応しい一撃だった。
静まり返る広場。
俺はその場にどっとへたり込み、大きく息を吐き出した。
「はぁ……はぁ……っ、助かったぁ……」
「アルトッ!!!」
安堵したのも束の間、物凄い勢いでルナが駆け寄ってきた。
彼女は俺の胸ぐらを掴むなり、目に涙を浮かべながら怒鳴りつけてきた。
「この大馬鹿者が!! お前は自分がどれだけ貧弱か分かっていないのか!? あんな中級魔物の突進をまともに受ければ、死んでいてもおかしくなかったのだぞ!!」
「ご、ごめん。でも、あの子たちが危なかったし……それに」
「それに何だ!!」
「ルナさんが、絶対に仕留めてくれるって信じてたから。俺は止めるだけでよかったんだ」
俺が笑ってそう言うと、ルナは雷に打たれたようにピタリと動きを止めた。
掴んでいた俺の服から手を離し、ワナワナと唇を震わせる。
「……っ、この、愚か者……っ! 馬鹿! 鈍図星! 死にたがり!!」
ポカポカと俺の胸を叩きながら、ルナはしゃくりあげるように言った。
「もしお前が死んだら、誰が私のために不味いシチューを作るのだ! 誰が私に、あんな馴れ馴れしく話しかけてくるのだ! お、お前が死んだら……私が、困るだろうが……っ!」
それは、彼女なりの最大限の「心配した」という言葉だった。
ルナは乱暴に涙を拭うと、俺の怪我をした腕をそっと、本当に壊れ物を扱うように優しく両手で包み込んだ。
「……チッ。手のかかる男だ。少し痛むが、我慢しろ」
淡い緑色の光が俺の体を包み込む。彼女の精霊魔法のおかげで、全身の痛みが嘘のように引いていく。
その手の温もりと、真剣に俺の傷を治そうとしてくれる彼女の優しい横顔を見て、俺は改めて、この人とパーティーを組んでよかったと心から思った。
「……よし、これで完治だ。さっさと立て。いつまで座っているつもりだ」
「ありがとう、ルナさん。……あ、そうだ。これ」
立ち上がった俺は、ポケットに忍ばせていた小包を取り出し、ルナに差し出した。
「なんだこれは。私にゴミを押し付ける気か」
「さっき市場で買ったんだ。俺からの、パーティー結成の記念のプレゼント」
ルナが訝しげに包みを開けると、中から出てきたのは、先ほど彼女が市場で見つめていたあの青い宝石の髪飾りだった。
「なっ……!? お、お前、いつの間にこれを……!」
「ルナさんの黒髪に、絶対似合うと思って。朝のチョコレートのお返しでもあるかな」
「ば、ばっ……! 誰がチョコなどあげたか! あれはただの余り物で……っ!」
顔を限界まで真っ赤にしてパニックになるルナ。
しかし、彼女は髪飾りを突き返すことはせず、そっと両手で包み込むようにして胸に抱き寄せた。
「……チッ。こんなものを渡されたら、お前が寝首をかかれないよう、少しは私が守ってやらねばならなくなったではないか」
「あはは、うん。これからもよろしくね、相棒」
「……フン。精々、私の足手まといにならないよう励むことだな。行くぞ、愚か者」
プイッと顔を背けて歩き出したルナの足取りは、どこか軽やかだった。
夕日が差し込む石畳の道を並んで歩きながら、俺はふと彼女の横顔を盗み見る。
黒い髪の隙間には、先ほど贈った青い髪飾りが、不器用ながらもしっかりと留められていた。
最強で最恐、だけど誰よりも不器用で優しいダークエルフ。
俺たち二人の魔王討伐の旅は、きっと波乱万丈で――そして、とびきり温かいものになるだろう。
第1話をお読みいただき、本当にありがとうございます!
ついに最恐(?)の相棒、ルナとの出会いでした。
言葉のナイフをビュンビュン飛ばしてくる彼女ですが、その奥にある「本当の性格」に主人公がどう気付いていくのか、今後の展開を見守っていただけると嬉しいです。
次回はさっそく、二人の初クエストと野宿の様子をお届けします!
少しでも「面白い!」「続きが気になる!」「エルフのデレに期待!」と思っていただけましたら、
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