第5話 『指南稽古、再び。』
あの人に憧れていた。
抜き身の鋼のように強靭で、決して折れない真っ直ぐな瞳に。
無駄を削ぎ落とした、美しき剣筋に。
彼が積み上げてきた、果てしない偉業の数々に。
この先に枝分かれる道のどこかに。
どうか、彼に少しでも近づける未来がありますように。
手のひらに血を滲ませながら、祈るように今日も剣を振るう。
――それが、決して叶わぬ願いだと知る由もなかった頃の記憶。
*
再び謁見の間に足を踏み入れる。
空気が凍りつくような静寂。
玉座の下方には、先ほど僕を追い詰めた七体の骸骨兵。
そして玉座の傍らには、微動だにせずこちらを見下ろす一体の骸骨騎士――父上が立っている。
侵入者を感知した七体の骸骨兵が、カタカタと顎を鳴らしながら一斉に動き出した。
武器を振りかざし、先ほどの無様な僕をもう一度蹂躙しようと殺到してくる。
だが、今の僕には心強い味方がいる。
「今だよ! フィン!」
背後から、マルティネの弾むような声が響いた。
同時に、僕の肩越しにまばゆい純白の光が放たれる。
光は謁見の間を瞬時に駆け抜け、七体の骸骨兵たちを幾重にも縛り上げる『光の鎖』へと形を変えた。
『ギッ、ガ……?』
マルティネの放った光の鎖。瘴気を原動力とする骸骨兵たちの動きが、不自然なほど完全に停止した。
一度僕を救った彼女の力だ。
(――効果時間は、もって三秒)
彼女が語った。これが最後の力だと。
この機を逃すことは許されない。
この三秒間で、自分の積み重ねた剣技を示す。
「十分だ」
僕は地を蹴った。
力のない僕がするべきは、一体一体なぎ倒していくことではない。
ただ、術で動きが止まっている間に、関節の節目を断ち、無力化するだけ。
一秒。
硬直する大剣持ち二体の間をすり抜けながら、無防備な頸椎、そのわずかな隙間に刃を滑らせる。
二秒。
背中合わせになった槍兵三体の足元に滑り込み、膝の関節を支える結合部分を撫でるように斬り払う。
三秒。
最後に残った弓兵と剣兵の頭蓋の真ん中を、剣の柄尻で正確に叩き割る。
光の鎖が弾け飛ぶのと同時。
ガラガラと、重力に従って七体の骸骨兵がただの骨の山へと崩れ落ちた。
剣を振り抜いた姿勢のまま、僕は小さく息を吐く。
無駄な体力は一切使っていない。
だが、本当の闘いはここからだった。
――カツン。
重厚な金属音が、広間を制圧した。玉座を守る騎士が剣を抜いた。
マルティネの援護は見込めない。
ここからは正真正銘の一対一。
(もう、逃げない)
手足はわずかに震えている。気を抜けば腰も引けそうになる。
だが、もう逃げない。
ここで逃げたら、何も変わらない。
だけど、ここで向き合ったら何かが変わる気がする。
――カツン、カツン。
玉座への階段。
二人の足音が響く。
「……」
骸骨騎士は右手で大剣を構えて――あろうことか、左手をスッと自身の背に回した。
右手一本で大剣をだらりと下げて、左手は後ろで組む。
その歪で、あまりにも見覚えのある構えを見た瞬間、僕の心臓が痛いほど跳ねた。
「……片手か」
忘れるはずもない。
父との指南稽古での記憶。
才能のない息子への、明確なハンデ。
あるいは、失望の表れ。
「――手合わせ、お願いします」
僕は剣を構え、自ら間合いへ踏み込んだ。
瞬間。
ブン、と風を切り裂く音がした。反射的に身を屈めると、爆発のような風圧が頬を切りさいた。
父上の右手から放たれた、神速の一撃。
常人であれば反応もできないまま死んでいただろう。
反応できたとしても、まともに剣で防いでしまえば両腕が消し飛ぶ。
だが――。
(記憶の通り。いや、それよりも遅い)
幾度となく父と稽古して、この目が、この身体が覚えている。
この頭で何度もシミュレーションした。そのまま最適解をはじき出す。
流れるように父上のがら空きの右半身へと回り込み斜めに切り込む。
「――くっ」
キン、と甲高い音。父上は回転の力を利用して死角であるはずの僕の一撃を大剣で防いだ。
感心している暇はない。
直後、すぐに身を屈め転がるように距離をとる。
身体すれすれを通り過ぎる風。
髪の毛が数本切り飛ばされるが、致命傷にはならない。
理不尽な膂力と速度。
だが、当たらない。
(全部、見てきたから)
父上が剣を振るたびにそれを躱して、一撃叩き込む。
この繰り返しでいい。防がれても、いなされても、いつか当たればそれでいい。
次第に、僕の攻撃が通り始める。
盤上が消耗戦に移っていく。
『フィン、お前は剣の重みに負けている』
いつか父上に言われた言葉だ。
『剣はどれだけ綺麗ごとで塗りつぶそうとも、人殺しの道具だ。その事実はどれだけ鍛錬を積んだとて変わらない』
『お前は剣の先にある殺傷の事実に怯えている。自分が殺すか、殺されるかの世界だ。それを怖がる奴に才能はない』
『私を殺す気で剣を振るえ。でないと、いつまでたっても私は片手のままだ』
こうして対面して知った。
時が経ち僕が成長して、すっかり父上と目線の高さが同じになっていた。
「うおおおおおおおおおお!」
硬質な音と共に、僕の剣が父上の強固な黒鎧を貫き、その奥にある肋骨を確かに砕いた。
『……ゥ、オォ……ッ!!』
父上の眼窩で赤く燃える瘴気が、激しく明滅する。
初めて受けた明確なダメージ。圧倒的な質量を持った父上の身体が、よろめくように後方へ数歩たたらを踏んだ。
剣を構え直し、荒い息を吐きながら父上を睨みつける。
父上の動きが、ピタリと止まっていた。
うつろな眼光が、微動だにせず僕を真っ直ぐに射抜いている。
そして。 ゆっくりと、本当にゆっくりと。
父上は背中に回していた左手を解き、大剣の柄に、その骨ばった指を添えた。
――両手持ちの構え。
広間の空気が、一段階重く沈み込んだ。




