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001 【プロローグ】

 挿絵(By みてみん)この世界には、人間には見えないものがいる。


 幽霊ではない。


 妖怪でもない。


 神でもない。


 もっと身近で。


 もっとありふれていて。


 けれど、ほとんどの人間が、その存在に気付くことのないもの。


 ――精霊。


 火が燃えれば、火の精霊が集まる。


 川が流れれば、水の精霊が集まる。


 風が吹けば、風の精霊が舞う。


 土や岩があれば、土の精霊がそこに宿る。


 光の中にも。


 闇の中にも。


 世界を構成するあらゆるものの傍らに、精霊は存在している。


 彼らは、人間のように言葉を話さない。


 人間のような感情を見せることもない。


 何かを望むことも。


 誰かに命令されて動くこともない。


 ただ、そこにいる。


 自然現象が生まれれば、精霊が集まる。


 炎が燃えれば、炎と共に在る。


 水が流れれば、水と共に在る。


 風が吹けば、風と共に在る。


 それが、この世界における精霊だった。


 そして――


 ごく一部の人間だけが、その姿を見ることができる。


 ――見鬼の才。


 それは、世界の裏側を見るための力。


 その力を持つ者の中には、精霊と適合し、その力を引き出す者もいる。


 人々は彼らを――


 精霊使い。


 そう呼んでいた。


 もっとも。


 精霊の存在を知っている者が、この世界のすべてではない。


 スマートフォンを片手に歩く人々。


 駅へ向かう人々。


 学校へ通う子供たち。


 会社へ向かう大人たち。


 笑い。


 泣き。


 恋をし。


 誰かと食事をする。


 そんな、ごく普通の日常。


 そのすぐ隣に――


 精霊たちの世界は存在している。


 そして、その世界には。


 古くから精霊と共に生き、強大な精霊使いを輩出してきた家々があった。


 ――精霊血統の名家。


 その中でも、とりわけ有名な二つの家がある。


 一つは――


 神代家。


 世界でも五指に入るほどの、火の精霊使いの名門。


 代々、強大な炎術師を輩出してきた家系であり、その象徴として、一体の守護精霊を受け継いでいる。


 その名は――


 鳳凰。


 炎を纏う、不死の霊鳥。


 神代家の血と共に受け継がれてきた、特別な守護精霊だった。


 そして、もう一つ。


 神代家とは、まったく異なる性質を持つ家がある。


 ――天城家。


 天城家の血を引く者が、どの精霊に選ばれるのか。


 それは、誰にも分からない。


 火かもしれない。


 水かもしれない。


 風かもしれない。


 土かもしれない。


 光かもしれない。


 ――闇かもしれない。


 血筋によって属性が決まるわけではない。


 それでも。


 天城家に生まれた者は、例外なく一流の精霊使いへと成長する。


 そして天城家には、もう一つの大きな特徴があった。


 ――一人につき、一体。


 精霊から派生した眷属。


 契約者を守護する存在――守護精霊。


 天城家の守護精霊は、例外なく竜の姿をしている。


 火に選ばれた者には、火竜。


 水に選ばれた者には、水竜。


 風なら風竜。


 土なら地竜。


 光なら光竜。


 そして――闇なら、闇竜。


 異なる属性。


 異なる力。


 異なる生き方。


 それでも二つの家は、同じ国で、長い年月を生きてきた。


 神代家。


 天城家。


 精霊使いの世界で、その名を知らない者はいない。


 ――そして。


 これは、そんな二つの家に生まれた二人の少年少女が。


 まだ自分たちの運命を何も知らなかった頃の物語である。


 ◇ ◇ ◇


「……つまらない」


 少年は、壁際に立ったまま小さく呟いた。


 天城啓太。


 小学四年生。


 今日の彼は、両親に連れられて、とあるホテルで開かれているパーティーに参加していた。


 広い会場。


 高い天井。


 豪華なシャンデリア。


 テーブルには、大人向けの料理が並んでいる。


 周囲には、見慣れない大人たちが大勢いた。


 黒いスーツを着た男性。


 華やかなドレスを纏った女性。


 その誰もが、難しい話をしている。


「先日の魔力測定の結果ですが――」


「次期当主の件については――」


「精霊庁との関係を考えれば――」


「いや、あの家は昔から――」


 啓太には、ほとんど意味が分からない。


 父親も母親も、知り合いを見つけるたびに挨拶をしている。


 そのたびに、


「啓太くん、ちゃんと挨拶しなさい」


 と母親に言われる。


「分かっています……」


 返事だけはする。


 けれど。


 やっぱり、つまらない。


 会場を見回しても、子供はほとんどいない。


 いたとしても、大人しく親の隣に座っている。


 走り回れる場所もない。


 遊べるものもない。


 だから啓太は、少しでも大人たちから離れるように壁際へ避難していた。


 そして――


 ふと。


 視界の隅で、何かが揺れた。


「……?」


 啓太が顔を上げる。


 シャンデリア。


 その周囲を、小さな光の粒が漂っていた。


 赤い。


 淡い赤色の光。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 数え切れないほどの小さな光が、宙をくるくると舞っている。


 まるで、楽しそうに踊っているようだった。


 ――火の精霊。


 会場を照らす照明の熱に引かれ、集まってきたのだ。


 誰も気付いていない。


 いや、彼らにとって、それが当たり前。


 大人たちは談笑を続けている。


 誰一人として、宙を舞う小さな存在に目を向けない。


 啓太だけが、それを見ていた。


「……暇そうだな」


 思わず呟く。


 すると。


 火の精霊が、啓太の目の前まで飛んできた。


「お?」


 啓太が顔を近づける。


 精霊は逃げない。


 むしろ、啓太の周囲をくるくると回る。


「お前も退屈なのか?」


 もちろん、返事はない。


 それでも啓太は、少しだけ笑った。


 ――そのときだった。


「あの……」


「え?」


 突然、背後から声がした。


 啓太が振り返る。


 そこに、一人の少女が立っていた。


 自分よりも小さい。


 小学一年生くらいだろうか。


 綺麗な服を着ている。


 けれど、その表情にはどこか不安そうな色があった。


 少女は何度か会場を振り返り、それから啓太を見る。


「あの……」


 少しだけ迷ってから。


「ここにいても、いい?」


「……別にいいけど」


「ありがとう」


 少女は、ほっとしたように笑った。


 その笑顔を見た瞬間。


 啓太は思った。


 ――この子も、ここが嫌なんだ。


「君もこういうの、嫌い?」


「うん」


 少女は素直に頷いた。


「大人ばっかりだし……」


「だよな」


「みんな難しい話してる」


「何言ってるか分かんない」


「……うん」


 二人は顔を見合わせる。


 そして。


 どちらからともなく、少し笑った。


「私、こういうところ初めてなの」


「俺も何回か来たけど、毎回つまらない」


「そうなんだ」


「うん」


 少女は少しだけ嬉しそうに笑った。


「じゃあ……一緒だね」


「一緒?」


「うん。退屈なの」


「ああ」


 啓太も頷いた。


「じゃあ、一緒だな」


 ほんの些細な会話だった。


 けれど。


 それが――二人の始まりだった。


 しばらくすると、二人の両親が互いに気付いた。


「あら、天城さん」


「神代さん。お久しぶりです」


 大人たちが挨拶を交わす。


 その瞬間だった。


 啓太の周囲を漂っていた火の精霊が――


 一斉に動いた。


「……え?」


 赤い光が、少女の方へ集まっていく。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 まるで何かに引き寄せられるように。


 少女の周囲を、無数の火の精霊が取り囲んだ。


 少女も目を見開く。


「……あ」


 啓太を見る。


「啓太くん……」


「ん?」


「これ……見える?」


「……うん」


 啓太が答える。


 少女は、嬉しそうに笑った。


「よかった……」


「何が?」


「私、見鬼の才があるって言われてるけど……」


 少女は赤い光を見つめる。


「こうやって、同じものを見てる人に会ったの、家族以外で初めて」


「そうなの?」


「うん」


 啓太には、それが特別なことなのかどうか分からなかった。


 けれど。


 少女が嬉しそうにしている。


 それだけで、なんとなく自分も嬉しくなった。


「ねえ」


「ん?」


「啓太くんって、またここに来る?」


「たぶん」


「じゃあ……」


 少女は少しだけ恥ずかしそうに言った。


「今度、一緒に遊ばない?」


 啓太は一瞬だけ考え――


「いいよ」


 即答した。


「本当?」


「うん」


「じゃあ……約束ね」


「約束」


 二人は、小さな指を絡めた。


 その瞬間。


 少女の周囲を漂っていた火の精霊が、ふわりと舞い上がった。


 まるで。


 その約束を祝福するかのように。


 少女の名前は――


 神代恵那。


 後に、神代家を背負うことになる少女。


 そして少年の名は――


 天城啓太。


 やがて、天城家の歴史にその名を刻む少年。


 しかし。


 このときの二人は、そんな未来など知る由もなかった。


 ただ。


 退屈なパーティーで出会った。


 精霊が見える。


 それだけの共通点を持った、二人の子供だった。


 この出会いが。


 後にどれほど大きな意味を持つことになるのか。


 まだ誰も知らない。


 神代家と天城家。


 二つの名家。


 炎の鳳凰と、竜の守護精霊。


 そして――


 まだ人類が知ることのない、精霊という存在の本当の意味。


 そのすべてが交わることになる。


 天城啓太と神代恵那。


 二人がまだ何も知らなかった頃から始まる物語。


 そして。


 世界の運命を大きく変えることになる――


 最初の出会いの物語である。

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