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第1話 処刑された優しい令嬢

「悪女め」

「妹君を殺そうとした女だろう」

「王子殺し!」

「盗人」

「ベルクレール家の恥さらし」


 石のような罵声が、王都の広場に降り注いでいた。


 そのすべてを浴びているのは、私、レティシア・ベルクレール。十八歳。

 ベルクレール侯爵家の長女であり、今日、処刑される女だった。


 罪状は三つ。


 異母妹ミレーヌへの毒殺未遂。

 母の遺産相続証書の偽造。

 そして、レオンハルト王弟殿下を死に追いやった、王族護送契約の改竄。


 けれど、私はそのどれもやっていない。


 妹に毒など盛っていない。

 母の遺産を盗もうとしたこともない。

 ましてや、王弟殿下には会ったことすらなかった。


 それなのに私は、白いドレスを着せられて、処刑台へ続く階段の前に立たされている。


 膝が震えていた。

 兵に腕を引かれなければ、きっとその場で崩れ落ちていたと思う。


 怖かった。


 死ぬのが怖い。

 刃が怖い。

 広場を埋め尽くす人々の目が怖い。


 そして何より、自分がなぜここに立たされているのか、最後まで分からないことが怖かった。


 王都の広場には、人が集まりすぎていた。

 石畳の端まで黒い頭が埋まり、二階の窓にも、尖塔の回廊にも、誰かの顔がある。


 誰もが私を見ていた。

 悪女を見る目で。

 罪人を見る目で。

 これから死ぬ女を見る目で。


「早く殺せ!」


 どこかから、低く下卑た男の声が飛んだ。


「売女が白なんて似合わない色を着やがって!」


 胸の奥が、ひゅっと縮む。


 この白いドレスを選んだのは、私ではない。

 継母だった。


「最後くらい、清らかに見えるものを着なさい」


 清らかで、優しくて、異母妹思いの令嬢。

 それが、私に与えられた役割だった。


 母の部屋に入りたいと言っても、まだ早いと微笑まれた。

 家のことを尋ねても、余計な心配はするなと父に遮られた。

 異母妹のミレーヌに大切なものを欲しがられても、私は譲った。


 言えば、家族を困らせる。

 疑えば、優しくない娘になる。


 そう思って、私はずっと黙ってきた。


 だから、あの日もそうだった。


 晩餐の席でミレーヌが苦しみ出した時、私は疑うより先に薬箱を開けた。

 そこに、毒の小瓶が入っていた。


 私の部屋にあるはずの薬箱に。

 私しか鍵を持っていないはずの薬箱に。


 それが、毒殺未遂の証拠にされた。


 母の遺産相続証書には、私の署名があった。

 もちろん、書いた覚えはない。


 王族護送契約に至っては、意味すら分からなかった。


 レオンハルト王弟殿下。

 冷酷王子と呼ばれている、その方に、私は会ったことすらない。


 なのに、どうして私が殺したことになっているの。


 処刑台へ続く階段の前で、兵が一度だけ足を止めた。


 最後の別れのためだった。


 父がいた。

 継母がいた。

 異母妹のミレーヌは両手で顔を覆い、さめざめと泣いていた。

 元婚約者のオスカーは、その妹の肩を抱いている。


 私は父を見た。


 けれど父は、私を見なかった。


「お姉さま」


 ミレーヌが近づいてきた。


 淡い桃色のドレス。

 涙に濡れた睫毛。

 震える唇。


 誰が見ても、姉に殺されかけた哀れな妹だった。


「どうして、こんなことに……」


 ミレーヌは泣きながら私に縋りついた。

 その細い腕が、白いドレスの上から私を抱きしめる。


 私は思わず、その肩に触れそうになった。

 まだ、この子を心配していた。


「ミレーヌ……私は、本当にあなたを殺そうとしてなど……」


 けれど、妹は私の耳元に唇を寄せた。


「最後まで、お優しい間抜けね」


 呼吸が止まった。


 その声に、涙はなかった。


「あなたが毒を盛っていないことくらい、知っているわ」


 血の気が引いていく。


「だって私は、毒を飲んだふりをしただけだもの」


 ミレーヌの指先が、私の白いドレスの胸元をそっと整えた。


「本当に、便利なお姉さま」


 遠くから見れば、姉との別れを惜しむ妹にしか見えなかった。


 けれど私は、その時初めて、妹の涙が冷たいものだと知った。


 兵に促され、処刑台へ上がる。

 広場のざわめきが戻ってくる。


 石段を踏むたびに、白いドレスの裾が揺れた。


 裁判官が、高台の上で巻物を開く。


「レティシア・ベルクレール」


 重々しい声が響いた。


「汝は、王族護送契約を悪用し、レオンハルト王弟殿下を暗殺に至らしめた。母君の遺産相続証書を偽造し、ベルクレール家の財産を横領した。ならびに令嬢ミレーヌへの毒殺未遂により、斬首に処す」


 私は、裁判官の持つ巻物を見た。


 その瞬間、右目が焼けるように熱くなった。


 母譲りの力。


 契約に刻まれた嘘を見抜く、ベルクレール家の異能。

 《真約の瞳》。


 ずっと封じていたその力が、死の間際に目を覚ました。


 金色の光が、視界を覆う。

 見えたのは、その巻物に残された、過去の記憶だった。


 私の署名だけが残された契約書。

 法服を着た男が綴じ糸をほどき、本文だけを差し替える。

 父の手が、印章を押す。

 継母が、黙って微笑む。

 ミレーヌが、楽しそうにそれを見ている。

 オスカーのペンが、証人欄に滑り込む。


 全部、見えた。


 この瞳を、私はずっと封じていた。


 怖かったからだ。

 見れば、信じていたものが壊れる。


 だから見なかった。

 見ないことで、壊れずにいられると思っていた。


 それが間違いだったと、今ようやく分かった。


 首が落ちる、この瞬間に。


 最初からこの力を使っていれば。


 父の嘘も。

 継母の笑みも。

 異母妹の涙も。

 婚約者の沈黙も。


 全部、見抜けたはずなのに。


 処刑人が近づく。

 大きな斧の刃が、冬の光を受けて鈍く光った。


 私は、広場を見下ろした。


 私を悪女に仕立てた者たちが、そこにいる。


 喉の奥が、焼けるように熱くなった。

 涙は一滴も出ないのに、口の端だけが勝手に上がる。


「あはっ……」


 喉の奥から、変な声が漏れた。

 自分でも驚くほど、乾いた笑いだった。


「あはははは」


 処刑台の上に、私の笑い声が響いた。


 群衆のざわめきが、すっと引いていく。


 父が顔を上げた。

 継母の唇が強張った。

 オスカーが、ミレーヌの肩を抱く手に力を込める。


 そして、ミレーヌの顔から笑みが消えた。


 私は、まだ笑っている。


 涙は出ない。

 恐怖も、もう消えていた。


 残っていたのは、熱いほど冷たい怒りだけだった。


「そう」


 私は笑ったまま、妹を見た。


「私は、優しい間抜けだったのね」


 ミレーヌが、初めて一歩だけ後ずさった。


「よかったわね、ミレーヌ」


 私の声は、笑っているのに震えていなかった。


「あなたたちが殺したかった優しいお姉さまは、ここで死ぬ」


 戻りたい。


 胸の奥で、声にならない願いが燃え上がった。


 もう一度だけ。


 もし、戻れるなら。

 今度は目を逸らさない。

 この瞳で、全部見る。


 私の名前を奪った者たちを、ひとり残らず暴いてみせる。


 父も。

 継母も。

 ミレーヌも。

 オスカーも。


 私を笑い、私を騙し、私を処刑台へ送ったすべての人間を。


 今度こそ、許さない。


 刃が振り下ろされた。


 首の痛みより先に、世界が傾いた。


 空がずれた。

 広場の石畳が近づいた。

 誰かの悲鳴が、水の底から聞こえるみたいに歪んだ。


 身体から離れた私の首が最後に見たのは、白いドレスだった。


 倒れた身体の裾が、ゆっくりと血を吸っていく。


 白が、赤くなる。


 清らかでいろと押しつけられた色が、私の血で染まっていく。


 それが、一度目の人生で私が見た、最後の景色だった。


***


 次に目を開けた時、いつもと同じ紅茶の香りがした。


 柔らかな朝の光。

 見慣れた天蓋。

 まだ処刑台へ送られる前の、ベルクレール侯爵家の自室。


 右目が、じわりと熱い。


 私はゆっくりと起き上がり、鏡の中の自分を見た。


 白い寝間着。

 まだ傷のない首。

 そして、金色に揺れる右目。


「……そう」


 唇が、自然に笑みの形を作った。


 優しいレティシア・ベルクレールは死んだ。

 白いドレスを血で染めて、処刑台の上で死んだ。


 ならば、ここにいる私はもう、あの子ではない。


「さあ、やり直しましょう」


 私は鏡の中の自分に囁いた。


「今度は私が、あなたたちを殺す番よ」

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