第132話 異常なる日常と、公国を支える名もなき英雄たち
第132話 異常なる日常と、公国を支える名もなき英雄たち
辺境の街アシュタルの東、小高い丘に広がる特級クラン『絆紋亭』の拠点であり、『絆紋公国』の中心地であるこの場所は、世界を二度も滅亡の危機から救ったという歴史的偉業を成し遂げた後も、いつもと変わらぬ穏やかで調和に満ちた朝を迎えていた。
庭の中央にそびえ立つ巨大な精霊樹は、深淵の虚無や魔王の怨念を完全に浄化した極上の光をたっぷりと吸収し、もはや一つの大森林と見紛うほどの神樹へと成長を遂げている。その豊かに茂ったエメラルドグリーンの枝葉が朝の心地よい風に揺れるたび、チリン、チリンと微かな鈴の音のような魔力の波紋が広がり、拠点全体を極上の癒やしのオーラで包み込んでいた。
「ウォンッ!」
「キュイッ!」
「きゅるるーっ!」
澄み切った青空の下、縁側で朝の空気を胸いっぱいに吸い込んでいる俺の足元へ、一番最初に俺の固有スキルである『絆紋』を受け入れ、共に歩み始めた最古参の相棒たち――銀色のウルフ『フェル』、純白のポーションラビット『ピコ』、そして空色小竜の『ソラ』が競い合うように飛び込んできた。
彼らの後に続くように、水豹のリン、幻宝石獣のキラ、白銀の幼熊ブラン、空間転移を操る銀狐のギン、鋼棘の鎧獣マル、疾風の隼ゲイル、影猫のシャロ、水妖の獺ミロ、風精のリスのルル、土精の土竜ドロ、星翼の梟ステラ、幻影の蝶ファル、雲羊のモフ、木精の栗鼠コノ、鎌鼬のタマ、鋼殻の戦亀カメ、雷雲の幼鳥ライたちが一斉に集まってくる。
さらに極北の遠征や各地の迷宮で家族となった数え切れないほどの魔物たち。次元を司る星天の神狼シリウスや、時空の鯨クジラ、次元の螳螂カマ、星喰いのバク、星の精霊であるルミ、コア、ジュジュ。虚無の暴食者から浄化され生まれ変わった虚空の精霊ゼロ、時空猫のチク、星屑の幼竜アストラ。
そして連日の日課である救済活動や探索で新たに仲間となった琥珀の狐コハク、翠玉の螳螂ジェイド、紫水晶の蝶アメ、鋼角の猛牛バフォ、晶翼の蜻蛉トン、地揺らしの穴熊アナ、癒水の精霊シズク、土塊の猪ブブ、豊穣の案山子ワラ、蜜の妖精蜂ハチ、水水晶の亀スイショウ、蜃気楼の狐キロ、オアシスの蓮妖精ハス、幻聴鳥のルリ。
さらには、残党狩りや旧魔王城での決戦を経て家族となった聖騎士の霊鎧レイ、鎮魔の石獣ガルド、導きの聖犬ルプス。蒼炎の霊虎ヒエン、地熱の霊亀マグ、氷晶の霊鷹ヒョウ、恩寵の灰精霊ハイ、浄土の白鹿シロ、光輪の白梟リン、聖泉の水精ウル。記録の妖精メモ、記憶の水晶亀カメオ、伝承の白鳩クルックたちも、すっかり拠点に馴染み、わらわらと俺の周囲に集まり、心地よさそうに喉を鳴らしている。
「おはよう、みんな。今日も元気いっぱいだな」
俺が彼らの頭を順番に優しく撫でると、魔物たちは心底嬉しそうに目を細め、尻尾を振って応えた。庭の奥では、漆黒の竜ノヴァや紅蓮の火蜥蜴ガエン、鋼角の犀ザイン、岩砕の巨獣ダグ、砂塵の魔蠍ゼットといった大型組も、朝の日差しを浴びて気持ちよさそうに背伸びをしている。平和な空気が、この庭には満ち溢れていた。
「レイン様、朝食の準備が整いましたよ!」
厨房から、見習い魔導士のエリスと元宮廷料理人のセシルが、賑やかな声を上げた。
ダイニングルームの巨大なテーブルには、特製の魔力小麦で作った『焼きたてのベーコンエッグトースト』に、農学者セリーヌが育てた新鮮なアスパラガスを使った『濃厚クリームスープ』、そして砂漠の巫女ナディアが持参したスパイスで味付けされた『極上オーク肉のハーブソテー』が並べられている。
「ガハハ! 今日も飯が美味いねぇ! 魔王の怨念も消え去ったし、平和ボケしないように、今日は訓練生どもを徹底的にしごいてやるとするよ!」
女戦士のアイラが、トーストを豪快に頬張りながら大笑いする。
「ええ。最近は実戦の機会も減りつつありますから、基礎魔法の反復演習は必須ですわ。私が直接、極大魔法の制御を叩き込んであげましょう」
少女魔導士のルウも、優雅にスープを飲みながら冷たげな笑みを浮かべた。
「我が剣術の型も、新たな段階へと進む時期です。彼らには限界を超えてもらいます」
剣聖シルヴィアが静かに紅茶のカップを置いた。
訓練生たちの異常な日常
朝食後、アシュタル辺境国の軍事教練所。
そこでは、他国から見れば完全に「狂っている」としか思えない光景が、当たり前の日常として繰り広げられていた。
「よし! 第一小隊、ノヴァのブレスを相殺しろ! 防壁が破れたら丸焦げだぞ!」
「第二小隊はガエンとダグの突進を止めろ! 足腰の踏ん張りが足りない!」
槍使いのクロードと重騎士のガレスが、訓練生たちに激を飛ばす。
「ブルゥゥゥゥッ!!」
漆黒の竜ノヴァが手加減しつつも容赦のない火炎の息を吐き出し、訓練生たちが十数人がかりで展開した魔法障壁がギリギリでそれを受け止める。
隣のグラウンドでは、紅蓮の火蜥蜴ガエンと岩砕の巨獣ダグが、まるで戯れるようなステップで地響きを立てながら訓練生たちを追い回していた。
「ひぃぃっ! ダグさんの突進、重すぎますってば!」
「文句を言うな! アイラ教官の斧に比べれば、まだ優しい方だ!」
若い訓練生たちが泥だらけになりながら、必死に回避と防御の連携を行っている。
そこへ、Sランク教官であるアイラが巨大な戦斧を肩に担いで現れた。
「ガハハハ! お前ら、動きが鈍いよ! そんなんじゃ、その辺の通常ダンジョンのスライムにすら足元をすくわれるよ! ほら、アタシの『旋風大車輪』を三十秒間凌いでみな!」
「い、アイラ教官!? ちょっと待って、それは殺意が高すぎ――ぎゃあああっ!」
凄まじい竜巻が巻き起こり、訓練生たちが次々と空高く巻き上げられていく。
しかし、彼らが地面に激突する寸前で、ピコが目にも留まらぬ速さで跳躍し、空中で彼らをキャッチしては、柔らかな着地へと導いている。さらに、水妖の獺ミロや風精のリスのルルたちが、すかさず回復魔法や支援魔法をかけて彼らを前線へと復帰させる。
「素晴らしい連携ですわ。では、次は私の『超新星爆発』の余波を、自分たちの魔力で相殺する訓練です。詠唱は十秒。遅れれば灰になりますよ」
ルウが炎の杖を掲げると、上空に擬似的な太陽が生まれ、圧倒的な熱線が訓練場を焼き尽くそうとする。
「急げ! 水魔法と氷魔法で相殺だ!」
訓練生たちが半泣きになりながら、全力で魔力を絞り出す。
これが、アシュタルにおける「普通の朝練」である。
特級クランのマスターであり、世界最強のSランク冒険者たちと、規格外の力を持つ魔物たちに囲まれて毎日しごかれている訓練生たちは、本人たちの自覚がないまま、すでに他国の近衛騎士団を単機で圧倒できるほどの異常なレベルへと達していた。
彼らは魔物との共存を当たり前とし、神話クラスの魔物と肩を並べて戦うための術を、文字通り体で覚え込まされているのだ。
隠密部隊の異常な情報収集能力
一方、領主の館の執務室。
俺は山積みの決裁書類に目を通しながら、特級密偵のシオンと、新人獣人のミャオからの報告を受けていた。
「レイン様。現在、世界の魔力脈は完全に安定しておりますが、それに乗じて旧体制の残飯を漁ろうとする小悪党どもの動きが活発化しています」
シオンが、手元の分厚いリストをパラパラとめくる。
「西方第三大陸のバラック男爵が、難民への支援物資を横領し、闇市で三倍の価格で売却しようとしています。また、南方列島の商会が、違法な魔力吸い出し装置を密輸しようとしているのを検知しました」
「……相変わらず、平和になっても小ずるい連中はいなくならないな。しかし、よくそんな世界の裏側の細かい悪事まで把握できるな」
俺が感心して尋ねると、ミャオが自慢の犬耳をピコピコと動かしながら胸を張った。
「ふふん! 私の聴力と、ルリちゃんの幻聴魔法、それに世界中に散らばっている隠密部隊のネットワークを組み合わせれば、この星で起きていることの九割は筒抜けなんですよ!」
ミャオの肩に留まった幻聴鳥のルリが、「チチチッ」と鳴きながら、バラック男爵が密談している音声を空中にホログラムのように再生してみせた。
『ククク……アシュタルの連中は旧魔王城の浄化で忙しいはずだ。今のうちにこの支援物資を売り捌けば、大儲け間違いなしだぞ!』
「……見事にフラグを立ててくれているな」
俺が苦笑すると、シオンが冷酷な笑みを浮かべた。
「ええ。すでに彼らの全財産の隠し場所、共犯者のリスト、そして闇市の取引現場の座標は特定済みです。バラック男爵の寝室のベッドの下に隠してある裏帳簿のページ数まで把握しております」
アシュタルの隠密部隊の情報収集能力は、もはや恐怖すら覚えるレベルに達していた。物理的な潜入だけでなく、魔物たちの特殊能力(風の精霊による音の伝達や、影の梟シャドウによる夜間監視など)を駆使することで、世界中のどんな密室の会話すらも彼らの耳から逃れることはできないのだ。
「よし。リストに挙がっている悪党どもは、魔境鎮圧部隊の各小隊に情報を回して、今日中に全員捕縛しろ。容赦は要らない」
「かしこまりました。一網打尽にしてご覧に入れます」
シオンが影のように一礼し、姿を消した。
縁の下の力持ちと、新たな開拓地
戦闘部隊や隠密部隊が華々しく(あるいは恐ろしいほどに)活躍する一方で、絆紋公国の真の強さを支えているのは、彼らのような戦闘職ではない。
世界中から集まった、開拓や内政を担う「縁の下の力持ち」たちだ。
午後、俺は視察のために、アシュタルの南方に広がる新たな開拓予定地へと足を運んでいた。
そこでは、凄まじい活気と熱気の中で、新しい街の基盤作りが進められていた。
「そこの岩盤、もう少し削れますか!? バランさん、基礎の設計図通りに地盤を固めてください!」
建築技師のバランが図面を広げ、声を張り上げている。
「任せておけ! ダグ! ゼット! あの丘を平らにしてくれ!」
「グルォォッ!」「キシャァァッ!」
岩砕の巨獣ダグと砂塵の魔蠍ゼットが、まるで重機のように大地を削り、あっという間に巨大な平地を作り出していく。
「セリーヌ先生! 土壌の魔力濃度の調整、終わりました!」
植物学者となったレオニス伯爵と助手のマヤが、農学者セリーヌと共に、不毛だった土地に魔法の肥料を撒いている。そこへ、豊穣の粘菌ネンや癒しの聖蔓ツルたちが協力し、わずか数時間で豊かな黒土の農地が完成していく。
「素晴らしいわ! これで明日には、魔力小麦の種を蒔けるわね!」
セリーヌが額の汗を拭いながら満面の笑みを浮かべる。
「クロムさん! 水路の魔導ポンプの出力、少し上げすぎじゃないですか!?」
「いやいや、これくらいじゃないと街全体に水が行き渡らないんだよ! レオ君、そっちの魔力回路の接続を頼む!」
魔導技師のクロムと、西方の要塞から救出された若き技師レオが、巨大な浄水設備の立ち上げを行っていた。
彼らは戦闘ではアイラやルウには敵わない。だが、荒れ果てた土地を人が住める豊かな街へと変えるその技術と情熱は、間違いなくこの公国の最大の武器だった。
魔物たちと人間が、互いの得意分野を活かしてインフラを爆速で整えていく光景は、見ていて実に清々しい。
新たな出会いと、名もなき英雄
視察を続けていると、開拓地のさらに南、水源を確保するための河川の近くで、何やらトラブルが起きているようだった。
「だーっ! だから、そこの地盤は緩いから重機魔物を入れちゃダメだって言ったのに!」
泥だらけの作業着を着た若い人間の女性が、頭を抱えて叫んでいる。彼女の手には、精密な測量器具と分厚いノートが握られていた。
彼女の目の前では、河川の護岸工事を行っていた場所が小さな崖崩れを起こし、水流がせき止められそうになっていた。
「どうした? 怪我はないか?」
俺がフェルやピコを連れて駆け寄ると、女性は驚いて振り返った。
「あ、レイン公王様!? す、すみません、私が測量を見誤ったわけじゃないんです! ここは地下水脈の影響で地盤が特別脆くて……」
「落ち着いて。君は?」
「私は『カレン』。フリーの測量士兼、水路設計士です。アシュタルの噂を聞いて、新しい街づくりに参加したくて数日前にやってきたんです」
カレンが申し訳なさそうにノートを抱える。
「なんとか土砂を取り除いて護岸を固め直さないと、せっかくの農地予定地に水が溢れちゃいます……でも、私の力じゃ……」
「大丈夫だ。俺たちに任せておけ」
俺が声をかけると、フェルが雷の力で崩れ落ちてくる岩を砕き、ピコが蹴りで土砂を川下へと弾き飛ばした。
だが、根本的な地盤の緩みは解決していない。
「ピィィ……」
「ゲコォ……」
「キュルル……」
その時、崩れた土砂の奥、木の根が入り組んだ空洞の中から、泥にまみれて怪我をした三匹の小さな魔物が這い出してきた。
崖崩れに巻き込まれ、住処を失った野生の魔物たちらしい。
一匹は、泥を器用に固めて壁を作る能力を持つ、大きな前歯の海狸――『泥堀りの海狸』。
一匹は、体内に大量の水を蓄え、浄化して吐き出すことができる丸っこいカエル――『水袋の蛙』。
最後の一匹は、鋭い爪で岩盤を削り、地盤をガチガチに踏み固めることができるモグラ――『硬石の土竜』。
「この子たち……崖崩れに巻き込まれちゃったんだわ」
カレンが痛ましそうに呟く。
「よく頑張ったな。もう大丈夫だ」
俺はゆっくりとしゃがみ込み、右手の甲の『絆紋』の光を灯して、そっと彼らの体に手をかざした。
翠色の温かな波紋が、三匹の魔物の傷ついた体を優しく包み込む。
『万物の調和と極限浄化』の力が、彼らの傷を癒やし、恐怖を取り除いていく。
(……あたたかい。お前が、私たちを助けてくれたのか?)
泥堀りの海狸から、土の匂いのする穏やかな思念が伝わってくる。
「ああ。俺はレイン。お前たちの住処を壊してしまって悪かったな」
俺が微笑みながら海狸の頭を撫でると、彼は嬉しそうに喉を鳴らした。水袋の蛙もピョコンと俺の膝に飛び乗り、硬石の土竜は俺の手にすり寄ってくる。
「ウォンッ♪」「キュイッ♪」「きゅるるーっ♪」
フェルやピコたちも近寄り、新しい仲間を優しく迎え入れる。
「もしよかったら、俺たちの家族にならないか? うちには、お前たちの力を必要としている人たちがたくさんいる。お前たちのその泥を操る力や、地盤を固める力があれば、この水路を完璧に直すことができるはずだ」
俺の誘いに、三匹の魔物は大きく頷いた。
「よし。海狸のお前は『マド』だ。蛙は『ゲコ』。土竜は『モグ』だ。今日からよろしくな、みんな!」
「ピィッ♪」
「ゲコッ♪」
「キュルッ♪」
新たなる家族、マド、ゲコ、モグを迎え入れた俺は、カレンに向き直った。
「カレン。君の測量の知識と、この子たちの力を合わせれば、この地盤の緩みも解決できるんじゃないか?」
「はいっ! この子たちの能力があれば、絶対に完璧な水路と護岸を作ってみせます!」
カレンの指示のもと、マドが泥を練って強固な防壁を作り、モグが地盤をガチガチに踏み固め、ゲコが溢れた水を浄化して川へと戻していく。
あっという間に崖崩れは修復され、以前よりも遥かに頑丈で美しい水路が完成した。
「すごい……! 魔物たちと協力すれば、こんなことまでできるなんて!」
カレンが目を輝かせて歓喜の声を上げる。
「カレン。君の実力は本物だ。アシュタルの専属測量士として、俺たちの仲間になってくれないか? バランやクロムたちも、君の緻密な計算能力を必要としているはずだ」
「本当ですか!? はいっ! 私でよければ、精一杯働かせていただきます!」
こうして、凄腕の測量士カレンという内政の要が、新たな人間の仲間として陣営に加わったのである。
前線で戦う強者たちだけが英雄ではない。
狂ったような訓練を積む若者たち、世界中の闇を暴く隠密部隊、そして泥にまみれて街を作る開拓者たち。その全てが、絆紋公国を支えるかけがえのない歯車なのだ。
今日新しく加わったカレンや、マド、ゲコ、モグたちと共に。
俺たちの絆の輪は、日々の名もなき英雄たちの営みの中で、どこまでも大きく、そして豊かに広がっていくのであった。
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