25.隠世の贄―4
「愛ちゃん!?」
知らず、俺は叫んでいた。
今し方、そこから降りてきたばかりのタラップに駆け寄っていた。
飛行服の重さも何も関係ない。
邪魔なヘルメットをもぎ取るようにして外し、床へ投げ捨てると上へ上へとタラップを駆け上がった。
手を伸ばす。
届かなかった。
俺がコクピット脇の高さにまで登った時には、愛ちゃんはもっと高くに吊り上げられ、クレーンのアームが横方向に回転し、部屋のどこか遠くへと運んでいってしまった。
「愛ちゃん!」
何度もその名を叫んだけれども何もできない。
愛ちゃんの姿はギラつく照明の光のなかに呑み込まれ、一時的に視力をうしなった俺はその場にただただ立ちすくんでいるしかなかった。
(何故……?)
(どうして?)
どれくらい時間がたったのか……、
我にかえってタラップを降り、ヘルメットを拾ってロッカールームに移動する。
飛行服を脱いでデブリーフィングがおこなわれる第三会議室へ。
それらすべての動作は完全に自動的、機械的に処理され、言ってしまえば夢遊状態で実行された。
俺の意識を占めていたのは、だから、
(何故……?)
(どうして?)
こうした疑問だけ。
(何故、愛ちゃんが……?)
(どうして同乗していた?)
これだけだった。
その大部分において、偵察機というのは複座――ふたり乗りだ。
偵察任務を主導する、機体の主人――偵察員と、
その指示に従い機体をあやつる家来――操縦士、
つい先日、はしなくもクロベエが言った通りに、オーナーと雇われ運転手――ショーファードリブンなクルマの関係だと言える。
司令部偵察機の次世代研究機である俺の一〇〇式がそうだし、ベース機である一〇〇式はもちろん、そう。
我が国だけでなく、およそ他国開発の同種機体もそうなっている。
それだからこそ、クロベエの奴は年齢も階級も家来よりも下な愛ちゃんがRSOなことを疑問視したのだ。
つまり、
おそらく、だが、次世代型の司令部偵察機を開発するにあたって、そのテストパイロットは別に俺でなくても構わない。
だが、RSOは愛ちゃんでなければならない――工程を進めるためには愛ちゃんの関与が絶対的に必要なのだと推測できる。
だからこそ、俺よりも年齢、階級ともに下な愛ちゃんが、試作機どころか、そのはるか以前の叩き台な機体の段階からRSOの役割を与えられているのに違いない――そう思えた。
もちろん、そうなるに至った事情、また、経緯についてはわからない。
ただ、俺が見聞きし、実体験をかさねつつある開発の流れや、なにより今、目の当たりにした愛ちゃんの様子からしてそれが真っ当なものである気はしない。
そもそも、今日のフライトシミュレーションにおいて、俺は愛ちゃんがシミュレーターに同乗している事どころか、シミュレーターに愛ちゃんの為の席、設備が備わっている事さえ知らなかった。
フライトシミュレーターは、どこまでも飛行を模擬するための機械であるとの思い込み。
とりわけ、つい先刻まで乗り込んでいた俺の一〇〇式のフライトシミュレーターは、〈アルゴス〉という新機軸の機械、機能を組み込んである為、より一層、そうである筈という思い込み。
操縦士に〈アルゴス〉使用による飛行体験、また、性能、使い勝手を試験するためだけの機械だという思い込みが目を曇らせていた。
俺の一〇〇式のフライトシミュレーターも、他のシミュレーターと同様、あくまで操縦士と〈アルゴス〉の接続確認を目的とする機械であって、飛行機械としての運用面をみる、それ以外の……、偵察機としての要素まで組み込む理由はカケラも無い――無い筈
との思い込みが、そこで思考を停止させていたのだ。
だが、
はからずも目にしたあの光景は、その認識が、真実、思い込みにすぎなかったことを証していた。
クレーンに吊り下げられていた愛ちゃんのあの姿――小柄で華奢な身体には、無数のチューブやケーブルの類いが這いまわり、
俺が浸かっていたのと同じなのだろうリキッド/ゲル相転移型流動体の残滓が全身を濡らし、滴がボタボタ床へしたたり落ちていた。
まるで生死も覚束ない重病人の生の徴を医療機器がひろいあげるためのケーブル、或いは生を維持するため挿入された透析装置等につながるチューブ。
愛ちゃんがぐったりとして、身じろぎひとつしなかった事もあるだろう――全身を濡らし、引力にひかれるまま足先から落ちる液体は、まるで、愛ちゃんがそれまで漬け込まれていた浸漬槽の中を満たしていた保存液のようだった。
まだしも、些少なりともある操縦士たる俺への配慮が、愛ちゃんの側にはカケラも感じられない、それは光景だったのだ。
(原型にしている一〇〇式だったら、あれはアビオニクスがおさめられてるあたりだったか……)
次世代型司令部偵察機は、現時点では基本となるコンセプトを固めるべく検証がおこなわれている状態だ。
計画の大部は担当者たちの頭の中、電子装置の記憶装置の内部にあって、確たるかたちを有しているモノは何も無い。
だから、これから開発計画が詰められていけば、飛行機の姿かたちは大きく変わっていく可能性はある。
つまり、まるでロッカーに人間を押し込んだような――そうとしか見えなかったフライトシミュレーター内での愛ちゃんのためのスペースも改善される。
あれはあくまで一時しのぎ、暫定的なものなのであって、人間を荷物か何かのように……、『乗せる』のではなく『積みこむ』――そんな事になる筈がないと信じたい。
「急ごう」
誰にむかって言うでなく、独りごちると、俺は第三会議室へ向かう足をはやめた。




